轡田隆史

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轡田 隆史
くつわだ たかふみ
生誕 (1936-03-05) 1936年3月5日
日本の旗 日本 東京府
死没 (2022-08-31) 2022年8月31日(86歳没)
日本の旗 日本 埼玉県さいたま市
国籍 日本の旗 日本
教育 早稲田大学政治経済学部
職業 ジャーナリスト
朝日新聞論説委員
活動期間 1959年 – 2022年
家族 轡田三男(父)
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轡田 隆史
名前
カタカナ クツワダ タカフミ
ラテン文字 KUTSUWADA Takafumi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1936-03-05) 1936年3月5日
出身地 東京府
没年月日 (2022-08-31) 2022年8月31日(86歳没)
選手情報
ポジション FWHB
ユース
チーム
1948-1950 埼玉師範学校附属中学校
1951-1953 埼玉県立浦和高等学校
1954-1958 早稲田大学
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本ジャーナリストサッカー選手。元朝日新聞論説委員日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村[1][2][3][4])もサッカー選手および報知新聞記者であり[5]、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ[1][2][4][6][7][8][9][10][11][12]

来歴[編集]

東京府の出身[13][14]だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした[14]。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると[15]中学1年時にサッカーを始め[16]埼玉県立浦和高等学校早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした[12][16]

1959年朝日新聞社に入社[13][17]。入社同期に筑紫哲也本多勝一がいる。社会部次長、編集委員、欧米諸国や中東地域での特派員を務めた後[13][17][12]1980年から1983年までテレビ朝日系『BIG NEWS SHOW いま世界は』のキャスター、1988年に論説委員、1996年まで8年間に渡り夕刊1面コラム「素粒子」を執筆した[13][17]

編集局顧問を経て1999年3月に朝日新聞社を退社後[13][17]、著作活動や講演活動のほか、テレビ朝日系の『ニュースステーション』[13][17]や『スーパーJチャンネル』のコメンテーターを務めた[12]

2000年6月から2017年3月まで、NHK-FM放送の番組『日曜喫茶室』に「常連客」として出演していた[18]2014年の時点では日本記者クラブ、日本ペンクラブ、日本エッセイスト・クラブ、日本山岳会の会員を務め[19]さいたま市(旧浦和市)を中心に発行されている『浦和フットボール通信』でコラム連載や対談などを行っていた[12][20]

2020年9月に埼玉県さいたま市より「さいたま市民憲章審議会」の委員を委嘱され、会長職務代理に就任。憲章の文面を起草し、改稿を重ねて憲章案を完成させ、2021年7月1日に制定した。

2022年8月31日、入院先の埼玉県さいたま市の病院で多臓器不全のため死去した[21]。86歳没。

人物[編集]

サッカーとの関わり[編集]

埼玉県立浦和高等学校ではサッカー部に所属し右ウイングを務めると[22][23]1年時の1951年高校選手権(第30回大会)優勝[23][24]国民体育大会優勝[25][26]の二冠を経験[12]。国体決勝の大阪府立三国丘高等学校戦では決勝点をアシストした[25]早稲田大学ではア式蹴球部に所属し[注 1]ハーフバックを務めた[29][30]。同期には八重樫茂生大橋謙三らがいるが、卒業を1年先延ばして1958年まで同部に在籍し[31]関東大学サッカーリーグ戦東西学生蹴球対抗王座決定戦などのタイトル獲得に貢献した[32]

轡田は自身のプレースタイルについて「私は低身長で鈍足な選手だったが、体力に恵まれなくとも『読み』と『ポジショニング』なら努力次第で身に付けることができる。どう学ぶかは『観察』である。派手な素晴らしいプレーではなく、ボールを保持していない選手の動きを綿密に観察することだ」と評している[33]

1993年には自身のサッカー人生や埼玉県のサッカー史を記した著作を残した(下記参照)。2009年9月には、2018年・2022年W杯の日本開催(2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致構想)を目指す招致委員会の委員に選ばれた[34][注 2]

先述の様に父の轡田三男も元サッカー選手であり、神奈川県立横浜第二中学校早稲田第二高等学院早稲田大学に所属[35][36]。早大1年時[1][2]1927年日本代表選手として中華民国上海で開催された第8回極東選手権大会に参加[1][2][11][37][38]。続く満州朝鮮への遠征にも帯同し[2]、国際Cマッチ4試合に出場した[6][7][8][9][10]

出演番組[編集]

テレビ[編集]

すべてテレビ朝日の番組
期間 番組名 役職
1980年4月 1983年3月 BIG NEWS SHOW いま世界は キャスター
1998年4月 2002年9月 スーパーJチャンネル 隔日交代でのコメンテーター
1999年4月 1999年12月 ニュースステーション コメンテーター
2002年10月 2004年3月 スーパーJチャンネル 月・木曜日コメンテーター
2004年4月 2008年9月 月曜日コメンテーター
2008年10月 2010年3月 金曜日コメンテーター

ラジオ[編集]

主な著書[編集]

  • 『現代世界の構図を読む : いま世界はどう動いているか』高文研、1984年5月10日。ASIN B000J6WSA0NDLJP:12238882 
  • 『枯れ葉作戦の傷跡』 (朝日新聞社、1988年) ISBN 4022605235
  • 『顔のある文章の作り方』 (高文研、1988年) ISBN 4874980910
  • 『キックオフの笛が鳴る - サッカーの歩みと魅力』 (さきたま出版会、1993年) ISBN 4878910496
  • 『いきいきと手紙を書く』 (講談社、1999年) ISBN 4061494678
  • 『小論文に強くなる』 (岩波書店、2000年) ISBN 400500346X
  • 『就職・転職にいきる文章術 』 (角川書店、2002年) ISBN 4047041084
  • 『「逆に考える」人が成功する』 (成美堂出版、2003年) ISBN 4415070167
  • 『「考える力」をつける本 -「頭の壁」をガツンと破る方法』 (三笠書房、2004年) ISBN 4837920667
  • 『要約力―書く、読む、話す すべての能力は「要約力」で決まる!』 (主婦の友社、2005年) ISBN 4072460508
  • 『「ワンパターン」を変えなさい!―「失敗を繰り返す人」「勝ちに乗る人」の差はここにある!』 (成美堂出版、2005年) ISBN 4415073832
  • 『いまを読む名言 昭和天皇からホリエモンまで 』(講談社、2006年) ISBN 4062753707
  • 『豆腐と縄文人と』 (柏艪舎、2006年) ISBN 4434085913
  • 『「あらすじ」と「読みどころ」世界の「名著」50』 (三笠書房、2008年) ISBN 4837922473
  • 『1000冊読む!読書術』 (三笠書房、2009年) ISBN 483792347X
  • 『人生の見方を変える 名著の読み方』 (中経出版、2010年) ISBN 4806136344
  • 『さらさら書ける小論文練習帳』 (静山社、2010年) ISBN 4863890451
  • 『読むだけですぐに身につく! 「聞く力」の育て方』 (静山社、2012年) ISBN 4863891857
  • 『「考える力」をつける本: 本・ニュースの読み方から情報整理、発想の技術まで』 (三笠書房、2013年) ISBN 4837925138
  • 『続「考える力」をつける本: 勉強法、議論の作法から歴史の使い方、人生の楽しみ方まで』 (三笠書房、2014年) ISBN 4837925405
  • 『それでも「老人力」: 年を取るほどに、毎日を面白くするヒント』 (三笠書房、2014年) ISBN 4837925537
  • 『10年経っても色褪せない旅の書き方』 (PHP研究所、2014年) ISBN 4569821650
  • 『心に効くいい人生をつくる11行の話』PHP研究所、2015年1月。ISBN 978-4-569-82242-6 
  • 『酔眼耄碌翁のたわごと』出版芸術社、2018年12月。ISBN 978-4-88293-513-1 
  • 『100歳まで読書 「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント』三笠書房、2019年11月。ISBN 978-4-8379-2807-2 
  • 『競輪という世界』文藝春秋文春新書〉、2020年11月。ISBN 978-4-16-661289-5 
  • 『快老生活のすすめ』三笠書房〈知的生きかた文庫〉、2021年7月。ISBN 978-4-8379-8728-4 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 4年生の時に本来は1学年下の川淵三郎が新入生として入部した[27]。川淵は轡田の活躍で浦和が三国丘を下した次の年度に三国丘高校に入学していた[28]
  2. ^ 川淵は日本サッカー協会の名誉会長として同委員会の顧問に就任。後に日本は招致活動の対象を2022年大会に絞ったが、カタールに敗れて実現しなかった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 轡田 1993、91-95頁
  2. ^ a b c d e WMW50年史編集委員会 1977、81-83頁
  3. ^ WMW50年史編集委員会 1977、330頁
  4. ^ a b 賀川浩「日本とサッカー、90年 連載12回」『週刊サッカーマガジン』 2010年11月23日号、ベースボール・マガジン社、63頁。 
  5. ^ 轡田 1993、102頁
  6. ^ a b 日本代表 試合別出場記録” (pdf). 日本サッカー協会. 2014年9月21日閲覧。
  7. ^ a b 代表TIMELINE 親善試合 [1927.09.14] 平壌”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  8. ^ a b 代表TIMELINE 親善試合 [1927.09.15] 平壌”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  9. ^ a b 代表TIMELINE 親善試合 [1927.09.17] 京城(ソウル)”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  10. ^ a b 代表TIMELINE 親善試合 [1927.09.18] 京城(ソウル)”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  11. ^ a b 1927年の1勝を1936年のベルリンへつないだ卓越したリーダー 鈴木重義(中)”. 賀川サッカーライブラリー. 2014年10月5日閲覧。
  12. ^ a b c d e f VIPインタビュー 犬飼基昭×轡田隆史”. 浦和フットボール通信 (2011年10月18日). 2014年10月5日閲覧。
  13. ^ a b c d e f 轡田 隆史 - 講師の紹介”. 九州市民大学. 2014年10月5日閲覧。
  14. ^ a b 轡田 1993、121頁
  15. ^ 轡田 1993、126頁
  16. ^ a b 轡田 1993、9頁
  17. ^ a b c d e 轡田隆史(くつわだ たかふみ)”. 日本経済新聞出版社. 2014年10月5日閲覧。
  18. ^ 日曜喫茶室”. NHK. 2014年10月5日閲覧。
  19. ^ 応援メッセージ Vol.1 ジャーナリスト・轡田隆史”. つや姫倶楽部. 2014年10月7日閲覧。
  20. ^ レッズ戦無観客試合の衝撃Vol.2「重鎮はこう見た」ホーム浦和からのメッセージ”. 浦和フットボール通信 (2014年9月14日). 2014年10月7日閲覧。
  21. ^ "轡田隆史氏死去 ジャーナリスト、元朝日新聞論説委員". 時事ドットコム. 時事通信社. 6 September 2021. 2022年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月6日閲覧
  22. ^ 轡田 1993、158頁
  23. ^ a b 轡田 1993、170-173頁
  24. ^ 全国高等学校体育連盟 1983、95-96頁
  25. ^ a b 轡田 1993、161-162頁
  26. ^ 全国高等学校体育連盟 1983、255頁
  27. ^ 川淵 2009、37-38頁
  28. ^ 川淵 2009、30頁
  29. ^ WMW50年史編集委員会 1977、144頁
  30. ^ 轡田 1993、216-218頁
  31. ^ WMW50年史編集委員会 1977、146頁
  32. ^ WMW50年史編集委員会 1977、138-148頁
  33. ^ 轡田 1993、222-223頁
  34. ^ 2018/2022年FIFAワールドカップ™日本招致委員会 メンバーについて”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  35. ^ 轡田 1993、84-91頁
  36. ^ WMW50年史編集委員会 1977、209-211頁
  37. ^ 代表TIMELINE 第8回極東選手権大会 [1927.08.27] 上海”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。
  38. ^ 代表TIMELINE 第8回極東選手権大会 [1927.08.29] 上海”. 日本サッカー協会. 2014年10月5日閲覧。

参考文献[編集]