諸積兼司

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諸積 兼司
千葉ロッテマリーンズ 二軍外野守備コーチ #83
2009年9月5日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県会津若松市
生年月日 (1969-05-29) 1969年5月29日(54歳)
身長
体重
181 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1993年 ドラフト5位
初出場 1994年4月13日
最終出場 2006年9月24日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2007 - 2010, 2018 - )

諸積 兼司(もろづみ けんじ、1969年5月29日[1][2] - )は、福島県会津若松市出身の元プロ野球選手外野手)、コーチ。右投左打[2]

愛称は「モロ[3]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

学法石川高校時代に昭和61年夏昭和62年春と甲子園大会に連続出場した[4]。2年夏は長谷川滋利東洋大姫路)と対戦するも敗れた[5]。高校の同期に伊藤博康作山和英がいる。その後、法政大学では4年春に首位打者、盗塁王となり、秋まで2季連続でベストナインを受賞[5]。大学では同期に高村祐、3学年後輩に稲葉篤紀がいた。日立製作所では1年目の東京スポニチ大会で3本塁打するなど活躍して首位打者、新人賞、2年目は優勝に貢献してMVP、同年は都市対抗野球にも出場し、社会人野球・年間ベストナインとなった[5]1993年のドラフト5位で千葉ロッテマリーンズに入団した[1]。背番号は00

ロッテ時代[編集]

プロ初出場を果たした1年目の1994年4月13日の近鉄戦(藤井寺球場)で、法大の同級生である高村からプロ初安打を記録した。2年目の1995年ボビー・バレンタイン監督に「女の子のような投げ方をする選手だ」と言われながら、1番・中堅手として定着。規定打席にも到達し、打率.290(打率リーグ6位)、24盗塁を記録した。

1997年からは背番号を0に変更した。

1999年には2度目の規定打席到達とともに打率.280を記録した。

2002年アルト・ロペスが持つ球団記録の26試合連続安打に次ぐ(当時)、24試合連続安打を記録した。

2004年オフの契約更改時には、この年Bクラスとなった他球団のうち、自分の成績に近い選手25名の年俸一覧表を持参して交渉したものの[6][7]、前年比20%ダウンの提示を受け、「おかしい、こんなことは許されない」と発言した[6]

2006年9月19日に出場機会の減少から現役引退を発表。引退試合である2006年9月24日の北海道日本ハムファイターズ戦(千葉マリンスタジアム)で「1番・センター」でスタメン出場[8]し、初回の打席で金村曉からセンター前ヒットを放って交代した。この試合を含めて、2006年は20試合に出場した。

現役引退後[編集]

2006年に行われたフェニックスリーグから、コーチとして参加した。背番号を732007年は二軍のバント兼外野守備走塁コーチ[9]2008年からは一軍バント兼一塁ベースコーチを務め、2010年は一軍外野守備走塁コーチに配置転換となった。

2011年に編成部調査担当としてフロント入りし[1]、2012年12月には東京六大学および埼玉・北関東の高校生を担当する[1]スカウトとなった[1][10]

2017年11月24日、2018年より、二軍外野守備走塁コーチとして8年ぶりに現場復帰することが発表された。背番号は83[2]2023年まで同職を務め[注 1]2024年からは二軍外野守備コーチを担当する[12]

選手としての特徴[編集]

晩年は打撃の衰えもあり外野の控えに回ることが多かったが、安定した守備[13]と走塁の技術があり、特に守備では外野手としては弱肩だったものの年齢を感じさせないヘッドスライディングキャッチなどガッツあふれるプレーを見せた。それが元で顔にすり傷を負ったこともある。

人物[編集]

時折見せるコミカルな動作や馴染み易いキャラクターから、出場機会が減ってからもファンに非常に愛された。彼が守備に就く際には、スタンドから「モロ」コールが起こった。

雨で試合が中止になった際、ホームのダートサークル上の、水の溜まった防水シートにヘッドスライディングするパフォーマンスがファンの人気を集めており、一軍コーチとなった2008年は「雨のヘッドスライディング」が球団イベントとして企画されていた。8月17日の試合が降雨ノーゲームとなった際には、「40前だし、やらないよ」と最初は拒否していたものの、ファンからの「諸積」コールに応え、防水シートへのヘッドスライディングを披露した[14]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1994 ロッテ 4 6 6 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .167 .333
1995 97 413 362 44 105 9 3 1 123 20 24 12 14 0 36 0 1 67 1 .290 .356 .340 .696
1996 112 373 316 40 80 9 4 0 97 11 15 8 15 1 39 2 2 79 0 .253 .338 .307 .645
1997 111 355 299 49 78 6 6 0 96 13 12 8 10 1 45 0 0 56 2 .261 .357 .321 .678
1998 103 217 190 30 53 6 4 0 67 18 4 5 4 3 19 0 1 22 1 .279 .343 .353 .695
1999 124 475 432 56 121 19 5 2 156 33 10 7 14 0 28 0 1 74 1 .280 .325 .361 .686
2000 117 412 354 56 96 16 3 1 121 24 8 4 13 3 35 0 7 58 2 .271 .346 .342 .688
2001 67 165 141 16 25 2 1 0 29 5 3 2 10 0 14 0 0 23 1 .177 .252 .206 .457
2002 125 361 322 41 81 17 2 2 108 16 18 3 11 1 24 0 3 63 4 .252 .309 .335 .644
2003 46 95 84 11 18 2 1 0 22 6 4 1 2 0 8 0 1 16 3 .214 .290 .262 .552
2004 97 102 86 10 23 0 1 1 28 2 4 2 4 0 11 0 1 20 2 .267 .357 .326 .683
2005 87 35 32 11 8 3 1 0 13 3 1 1 1 0 2 0 0 7 0 .250 .294 .406 .700
2006 20 5 4 2 2 0 1 0 4 2 0 0 1 0 0 0 0 1 0 .500 .500 1.000 1.500
通算:13年 1110 3014 2628 368 691 89 32 7 865 153 103 53 99 9 261 2 17 488 17 .263 .332 .329 .662

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2004年9月14日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に中堅手で出場 ※史上399人目
その他の記録
  • 24連続試合安打:2002年5月25日 - 7月17日

背番号[編集]

  • 00(1994年 - 1996年)
  • 0(1997年 - 2006年)
  • 73(2007年 - 2010年)
  • 83(2018年 - )

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2022年からは役職名が二軍外野守備兼走塁コーチに変更となった[11]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 神原, 英彰 (2013年4月30日). “[アマトーーク]信頼得るため全力疾走!ロッテ・諸積兼司”. スポーツ報知. オリジナルの2014年3月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140330052322/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/20130408-558012/news/20130429-OHT1T00186.htm 2013年12月26日閲覧。 
  2. ^ a b c 諸積兼司氏 二軍外野守備・走塁コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)千葉ロッテマリーンズ、2017年11月24日https://www.marines.co.jp/news/detail/00001706.html2021年2月1日閲覧 
  3. ^ 83 諸積 兼司 選手名鑑2023|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2022年5月12日閲覧。
  4. ^ “聖光学院の最強時代に突入!大旗の白河越えなるか”. 夕刊フジ. (2011年11月20日). https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20111120/bbl1111200821001-n1.htm 2021年2月1日閲覧。 
  5. ^ a b c '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  6. ^ a b “プロ野球契約更改伝説 技巧派東尾、ボヤく江川、ゴネる福留”. 週刊ポスト (2012年12月14日号). (2012年12月5日). https://www.news-postseven.com/archives/20121205_158339.html?DETAIL 2021年2月1日閲覧。 
  7. ^ “プロ野球契約更改“怒号と爆笑”の密室舞台裏!(3)「東尾修は1億円プレーヤーになるために…」”. アサ芸プラス. (2016年1月11日). https://www.asagei.com/excerpt/50331 2021年2月1日閲覧。 
  8. ^ サブロー、里崎智也、小宮山悟、諸積兼司。井口資仁の引退で思い出す、ロッテ引退選手の粋な去り際”. 週刊野球太郎 (2017年8月31日). 2021年4月16日閲覧。
  9. ^ “07年ロッテ諸積バント担当/過去の異例肩書コーチ”. 日刊スポーツ. (2020年11月13日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011120001014.html 2021年2月1日閲覧。 
  10. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P18
  11. ^ “ロッテが来季のコーチングスタッフを発表 木村投手コーチ「勝利を目指していきたい」”. ベースボールキング. (2021年12月14日). https://baseballking.jp/ns/307688 2021年12月25日閲覧。 
  12. ^ ロッテが来季のコーチ陣を発表 腰椎骨折の小坂誠氏は配置転換…引退の2選手が入閣へ”. Full-Count (2023年11月29日). 2022年11月29日閲覧。
  13. ^ 『プロ野球選手名鑑2005』ベースボール・マガジン社、2005年、293頁。ISBN 4-583-61312-1 
  14. ^ “ロッテ・諸積コーチ、“伝説”のヘッドS!”. サンケイスポーツ. (2008年8月18日). オリジナルの2009年1月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090109011244/http://www.sanspo.com/baseball/news/080818/gsi0808180435000-n1.htm 2021年2月1日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]