菊田義孝

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菊田 義孝(きくた よしたか、1916年大正5年)3月21日 - 2002年平成14年)7月21日)は、日本の詩人・文芸評論家。「群系」創刊同人。

仙台市生まれ。1937年昭和12年)明治大学文藝科卒。太宰治と親しく交わる。戦後、紫書房、大蔵財務協会に勤務。1960年(昭和35年)よりフリーの編集者。かたわら文芸評論を書いた。「群系」創刊同人。[1] 息子・菊田求(1949-1975)も詩や小説を書いたが、学生運動のさなか自死した。遺稿集に『反逆と愛のはざまで ある学生の孤独な遺書』(光風社出版 1979年5月)がある。

著書[編集]

  • 『太宰治と罪の問題』修道社 1961
  • 『太宰治と罪の問題』審美社 1964
  • 『私の太宰治』大光社 1967
  • 『終末の予見者太宰治』審美社 1972
  • 『神の罠』審美社 1974
  • 『太宰治の弱さの気品』旺国社 1976
  • 『人間脱出 太宰治論』弥生書房 1979
  • 遠藤周作論 かれは、なにを書かなかったか』永田書房 1987
  • 『魂の略歴 詩集』てんとうふ社 1993

脚注[編集]

  1. ^ 菊田義孝年譜 - 「群系」18号(2005年12月刊行)収載より 『群系』 (文芸誌) ホームページ、2019年6月4日閲覧。