芳川庸

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芳川 庸
巨人育成選手時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市左京区
生年月日 (1993-08-18) 1993年8月18日(30歳)
身長
体重
183 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2011年 育成選手ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

芳川 庸(よしかわ ちから、1993年8月18日 - )は、京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中学時代は京都ライオンズに所属。

洛北高時代は、1年と2年時の夏はいずれも京都府予選で初戦敗退。3年時の夏は、京都府予選4回戦で西城陽高に0-7(7回コールド)で敗れた。甲子園出場経験は無し。

2011年9月に、読売ジャイアンツ(巨人)の入団テストへ参加。参加者から唯一の合格を勝ち取ると、同年のプロ野球育成ドラフト会議で巨人から4巡目で指名されたこと[1][2]から、年俸240万円、支度金100万円(金額は推定)という条件で育成選手として入団した。背番号は006

巨人時代[編集]

2012年には、イースタン・リーグ公式戦への出場機会がなかった。2013年に、同リーグ公式戦へ初出場。初安打・初打点も記録したが、シーズン通算では、6試合の出場にとどまった。

2014年には、イースタン・リーグ公式戦14試合へ出場。打率.143ながら、通算15打席で2打点を記録した。

2015年には、イースタン・リーグ公式戦13試合へ出場。公式戦初本塁打を記録したが、通算19打席で打率.200にとどまった。

2016年には、4年振りにイースタン・リーグ公式戦への出場機会がなかった。入団以来支配下選手契約への移行に至らないまま、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[3]10月31日付で、NPBから自由契約選手として公示[4]

巨人退団後[編集]

NPB他球団での現役続行と希望していることから、2016年11月12日には、阪神甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに捕手として参加した[5]

2017年からジャイアンツアカデミーのコーチに就任した[6]2020年限りで退任した[7]

2022年からは巨人のファームディレクターに就任する。

2024年は育成担当となる。

選手としての特徴・人物[編集]

高校通算39本塁打の長打力が魅力の右のスラッガー。地肩が強く、送球に素早さがある[2]

出身の洛北高校は伝統ある進学校であり、芳川自身も進学クラスに所属している。入団テストの志望動機の文章を見た球団関係者に「頭がいいのは一芸なんですよ」と評価されるなど、進学クラスに所属する頭脳も獲得の一因となった[1]

捕手登録ではあるが、一塁など複数のポジションの守備につくことが出来る[8]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 006 (2012年 - 2016年)

登場曲[編集]

  • 「響 〜HIBIKI〜」EXILE(2012年)
  • 「Choo Choo TRAIN」EXILE(2013年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b 巨人「ノムさん2世」洛北・芳川育成指名”. nikkansports.com (2011年10月27日). 2012年5月18日閲覧。
  2. ^ a b 育成ドラフトでも5投手、1捕手”. 読売ジャイアンツ (2011年10月27日). 2012年5月18日閲覧。
  3. ^ 来季の契約について”. 読売巨人軍公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月3日閲覧。
  4. ^ 2016年度自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構 (2016年10月31日). 2016年11月16日閲覧。
  5. ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html 2016年11月13日閲覧。 
  6. ^ 3選手がアカデミーコーチに就任”. ジャイアンツアカデミー (2016年12月26日). 2017年1月13日閲覧。
  7. ^ コーチ人事について”. ジャイアンツアカデミー (2021年1月18日). 2021年3月17日閲覧。
  8. ^ 【巨人】芳川、10万円増 支配下へ「打撃を磨く」スポーツ報知2015年11月22日14時45分配信

関連項目[編集]

外部リンク[編集]