羽石国臣

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羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は、日本の元スピードスケート選手で、競輪選手

来歴[編集]

栃木県日光市出身。日光高校を経て日本大学へと進学。スケートに専念できる就職口がなかったため、大学卒業後は、地元・日光の鉄工所でアルバイトをしながら一人で練習を行なう。その後、三協精機製作所(現 日本電産サンキョー)に入社。

1998年12月の長野大会に、ISUワールドカップとして初参加し、500mで3位に入る。翌1999年3月に行われたローズビルの同大会・500mでは、長野オリンピック・500m銀メダリストのジェレミー・ウォザースプーン(2位)を破り優勝。

2001年全日本スプリントスピードスケート選手権大会で総合3位に入り、清水宏保武田豊樹堀井学とともに、2002年ソルトレイクシティオリンピック・500mの日本代表として出場、12位となる。

所属する三協精機の業績不振によるスケート部予算縮小の煽りを受け、翌2003年に退社。黒岩敏幸が、2004年秋頃にコーチとなり、一時は2006年トリノオリンピック代表候補にまで名前が上がったものの、同大会には出場できず2006年5月にスピードスケートからの引退を表明した。

その後、日本競輪学校の入学条件に、年齢制限が撤廃されたことから競輪に転身。同校93期生として、西谷岳文今井裕介らとともに2006年11月に入学し、翌2008年1月2日、ホームバンクの宇都宮競輪場でデビューし8着。同年1月4日の同場で初勝利を挙げた。2010年3月1日現在、A級2班に在籍。

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