素人名人会

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素人名人会
収録スタジオのあった阪急百貨店うめだ本店
(現在は解体)
ジャンル バラエティ番組
放送期間 1955年10月5日 - 1958年11月26日
放送時間 水曜 19:30 - 20:00
放送局 毎日放送MBSラジオ
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素人名人会
番組収録が行われていたなんばグランド花月
(写真は2014年のもの)
ジャンル 演芸 / バラエティ番組
出演者 西条凡児(1960年5月 - 1970年9月)
横山やすし(1970年10月 - 1970年12月)
西川きよし(1970年10月 - 2002年3月)
製作
制作 毎日放送
放送
放送国・地域日本の旗 日本
1960年5月8日から1975年3月30日まで
放送期間1960年5月8日 - 1975年3月30日
放送時間日曜 13:15 - 14:00
放送分45分
1975年4月から2000年3月まで
放送期間1975年4月 - 2000年3月
放送時間日曜 12:54 - 13:54
→日曜 16:30 - 17:30
放送分60分
2000年4月から2002年3月17日まで
放送期間2000年4月 - 2002年3月17日
放送時間日曜 16:00 - 17:00
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素人名人会』(しろうとめいじんかい)は、1955年から1958年まで毎日放送ラジオで、1960年から2002年まで毎日放送テレビで放送された一般参加型公開放送による演芸番組である。

概要[編集]

「新日本放送(NJB)」時代の1955年10月5日[1]よりラジオ放送を開始し、1958年11月26日まで続いた[1]。ラジオでは毎週水曜日の19時30分 - 20時00分に放送されていた[1]阪急百貨店うめだ本店の屋上に当時あったラジオスタジオでの公開放送だった[2]

MBSテレビ開局翌年の1960年5月8日にテレビ番組として復活し、2002年3月17日まで放送された。テレビでは主に日曜日に放送されていた(放送時間の詳細な変更歴については後述)。

テレビ放送になってからはうめだ花月劇場が放送会場となった(一時期は月に1回の割合で京都花月劇場を使うこともあった[3])が、1990年3月末にうめだ花月が一時閉館するのに伴い、放送会場はなんばグランド花月へ移った。

司会はラジオ時代からテレビ時代初期にかけ、漫談家の西条凡児が担当していたが[2]、1970年に不祥事を起こしたことから降板[3]。代わって漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」が起用されたが、程なくして横山やすしがタクシー運転手殴打事件を起こし、長期間謹慎の身になったことでわずか3か月で降板[3]。以降、西川きよしが最終回まで単独で司会を務めた(後述の事情による番組欠席時を除く)。やすしの降板が引き金となったことできよし独自のタレント性が発揮され、次第にきよしは単独で各局の人気番組を担当するに至った。なお、やすしは後年、審査員の1人として当番組に復帰している。

1999年頃から、特番の頻発(主にJNN系列のゴルフ中継、プロ野球中継等)に加え、司会のきよしが参議院議員として多忙になったことから、毎週でなく2週おきの放送になった。

2000年4月の放送分からは、大幅なリニューアルを敢行。セットや字幕スーパーを中心とした美術の一新が行われた[注 1]ほか、司会者以外のレギュラー出演者も一新された。

2002年3月17日の最終回スペシャルをもって、ラジオでの開始から46年半、テレビでの開始から42年の歴史に幕を閉じた。その時点では日本のテレビ演芸番組(公開収録形式)における放送期間の最長記録であったが、2009年に『笑点』(日本テレビ系)が更新した。レギュラー放送終了後、テレビの特別番組で3回「復活版」が実施されている(後述)。

本番組で培われたコンセプトは後に『たけしのお笑いサドンデス』(TBS系)等に受け継がれた。[要出典]

本番組終了後の日曜16時枠は『MBSサンデースペシャル』。

ルール[編集]

毎回厳しい予選をクリアした10組程度(後期は8組程度)の一般人が出場し、歌謡曲漫才落語日本舞踊民謡マジックなど幅広いジャンルの芸を披露。各出場者のパフォーマンスが終了するごとに賞金3万円の「名人賞」の可否が判定される。

合否判定は『NHKのど自慢』でも使用されているチューブラーベルを鳴らすことで行われる。名人賞の場合は11音(ドシラソ・ドシラソ・ドミレ)のあと、ファンファーレが演奏され、バックのタイトルロゴが点滅する(この演出パターンはオープニングの際にも演奏されていた)。名人賞でない場合は6音(ドミレ・ドミレ)もしくは3音(ド・ミ・レ)が鳴らされる。

事前募集だけでなく、会場の観客から選ばれる「飛び入り出演」もある。

エンディングで全出場者が集められ、名人賞受賞者の中から1名がその週のチャンピオンに当たる「審査員賞」に選出される。また、名人賞でない者も含む全出演者の中から「敢闘賞」が贈られる。

出演者[編集]

司会者[編集]

代理司会
  • 浜村淳 - 1986年、1992年、1998年のきよしの選挙活動中のみ

歴代の司会者はハンドマイクは使わず、スタンドマイクで進行した。出場者へのインタビューでは、出場者の顔の高さに合わせて、スタンドマイクを斜めに傾けるという配慮が見られた。

審査員[編集]

落語・漫才
歌謡曲
舞踊
小唄
民謡
奇術

演奏[編集]

放送時間[編集]

ラジオ
テレビ

ネット局[編集]

日曜13時15分から14時までの放送であった時期、当時MBSが属していたANN系列各局でも放送された。名古屋テレビなどでは、東京のNETテレビ(現・テレビ朝日)が同時刻に放送していた『日曜演芸会』ではなくこの番組を同時ネットしていた。

MBSがJNN系列に移行した1975年4月1日以降は各局でネット受け局の移行や放送時間変更がみられた[注 3]

遅れネットの事例としては、広島県の中国放送が1977年時点で土曜12:00 - 12:40に放送していた[4](その後打ち切り。NET系時代の広島県での放送状況は不明)。

エピソード[編集]

「コマーシャル」[編集]

CM入り前にカメラを向けられた出場者が、手のひらを回転させるようにカメラ方向に差し出しながら「コマーシャルッ!」と言うのがお決まりであった。このフレーズは番組の代名詞として定着し、当時これを見て育った関西出身のタレントがバラエティ番組などでマネをすることがある。なお、出場者の大半は「全国の皆さん、コマーシャルッ!」と言っていたが、JNNや(腸捻転ネット解消前の)ANNのそれぞれの一部の局がネットしていただけで全国ネットで放送されたことはない。

スターへの登竜門[編集]

本番組出場経験者で、のちにプロの演芸界・芸能界で活動するに至った人物が多くいる。そのため「スターへの登竜門[5]」とみなされた。

なお、出場に値する一般人が集まらなかった時には、吉本総合芸能学院(NSC)の研修生が駆り出されていた(ダウンタウンはNSC在学中の出演で、これがテレビデビューである)。

復活版[編集]

2010年12月10日から23日まで大阪新歌舞伎座で行われた「よしもと祭 西川きよし劇団旗揚げ公演」において、『バラエティーショー「素人名人会」新歌舞伎座スペシャル』として復活。バンドも、レギュラー版に長らく出演していた「ごもくめし」が担当した。この模様はMBSテレビで、2011年1月8日15時24分より「西川きよし劇団 旗揚げ公演記念スペシャル 帰ってきた素人名人会」として関西ローカルで放送された。

きよしの芸能生活50周年に当たる2013年9月14日13時54分 - 14時54分には、「西川きよし芸能生活50周年記念 お出かけ!素人名人会」が関西ローカルで放送された。きよしの母校・大阪市立市岡小学校で収録され、オール阪神岩崎宏美未知やすえが審査員を務めた。本編のほかきよし・陣内智則・市川義一(女と男)による同小学校近辺(きよしの実家跡地など)でのロケ映像や、上沼恵美子、オール阪神・巨人、大沢あかね、友近がレギュラー版に出演した時のVTR、坂本冬美、Mr.マリック、はるな愛のビデオレターなどのコーナー企画が設けられた。この復活版には、ナレーターに友近、ロケ出演および収録の伴奏者として「ごもくめし」のピアノ奏者・番野公夫が起用された。

2024年3月30日、『前代未聞!芸能生活60周年 西川きよしのスター爆笑大作戦!モーレツ!!パンチDE名人会』と題して、『スター爆笑Q&A』(読売テレビ制作)や『モーレツ!!しごき教室』(毎日放送制作)との合同で読売テレビにて復活特番が放送された[6]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ フォントが手書きタイプから丸ゴシック体になった。スタジオ進行での審査員・バンド紹介が廃止され、代わりにオープニングのタイトルバックで似顔絵付きのクレジットが表示されるようになった。
  2. ^ 本番組終了後の2008年4月より17時枠がMBS制作・TBS系列の全国ネットアニメ枠となる
  3. ^ 岡山県ではこのときに放送局が岡山放送から山陽放送に移行した(土曜13時から放送されていたが日曜16時台になり、その後不定期放送を経て自然消滅の形で末期の時点でネット離脱。レギュラー放送の頃も半年遅れだった)

出典[編集]

  1. ^ a b c d 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、173頁。 
  2. ^ a b 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、65頁。 
  3. ^ a b c 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、177頁。 
  4. ^ 読売新聞・岡山版、1977年7月2日(土曜日)、16ページ、テレビ・ラジオ欄。
  5. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、176頁。 
  6. ^ 西川きよし冠特番で“伝説の番組”が復活 今田、陣内、ケンコバら司会担当”. お笑いナタリー (2024年3月29日). 2024年4月7日閲覧。