知多エル・エヌ・ジー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知多エル・エヌ・ジー株式会社
CHITA LNG Co.,Ltd.
種類 株式会社
略称 知多LNG
本社所在地 日本の旗 日本
478-0045
愛知県知多市南浜町27番1
設立 1980年1月8日
業種 倉庫・運輸関連業
法人番号 8180001094751 ウィキデータを編集
事業内容 液化天然ガスの受入・貯蔵・気化・送出に関する業務
代表者 代表取締役社長 野田勝治
資本金 80億円[基礎情報注 1]
売上高 156億5641万円[基礎情報注 2]
営業利益 30億5204万円[基礎情報注 2]
純利益 10億5348万円[基礎情報注 2]
純資産 163億5180万円[基礎情報注 2]
総資産 563億9506万円[基礎情報注 2]
従業員数 90名[基礎情報注 1]
主要株主 JERA(95%)
東邦瓦斯(5%)[基礎情報注 1]
外部リンク http://www.chita.lng.co.jp/
特記事項:
  1. ^ a b c 『明日への飛躍II』(2000年6月現在)
  2. ^ a b c d e 『明日への飛躍II』(1999年度決算)
テンプレートを表示

知多エル・エヌ・ジー株式会社(ちたエル・エヌ・ジー、: CHITA LNG Co.,Ltd.)は愛知県知多市において液化天然ガス (LNG) 受入基地を管理する企業である。JERAの子会社であり、LNGは同社の知多火力発電所知多第二火力発電所新名古屋火力発電所で使用される。

沿革[編集]

1977年12月、インドネシアの国営資源会社ペルタミナは、バダック基地のLNG増産計画を日本側の買い主に提案した。中部電力・東邦ガス関西電力大阪ガスの4社は1983年より年間320万トンを購入することでペルタミナと契約を締結した。このうち中部電力と東邦ガスは年間200万トンを受け入れることとなり、既存の知多LNG共同基地では能力が不足するため、新たなLNG基地の建設が必要になった。これを受け中部電力はLNG受け入れの新会社設立の準備を開始。知多市地先の東亜石油(現ENEOS知多製造所)の一角の原油タンク予定地を建設候補地とした。中部電力・東邦ガス・東亜石油と伊藤忠商事の4社で、1980年をめどに新会社を設立することで合意が成立した。1979年12月19日に発起人総会を開催。1980年1月8日に創立総会を開催、知多エル・エヌ・ジー株式会社が設立された。当時の資本金は5億円(授権資本20億円)で、出資比率は伊藤忠商事41%、東亜石油39%、中部電力18%、東邦ガス2%であった。1980年8月、第1期工事着工。1981年9月、東亜石油と土地売買契約を締結。同月より第2期工事も全面着工した。1983年1月、第1期分の完成検査証を受領。同年3月に1号船となるアクエリアス号からLNGを荷揚げ、同5月1日より営業運転を開始した。1984年3月、冷熱発電設備運転開始。1992年から1994年にかけて気化器や高圧送ガス設備を中心とした増設第1期工事、1993年から1998年にかけて地下式LNGタンクの新設と気化器の増設を含む増設第2期工事が行われた。2000年から2001年にかけては、知多エル・エヌ・ジー、知多LNG共同基地、東邦ガス知多緑浜工場を一体運用可能とする改良工事が行われた。2000年7月からは四日市LNGセンターの運営を受託している。

2019年4月、中部電力が所有する当社の株式は、JERAに承継され、当社はJERAグループの一員となった。

設備[編集]

  • 貯蔵設備[1]
    • 地上タンク 6基 48万キロリットル
    • 地下タンク 1基 16万キロリットル
    • 計 64万キロリットル
  • 気化設備[1]
    • 11基 1,370トン/h
  • 冷熱発電設備[2]
    • LNG直接膨張・ランキンサイクル併用
    • 各7,200kw 2基明日への飛躍

脚注[編集]

  1. ^ a b 『明日への飛躍II』
  2. ^ 『明日への飛躍』

参考文献[編集]

  • 知多エル・エヌ・ジー株式会社10年史『明日への飛躍』1990年8月30日発行
  • 知多エル・エヌ・ジー株式会社20年史『明日への飛躍II』2000年6月30日発行

外部リンク[編集]