百道

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百道
早良区役所
早良区役所
地図
百道の地図
百道の位置(福岡市内)
百道
百道
百道の地図
百道の位置(福岡県内)
百道
百道
百道 (福岡県)
百道の位置(日本内)
百道
百道
百道 (日本)
北緯33度34分54.6秒 東経130度20分54.2秒 / 北緯33.581833度 東経130.348389度 / 33.581833; 130.348389
日本
都道府県 福岡県
市町村 福岡市
早良区
面積
 • 合計 49.74 ha
人口
2023年令和5年)1月末現在)
 • 合計 6,861人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
814-0006
市外局番 092
ナンバープレート 福岡

百道(ももち)は、福岡市早良区の地名。現行の行政地名は百道一丁目から百道三丁目までである[1]。面積は49.74ヘクタール[2]。2023年1月末現在の人口は6,861人[3]郵便番号は〒814-0006[4]

地理[編集]

福岡市の都心部とされる中央区天神等の西方約5キロメートル、早良区の北部で、博多湾に近く、室見川の下流右岸沿いに位置する。北で百道浜1986年9月竣工の埋立地)と、東で西新と、南で藤崎及び弥生と、南西で金屑川を跨いで室見と、西で室見川を跨いで西区愛宕及び豊浜と接している。愛宕・豊浜とは「愛宕大橋」(よかトピア通り)で、室見とは明治通りのほか、その北部と「百道橋」[注釈 1]で結ばれている。かつては百道松原と称される松の人工林と海水浴場で知られた。 遠浅の海岸では海苔養殖が行われており、ひびがならぶ光景も見られた[5]

なお、百道において戦後急速に宅地化が進み、1980年代にこの沖合で埋立が行われ、百道に隣接する百道浜等を含む地域として、「シーサイドももち」が福岡市におけるウォーターフロント開発の象徴的地域となった。

河川[編集]

百道の西側に次の河川が横断している[6]

都市計画[編集]

都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[7]において、百道を含む藤崎地域に西新地域及びシーサイドももち地域を合わせた地域は、都心部を取りまく東部・南部・西部の三つの広域拠点(副都心)のうち、「西部広域拠点」として位置付けられている。用途地域は、南側の明治通りの道路境界線から南側概ね30メートルの範囲は商業地域に、百道二丁目のうち市道百道342号線以南(上記明治通り沿線を除く)及びよかトピア通りの道路境界線から南側概ね50メートルの範囲は第二種住居地域に、百道一丁目の市道百道311号線及び百道316号線以南(上記明治通り沿線を除く)は第一種住居地域に、市道百道通線の道路境界線から両側概ね30メートルの範囲は第二種中高層住居専用地域に、これら以外の範囲は第一種中高層住居専用地域に指定されている。また、百道三丁目の一部において、建築協定の区域として「百道3丁目1・3区」[注釈 2]が定められ、住宅地としての環境を高度に維持促進することについて協定が締結されており、通常の用途地域の規制に加えて、さらに建築物の高さ等に関する制限が加えられている[8]

地価[編集]

住宅地の地価は2014年平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば百道三丁目16-18の地点で20万7000円/m2となっている。[9]

歴史[編集]

1274年文永11年)、元寇の文永の役においては上陸した蒙古軍との激戦が繰り広げられた。「新元史劉復亨伝に「戦於百道原」とある。

江戸時代になり、1619年元和4年)、初代福岡藩主の黒田長政が家臣に百道浜への松の植林を命じ、博多姪浜などの町人から1軒につき1本の松を提供させた。これにより百道(紅葉)松原と称される松の人工林が造られた。1666年寛文6年)には藩主黒田光之により松原の南東部に紅葉八幡宮が造営された。福岡藩は毎年4~7月には百道松原の先の波打ち際を石火矢稽古所とし、砲術訓練を行っていたという。

昭和時代前半までは1913年大正2年)に福岡刑務所が建設された程度で海岸は旧態を保ち、海水浴場として親しまれていた。

戦後、松原を切り開いて宅地が造成されていき、さらに1965年昭和40年)に移転した刑務所跡地を利用して官庁群や分譲団地が建設された。1969年(昭和44年)には、それまでは通称名でしかなかった「百道」が西新町藤崎町弥生町を分割して新しく町名として設定された。

地名の由来[編集]

「百道」の地名の起こりについては、遥か昔この地域が干潟であった頃、そこを往来する人々の足跡が東西縦横に交差する様を「百の道」と表し、転じて「百道」となったと言われている。古くは「百路原」とも呼ばれた。また、異説では、語源は「揉み地」で、原義は合戦の場ともいう。元寇のおり、日本軍と蒙古軍が激しく揉み合った合戦場[10]
1969年(昭和44年)に、それまでは通称名でしかなかった「百道」は西新町藤崎町及び弥生町の各一部を分割して成立した町名として設定された。

町域の変遷[編集]

住居表示実施後 実施年月日 住居表示実施前(各町名の一部)
百道一丁目から百道三丁目まで 1969年
昭和44年)
藤崎町1丁目〜3丁目・弥生町1丁目〜3丁目

人口[編集]

百道一丁目から三丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[3]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。

交通[編集]

交通に関しては、地下鉄の藤崎駅の北側で藤崎バス乗継ターミナルが接続し、福岡市の主要な交通結節点の一つを形成している。

鉄道[編集]

鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄福岡市地下鉄空港線が地区の南側に通っており、百道と藤崎にまたがる位置(明治通りの地下)に次の駅がある。

バス[編集]

バスについては、西日本鉄道株式会社が運営するバスが運行しており、次の停留所等がある。

道路[編集]

町域内の主な幹線道路は次の通り。

町域周辺で有料自動車専用道路については福岡高速道路福岡高速環状線が通っており、最寄りの出入口は次の通り。

また、金屑川を渡って室見へ至る人道橋として次の道路がある。

  • 百道350号線(「百道橋」)

施設[編集]

公共・公益施設[編集]

公園・緑地[編集]

学校[編集]

その他[編集]

  • ふたば保育園

名所・旧跡[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 人道橋、百道350号線
  2. ^ 804番4外64筆7,136.16平方メートル
  3. ^ 明治通りとよかトピア通りを結ぶ全長約700メートルの福岡市道
  4. ^ 所在地は百道一丁目16番29号。
  5. ^ 所在地は百道三丁目10番1号。詳細は、 http://www.fuku-c.ed.jp/center/index.html 参照
  6. ^ 所在地は百道二丁目1番31号。
  7. ^ 所在地:百道二丁目5番1号。郵政大学校と同様の研修施設。
  8. ^ 所在地:百道二丁目7番28号北緯33度34分54.9秒 東経130度20分48.6秒 / 北緯33.581917度 東経130.346833度 / 33.581917; 130.346833、業務内容:郵便窓口、貯金窓口、ATM、保険窓口[11]
  9. ^ 所在地:百道一丁目804-118、種別:街区公園
  10. ^ 所在地:百道二丁目16、種別:街区公園、面積:2,044m2、開園年度:1969年)[12]
  11. ^ 所在地:百道一丁目810-221及び810-47、種別:街区公園
  12. ^ 所在地:百道一丁目31、公園種別:都市緑地、面積:274m2、開園年度:1993[13]
  13. ^ 所在地は百道二丁目及び藤崎一丁目等で、時代は弥生時代及び古墳時代である。[14]
  14. ^ 現在の地名では福岡市早良区高取、百道及び藤崎にまたがる範囲に弥生時代に存在した共同墓地の遺跡。石碑が早良区高取二丁目17番37号の私有地内北緯33度34分52.50秒 東経130度20分55.48秒 / 北緯33.5812500度 東経130.3487444度 / 33.5812500; 130.3487444に設置されている。この石碑には次のように記されている。「藤崎遺跡 この地は、弥生時代の集団墓地の遺跡として古くから知られていたところで、弘中ビルの建築に先だって昭和五十二年八月四日から九月十六日まで発掘調査を行い、弥生時代(BC3-AD1)の上拡墓十基、甕棺墓六十基と、それを囲む大溝などが発見され、当時の人その生活や埋葬儀礼の様相が明らかにされました。この調査によって失われた祖先の跡を偲んでこの碑を建立し、永久にこれを伝えるものであります。 昭和五十三年四月二十二日 施主 広中 浩」
  15. ^ 所在地:百道一丁目3番6号北緯33度34分56.4秒 東経130度20分59.7秒 / 北緯33.582333度 東経130.349917度 / 33.582333; 130.349917、名称:千眼寺、法人番号:9290005000297[15]。中国福建省福清県にある黄檗山萬福寺を始めとする中国の伝統禅の流れに属する黄檗宗の禅寺。詳細は次の外部リンクを参照黄檗宗大悲山千眼寺. “千眼寺”. 2022年9月15日閲覧。山号院号寺号等:大悲山千眼寺(だいひさんせんがんじ)。

出典[編集]

  1. ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年8月19日閲覧。→別表第1
  2. ^ 平成27年(2015年)国勢調査の結果
  3. ^ a b 福岡市統計調査課. “登録人口(公称町別)- 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数”. 福岡市. 2023年2月20日閲覧。
  4. ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2023年1月27日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
  5. ^ 「もっと九州 九州場所70年 今と昔」『西日本新聞』2023年(令和5年)11月15日朝刊19面
  6. ^ 福岡市河川計画課. “福岡市の河川概要”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。より「河川図」参照
  7. ^ 福岡市都市計画課. “福岡市都市計画マスタープラン”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。
  8. ^ 福岡市開発・建築調整課. “福岡市内の全ての建築協定がダウンロードできます。”. 福岡市. 2012年7月24日閲覧。
  9. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  10. ^ 池田善朗 (2013), 筑前の古地名・小字, 石風社, pp. 109, ISBN 978-4-88344-222-5 
  11. ^ 日本郵政グループ (Japan Post Group). “郵便局・ATMをさがす”. 20221014閲覧。→検索:「藤崎郵便局」等
  12. ^ 公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会. “百道西公園”. 2021年6月26日閲覧。
  13. ^ 公園等検索”. 公益財団法人福岡市緑のまりづくり協会. 2022年7月21日閲覧。
  14. ^ 福岡市文化財活用課. “藤崎遺跡”. 福岡市. 2022年5月21日閲覧。参照。
  15. ^ 国税庁長官官房企画課法人番号管理室. “国税庁法人番号公表サイト”. 2022年9月15日閲覧。→検索

関連項目[編集]

参考文献[編集]