痴人の愛

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痴人の愛
訳題 Naomi
作者 谷崎潤一郎
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 新聞・雑誌連載
初出情報
初出大阪朝日新聞1924年3月20日号-6月14日号
女性』1924年11月号-1925年7月号
刊本情報
出版元 改造社
出版年月日 1925年7月
総ページ数 397
id NCID BA63507044
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痴人の愛』(ちじんのあい)は、谷崎潤一郎長編小説。ごく一般的なサラリーマンで君子と呼ばれる真面目な男が、カフェー女給であった15歳のナオミと出会い、自分の妻にする。しかしナオミはやがて男が予想もしなかった女性へと変貌を遂げていく。小悪魔的な女の奔放な行動を描いた代表作で、「ナオミズム」という言葉を生み出した[1]。ナオミのモデルは、当時谷崎の妻であった千代の妹・小林せい子である[2]とされている。谷崎は連載再開の断り書きで、この小説を「一種の『私小説』であつて」としている[3]

1924年(大正13年)3月20日から6月14日まで『大阪朝日新聞』に連載し、いったん中断後に雑誌『女性』11月号から翌1925年(大正13年)7月号まで掲載された[4]。単行本は同年7月に改造社より刊行された[5]

あらすじ[編集]

主人公・河合譲治による、7年前(足かけ8年前)から約5年間の回顧として書かれている。1924年(大正13年)の連載開始を基準とすると、1917年(大正6年)から1922年(大正11年)までとなる[6]。譲治とナオミの年齢(数え年)は、物語開始時点で28歳と15歳、実質的な終幕となる最終章1つ手前で32歳と19歳、エピローグ的に語られる最終章で36歳と23歳である。

河合譲治は独身の電気技師である。質素で凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めていて、真面目すぎるが故に会社では「君子」といわれていたほどの模範的なサラリーマンであった。それに宇都宮生まれの田舎者で、人付き合いも悪く、その歳になるまで異性と交際した経験は一度もなかった。一応の財産もあり、醜い顔立ちでもなかった譲治がこの歳まで結婚しなかったのは、彼に結婚に対する夢があったからだ。それはまだ世の中を何も知らない年頃の娘を手元に引き取って、妻としてはずかしくないほどの教育と作法を身につけさせてやり、いい時期におたがいが好きあっていたら夫婦になる、という形式のものであった。

不思議な運命の巡り会わせで、彼は浅草カフェーでナオミ(正確には「奈緒美」だが作中では基本的に片仮名表記)という美少女に出会う。ナオミは混血児のような美しい容貌であったが、その頃は無口で沈んだところのある、あまり血色もよくない娘であった。ナオミを気に入った彼は彼女を引き取り、大森に洋館を借りて2人暮らしを始める。

「友達のやうに」暮らそう、というのが最初の申し合わせだったので、2人はママゴト遊びのような生活を送る。寝室も別であった。稽古事をすることを約束させ、ゆくゆくはどこへ出ても恥ずかしくないレディーに仕立てたいと彼は計画していた。ところが彼の期待は次第に裏切られていった。彼が、頭も行儀も悪く、浪費家で飽きっぽいナオミの欠点を正そうとすると、ナオミは泣いたりすねたりして、結局のところは最後には彼のほうが謝ることになるのである。

そんなある日、彼が早く家に帰ってみると、玄関の前でナオミが若い男と立ち話をしているのにぶつかった。嫉妬の情にかられた彼はナオミに問いただすが否定される。しかし、ナオミが他にも何人もの男とねんごろなつきあいをしていることに気付き、本当に怒った彼はその男達との一切の付き合いを禁じ、ナオミを外出させないようにした。いったんナオミはおとなしくなったものの、また熊谷という男と密会していることが分かり、彼はとうとうナオミを追い出してしまう。

追い出してしまったものの、彼はナオミが恋しくて仕方がなくなる。無一文で出て行ったナオミを彼は心配でいてもたってもいられなくなったので、手を尽くして探してみると、ダンスホールで知り合った男性の家にとまり、豪華な服装をして遊び歩いていることを知る。これには彼もあきれ果ててしまった。

ナオミのことを忘れようとしている彼のところへ、ある日ふらっとナオミが現れた。荷物がまだ全部彼の家にあるので、それを取りに来たのだという。ナオミはそんなふうにして、ちょいちょい家にやってくるようになった。品物を取りに寄るというのが口実だが、なんとなくぐずぐずいる。日が経つにつれて、ナオミはますます美しくなってくる。あれほど欺かれていながらも、彼はナオミの肉体的な魅力には抵抗が出来ない。ナオミも自分の魅力が彼に与える力を充分に知っていて、次第に彼を虜にしてゆく。ついに彼はナオミに全面降伏をする。

会社を辞め、田舎の財産を売った金で横浜にナオミの希望通りの家を買い、2人は暮らすようになる。もう彼はナオミのすることに何も反対をしない。彼は、限りなく美しさがましてゆくナオミが、外国の男たちとの交際を重ねる横で、なおかつ夫として生きていく。

映画[編集]

この作品は数回映画化されている。

1949年[編集]

痴人の愛
監督 木村恵吾
脚本 八田尚之
木村恵吾
原作 谷崎潤一郎
出演者 宇野重吉
京マチ子
音楽 飯田三郎
撮影 竹村康和
製作会社 大映大映京都撮影所[7][8]
配給 大映
公開 1949年10月16日
上映時間 89分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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大映製作・配給、89分、モノクロ。

スタッフ

キャスト

1960年[編集]

痴人の愛
監督 木村恵吾
脚本 木村恵吾
原作 谷崎潤一郎
製作 武田一義
出演者 船越英二
叶順子
音楽 松井八郎
撮影 石田博
製作会社 大映
配給 大映
公開 1960年4月17日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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大映製作・配給、88分、カラー。

スタッフ

  • 監督・脚本 - 木村恵吾
  • 製作 - 武田一義
  • 企画 - 久保寺生郎
  • 撮影 - 石田博
  • 音楽 - 松井八郎
  • 美術 - 柴田篤二

キャスト

熊谷の名が、原作の「政太郎」から変更されている。

1967年[編集]

痴人の愛
監督 増村保造
脚本 池田一朗
原作 谷崎潤一郎
出演者 安田道代
小沢昭一
音楽 山本直純
撮影 小林節雄
編集 中静達治
製作会社 大映大映東京撮影所[10][11]
配給 大映
公開 1967年7月29日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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大映製作・配給、1967年、92分、カラー。

時代設定が現代(公開当時)に、ナオミの年齢が高めに変更されている。譲治とナオミが出会ったのは1966年で、そのときのナオミは18歳。物語開始時点ですでに譲治とナオミは同棲しており、そのときの譲治は31歳。(いずれもおそらく満年齢なので原作との比較には注意)

譲治が撮ったナオミのヌード写真が象徴的なアイテムとして多用される。

スタッフ

キャスト

派生作品[編集]

ナオミ
監督 高林陽一
脚本 高林陽一
今戸栄一
原作 谷崎潤一郎
出演者 水原ゆう紀
斉藤真
平泉征
音楽 シルクロード
撮影 高村倉太郎
編集 田中修
製作会社 東映セントラルフィルム
配給 東映
公開 1980年3月15日
上映時間 104分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ』(東映1980年)104分、カラー。

「痴人の愛」四度目の映画化[13]

封切時のタイトルは、単に『ナオミ』[14][15][16]。更に『「痴人の愛」より ナオミ』と3種類のタイトルが混在している[17]

「痴人の愛」をベースに、時代背景を現代にうつし、女豹のように狡猾で淫蕩なヒロイン“ナオミ”の愛と性と享楽を現代の新しい女性像として大胆に描いた。

スタッフ[編集]

  • 監督 - 高林陽一
  • 脚本 - 高林陽一・今戸栄一
  • 企画 - 高林陽一
  • 撮影 - 高村倉太郎
  • 照明 - 山田和夫
  • 音楽 - シルクロード
  • 美術 - 野尻均

キャスト[編集]

製作[編集]

1979年夏、東映セントラルフィルムより高林陽一に発注があり[15]、高林が過去作品をよく知る高村倉太郎にカメラを要請した[15]。当初は一般的な劇場用35mmビスタサイズを構想していたが[15]、東映から「予算面の問題があり、現在(当時)東映東京撮影所16mmイーストマン・カラーブロー・アップで『暴力戦士』を撮影中で、東映化工で処理している。同じように16mmブロー・アップで、東映化工で現像して欲しい」といわれた[15]自主映画出身の高林は16mmには勿論手慣れてはいるものの、ブロー・アップを不安がった[15]。東映化工と打ち合わせを念入りに重ね、ブロー・アップだとライト不足のフラットな画面は禁物で、照明も高い技術が要求された[15]

水原ゆう紀は小説を中学3年から愛読しており[13]高林陽一監督から「主役だけど脱ぐぞ。やるか?」とオファーがあり、「1日だけ待って下さい」と告げ出演を承諾した[13]。自身で淫蕩なヒロイン“ナオミ”に似ている部分もあると話している[13]

1979年9月1日クランクイン[15]。撮影所は使わず、基本オールロケで撮影[15]。ナオミの家は当時空き家になっていた麻布鳥居坂駐日フィリピン大使館の建物[15]。部屋を色々飾り替え室内シーンの大半はここで撮影された[15]。その他、東京都内ロケは成城六本木[15]。他に神奈川県鎌倉市[15]。9月12日クランクアップ[15]。1日休みを取ったため実働12日[15]。しかしその後の仕上げ、ブロー・アップ作業には長い期間を要した[15]

宣伝[編集]

キャッチコピー[編集]

ファッショナブルにゆらめいて、ナオミいま、エクスタシー[18]

興行[編集]

東映本番線は同時期、春の東映まんがまつり[19]。「ファッショナブルロードショー」と銘打ち[16]新宿東映ホール、有楽シネマ、千葉東映パラス、大阪梅田東映ホールなど[18]、全国8館での上映[14]。公開に合わせ、水原ゆう紀の過去作品一挙上映等のキャンペーンが行われた[14]

評価[編集]

辛口採点の多い『シティロード』封切時の映画批評[16]。軒並み★の最低評価(★★★★★…ぜったいに見る価値あり! ★★★★…かなり面白かったです ★★★…見て損はないと思うよ ★★…面白さは個人の発見だから ★…どういうふうに見るかだね)。(原文ママおすぎ「現時点で試写が見れないのです。かなり出来が悪いとの噂がチラホラ」。高林監督とは「フィルム・アンデパンダン」仲間の金坂健二「『地獄の黙示録』と逆の意味で、もう8ミリなんだよなあ。だいいち脚本段階で、どうしてこれがOKになるのか。ナオミ役はなり手がいない。いっそのこと沢たまき? それともあき竹城にする?」()。北川れい子「ホテルのプールサイドのパーティ・シーンに、上半身裸の少年たちが松明を持ってずっと立っていたが、あれは何?その趣味の悪いこと、思わず吐き気がしてきた。アンティックな雰囲気は狙いと思うが、もったいつけた演出と、そらぞらしい登場人物は博物館並みで、アーッ、永遠のヒロイン、ナオミよ、さようならー」()。後藤和夫「面白くなかった。全てよくない。あえていうといい加減のような気さえした。悔しくて情けない気分になった。東映セントラルで高林陽一が撮るということは、僕にとって別の意味で関心があつた。だが官能も発見できなかったし、ファッショナブルな感覚に酔うこともなかった。個人作家の視点も見つけられず、何だかいやーな感じだけが残った([16]

本作は、宮尾登美子渡辺淳一原作を柱とする東映の80年代"女優+文芸=大作路線"に於いて[20]、1980年9月6日公開の『四季・奈津子』とともに、その嚆矢と位置付けられている[20]

脚注[編集]

  1. ^ 「関西移住と美意識の変容」(アルバム谷崎 1985, pp. 32–64)
  2. ^ 「極彩色の悪夢」(アルバム谷崎 1985, pp. 18–31)ただし、『婦人公論』昭和33年1月の座談会「文豪秋の夜話 昔の女 今の女」においては「一人の特定のモデルはない」と発言している。
  3. ^ 小谷野敦『私小説のすすめ』(平凡社新書、2009年7月)p.24 ただし三年後の『饒舌禄』(『改造』1927年2月)では、「私は最近悪い癖がついて、自分が創作する」において「うそのことでないと面白くない」と書いている。故に「私小説」は、一人称小説の可能性を指摘されている。
  4. ^ 「谷崎潤一郎作品案内」(夢ムック 2015, pp. 245–261)
  5. ^ 「主要著作目録」(アルバム谷崎 1985, p. 111)
  6. ^ 「注解」(痴人・文庫 2003, p. 378)
  7. ^ a b c d e f g 痴人の愛 [1949]”. 角川映画. 2021年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月16日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g kinenote.
  9. ^ a b c d allcinema.
  10. ^ a b c d e f g 痴人の愛 (1967)”. 角川映画. 2020年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月17日閲覧。
  11. ^ a b c d e f kinenote1967.
  12. ^ a b c d 国立映画アーカイブ.
  13. ^ a b c d 長谷川力「阿刀田高の『雑学』対談 第19回 ゲスト 水原ゆう紀(24歳=女優) 『女の性感帯って頭の中にあるものよ、だから演技でも感じてしまうときがあるわ』」『週刊現代』1980年3月13日号、講談社、68–72頁。 
  14. ^ a b c “『ナオミ』公開宣伝キャンペーン”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1980年2月16日) 
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「撮影報告 「ナオミ」 / 高村倉太郎」『映画撮影』第70号、日本映画撮影監督協会、1980年1月20日、42 - 43頁、NDLJP:7954636/22 
  16. ^ a b c d 「ロードショー星取表 ナオミ」『シティロード』1980年3月号、エコー企画、34–33頁。 
  17. ^ 「痴人の愛」より ナオミ”. 日本映画製作者連盟. 2021年5月11日閲覧。
  18. ^ a b 「広告 ナオミ」『シティロード』1980年3月号、エコー企画、38頁。 
  19. ^ “東映・徳川一族の崩壊など強力布陣を発表”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1980年1月19日) 
  20. ^ a b 金澤誠「〔特集〕女優+文芸=大作」『東映キネマ旬報 2010年春号 vol.14』2010年3月1日、東映ビデオ、2-7頁。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]