船外活動

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MMUを装着して自由飛行するブルース・マッカンドレス飛行士

船外活動(せんがいかつどう、英語: Extravehicular activity; EVA)とは、宇宙服を着た宇宙飛行士(船外活動員)が宇宙船の外に出て活動すること。狭義では、宇宙「船」外の宇宙空間で活動する宇宙遊泳(うちゅうゆうえい、spacewalk)と同義で用いられることもあるが、広義では、宇宙遊泳に加え、月面での活動など、文字通り宇宙「船」外での活動全般を含む。

宇宙遊泳が開始された当初は、命綱で宇宙飛行士と宇宙船を繋いで、船内から酸素の供給などを行っていた。現在では、宇宙服自体に酸素を供給する機能が付与されているため、移動の自由度は増している。しかし、安全上の理由で命綱を使用するのが基本的なルールである。スペースシャトルでは初期のミッションにおいて、自由に移動噴射や姿勢制御ができる有人機動ユニット (MMUを使用したことがあったが、実用的ではなかったため、使用されなくなった。近年では、スペースシャトルや国際宇宙ステーション (ISS) のロボットアームの先端に足場を固定して行われる事が多い。

船外活動の記録[編集]

カナダアーム2の先端に足を固定して船外活動を行うスティーヴ・ロビンソン飛行士
船外活動を行う野口聡一

船外活動の危険性について[編集]

船外活動の危険として、まず、スペースデブリとの衝突が挙げられる。スペースシャトルなどの船外活動で典型的な地球から高度300kmにおける軌道速度は、7.7km/sである。これは、通常の弾丸の速度の約10倍である。したがって、弾丸の100分の1程度の質量の物体、例えばペンキのかけらが、弾丸と同じ運動エネルギーを持つことになる。あらゆる宇宙空間での活動によって、この種の破片が発生し得るため、破片が衝突し合ってさらに破片を生むケスラーシンドロームのような問題が懸念される。

他の問題としては、宇宙船から誤って離れてしまうこと(この問題に関しては、NASAはセルフレスキュー用推進装置(SAFER)の装備で対処)や、宇宙服に穴が開く可能性、減圧症の発生などがありうる。宇宙服に穴が開いた場合は、速やかにエアロックに退避できなければ、無酸素と減圧により死にいたる危険がある(NASAのEMU宇宙服の場合、小さな穴が開いた場合でも予備の酸素パックで30分間の酸素供給が可能)。

レオーノフが初の船外活動で使用したベールクト宇宙服は内部の気圧が上がりすぎて服全体が膨張して細かな作業が出来なくなり、エアロックを通って船内に戻ることが出来なくなったため、与圧バルブを開いて空気を逃がして漸く事なきを得た。

人間の内面への影響[編集]

宇宙飛行士としての体験は、世界観・人生観・宗教観といった人間の内面にしばしば大きな影響を与えるとされるが、特に、宇宙空間を直接体感する船外活動(宇宙遊泳)は、宇宙船宇宙ステーションといった環境内での活動と比べて、人間の内面へのインパクトが格段に大きいとの体験談が語られている。例えば、月面着陸と宇宙遊泳の双方の経験を有するジーン・サーナンは、「宇宙船の中に閉じ込められているのと、ハッチを開けて外に出るのとでは、全く質的にちがう体験だ。宇宙船の外にでたときにはじめて、自分の目の前に全宇宙があるということが実感される。宇宙という無限の空間のどまん中に自分という存在がそこに放り出されてあるという感じだ。そのときのセンセーションにくらべれば、地球軌道を離れてに向かうとか、の上を歩くといったことは、そう大したことではないといえるくらい、それは大きなちがいだ」と語っている[2]

日本人宇宙飛行士として初めて船外活動(宇宙遊泳)を行った土井隆雄も、宇宙が自分たちを呼んでいるような「何とも言いようのない感じ」を体感。その感覚が何であったかを追い求める中で、アフリカに住んでいた人類の祖先がサバンナの草原へと降り立って活動範囲を広げていったように、人類の活動領域・視点が地球上にとどまっていた段階から、火星を含めた宇宙規模での活動・思考へと向かう過程にあることに伴う喜びと畏怖のまじりあった混とんとした感情であると解釈するに至っている。また、船外活動(宇宙遊泳)をこれまでに複数回行った野口聡一も、宇宙船内から見る宇宙はあくまで新幹線内から見る外の景色のようなものにとどまり、船外活動の際に「触感で感じる」のは圧倒的に違う体験であるとし、中でも地球という存在について、「ふと目の前にある地球が一個の生命体として-ある意味では自分と同じ生命体として-宇宙に存在しており、・・・そこに一対一のコミュニケーションが存在するかのような気持ちになった」と描写するとともに、太陽光の反射という物理現象だけでは説明し切れないの「輝き」のようなものを感じたとしている[3]

脚注[編集]

  1. ^ 「宇宙遊泳に成功 帰還軌道で初めて」『中國新聞』昭和46年8月6日 1面
  2. ^ 立花隆『宇宙からの帰還』(中央公論社、1983)第三章
  3. ^ 稲泉連『宇宙から帰ってきた日本人 日本人宇宙飛行士全12人の証言』(文藝春秋、2019)CHAPTER6・7

関連項目[編集]

外部リンク[編集]