寺院諸法度

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寺院諸法度(じいんしょはっと)は、江戸時代に、江戸幕府仏教寺院に対して定めた諸法度の総称である。ただ、定まった呼称はなく、文献によっては「諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)」・「諸宗諸本山法度(しょしゅうしょほんざんはっと)」などの呼称が用いられる事もある。

1665年になって寛文印知による寺領安堵と合わせて全ての宗派・寺院・僧侶を対象とする共通の諸宗寺院法度を導入した。

概要[編集]

儒教、とりわけ朱子学を重んじる政策を進めた江戸幕府も、その一方で、寺領を安堵し、伽藍の整備をも推進していたが、それと同時に僧侶の統制を図る目的から、各宗の僧に対して設けられたのが、寺院諸法度である。

禅宗の場合、

  1. 曹洞宗法度(1612年
  2. 勅許紫衣之法度(1613年
  3. 五山十刹諸山法度(1615年、以下同)
  4. 妙心寺法度
  5. 永平寺法度
  6. 大徳寺法度
  7. 総持寺法度

などの法度が順次、発令された。

五山十刹諸山法度においては、従来の「(鹿苑)僧録」、「蔭涼職」が廃止され、1619年、江戸に「(金地院)僧録」が新設され、黒衣の宰相の異名をもつ以心崇伝が任命された。その当初は、この新たな僧録によって禅宗全体の統制を図ったが、その統率は五山派のみにしか及ばなかった。

崇伝没後の1635年寺社奉行が設けられると、寺院の管掌は寺社奉行が取り仕切ることとなり、僧録の権限は更に縮小されることとなった。基本的には、五山派の触頭を職掌とすることとなる。

関連項目[編集]