「アヴォワーズ・ド・ブルターニュ」の版間の差分

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| 子女 = [[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]]<br>マティアス
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| 家名 = レンヌ家
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| 父親 = ブルターニュ公アラン3世
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| 母親 = ベルト・ド・ブロワ
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== 生涯 ==
== 生涯 ==
ブルターニュ公アラン3世とベルト・ド・ブロワの第二子として生まれた。兄[[コナン2世 (ブルターニュ公)|コナン2世]]が1066年12月に暗殺されたため、公位を継承した<ref name="BrittanyGenealogy">[http://fmg.ac/Projects/MedLands/BRITTANY.htm#_Toc172084366 Brittany Genealogy extracted Feb 1, 2008]</ref>。
[[ブルターニュ公]][[アラン3世 (ブルターニュ公)|アラン3世]][[ベルト・ド・ブロワ]]の第二子として生まれた。兄[[コナン2世 (ブルターニュ公)|コナン2世]]が1066年12月に暗殺されたため、公位を継承した<ref name="BrittanyGenealogy">[http://fmg.ac/Projects/MedLands/BRITTANY.htm#_Toc172084366 Brittany Genealogy extracted Feb 1, 2008]</ref>。


アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男[[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]]が単独のブルターニュ公となった。
アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男[[アラン4世 (ブルターニュ公)|アラン4世]]が単独のブルターニュ公となった。

2022年6月21日 (火) 13:28時点における版

アヴォワーズ・ド・ブルターニュ
Havoise de Bretagne
ブルターニュ女公
在位 1066年 - 1072年

出生 1037年頃
死去 1072年8月19日
配偶者 コルヌアイユ伯オエル
子女 アラン4世
マティアス
家名 レンヌ家
父親 ブルターニュ公アラン3世
母親 ベルト・ド・ブロワ
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アヴォワーズ・ド・ブルターニュHavoise de Bretagne、1037年頃 - 1072年8月19日)は、ブルターニュ女公

生涯

ブルターニュ公アラン3世ベルト・ド・ブロワの第二子として生まれた。兄コナン2世が1066年12月に暗殺されたため、公位を継承した[1]

アヴォワーズの生涯についてはわずかしか知られていない。1058年より以前にコルヌアイユ伯オエルと結婚した。オエルは妻自身の権利によってブルターニュ公オエル2世となり、1072年のアヴォワーズの死後も息子の摂政として政治を司った。オエル2世が死んだ1084年、長男アラン4世が単独のブルターニュ公となった。

脚注

先代
コナン2世
ブルターニュ女公
1066年 - 1072年
オエル2世と共同統治
次代
アラン4世