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2006年11月18日 (土) 01:40時点における版
ヘイロタイ(είλώται)は、古代ギリシア・スパルタで、共有財産として国家に所属していた非自由身分の名称。語源は「沼沢地に住む人 έλη 」と「捕虜にされた人 είλ- 」の両説があるが不詳。 紀元前1500年ころからペロポネソス半島ラコニア地方に定住していたアカイア人は、紀元前1100年ころにスパルタ人に征服され全て奴隷身分に落とされヘイロタイと呼ばれた。また前8世紀ころメッセーニアも征服され、住民はヘイロタイとされた。
ヘイロタイは家族を持つことは許されたが、代々奴隷身分を引き継ぎ土地に縛られ農業に従事し、主人であるスパルタ人に収穫物の一部を貢納した。
約5万人(市民とその家族)のスパルタ人に対し約10万人のヘイロタイが存在したため、スパルタ人は常にヘイロタイによる反乱に神経をとがらせた。その結果スパルタは市民皆兵の軍国主義政策を採用し強力な軍隊を保持したのである。紀元前479年のプラタイアイへの出兵にさいしてはスパルタ人1人に対してヘイロタイ7名が従卒と輜重兵として参加した。ヘイロタイは危険な分遣作戦に好んで使われ、だいたい躊躇なく見捨てられたという。
スパルタ人はヘイロタイに対する不満分子の定期的な摘発(紀元前397年キナドンの謀反など)、また、軍事教練の一環としてスパルタ人の若者のヘイロタイに対するテロ行為(Krypteia)を奨励して恐怖支配を徹底した。またヘイロタイにたいする殺戮を正当化するため、毎年就任するエポロス(定員5人の行政長官)がヘイロタイに対して宣戦を布告した。ペロポネソス戦争の重大な時期であった紀元前424年には、もっとも有能で自由を熱望していると思われた約2000名のヘイロタイが探知され、これらの人々はすべて消されたのである。
参考文献
- クセノポン『ギリシア史』『ラケダイモン人の国制』
- プルタルコス『対比列伝』リュクルゴス篇
- ブルクハルト『ギリシア文化史』第2章第2節Template:Link FA fr