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2016年、写真集「KUMIKO AKIYOSHI 1973 NUDE」[[小学館]]の発売記念サイン会で、デビュー当時ヌード撮影だと事前に知らせず黙って現場へ連れて行った当時のマネジャーについては「お墓の下にいるけど、まだ許してない」と語っていた<ref>[https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160209/enn1602091550003-n1.htm 「秋吉久美子 解禁幻ヌード秘話 何も知らされず 持論で演じたものを見せたかった - ZAKZAK](2016年02月09日)ZAKZAK 2021年03月10日閲覧</ref><ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/178698/2 内容知らず…秋吉久美子が語った“19歳初ヌード”撮影秘話|日刊ゲンダイDIGITAL](2016年04月05日)日刊ゲンダイDIGITAL 2021年03月10日閲覧</ref>。
2016年、写真集「KUMIKO AKIYOSHI 1973 NUDE」[[小学館]]の発売記念サイン会で、デビュー当時ヌード撮影だと事前に知らせず黙って現場へ連れて行った当時のマネジャーについては「お墓の下にいるけど、まだ許してない」と語っていた<ref>[https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160209/enn1602091550003-n1.htm 「秋吉久美子 解禁幻ヌード秘話 何も知らされず 持論で演じたものを見せたかった - ZAKZAK](2016年02月09日)ZAKZAK 2021年03月10日閲覧</ref><ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/178698/2 内容知らず…秋吉久美子が語った“19歳初ヌード”撮影秘話|日刊ゲンダイDIGITAL](2016年04月05日)日刊ゲンダイDIGITAL 2021年03月10日閲覧</ref>。

2020年から、雑誌「[[ココア共和国]]」(発行元:[[あきは詩書工房|あきは詩書工房一般財団法人]]([[仙台市]]))に掲載されたアマチュアの[[詩]]の中から、年間2本以上投稿した人を対象に「秋吉久美子賞」を贈呈している。審査員は秋本と[[斎藤貢]]<ref>{{Cite web|url=https://www.youyour.me/akiyoshikumiko2|title=​第2回 秋吉久美子賞《詩の募集》|accessdate=2021-11-6|publisher=あきは詩書工房}}</ref>。


== 受賞歴 ==
== 受賞歴 ==

2021年11月22日 (月) 02:20時点における版

あきよし くみこ
秋吉 久美子
本名 小野寺 久美子[1](おのでら くみこ)[2]
生年月日 (1954-07-29) 1954年7月29日(69歳)
出生地 静岡県富士宮市
国籍 日本の旗 日本
身長 162cm
血液型 O
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1972年 -
配偶者 岩久茂1979年 - 1989年
一般人男性(2004年 - 2005年, 2006年 - 2014年)[2]
事務所 合同会社秋吉
公式サイト 秋吉久美子の公式サイト
主な作品
テレビドラマ
花神
夢千代日記』シリーズ
映画
赤ちょうちん (映画)
あにいもうと
異人たちとの夏
男はつらいよ 寅次郎物語
深い河
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1995年深い河[2]
優秀助演女優賞
1982年誘拐報道』『制覇』『凶弾
1987年夜汽車
1988年異人たちとの夏[2]男はつらいよ 寅次郎物語
ブルーリボン賞
主演女優賞
1976年『さらば夏の光よ』『あにいもうと
助演女優賞
1987年『夜汽車』
1988年『異人たちとの夏』
その他の賞
日本映画批評家大賞
女優賞
1995年『深い河』
2004年透光の樹
毎日映画コンクール
主演女優賞
1976年『あにいもうと』
助演女優賞
1988年『異人たちとの夏』
キネマ旬報賞
助演女優賞
1988年『異人たちとの夏』
山路ふみ子映画賞
女優賞
1995年『深い河』
モナコ国際映画祭
女優賞
2013年『「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ』
アジア映画祭
女優賞
1976年挽歌
モントリオール映画祭
女優賞
1995年『深い河』
備考
公共経営修士
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秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日[2][1] - )は、日本女優

静岡県富士宮市出身で、徳島県海部郡日和佐町(現・美波町)、福島県いわき市育ち。本名は小野寺 久美子(おのでら くみこ)。身長162cm。最終学歴早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻修了[2]学位公共経営修士(専門職)

アジア映画祭主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞している。2013年「「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。そのほかは#受賞歴を参照。

2020年9月、出生から映画女優としての半生をめぐるロングインタビュー、論考を集めた秋吉研究本「秋吉久美子 調書」(映画評論家・映画監督の樋口尚文との共著 筑摩書房)が刊行[3]

略歴

生い立ち

北海道函館市の出身で研究者だった父親が戦後結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[4][5]。妹が一人いる[6]。その後、父が徳島県日和佐町(現・美波町)の高等学校化学教師として赴任したため家族で移り住む[4]。しかし高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[4]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、場長を務める。アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[4]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業[4]。高校時代は文芸部の部長をしていた[6]。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた「つかのまの久美子」(1977年青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。

1972年高校三年生の時、受験勉強中に聞いたラジオ深夜放送吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけ[2][6][7][8]

女優として

旅の重さ』の主役オーディションで、高橋洋子についで次点となり、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演[7]。夏休みの一週間だけ撮影に参加し、出演料は7万5千円だった[6]。撮影現場の空気は肌に合ったが、女優になろうとはすぐには思わず、大学へ行こうと思い受験勉強に励む[6]。翌1973年、大学受験に失敗し大きなショックを受ける[6]。いわき市で予備校通いをしたが、浪人も面白くなく、予備校も休みがちになってブラブラしていたとき、隣町で観たアングラ演劇、はみだし劇場に感銘を受け、同劇場の劇作家内田栄一の夫人・内田ゆきに身柄をあずけ上京[6][7]。内田ゆきは秋吉のマネージャーになった[6]。最初の仕事は赤福もちのCM[6]。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビュー[7]。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった[6]1974年藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』で、奇妙な魅力をたたえた女優などと評価されヒット、名が浸透する[6]。続けて秋吉主演で『妹』、『バージンブルース』(日活)と立て続けに製作され、人気が急上昇した[6]。愛くるしい表情、70年代を表現する繊細な存在感、今までの日本の青春映画を脱却した大胆な脱ぎっぷりで一躍フォークソングとベトナム反戦の時代の寵児となる[2]

1979年、青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と結婚。男児を産みおよそ2年ほど芸能活動を休止したが後に離婚。[9]。復帰後、ソープ嬢を演じた『の・ようなもの[2](1981年)、冷めているが可愛げのあるヒロインに扮した『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 (1981年)を始め、『さらば愛しき大地』 (1982年)、『夜汽車』 (1987年)、『異人たちとの夏』 (1988年)、『誘惑者』 (1989年)、『レッスン LESSON』 (1994年)、『深い河』 (1995年)などがある。2004年、『透光の樹』では、深遠な性愛シーンを披露した。

近年

近年はバラエティにもゲスト出演している[2]。TBS系人気番組『クイズダービー』にもゲスト解答者としても数多く出演。しかも1988年10月の特番で、当時産休中だった竹下景子に代わり、4枠に座っていた。ちなみに成績は12勝20敗、3割7分5厘と好成績を修めていた[10]

作詞家としても活躍しており、DOGGY BAG松尾光次にも楽曲を提供している。

2004年12月に26歳年下の日系アメリカ人と結婚したが、翌年夏に離婚。その後、同じ男性と2006年2月に復縁(再入籍)した[2]

2006年8月12日、第38回NHK思い出のメロディー』で司会に初挑戦。会見で「あのころは"痛がる時代"だったと思う」と独自の理論を披露した。

2007年1月からTBSでアナウンサーの中井美穂と共に一視聴者と同じ視点に立った素直な切り口で『世界陸上大阪大会 秋吉&中井 We Love アスリート』の司会を務めた。なお、番組内で出演した各アスリートの写真を秋吉自らカメラマンとなって撮影し、ポスターを制作するコーナーがあった。この時の写真が好評で、世界陸上の会場にポスターの展示場が開設された。

最終学歴は高卒であったが、個別の入学資格審査を経て、2007年9月より早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻に入学。2009年9月、同研究科を10人中の総代として修了。 2009年公共経営修士取得。世界遺産登録5周年記念事業「熊野古道国際交流シンポジウム尾鷲2009」にパネリストとして参加。 2013年には出身地である福島の風評被害払拭のため消費者庁「東北未来がんばっぺ大使」に就任のほか、「三重県文化審議会委員」も務める。 2013年「わたしの人生〜我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。

2014年に、日系2世の映像クリエーターである二人目の夫と離婚[11]。なお、この元夫とはその前にも一度離婚していた[12][2]

2015年1月、35歳の長男が事故死した[13][14]

人物

趣味は旅行、特技は英会話。

すき焼きが嫌い。理由は肉が甘いから。

シラケが流行した1970年代の時代性を象徴し、そのユニークな言動が話題を呼んだ[6]。当時はカワイコちゃんタレント全盛の時代でもあり、秋吉の言動は余計に目立つこととなる[7]。芸能界にデビューしたての若い少女にありがちな発言を求めた記者に対抗して「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」などと発言し「シラケ女優」のレッテルを貼られた[7][15]。また『妹』の公開前、宣伝のために出演した番組にて共演者が礼儀正しくインタビューに答えていたのに対して、頬杖をついて別の方向を見ていた。なお、当時の様々なラディカルな言動については後に「不器用だったのかな」と振り返った発言もある。

2016年、写真集「KUMIKO AKIYOSHI 1973 NUDE」小学館の発売記念サイン会で、デビュー当時ヌード撮影だと事前に知らせず黙って現場へ連れて行った当時のマネジャーについては「お墓の下にいるけど、まだ許してない」と語っていた[16][17]

2020年から、雑誌「ココア共和国」(発行元:あきは詩書工房一般財団法人仙台市))に掲載されたアマチュアのの中から、年間2本以上投稿した人を対象に「秋吉久美子賞」を贈呈している。審査員は秋本と斎藤貢[18]

受賞歴

  • 第12回ゴールデンアロー賞映画新人賞(昭和49年)『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』
  • プロデューサー協会新人賞(昭和49年)『バージンブルース』
  • 第19回ブルーリボン賞主演女優賞(昭和51年)『さらば夏の光よ』『あにいもうと』
  • 第1回報知映画賞主演女優賞(昭和51年)『あにいもうと』
  • 第31回毎日映画コンクール女優演技賞(昭和51年)『あにいもうと』
  • アジア映画賞主演女優賞(昭和51年)『挽歌』
  • 芸術選奨新人賞放送部門(昭和52年)『下町のおんな 風子』
  • 日刊スポーツ映画大賞助演女優賞(昭和63年)『男はつらいよ 寅次郎物語』
  • 第62回キネマ旬報賞助演女優賞(平成元年)『異人たちとの夏』
  • 第43回毎日映画コンクール女優助演賞(平成元年)『異人たちとの夏』
  • 第31回ブルーリボン賞助演女優賞(平成元年)『異人たちとの夏』
  • 第13回くまもと映画祭女優賞(平成元年)『異人たちとの夏』
  • 国際評論家賞(平成2年)『誘惑者』
  • 東京国際映画祭さくらシルバー賞(平成2年)『誘惑者』
  • モントリオール映画祭作品賞(平成7年)『深い河』
  • 第19回山路ふみ子映画賞女優賞(平成7年)『深い河』
  • 第5回日本映画評論家賞女優賞(平成8年)『深い河』
  • 第19回日本アカデミー賞優秀主演女優賞(平成8年)『深い河』
  • 第14回日本映画批評家大賞女優賞(平成17年)『透光の樹』

出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • 卒業
  • 恋のカーニヴァル 〜セーヌに咲いた4つの愛の物語
  • 恋はコメディー
  • 見知らぬ乗客
  • 浮浪雲 (2012年9月3日〜9月22日)
  • おかあちゃん 〜コシノアヤコ物語〜(2014年)

吹き替え

その他のテレビ番組

  • 思い出のメロディー(NHK総合) - 司会
  • ヨーロッパ水風景 ドイツ ケルン〜フランクフルトの旅(BSジャパン、2013年9月8日・9月15日) - 旅人

他多数

ラジオ

  • 秋吉久美子のこの指止まれ(文化放送)パーソナリティ

CM

インターネット動画

音楽

アルバム

シングル

書籍

写真集

脚注

  1. ^ a b 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、22頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.87.
  3. ^ 秋吉久美子の映画人生全網羅!樋口尚文氏との共著「秋吉久美子 調書」9月刊行
  4. ^ a b c d e 週刊現代講談社、2011年10月8日号、83-82頁
  5. ^ 東北の海の幸が“道端”に 秋吉久美子さん :日本経済新聞
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 山下勝利「早過ぎる自叙伝 20代のまぶしい女たち(16) 秋吉久美子」『週刊朝日』、朝日新聞社、1983年10月21日、pp. 142-146。 (秋吉本人の取材に基づく記事)。
  7. ^ a b c d e f 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、15-16頁
  8. ^ 自著『勝手にさせて』河出書房新社、1986年、52頁、残間里江子『女の仕事―地球は、私の仕事場です』朝日新聞社、1997年、230-231頁、『ぴあシネマクラブ 日本映画編』ぴあ、2006年、429頁
  9. ^ わたなべ宏(映画評論家)「ちょっとハート・ウォームな女(レディ)に 秋吉久美子」(パンフレット)『冒険者 (アドベンチャー) カミカゼ』、東映株式会社映像事業部、1981年11月7日、15頁。 
  10. ^ なお、特番の時の成績も含めると14勝23敗である。
  11. ^ 秋吉久美子(60)、26歳年下夫とまた離婚 「年齢と経験による温度差」(2014年12月26日)J-CAST ニュース 2015年2月20日閲覧
  12. ^ 秋吉久美子、26歳年下夫と離婚 8年半の結婚生活に終止符(2014年12月26日)オリコンスタイル 2015年2月20日閲覧
  13. ^ 「誰かに追われていた」のはなぜか 秋吉久美子の長男がナゾの転落死(2015年2月12日)J-CAST ニュース 2015年2月20日閲覧
  14. ^ 「卵で産みたい」発言から36年 秋吉久美子の長男が“非業の転落死”(2015年2月11日)週刊文春WEB 2015年2月20日閲覧
  15. ^ 他に「なまいき」、「宇宙人」、「新人類」、「プッツン」などと時代時代の異邦人的な扱いを受けてきた。有名なものにできちゃった結婚の際の記者会見の「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」などの発言を残した。
  16. ^ 「秋吉久美子 解禁幻ヌード秘話 何も知らされず 持論で演じたものを見せたかった - ZAKZAK(2016年02月09日)ZAKZAK 2021年03月10日閲覧
  17. ^ 内容知らず…秋吉久美子が語った“19歳初ヌード”撮影秘話|日刊ゲンダイDIGITAL(2016年04月05日)日刊ゲンダイDIGITAL 2021年03月10日閲覧
  18. ^ ​第2回 秋吉久美子賞《詩の募集》”. あきは詩書工房. 2021年11月6日閲覧。
  19. ^ 田中麗奈主演ドラマ「愛おしくて」主題歌を島谷ひとみが担当”. エキサイトニュース (2015年9月18日). 2015年10月3日閲覧。
  20. ^ 海外ドラマ『フュード/確執 ベティvsジョーン』 吹替キャスト決定!”. スター・チャンネル. 2017年8月14日閲覧。

関連項目

  • 心電図 - 日本では電極の配置の覚え方として「あきよしくみこ」を採用している医療者向けの教科書が多い。

外部リンク