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発売当初はさほど売れていなかったが、発売から約1か月程経った後から徐々に売上を伸ばしていき<ref name = "柏木純一"/>、同年[[3月30日]]付の[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]で自身初の1位を獲得した。同時期に、[[TBSテレビ|TBS]]系『[[ザ・ベストテン]]』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。また、連続1位の最長記録が更新されるたびに、同番組からはプレゼントが贈られていた。このことは、同番組の総集編やスペシャル放送などで、話題の一つとして必ず触れられている。また、[[日本テレビ系]]『[[ザ・トップテン]]』では放送第1回の第1位かつ10週連続、通算12回1位という同番組の最長記録を樹立している。
発売当初はさほど売れていなかったが、発売から約1か月程経った後から徐々に売上を伸ばしていき<ref name = "柏木純一"/>、同年[[3月30日]]付の[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]で自身初の1位を獲得した。同時期に、[[TBSテレビ|TBS]]系『[[ザ・ベストテン]]』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。また、連続1位の最長記録が更新されるたびに、同番組からはプレゼントが贈られていた。このことは、同番組の総集編やスペシャル放送などで、話題の一つとして必ず触れられている。また、[[日本テレビ系]]『[[ザ・トップテン]]』では放送第1回の第1位かつ10週連続、通算12回1位という同番組の最長記録を樹立している。


本作のヒットにより、発売当初はヒットしていなかった3rd、4thシングルの「[[SHADOW CITY]]」「[[出航 SASURAI]]」も{{要出典範囲|date=2016年8月|相乗効果でヒットした。}}「SHADOW CITY」は、発売から約9か月後にオリコンシングルチャートで3位を記録(この時「ルビーの指環」が1位、「出航 SASURAI」が14位)。また、『ザ・ベストテン』では本作と「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」の3曲が同時トップ10以内にランクインした。
本作のヒットにより、発売当初はヒットしていなかった3rd、4thシングルの「[[SHADOW CITY]]」「[[出航 SASURAI]]」も{{要出典範囲|date=2016年8月|相乗効果でヒットした。}}「SHADOW CITY」は、発売から約9か月後にオリコンシングルチャートで3位を記録(この時「ルビーの指環」が1位、「出航 SASURAI」が14位)。また、『ザ・ベストテン』では本作と「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」の3曲が、同年5月21日と、6月11日の2度、同時トップ10以内にランクインした。


1981年12月時点でのシングルの公称売上枚数は160万枚<ref>『[[週刊朝日]]』1981年12月18日号、23頁。(「忘年会で恥をかかないための'81歌謡情報 『ギンギラギン』に『ひとり旅』熟年泣かせの『ルビーの指環』」22-25頁)</ref>。
1981年12月時点でのシングルの公称売上枚数は160万枚<ref>『[[週刊朝日]]』1981年12月18日号、23頁。(「忘年会で恥をかかないための'81歌謡情報 『ギンギラギン』に『ひとり旅』熟年泣かせの『ルビーの指環』」22-25頁)</ref>。

2021年9月24日 (金) 08:25時点における版

ルビーの指環
寺尾聰シングル
初出アルバム『Reflections
B面 CINEMA HOTEL
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 東芝EMI
作詞・作曲 松本隆(作詞)
寺尾聰(作曲)
井上鑑(編曲)
プロデュース 武藤敏文
寺尾聰
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間1位(10週連続 、オリコン
  • 1981年度年間1位(オリコン)
  • 1位(12週連続、ザ・ベストテン
  • 1981年度上半期1位(ザ・ベストテン)
  • 1981年度年間1位(ザ・ベストテン)
  • 1位(10週連続・通算12回、 ザ・トップテン
  • 1981年度年間1位(ザ・トップテン)
  • 1位(10週連続、全国歌謡ベストテン
  • 1981年度年間1位(全国歌謡ベストテン)
  • 1981年度年間1位歌謡ベスト10
  • 寺尾聰 シングル 年表
    出航 SASURAI
    1980年
    ルビーの指環
    1981年
    Long distance Call.
    1982年
    テンプレートを表示

    ルビーの指環」(ルビーのゆびわ)は寺尾聰の6枚目のシングル1981年2月5日発売。発売元は東芝EMI(現・ユニバーサルミュージックジャパン)。なお、ルビーの指「」は誤記である。

    解説

    寺尾聰の歌手としての出世作であり、オリコン調べでは、2021年現在、寺尾のシングルで最大の売上を記録している。

    ヨコハマタイヤ(横浜ゴム)『ASPEC』のCMソングとなり、翌1982年春開催の第54回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用されている。他に音楽活動再開とも重なった2006年にはキリンラガー』のCMソングにも使われた。「ルビーの指環」がヒットした後に建てられた溜池山王の東芝EMIのビルは「寺尾ビル」の異名を取っている。

    寺尾は所属していた石原プロモーションの社長・石原裕次郎や専務・小林正彦に聴いてもらうが、小林は「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と否定する[1]。しかし、石原には「いいんじゃないの」と好感触をもらい、レコード化が決定した[1]

    発売当初はさほど売れていなかったが、発売から約1か月程経った後から徐々に売上を伸ばしていき[1]、同年3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得した。同時期に、TBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。また、連続1位の最長記録が更新されるたびに、同番組からはプレゼントが贈られていた。このことは、同番組の総集編やスペシャル放送などで、話題の一つとして必ず触れられている。また、日本テレビ系ザ・トップテン』では放送第1回の第1位かつ10週連続、通算12回1位という同番組の最長記録を樹立している。

    本作のヒットにより、発売当初はヒットしていなかった3rd、4thシングルの「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」も相乗効果でヒットした。[要出典]「SHADOW CITY」は、発売から約9か月後にオリコンシングルチャートで3位を記録(この時「ルビーの指環」が1位、「出航 SASURAI」が14位)。また、『ザ・ベストテン』では本作と「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」の3曲が、同年5月21日と、6月11日の2度、同時トップ10以内にランクインした。

    1981年12月時点でのシングルの公称売上枚数は160万枚[2]

    同年12月31日には第23回日本レコード大賞を受賞。また、作詞者の松本隆は同賞の作詞賞、作曲者の寺尾は作曲賞、編曲者の井上鑑編曲賞を受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総なめにしている。更に寺尾は同日の『第32回NHK紅白歌合戦』にも出場。2007年末の『第58回NHK紅白歌合戦』にも出場しており、どちらも「ルビーの指環」を披露している。

    当時、寺尾が音楽番組で同曲を歌唱する際は、レコード音源よりもキーを上げて歌うことが多かった。

    B面の「CINEMA HOTEL」は、2003年の『GOLDEN☆BEST 寺尾聰』にてCD音源化された。

    収録曲

    1. ルビーの指環
    2. CINEMA HOTEL

    価格

    • 発売当時の値段は700円

    カバー

    ルビーの指環

    関連項目

    脚注

    1. ^ a b c 柏木純一. 渡哲也 俺. 毎日新聞社. ISBN 978-4620311982 
    2. ^ 週刊朝日』1981年12月18日号、23頁。(「忘年会で恥をかかないための'81歌謡情報 『ギンギラギン』に『ひとり旅』熟年泣かせの『ルビーの指環』」22-25頁)
    3. ^ “松本隆トリビュート収録曲決定、宮本浩次「SEPTEMBER」や三浦大知「キャンディ」など10曲”. 音楽ナタリー (ナターシャ). (2021年6月1日). https://natalie.mu/music/news/430603 2021年6月16日閲覧。 

    外部リンク