「権官」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
(会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
3行目: 3行目:
[[平安時代]]には、[[公卿]]においては多数の権官が存在し、権官の席は常時誰かに占められていたとも言える。この理由としては、藤原氏をはじめとして名家の子弟や家長などは、一定の年齢に達すると、その実力とは別に、自動的に官位・官職が与えられることになったが、官位・官職ともに定員が決まっていた為、定員外の権官として位や官職を授けたためである。
[[平安時代]]には、[[公卿]]においては多数の権官が存在し、権官の席は常時誰かに占められていたとも言える。この理由としては、藤原氏をはじめとして名家の子弟や家長などは、一定の年齢に達すると、その実力とは別に、自動的に官位・官職が与えられることになったが、官位・官職ともに定員が決まっていた為、定員外の権官として位や官職を授けたためである。


権官と正規の官のあいだで、例えば、[[大納言]]と権大納言を較べると、両者ともに同格の権力を有した場合と、一方は実力を持つが、他方は名前だけの官職であった例などがある。政敵を打倒するため、名目名の権官とすることもあり、その例が、[[菅原道真]]である。彼は藤原氏の陰謀により失脚し、[[宰府]]の長官である[[帥]]の権官に当たる「権帥」とされ、高い官位は維持したが、事実上は太宰府への流罪であった。
権官と正規の官のあいだで、例えば、[[大納言]]と権大納言を較べると、両者ともに同格の権力を有した場合と、一方は実力を持つが、他方は名前だけの官職であった例などがある。政敵を打倒するため、名目名の権官とすることもあり、その例が、[[菅原道真]]である。彼は藤原氏の陰謀により失脚し、[[宰府]]の長官である[[大宰帥]]の権官に当たる「[[権帥]]」とされ、高い官位は維持したが、事実上は太宰府への流罪であった。


==例==
==例==

2006年10月27日 (金) 15:01時点における版

権官(ごんかん)は、朝廷官職について、正規の員数を越えて任命する官職。権(ごん)に「仮」の意味があり、権官とは「定員外の官人」の意味。平安時代に多用された。ちなみに奈良時代には員外官が任命された。

平安時代には、公卿においては多数の権官が存在し、権官の席は常時誰かに占められていたとも言える。この理由としては、藤原氏をはじめとして名家の子弟や家長などは、一定の年齢に達すると、その実力とは別に、自動的に官位・官職が与えられることになったが、官位・官職ともに定員が決まっていた為、定員外の権官として位や官職を授けたためである。

権官と正規の官のあいだで、例えば、大納言と権大納言を較べると、両者ともに同格の権力を有した場合と、一方は実力を持つが、他方は名前だけの官職であった例などがある。政敵を打倒するため、名目名の権官とすることもあり、その例が、菅原道真である。彼は藤原氏の陰謀により失脚し、大宰府の長官である大宰帥の権官に当たる「権帥」とされ、高い官位は維持したが、事実上は太宰府への流罪であった。