「アンコール・トム」の版間の差分

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[[889年]]に即位した[[ヤショーヴァルマン1世]]は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設した<ref name="Huno"/>。その後ヤショダラプラは一旦放棄されるが、[[944年]]に即位した{{仮リンク|ラジェンドラヴァルマン2世|en|Rajendravarman II}}は再びアンコールに遷都し、東バライの南に[[プレループ]]寺院を建設した。[[1006年]]に即位した{{仮リンク|スーリヤヴァルマン1世|en|Suryavarman I}}は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院[[ピミアナカス]]を建て、西バライを建設した<ref name="Huno"/>。
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12世紀後半、[[ジャヤーヴァルマン7世]]により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。
12世紀後半、[[ジャヤーヴァルマン7世]]により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。

== ギャラリー ==
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ファイル:Angkor Thom 32.jpg|アンコール・トム1
ファイル:Angkor Thom Südtor 15.jpg|アンコール・トム2
ファイル:2016 Angkor, Angkor Thom, Bajon (14).jpg|アンコール・トム3
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2021年7月15日 (木) 10:18時点における版

沢山ある塔の上部には、四方に巨大な顔が刻まれている
アンコール・トム南大門
アンコール・トムの位置(カンボジア内)
アンコール・トム
アンコール・トム (カンボジア)

アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。

「アンコール」は、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。また「トム」は、クメール語で「大きい」という意味[1]

特徴

アンコール・トムの遺構にはヒンドゥー教大乗仏教の混淆が見られるが、都市建築の基本はヒンドゥーの宇宙観を基に成り立った古代インドの建築理念の影響が見られ、中央に世界の中心である山岳メール山を象徴するバイヨン (Bayon) 寺院がある[1]。 その周囲にも象のテラスライ王のテラスプレア・ピトゥなどの遺跡も残っている。 アンコール・トムは約3キロメートル四方の京城であり、幅100メートルの堀と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれている[1]。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。 京城の外の東西には、大洋を象徴するバライと呼ばれる巨大な人工の池がある[1]

歴史

889年に即位したヤショーヴァルマン1世は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設した[1]。その後ヤショダラプラは一旦放棄されるが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世英語版は再びアンコールに遷都し、東バライの南にプレループ寺院を建設した。1006年に即位したスーリヤヴァルマン1世は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設した[1]。 12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e f 布野修司 『曼荼羅都市:ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』 京都学術出版会 2006 ISBN 4876986738 pp.109-116.