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その他の社会的貢献としては、[[世界平和アピール七人委員会]]に1982年から参加して数々のアピールに加わった。ところが伏見は1983年に参議院議員に当選し、国会議員との併任は望ましくないとの理由で同年に七人委員会委員を一旦辞任したが、1989年の参議院議員任期満了に伴う退任で1995年にまた参加して没年まで活動を続けた。
その他の社会的貢献としては、[[世界平和アピール七人委員会]]に1982年から参加して数々のアピールに加わった。ところが伏見は1983年に参議院議員に当選し、国会議員との併任は望ましくないとの理由で同年に七人委員会委員を一旦辞任したが、1989年の参議院議員任期満了に伴う退任で1995年にまた参加して没年まで活動を続けた。


伏見は対称の美について深い関心をもち、1960年代には「紋様の科学」と題して対称性図形の話を「数学セミナー」に連載した。また早くから[[マウリッツ・エッシャー]]の版画を愛し、折に触れて語っていた。そして1979年には[[安野光雅]]、中村義作との鼎談が記録されて「美の幾何学」(中公新書)が出版された。また夫人満枝と共同で[[折紙の数学|折り紙の幾何学]]も研究し「数学セミナー」に寄稿した(単行本「折り紙の幾何学」として出版)。「折り紙の幾何学」の冒頭では、1次元の繰り返し紋様が円筒によって生成されることは古代より知られているが、2次元の広がりをもつ繰り返し文様は準<ref>「準」は原文ママ。正多面体類を指す表現の訳には現状少々の混乱があるが(参考:[http://www.zome.jp/column/clm7/clm7.html )ここでの「準正4面体」とは、それを構成する3角形が全て合同であれば、正3角形でなくてもよい、という緩和した正4面体を指している。</ref>正4面体によって生成できる(少し試すと分かるが直方体では駄目である)ことを見つけ、そこから正多面体の折り紙に興味を持ったと説き起こされている。折り紙に関しては、幾何の教材にこれほど良いものはないだろうと言ったところ、息子に今では学校でろくに初等幾何を教えたりしていないのだと言われて衝撃を受け、数セミ誌の編集長([[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]のこと。注も参照)は何をしているのだ、といった話<ref>[[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]は専門が幾何であり、同時に教育にも熱心だった。「同窓生のよしみ」から同氏の字名で、「ヤノケン氏は何をしていたのであろう(中略)叱咤激励しなければならない」(同書 p. 82))</ref>や、化学者[[槌田龍太郎]]の息子、[[槌田敦]]が出てくるほのぼのとした話などもある。後に、エントロピー学会で発行したエントロピー読本2には、伏見康、槌田敦らの文章が掲載されている<ref>エントロピー読本2 http://www.ecosci.jp/entropy/entropy01.html#dokuhon2</ref>。
伏見は対称の美について深い関心をもち、1960年代には「紋様の科学」と題して対称性図形の話を「数学セミナー」に連載した。また早くから[[マウリッツ・エッシャー]]の版画を愛し、折に触れて語っていた。そして1979年には[[安野光雅]]、中村義作との鼎談が記録されて「美の幾何学」(中公新書)が出版された。また夫人満枝と共同で[[折紙の数学|折り紙の幾何学]]も研究し「数学セミナー」に寄稿した(単行本「折り紙の幾何学」として出版)。「折り紙の幾何学」の冒頭では、1次元の繰り返し紋様が円筒によって生成されることは古代より知られているが、2次元の広がりをもつ繰り返し文様は準<ref>「準」は原文ママ。正多面体類を指す表現の訳には現状少々の混乱があるが(参考:[http://www.zome.jp/column/clm7/clm7.html )ここでの「準正4面体」とは、それを構成する3角形が全て合同であれば、正3角形でなくてもよい、という緩和した正4面体を指している。</ref>正4面体によって生成できる(少し試すと分かるが直方体では駄目である)ことを見つけ、そこから正多面体の折り紙に興味を持ったと説き起こされている。折り紙に関しては、幾何の教材にこれほど良いものはないだろうと言ったところ、息子に今では学校でろくに初等幾何を教えたりしていないのだと言われて衝撃を受け、数セミ誌の編集長([[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]のこと。注も参照)は何をしているのだ、といった話<ref>[[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]は専門が幾何であり、同時に教育にも熱心だった。「同窓生のよしみ」から同氏の字名で、「ヤノケン氏は何をしていたのであろう(中略)叱咤激励しなければならない」(同書 p. 82))</ref>や、化学者[[槌田龍太郎]]の息子、[[槌田敦]]が出てくるほのぼのとした話などもある。後に、エントロピー学会で発行したエントロピー読本2には、伏見康、槌田敦らの文章が掲載されている<ref>エントロピー読本2 http://www.ecosci.jp/entropy/entropy01.html#dokuhon2</ref>。


妻は、伏見満枝、[[物理学者]]の[[伏見譲]]と情報サービス産業で活躍している[[伏見諭]]は息子。[[伏見康子]]は娘<ref>「折り紙の幾何学」([[日本評論社]])1979</ref>。[[富山小太郎]]は義弟<ref>[[朝永振一郎]]「富山さんの思い出」『[[科学 (雑誌)|科学]]』第42巻第12号</ref>。
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2021年3月14日 (日) 13:18時点における版

伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 - 2008年5月8日)は日本理論物理学者名古屋大学名誉教授大阪大学名誉教授。理学博士公明党参議院議員(1期)。正四位勲二等(没時)。

本来の仕事である物理学、特に統計力学の分野で大きな研究業績を上げた他、戦後日本の科学研究体制の確立と発展にも力を尽くし、原子力平和利用研究を推進、さらには科学者の社会的責任のアピールと行動、一般向け書籍による物理の面白さの啓発・普及、そして対称性の美の追究など、多方面に大きな足跡を残した。

経歴・事績

伏見は1909年に愛知県名古屋市で生まれ、東京で育ち、東京高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科に進んだ。そして1933年に大学を卒業するとすぐに同大学理学部物理学教室で寺澤寛一教授の助手となり、翌1934年に新設の大阪帝国大学理学部物理教室に移った。大阪では友近晋教授の下に助手として就く予定であったが、友近教授がイギリスに留学したため、菊池正士教授に誘われて原子核実験に携わった。そして同教室で助教授を経て1940年に教授に昇進し、また量子統計力学の密度行列に関する論文(1940年)により理学博士の学位を取得した。

この時期、伏見は一般への物理の面白さ普及にも力を注いだ。まず1942年に原子核物理学の一般向け啓蒙書「驢馬電子」を書いて出版した。そして翌1943年にはジョージ・ガモフの名著「不思議の国のトムキンス」を訳出、日本に紹介して若者を誘い、多くの物理学者を生み出すのに力があった。啓蒙活動は戦後も続け、雑誌「自然」に原子核物理学に関する読み物を連載した。

戦後になって伏見は日本においても独自に原子力の研究を行うことの重要性を認識し、それを平和利用研究に限る証として「自主、民主、公開」の三原則を起草して茅誠司と共に提唱し、「茅・伏見の原子力三原則」と呼ばれた。そして大阪府泉南郡熊取町の京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)創設にあたっては「核」に対するアレルギーから建設に反対する地元住民を説得して実験所実現に寄与した。また門下で多数の傑出した原子力研究者を育てて送り出し、日本の原子力発展に貢献した。

さらに1950年代半ばになって核融合研究の重要性が認識されるや、湯川秀樹嵯峨根遼吉らと共に研究体制の議論を進めた。そしてAB論争の後、1961年に名古屋大学にプラズマ研究所が設立されるや自身が大阪大学から名古屋大学に移って同研究所の初代所長に就任し、研究所の整備に努め研究推進を図るとともに、客員研究部門の創始など「全国大学共同利用研究所」運営の理想を追求した。

1973年に名古屋大学を定年退官したあとは、日本学術会議を活躍の場として研究環境の整備に力を致した。特に1977年から1982年にかけて同会議会長に就任し、国内の研究推進と並行して、科学者の国際交流に尽力した。そして1983年、第13回参議院議員通常選挙比例代表区に公明党・国民会議から名簿順位第1位で立候補し当選。1989年まで1期務めた。

また東西冷戦の時代から日ソの学術交流に尽力し、1991年のソビエト連邦崩壊によって同国の科学者が窮乏の淵に陥った時には各方面に呼びかけてその救援活動を行った。

その他の社会的貢献としては、世界平和アピール七人委員会に1982年から参加して数々のアピールに加わった。ところが伏見は1983年に参議院議員に当選し、国会議員との併任は望ましくないとの理由で同年に七人委員会委員を一旦辞任したが、1989年の参議院議員任期満了に伴う退任で1995年にまた参加して没年まで活動を続けた。

伏見は対称の美について深い関心をもち、1960年代には「紋様の科学」と題して対称性図形の話を「数学セミナー」に連載した。また早くからマウリッツ・エッシャーの版画を愛し、折に触れて語っていた。そして1979年には安野光雅、中村義作との鼎談が記録されて「美の幾何学」(中公新書)が出版された。また夫人満枝と共同で折り紙の幾何学も研究し「数学セミナー」に寄稿した(単行本「折り紙の幾何学」として出版)。「折り紙の幾何学」の冒頭では、1次元の繰り返し紋様が円筒によって生成されることは古代より知られているが、2次元の広がりをもつ繰り返し文様は準[1]正4面体によって生成できる(少し試すと分かるが直方体では駄目である)ことを見つけ、そこから正多面体の折り紙に興味を持ったと説き起こされている。折り紙に関しては、幾何の教材にこれほど良いものはないだろうと言ったところ、息子に今では学校でろくに初等幾何を教えたりしていないのだと言われて衝撃を受け、数セミ誌の編集長(矢野健太郎のこと。注も参照)は何をしているのだ、といった話[2]や、化学者槌田龍太郎の息子、槌田敦が出てくるほのぼのとした話などもある。後に、エントロピー学会で発行したエントロピー読本2には、伏見康治、槌田敦らの文章が掲載されている[3]

妻は、伏見満枝、物理学者伏見譲と情報サービス産業で活躍している伏見諭は息子。伏見康子は娘[4]富山小太郎は義弟[5]

略歴年表

  • 1909年 名古屋生まれ、東京育ち。
  • 1933年 東京帝国大学理学部物理学科卒業、助手となる。
  • 1934年-61年 大阪大学助手・助教授を経て同大学教授(1940年)。
  • 1961年-73年 名古屋大学教授、プラズマ研究所所長。
  • 1973年 名古屋大学退官。大阪大学・名古屋大学名誉教授。
  • 1977年-82年 日本学術会議会長
  • 1973年11月 紫綬褒章
  • 1977年4月-78年3月 水素エネルギー協会会長[6]
  • 1980年 7月 藤原賞
  • 1983年-89年 参議院議員
  • 1989年11月 勲二等旭日重光章[7]
  • 2008年 5月 死去。正六位から正四位に昇叙せられた。

主な著書・訳書

  • 『確率論及統計論』(河出書房、1942, のち1998復刊「確率論および統計論」現代工学社)
  • 『量子統計力学』伏見康治(著、編集)、庄司一郎、中野藤生、西山敏之(著)(編著、共立出版、1943, 2010復刊)
  • 『ろば電子 -原子核物理学二十話-』(創元社、のち中央公論社、のち「著作集」みすず書房1942)
  • 現代物理学を学ぶための古典力学』(岩波書店、1964)
  • 『研究と大学の周辺』 伏見康治 著(共立出版、1969)
  • 『時間とは何か』(自然選書)- 伏見康治、柳瀬睦男 (編集)(中央公論社、1974)
    • 時間はすべてを貫く(渡辺慧)時は流れない(山内恭彦)《幅のある時間》を求めて(伏見康治)三つの時間構造をめぐって(柳瀬睦男)因果的時間からの解放(亀淵迪)非決定性の起原(小野健一)宇宙における時間(早川幸男)時間の哲学的基礎(村上陽一郎)時間を語るー総合討論(渡辺慧等)
  • 『卵の実験』伏見康治、伏見満枝、伏見康子、今村昌昭(福音館の科学の本、1977)
  • 『折り紙の幾何学』(伏見満枝と共著、日本評論社、1979, のち復刊)
  • 『美の幾何学―天のたくらみ,人のたくみ』(安野光雅中村義作と共著、中公新書:中央公論社、1979, のち ハヤカワ文庫、2010)
  • 『直交関数系』(赤井逸と共著、共立出版, 1981, のち復刊2011)
  • 『伏見康治著作集』(全8巻;みすず書房、1986)
    • 学者の手すさび 1986.6 伏見康治著作集 1
    • 数理のつみ草 1986.9 伏見康治著作集 2
    • 数学と物理学 1986.12 伏見康治著作集 3
    • ろば電子 1987.6 伏見康治著作集 4
    • 原子の世界 1987.12 伏見康治著作集 5
    • 科学者と社会 1987.3 伏見康治著作集 6
    • 原子力と平和 1987.9 伏見康治著作集 7
    • 私の研究遍歴 1988.4 伏見康治著作集 8
  • 『時代の証言 - 原子科学者の昭和史』(同文書院、1989)
  • 『創造性の文化と科学』(共立出版, 1989)
  • 『アラジンの灯は消えたか? 伏見語録』(日本評論社、1996)
  • 『光る原子、波うつ電子』; ISBN 9784621079430(丸善、2008)
  • 伏見康治コレクション(全5巻; 日本評論社、2013)
    • 伏見康治コレクション. 1(紋様の科学、2013)ISBN 9784535603462
    • 伏見康治コレクション. 2(ふりこの振動を追って、2013)
    • 伏見康治コレクション. 3(物理学者の描く世界像、2013)
    • 伏見康治コレクション. 4(物理つみくさ集、2013)
    • 伏見康治コレクション. 別巻 (2015)
      • 物理学論文選集・原子力論集 / 江沢洋、伏見譲、伏見諭 編
      • 流体力学のEulerの方程式に新しい抵抗の項を加える一つの試み / 渡辺慧、伏見康治 著
      • 擬似周期について / 伏見康治 著
      • たどんについて / 伏見康治 著
      • 座標および運動量の測定から量子状態は唯一つに定まるか? / 伏見康治 著
      • 不規則な外力にさらされた振動系〈原著英文〉 / 高橋浩一郎、伏見康治 著
      • 「不規則な外力にさらされた振動系」への補遺〈原著英文〉 / 伏見康治 著
      • Excitation of Gamma-Rays by Neutrons.4 / Seishi KIKUCHI, Kôdi HUSIMI, Hiroo AOKI 著
      • 量子力学の基礎の研究〈原著英文〉 / 伏見康治 著
      • On the Central Limit Theorem of Statistical Mechanics / Kôdi HUSIMI 著
      • 数理経済学と熱力学 / 伏見康治 著
      • 量子力学におけるエルゴード定理のv.Neumannの証明について / 伏見康治 著
      • The Phase Integrals and Thermodynamics / Kôdi HUSIMI 著
      • Partitio Numerorumと核物理学 / 伏見康治 著
      • 密度行列のいくつかの形式的性質について〈原著英文〉 / 伏見康治 著
      • Separation of Isotopes by Thermal Diffusion,2.Separation of Chlorine Isotopes / Members of Nuclear Physics Laboratory of Osaka Imperial University 著
      • 場の理論における変分原理について / 伏見康治 著
      • 中性子の減速について / 伏見康治 著
      • 蜂の巣格子および三角格子の統計力学〈原著英文〉 / 伏見康治、庄司一郎 著
      • An Algebraic Theory of the Density Matrix,1 / Kodi HUSIMI, Toshiyuki NISHIYAMA 著
      • クラスター積分に関するマイヤーの理論について〈原著英文〉 / 伏見康治 著
      • Miscellanea in Elementary Quantum Mechanics,1 / Kôdi HUSIMI 著
      • 初等量子力学の諸問題,第2報〈原著英文〉 / 伏見康治 著
      • Miscellanea in Elementary Quantum Mechanics,3 / Kôdi HUSIMI, Masuhiko ÔTUKA 著.
      • 凝縮の統計力学〈原著英文〉 / 伏見康治 著 Theory of Density Matrices / K.HUSIMI, Y.KITANO, T.NISHIYAMA 著
      • Hydrodynamical and Collective Description / Kôdi HUSIMI, Toshiyuki NISHIYAMA 著
      • Collision Cross-Section and Reciprocity Relation on the Collision Process in the Kinetic Theory of Gases / Kodi HUSIMI 著
      • 原子力の開発へ:準備のとき. 茅・伏見提案と第39委員会の発足. Atoms for Peace. 原子力憲章. 原子力平和利用攻勢にどう対処するか. 米から原子力平和利用使節団. 日米原子力〈研究〉協定. 英からHinton卿来日,発電炉早期輸入へ方針転換. 原子炉の安全性に関心高まる. 日米,日英動力協定. 核融合研究へ. なお残る核分裂炉の問題. 原子力船「むつ」の事故から原子力安全委員会の設置まで. "自主"の原則はどこに消えた.

雑誌

訳書

  • ジョージ・ガモフ著『不思議の国のトムキンス』(創元社、のち白揚社、1943)
  • 原子炉の理論』 エドランド(著)、伏見康治、大塚益比古(翻訳)(みすず書房、1955)
  • 原子力発電所―コールダーホール物語』 K.ジェイ(著)、伏見康治、 森一久、末田 守(翻訳)(岩波新書、1957)
  • 『加速器の科学:原子核物理学の道具』 ロバート・R.ウィルソン、ラファエル・リタウェル 著 ; 伏見康治、伏見諭 訳(河出書房新社, 1971)
  • 自然法則の探究 : 物理学の実験的基礎 / ミルトン・A.ロスマン 著 ; 伏見康治、伏見諭 訳(河出書房新社、1973)
  • 重力の話:この古くて新しい謎』ジョージ・ガモフ 著 ; 伏見康治 訳(河出書房新社, 1977)
  • 『シラードの証言』レオ・シラード; S.R.ウィアート、G.W.シラード; 伏見康治、伏見諭訳(みすず書房、1982)
  • 核兵器と人間』フリーマン・ダイソン 著 ; 伏見康治 ほか共訳(みすず書房、1986)
  • 『混沌からの秩序』I. プリゴジン、I. スタンジェール(著)、伏見康治、伏見譲(翻訳)(みすず書房、1987)

脚注

  1. ^ 「準」は原文ママ。正多面体類を指す表現の訳には現状少々の混乱があるが(参考:[http://www.zome.jp/column/clm7/clm7.html )ここでの「準正4面体」とは、それを構成する3角形が全て合同であれば、正3角形でなくてもよい、という緩和した正4面体を指している。
  2. ^ 矢野健太郎は専門が幾何であり、同時に教育にも熱心だった。「同窓生のよしみ」から同氏の字名で、「ヤノケン氏は何をしていたのであろう(中略)叱咤激励しなければならない」(同書 p. 82))
  3. ^ エントロピー読本2 http://www.ecosci.jp/entropy/entropy01.html#dokuhon2
  4. ^ 「折り紙の幾何学」(日本評論社)1979
  5. ^ 朝永振一郎「富山さんの思い出」『科学』第42巻第12号
  6. ^ 太田時男先生のご逝去を悼む水素エネルギー協会
  7. ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊

外部リンク

先代
宗像英二
日本原子力学会会長
1975年 - 1977年
次代
大山義年
先代
赤松秀雄
水素エネルギー協会会長
1977年 - 1978年
次代
赤松秀雄