「エリュトゥラー海案内記」の版間の差分

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2021年3月7日 (日) 17:42時点における版

エリュトゥラー海案内記』(エリュトゥラーかいあんないき、ギリシア語: Περίπλους τῆς Ἐρυθράς Θαλάσσης: Periplus Maris Erythraei: Periplus of the Erythraean Sea)は、古代のインド洋近辺における海洋貿易についてギリシア語で記された航海案内書。10世紀の版がハイデルベルク大学図書館に、14・15世紀の写本が大英博物館に所蔵される。

概要

案内記に登場する地名、航路、交易品

紀元後40年から70年ごろに成立したと推定され、著者はローマ領エジプト州に住んでいたギリシア人航海者であったと言われる。アレクサンドリアもしくは紅海に面したベレニス(Berenice)出身[1]と推定されている。著者は読み書きが出来る程度の教育は受けていたが、ギリシャ語とラテン語の混同がみられ、文法上の誤りもあり、最上の教育程度であったわけではない。

この書は、インド洋に吹く季節風を利用した遠洋航行を行う貿易業者のために書かれた。当時、インド洋においては、ローマ帝国と南インドのサータヴァーハナ朝の間で季節風貿易が行われており、そのためこの書には航海の状況のみならず、各港での貿易品や各地の特産品などについての記述も詳しい。アラビア半島から東南アジアにいたるまで広い範囲をカバーしているため、1世紀ごろのインド洋周辺という、情報の少ない地域・時代の様相を知るための貴重な史料である。

地理

『エリュトゥラー海案内記』に見られる地域は以下のとおり。

中国について、 θίν (Thin、ティン) という呼称での産地として紹介している。「」に由来すると言われる。

名称

「エリュトゥラー」(Ἐρυθρά) とはギリシア語で「赤」の意味。すなわち、「エリュトゥラー海」とは「紅海」という意味である。ただし、古代においては、紅海、ペルシャ湾オマーン湾アラビア海インド洋ベンガル湾を含めた海のことを広く指していた。

関連項目

参考文献

新訳版

脚注

  1. ^ Schoffによる説、ナイル川の遡上、およびその以北について記述が無いため。