「アルブレヒト2世 (バイエルン公)」の版間の差分
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[[シュトラウビング]]に居住して内政に専念する一方、{{仮リンク|シュヴァーベン都市同盟|de|Schwäbischer Bund|en|Swabian League}}と[[ザルツブルク大司教]]の争いに介入、父と兄の[[ヴィルヘルム2世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム2世]]の元にも出向いている。[[1397年]]、シュトラウビングへ戻る途中に[[ケルハイム]]で死去。シュトラウビング領は父の単独統治となり、その死後は兄が相続した。 |
2021年2月23日 (火) 06:22時点における版
アルブレヒト2世 Albrecht II. | |
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下バイエルン=シュトラウビング公 | |
シュトラウビングにあるアルブレヒト2世の墓 | |
在位 | 1387年 - 1397年 |
出生 |
1369年 |
死去 |
1397年1月21日 ケルハイム |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 下バイエルン公アルブレヒト1世 |
母親 | マルガレーテ・フォン・ブリーク |
アルブレヒト2世(Albrecht II., 1369年 - 1397年1月21日[要出典])は、14世紀の下バイエルン=シュトラウビング公。下バイエルン=シュトラウビング公兼エノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯アルブレヒト1世の次男。ヴィルヘルム2世の弟、ヨハン3世の兄。
シュトラウビングに居住して内政に専念する一方、シュヴァーベン都市同盟とザルツブルク大司教の争いに介入、父と兄のヴィルヘルム2世の元にも出向いている。1397年、シュトラウビングへ戻る途中にケルハイムで死去。シュトラウビング領は父の単独統治となり、その死後は兄が相続した。
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