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クローディ・エニュレ

クローディ・エニュレ(Claudie Haigneré、1957年5月13日-)は、ソーヌ=エ=ロワール県ル=クルーゾ出身の医者、政治家、宇宙飛行士である。1985年から1999年までフランス国立宇宙研究センター、1999年から2002年まで欧州宇宙機関で勤めた[1]ソユーズTM-24ソユーズTM-23ソユーズTM-33ソユーズTM-32に搭乗し、25日と14時間22分宇宙に滞在した。

背景

エニュレはフランスで生まれ、Faculté de Médecine (Paris-Cochin)とFaculté des Sciences (Paris-VII)で医学を学んだ。彼女はその後、生物学スポーツ医学(1981年)、航空学宇宙医学(1982年)、リウマチ学(1984年)を修了した。1986年にバイオメカニクス生理学の学位を取得した。1992年には、神経科学の論文で博士号を取得した[1]

宇宙でのキャリア

エニュレは、将来の夫となるジャン=ピエール・エニュレが参加した1993年のミールのミッションでバックアップクルーとなった。2001年にジャン=クロード・メルランが発見した小惑星エニュレは彼ら2人の名誉から名づけられた。エニュレは1996年に、ロシアとフランスが合同で行ったカシオペア計画の一環として16日間ミールを訪れた。2001年、アンドロメダ計画の一環として、エニュレはヨーロッパの女性として初めて国際宇宙ステーションを訪れた。2002年6月18日に宇宙飛行士を引退した[2][3][4]

政治でのキャリア

宇宙飛行士引退後、エニュレはフランスの政界に進出し、ジャン=ピエール・ラファラン内閣でEuropean Affairsとresearch and new technologiesの大臣を務めた。

出典