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ワレンチナ・マトヴィエンコ
Валентина Ивановна Матвиенко
スイスダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会にて(2007年1月)
生年月日 (1949-04-07) 1949年4月7日(75歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
フメリニツキー州シェペティフカ
出身校 レニングラード化学薬科大学
ソ連共産党アカデミー
前職 共産党官僚
ソビエト連邦人民代議員
外交官
マルタ大使
ギリシャ大使
所属政党 ソ連共産党
祖国・全ロシア
統一ロシア
配偶者 ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948年から2018年まで)
子女 セルゲイ・マトヴィエンコ
サイン

ロシアの旗 ロシア連邦
第4代連邦院議長
在任期間 2011年9月21日 - 現職
大統領 ドミートリー・メドヴェージェフ
ウラジーミル・プーチン

在任期間 2003年10月15日 - 2011年8月22日
大統領 ウラジーミル・プーチン
ドミートリー・メドヴェージェフ

ロシアの旗 北西連邦管区
大統領全権代表
在任期間 2003年3月11日 - 2003年10月5日
大統領 ウラジーミル・プーチン

ロシアの旗 ロシア連邦
副首相
在任期間 1998年9月24日 - 2003年3月11日
大統領 ボリス・エリツィン
ウラジーミル・プーチン
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ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコマトビエンコロシア語: Валенти́на Ива́новна Матвие́нко、ラテン文字表記の例:Valentina Ivanovna Matviyenko1949年4月7日 - )は、ロシア連邦政治家。2003年から第3代サンクトペテルブルク市長を務めた後、2011年9月からドミートリー・メドヴェージェフ政権及びウラジーミル・プーチン政権にて第4代ロシア連邦議会連邦院議長を務めており、ロシアで最も著名かつ人気のある女性政治家の1人である。元副首相。

経歴

1949年4月7日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国フメリニツキー州シェペティフカに誕生する。1972年にレニングラード化学薬科大学を卒業し、1984年までコムソモール活動に従事する。1985年ソ連共産党アカデミーを卒業し、レニングラード市共産党組織・機関に勤務する。

1989年ソ連邦人民代議員に当選し、ソ連邦最高会議女性・家族・児童問題委員会議長に選出された。1991年から1998年にかけて外交官となり、マルタ大使、ギリシャ大使などのポストを歴任した。1998年にロシア連邦政府に戻り、社会政策担当の副首相を務めた。

2003年3月にウラジーミル・プーチン大統領によって北西連邦管区大統領全権代表に任命される。2003年10月にサンクトペテルブルク市長候補に指名され、選挙を経て当選した。

2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に4代目ロシア連邦議会連邦院議長に就任した[1]。2019年9月25日に議長に3選[2]

脚注

参考文献

外部リンク

先代
ウラジーミル・ヤコブレフ
サンクトペテルブルク市長
2003年10月 - 2011年8月
次代
ゲオルギー・ポルタフチェンコ
先代
ヴィクトル・チェルケソフ
北西連邦管区大統領全権代表
2003年3月 - 10月
次代
イリヤ・クレバノフ