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2021年1月29日 (金) 10:00時点における版
ワレンチナ・マトヴィエンコ Валентина Ивановна Матвиенко | |
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生年月日 | 1949年4月7日(75歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 フメリニツキー州シェペティフカ |
出身校 |
レニングラード化学薬科大学 ソ連共産党アカデミー |
前職 |
共産党官僚 ソビエト連邦人民代議員 外交官 マルタ大使 ギリシャ大使 |
所属政党 |
ソ連共産党 祖国・全ロシア 統一ロシア |
配偶者 | ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948年から2018年まで) |
子女 | セルゲイ・マトヴィエンコ |
サイン | |
在任期間 | 2011年9月21日 - 現職 |
大統領 |
ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2003年10月15日 - 2011年8月22日 |
大統領 |
ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ |
在任期間 | 2003年3月11日 - 2003年10月5日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 1998年9月24日 - 2003年3月11日 |
大統領 |
ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン |
ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコ(マトビエンコ、ロシア語: Валенти́на Ива́новна Матвие́нко、ラテン文字表記の例:Valentina Ivanovna Matviyenko、1949年4月7日 - )は、ロシア連邦の政治家。2003年から第3代サンクトペテルブルク市長を務めた後、2011年9月からドミートリー・メドヴェージェフ政権及びウラジーミル・プーチン政権にて第4代ロシア連邦議会連邦院議長を務めており、ロシアで最も著名かつ人気のある女性政治家の1人である。元副首相。
経歴
1949年4月7日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のフメリニツキー州シェペティフカに誕生する。1972年にレニングラード化学薬科大学を卒業し、1984年までコムソモール活動に従事する。1985年にソ連共産党アカデミーを卒業し、レニングラード市共産党組織・機関に勤務する。
1989年にソ連邦人民代議員に当選し、ソ連邦最高会議女性・家族・児童問題委員会議長に選出された。1991年から1998年にかけて外交官となり、マルタ大使、ギリシャ大使などのポストを歴任した。1998年にロシア連邦政府に戻り、社会政策担当の副首相を務めた。
2003年3月にウラジーミル・プーチン大統領によって北西連邦管区大統領全権代表に任命される。2003年10月にサンクトペテルブルク市長候補に指名され、選挙を経て当選した。
2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に4代目ロシア連邦議会連邦院議長に就任した[1]。2019年9月25日に議長に3選[2]。
脚注
- ^ “露のナンバー3に初の女性 上院議長、帝政後最高位”. MSN産経ニュース. (2011年9月21日) 2011年10月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Валентину Матвиенко в третий раз избрали председателем Совета Федерации”. イタルタス通信. (2019年9月25日) 2019年9月25日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 公式ホームページ(英語)
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