「本線 (青森市営バス)」の版間の差分
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1960年代中頃近くに運転が開始されたものと思われる。当初は南栄町線と呼ばれた。1970(昭和45年)前後から甲田橋経由市内線となる。青森駅前-明の星高校前のみの便も存在し、廃止時には明の星高校前発着で、東部営業所まで行かない便のみとなっていた。 |
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かつては南栄町線と呼ばれた。 |
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:(廃止時の運行経路) |
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青森駅前-新町一丁目/古川一丁目-古川-堤橋-甲田橋-花園二丁目-浪打小学校前-明の星高校前 |
青森駅前-新町一丁目/古川一丁目-古川-堤橋-甲田橋-花園二丁目-浪打小学校前-明の星高校前 |
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==== 合浦経由 ==== |
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2020年12月15日 (火) 13:33時点における版
本線(ほんせん)とは、青森市営バスのうち、青森駅と東部営業所、あるいは青森駅と県立中央病院前をほぼ迂回せずに結ぶ路線・系統群。
青森市営バス創業時以来運行を継続している路線ではあるが、その内容は時代により変化している。
創業時から存在する、青森駅と合浦公園前の間を、「国道経由」(現在の古川経由)、「大町経由」(のちの本町経由)の2通りの経路で結ぶ路線は「本線」と呼ばれていた[1]が、1969(昭和44)年頃から2000(平成12)年2月末まで「市内線」[2]と呼ばれるようになり、山の手線・寺町線など、青森駅と東部営業所を結ぶ路線を包括するようになった。2000年3月東部営業所移転時の改正時に再び「本線」と呼ばれるようになり、東バイパス経由の経路も含まれるようになった。
もともとは運行便数が最も多く、古川経由(当時は「国道経由」。後述。)だけでもラッシュ時3~4分間隔、日中でも7~8分程度の間隔ということもあった[3]が、その後徐々に便数が減少していった。
本線は、「古川経由」「新町経由」「東バイパス経由」の3つのグループに分かれる[4]。「国道線」(古川経由のこと)・「新町線」・「東バイパス線」と、別の路線のように分けて呼ばれることもある[5]。うち、「古川経由」「東バイパス経由」の2つのグループには、それぞれのなかに経由地の細部が違う系統が含まれる。
運行経路
古川経由
現在運行されている本線のなかでは最も古い系統。古川-合浦公園前間で国道7号・国道4号を経由するので、かつては「国道経由」と呼ばれた。「国道線」とも呼ばれる。従来は沢田橋(当時は「保健所前」)経由の系統のみであったが、2004(平成16)年4月からは、「県立中央病院通り」(県病通り)バス停を経由する系統も運行されるようになった。
古川(沢田橋)経由
合浦公園前-野内橋間は青森県道259号久栗坂造道線を経由する。
- 青森駅前 - (古川一丁目/新町一丁目)[6] - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 造道(県道)[7] - 沢田橋( - 県立中央病院前[8]) - 八重田浄化センター前 - 原別 - 野内駅前 - 東部営業所
- ※系統番号は次のとおり。
- 造道・八重田線
- 青森駅発、県立中央病院前着 - C12
- 青森駅発、東部営業所前着 - C10
- 国道・古川線
- 東部営業所発、青森駅前着 - A1
- 県立中央病院前発、青森駅前着 - A1
古川(県病通り)経由
- 青森駅前 - (古川一丁目/新町一丁目) - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 県立中央病院前 - 自治研修所前 - 八重田浄化センター前 - 原別 - 野内駅前 - 東部営業所 (- 工業高校前)[9]
- ※系統番号は次のとおり。
- 造道・八重田線
- 青森駅発、県立中央病院前着 - C12
- 青森駅発、東部営業所前着 - C10
- 国道・古川線
- 東部営業所発、青森駅前着 - A1
- 県立中央病院前発、青森駅前着 - A1
盲学校前経由
- 青森駅前 → 古川一丁目 → 古川 → 県庁前 → 市役所前 → 堤橋 → 合浦町 → 南造道 → 県立中央病院通り → 県立中央病院前 → 自治研修所前 → 八重田浄化センター前 → 原別 → 東高校前 → 矢田前 → 盲学校前 → 八幡林 → 小金沢 → 東部営業所
- ※青森駅前発、朝1便のみの運行。
- ※系統番号は次のとおり。
- 青森駅発、東部営業所着 - C10
- ※かつて運行されていた東バイパス(矢田前)経由のルートを踏襲する。東バイパス経由と類似した経路を通る系統ではあるが、古川経由のグループに含められて案内されている。
新町経由
「新町線」とも呼ばれる。
- 青森駅前 - 新町一丁目 - 県庁通り - 新町二丁目 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 県立中央病院前 - 沢田橋 - 八重田浄化センター前 - 原別 - 野内橋 - 東部営業所
- ※系統番号は次のとおり。
- 造道・八重田線
- 青森駅発、県立中央病院前着 - C12
- 青森駅発、東部営業所前着 - C10
- 新町線
- 東部営業所発、青森駅前着 - B1
- 県立中央病院前発、青森駅前着 - B1
- ※一部の便は県立中央病院前発着。
- ※本線以外でも、新町二丁目停留所を経由し、古川停留所を経由しない経路のことを「新町経由」と呼ぶ。
東バイパス経由
「東バイパス線」とも呼ばれる。
東バイパス経由
- 青森駅前 - (古川一丁目/新町一丁目) - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 八重田通り - 後萢通り - 八幡林 - 小金沢 - 東部営業所
- 西部営業所 - (一部の便は「新青森駅南口」を経由) - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 八重田通り - 後萢通り - 八幡林 - 小金沢 - 東部営業所
- ※県立中央病院通り - 小金沢間は、国道4号青森東バイパスを経由する。
- ※系統番号は次のとおり。
- 造道・八重田線
- 西部営業所発、東部営業所着 - E10
- 青森駅発、東部営業所着 - E10
- 東バイパス線
- 東部営業所発、青森駅前着 - A1
- 東部営業所発、西部営業所着 - T50
東バイパス・東高校前経由
- 青森駅前 - (古川一丁目/新町一丁目) - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 八重田通り - 後萢通り - 平新田森越 - 東高校前 - 東高校通り - 原別 - 野内駅前 - 東部営業所
- 西部営業所 - 古川 - 県庁前 - 市役所前 - 堤橋 - 合浦町 - 南造道 - 県立中央病院通り - 八重田通り - 後萢通り - 平新田森越 - 東高校前 - 東高校通り - 原別 - 野内駅前 - 東部営業所
- ※系統番号は次のとおり。
- 東バイパス線
- 西部営業所発、東部営業所着 - E10
- 青森駅発、東部営業所着 - E10
- 国道・古川線
- 東部営業所発、青森駅前着 - A1
- 東部営業所発、西部営業所着 - T50
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廃止系統
青柳経由
2013(平成25)年10月1日から運休、2014年3月31日限りで正式廃止。代替として青森市市バス青柳線が青森駅前-青柳橋-県立中央病院前で運行。
- (廃止時の運行経路)
- 青森駅前 - 新町一丁目 - 新町二丁目 - 本町五丁目 - 青柳橋 - 茶屋町 - 合浦町(市道) - 造道(県道) - 沢田橋( - 県立中央病院前) - 商業高校前[10] - 原別 - 野内駅前 - 東部営業所
- ※廃止時の主要経由地番号は、青森駅行きが“2”、東部営業所行き、県立中央病院前行きはなし。
- ※一部の便は県立中央病院前発着。
- 当初は30分程度の間隔での運行であったが、次第に減便が進んでいった。
山の手経由
青森駅-東部営業所間を、古川-文化会館前[11]間を旧線路通り経由で結んだ系統。かつては、古川こ線橋下を経由して青森駅に乗り入れていた[12]。もともと多数の便数が運行されていたが、やがて徐々に便数を減らしていき、東部営業所から青森駅行きの一方向のみの運行となった。それから、急速に便数を減らし、1978(昭和53)年頃には平日朝だけ2便のみの運行となった。それでも、2000(平成12)年まで運行が続いた。最後は1便のみの運行であった。
- (廃止時の運行経路)
- 東部営業所→(国道4号)→文化会館前→(平和公園通り・旧線路通り)→古川三丁目→(旭町通り)→古川→(昭和通り)→新町一丁目(中三前)→青森駅前
本町経由
創業時から運行していた「大町回り(経由)」の系統である。うとう橋経由・石森橋経由と統合された。
- (廃止時の運行経路)
- 青森駅-新町二丁目ー本町二丁目-本町五丁目-青柳二丁目-青柳橋-堤橋(堤町交番西側)-(国道4号)-合浦町-合浦公園前ー(県道造道久栗坂線)-保健所前-東部営業所
石森橋経由
かつての浜町線の経路に類似する。昭和40年代のうちに、うとう神社前・安方通りを経由しなくなり、下記の経路となったとみられる。
- 経路(廃止時)
- 青森駅-新町二丁目-(柳町通り)-本町三丁目-石森橋-東北電力前-公園西口-市営競技場前-合浦町-(国道4号)-合浦公園前-(県道)-保健所前-東部営業所
うとう橋経由
かつての寺町線に近いルートである。1967年のうとう橋開通以降、堤橋経由からうとう橋経由に変更されたとみられる。
- (廃止時の運行経路)
- 青森駅-新町二丁目-本町一丁目-うとう橋-茶屋町-合浦小学校前-栄町二丁目-(国道4号)-合浦公園前-南造道-県立中央病院前-東部営業所前
甲田橋経由
1960年代中頃近くに運転が開始されたものと思われる。当初は南栄町線と呼ばれた。1970(昭和45年)前後から甲田橋経由市内線となる。青森駅前-明の星高校前のみの便も存在し、廃止時には明の星高校前発着で、東部営業所まで行かない便のみとなっていた。
- (廃止時の運行経路)
青森駅前-新町一丁目/古川一丁目-古川-堤橋-甲田橋-花園二丁目-浪打小学校前-明の星高校前
合浦経由
1950年代後半(昭和30年代前半)頃から1977(昭和52年)頃まで運転されていた。 古川-浦町駅通り・堤橋間と合浦公園前-東部営業所間で国道を、西門町[13]-蜆貝付近[14]を海岸寄りの経路を通るのが特徴。
- (1950年代後半頃の運行経路)
- 青森駅前→古川→浦町駅通り(現在の文化会館前)→蜆貝→石森橋→西門町(現在の合浦公園西口)→合浦公園前→八重田営業所(後の東部営業所)
- 八重田営業所→合浦公園前→西門町→蜆貝→堤橋→古川→青森駅
※ ほか、1960年代(昭和30年代後半から昭和40年代の初め)頃には茶屋町線の運行があった様子であるが、詳細な経路は不明。
のりば
- 青森駅前 - 2番のりば
- 古川 - 6番のりば
沿革
本線に相当する路線は篠原自動車部が青森市内でバス事業を始めたことから運行されている。最初は国道回り、大町回りの2つの系統であった。その後、東側の発着点が浪打駅前、次いで八重田営業所(のちの東部営業所前)に変更され、路線もその分延長された。1969(昭和44)年頃から「市内線」と呼ばれるようになり、市内線を構成する系統の数の大幅に増やされた。しかし、次第に運転便数が減少していき、市内中心部での路線の統廃合が議論されるようになり、1992(平成4)年から「本町経由」「うとう橋経由」「石森橋経由」の3系統が統合され、「青柳経由」とされた。
- 1924年 - 篠原自動車部が青森駅前〜合浦公園前間で運行を開始。
- この路線には、青森駅前から中央古川通りを経由して国道に入って堤橋を経由して合浦公園前に至る系統(のちの国道経由本線)と、青森駅前から新町通りを進んで柳町通り・大町・堤橋を経由して合浦公園に至る系統(のちの大町経由本線)の2つがあった。後に、終点は浪打駅前に改められた。
- 1926(大正15)年 - 青森市交通部に営業が譲渡される。本線に相当する路線はそのまま継承された。
- 1928(昭和3)年 - 浦町駅前(現 平和公園前)から塩町文芸館前までの路線が存在した。うち、国道と浦町駅通りの交差点(現 文化会館前停留所付近)-浦町駅前までは後に山の手線(戦後の山の手経由市内線)の一部。[15]
- 1932(昭和7)年8月15日 - 浜町線が運行開始。
- 1933(昭和8年)年5月13日 - 浦町駅前から「廃線路通」(旧線路通り)を経由し、国道旭町角までの路線が開通する[16]。後の山の手線、山の手経由市内線に相当する。[17]
- 1958(昭和33)年9月8日 - 寺町線が運行開始[18]。
- 1962年〜1964年 - この間に茶屋町線・南栄町線が新設されたものとみられる。なお、南栄町経由は東部営業所発着ではなく、青森駅-古川-堤橋-木工指導所前(後に甲田橋)-南栄町(後に花園町)-明の星高校前であり、東部営業所まで乗り入れない便もあった(後の甲田橋経由市内線)。
- 1969年 - 次のように名称が変更される(この時点ですでに「茶屋町経由」系統は廃止されている)。
- 本線 → 市内線
- 大町経由 → 本町経由
- 浜町経由 → 安方経由
- 寺町経由 → うとう橋経由
- 後に「安方経由」は廃止。石森橋経由が新設される。
- 1974年 - このころ、市内線に以下のような系統番号と系統名が用いられていた。
- 1番 - 国道経由
- 2番 - 本町経由
- 3番 - うとう橋経由
- 4番 - 山の手経由
- 5番 - 甲田橋経由
- 6番 - 石森橋経由
- 7番 - 合浦経由
- 1977(昭和52)年5月24日 - 佃線(青森駅-橋本小学校前〈現 文化会館前〉-甲田橋-佃-南佃-合浦公園前-東部営業所)[19]の運行開始に伴い、途中の経路に重複がある甲田橋経由市内線(南栄町経由市内線から改称)が廃止されたとみられる。合浦経由もこのとき併せて廃止になったと考えられる。
- 1979年 - 市内線に新町経由の系統が新設される。このころ、市内線に以下のような系統番号と系統名が用いられていた。
- 1番 - 国道経由
- 2番 - 本町経由
- 3番 - うとう橋経由
- 4番 - 山の手経由
- 5番 - 新町経由
- 6番 - 石森橋経由
- 1985年12月1日 - 市内線のうち、「うとう橋経由」系統が、造道(県道)・保健所前経由から県立中央病院前(県病)経由に改められる。「石森橋経由」系統が市民体育館前経由から市営競技場前経由に変更される。(現在のスポーツ会館前経由に相当する。)
- 1992年 - 市内線の「石森橋経由」「本町経由」「うとう橋経由」の系統が廃止。青柳経由系統が新設される。「新町経由」系統が、造道(県道)・保健所前経由から県立中央病院前(県病)経由に改められる。
- 2000年3月1日 - 東部営業所の青森市野内地区への移転により、路線が旧 東部営業所前(後に商業高校前、次いで八重田浄化センター前と改称)から新 東部営業所前まで延長される。路線名が「市内線」から「本線」に改められる。「本線」に東バイパス経由、矢田前経由両系統が加えられる。これらはそれぞれ東バイパス経由矢田線、原別経由矢田線の運行経路と重なっており、この時のダイヤ改正に伴い、矢田線は減便された。
- 2001年4月1日 - 「山の手経由」系統を廃止(廃止直前は東部発青森駅行日祝運休の1本のみ)。
- 2004年4月1日 - 「国道経由」系統の一部の便が「造道(県道)」・「保健所前」(後に沢田橋と改称)経由から「県立中央病院通り」経由に改められる。
- 2004年12月25日 - 「矢田前経由」の一部経路変更により矢田前を通らなくなることから原別・平新田森越経由、あるいは東高校前経由と呼ばれるようになる。
- 2006年4月1日 - 「東バイパス経由」系統の一部が「八幡林」経由から「野内橋」・「東高校前」経由に改められる。
- 2013年10月1日 - 「青柳経由」系統はすべて運休となり、代替として、青森市市民バス青柳線が青森駅前-県立中央病院前で運行開始。また、八甲田丸発着の便を廃止。
- 2014年3月31日 - この日を限りとして、「青柳経由」の系統が廃止された。
営業係数
年度 | 国道 経由 |
新町 経由 |
青柳 経由 |
山の手 経由 |
新町経由 八甲田丸発着 |
東バイパス 経由 |
---|---|---|---|---|---|---|
1995(平成7) | 123.62円 | 108.43円 | 138.51円 | 95.82円 | 106.45円 | |
1996(平成8) | 127.70円 | 103.85円 | 133.17円 | 89.78円 | 111.39円 | |
1997(平成9) | 131.30円 | 100.31円 | 140.14円 | 105.87円 | 107.30円 | |
1998(平成10) | 133.59円 | 80.84円 | 141.38円 | 95.13円 | 100.33円 | |
1999(平成11) | 138.73円 | 98.80円 | 136.49円 | 85.90円 | 105.79円 | |
2000(平成12) | 140.21円 | 109.07円 | 127.18円 | 214.68円 | 107.21円 | |
2001(平成13) | 134.41円 | 109.78円 | 150.50円 | 109.99円 | 156.60円 |
脚注
- ^ 『青森市史 第6巻 政治編』1961年
- ^ 「市内線」という名称は、昭和44(1969)年4月5日発行の「広報あおもり」に最初にあらわれる。
- ^ 昭和33年の時刻表による
- ^ 「青森市営バス時刻表」(ポケット時刻表 2020年3月23日改正)32,33,40頁
- ^ これに似た表記ゆれは1965(昭和40年頃でもみられた。たとえば、「大町回り本線」と呼ぶところを「大町線」などと呼ぶ場合もあった。
- ^ 途中に一方通行があるため、東部営業所方面行きは中央古川通りの「古川一丁目」バス停、青森駅行きは昭和通りの「新町一丁目」バス停に停車する。
- ^ 同名の停留所が国道4号沿いにもあるので、ここでは(県道)を付して区別する。
- ^ 一部の便は県立中央病院前発着。その場合、沢田橋から県立中央病院前停留所に向かい、県立中央病院通り停留所を経由しない。
- ^ 一部の便は県立中央病院前発着。また、青森駅あるいは郊外発の便の一部は、東部営業所が終点ではなく、工業高校前まで延長運行される。
- ^ 現在は「八重田浄化センター前」
- ^ かつての「橋本小学校前」、あるいは「浦町駅通り」。
- ^ 青森市『青森市史 第6巻 政治編』折込の路線図
- ^ 現在の青森市市バス青柳線合浦公園西口
- ^ 現在の青柳一丁目の浜町通り沿い
- ^ 『青森県総覧』912頁「現在自動車運転区(三年)」。1932(昭和7)年頃までの青森市の市街地図でも、この区間のバス路線の存在を確認できる。塩町文芸館とは、大町通りと浦町駅通りの交差点南東角にあった劇場。『青森市史』第6巻 政治編 820頁では、山の手線開業が昭和2(1927)年11月14日となっているが、それは上記の部分の開業であったとも考えられる。浦町駅前から旧線路通りを通って旭町角までの区間については、本文で後述するとおり、昭和8(1933)年の開通であったと考えられる。
- ^ 鉄道省編『全国乗合自動車総覧』1934年
- ^ ウェブページのなかには、山の手線開業を大正15(1926)年とするものもあるが、旧線路通りが青森市に払い下げられるのは昭和2(1927)年のことであるので、旧線路通りを経由する後の山の手線とは違う経路のものであると考えられる。
- ^ 『青森市史』第6巻 政治編 820頁。かつての寺町とは、現在の本町一丁目と二丁目の境界をなす道路の両脇であったので、その道路を経由した路線であったと考えられる。但し、この頃、うとう橋の開通は1967(昭和42)年春なので、後のうとう橋経由市内線とは別の経路であったはずである。
- ^ のちの南佃線。この路線はやがて小柳線に統合される。
参考文献
- 青森市交通部『市営バス60年のあゆみ』1986
- 青森市『広報あおもり』
他