「ニルス・キュレーゲル」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
カテゴリの正確性向上
en:Nils Kreuger 07:51, 7 October 2020‎ の訳で略歴の前半を追加
1行目: 1行目:
{{Infobox 芸術家
[[ファイル:Nils Kreuger photo.jpg|thumb|200px|ニルス・キュレーゲル]]
| cornflour = #6495ED
| name = ニルス・キュレーゲル<br>Nils Kreuger
| image = File:Nils Kreuger photo.jpg
| imagesize = 180px
| caption =
| birthdate = [1858年]][[10月11日]]
| location = スウェーデン,[[カルマル市]]
| deathdate = [[1943年]][[5月25日]]
| deathplace = スウェーデン,[[ストックホルム]]
| field =
| training =
| movement =
| works =
| patrons =
| influenced by =
| influenced =
| awards =
}}
[[File:Nils Kreuger, Hästar i det fria, 1906.jpg|thumb|320px|"Freed horses" ( 1906年 )]]

'''ニルス・キュレーゲル'''({{lang|sv|Nils Kreuger}}、[[1858年]][[10月11日]] - [[1930年]][[5月11日]])は、[[スウェーデン]]人の画家である。
'''ニルス・キュレーゲル'''({{lang|sv|Nils Kreuger}}、[[1858年]][[10月11日]] - [[1930年]][[5月11日]])は、[[スウェーデン]]人の画家である。


== 略歴 ==
1892年に画家の[[リッカルド・ベリ]]が購入した[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]の絵画から啓示を受けたキュレーゲルは、ベリ、[[カール・ヌードストローム]]とともに、スウェーデン西海岸にある[[ヴァールベリ]]で1893年から1896年にかけて過ごし、作品制作を重ねて総合主義的様式を発展させた<ref name="gaisetu171">トシュテン・グンナション「カール・ラーションのジャポニスムと同時代のスウェーデンの絵画」『カール・ラーション展』171頁。</ref>。
スウェーデン南部、[[カルマル県]]の[[カルマル市]]に生まれた。父親は木工製品の事業を経営していた。1874年から[[スウェーデン王立美術院]]で学び始めるが、病気になり中退した。1878年に[[エドヴァルド・ペルセウス]]が教える、私立の美術学校で修業を再開した。1881年に[[パリ]]に渡り、私立の美術学校、[[アカデミー・コラロッシ]]で[[ジャン=ポール・ローランス]]に学んだ。多くの北欧の芸術家も集まって風景を描いていた[[グレ=シュル=ロワン]]でも活動し、1882年に初めてパリのサロンに出展した。

1887年にスウェーデンに帰国した。

1892年に画家の[[リッカルド・ベリ]]が購入した[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]の絵画から啓示を受けたキュレーゲルは、[[リッカルド・ベリ]]、[[カール・ヌードストローム]]とともに、スウェーデン西海岸にある[[ヴァールベリ]]で1893年から1896年にかけて過ごし、作品制作を重ねて総合主義的様式を発展させた<ref name="gaisetu171">トシュテン・グンナション「カール・ラーションのジャポニスムと同時代のスウェーデンの絵画」『カール・ラーション展』171頁。</ref>。


キュレーゲルの作品は、スウェーデン美術における[[ジャポニスム]]の例としても挙げることができる。彼は[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]のスケッチを研究したが、そのスケッチのルーツは日本の[[葛飾北斎]]の作品であった。さらにキュレーゲルはベリの家の扉に[[サギ|鷺]]の[[日本画]]を模写したこともある<ref name="gaisetu171" />。
キュレーゲルの作品は、スウェーデン美術における[[ジャポニスム]]の例としても挙げることができる。彼は[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]のスケッチを研究したが、そのスケッチのルーツは日本の[[葛飾北斎]]の作品であった。さらにキュレーゲルはベリの家の扉に[[サギ|鷺]]の[[日本画]]を模写したこともある<ref name="gaisetu171" />。
9行目: 34行目:


== 主な作品 ==
== 主な作品 ==
<gallery mode="nolines" widths="220" heights="140">
{{Gallery
ファイル:Nils Kreuger - Autumn, Varberg.JPG|Höst, [[:en:Varberg|Varberg]]/Autumn at Varberg(1888年)
|width=210
ファイル:Håstensberget vid Varberg (1896), målning av Nils Kreuger.jpg|Håstensberget vid [[:en:Varberg|Varberg]]/The Håsten Mountain, Varberg, Sweden (1896年)
|height=140
ファイル:Nils Kreuger - Labor.jpg|Labor(1884年)
|lines=4
ファイル:In the Shadow, 1915, by the Swedish artist Nils Kreuger.jpg|In the Shadow (1915年)
|ファイル:Nils Kreuger - Autumn, Varberg.JPG|Höst, [[:en:Varberg|Varberg]]/Autumn at Varberg(1888年)
ファイル:Nils Kreuger - Middagsrast.jpg|Middagsrast/Lunch break (1917年)
|ファイル:Håstensberget vid Varberg (1896), målning av Nils Kreuger.jpg|Håstensberget vid [[:en:Varberg|Varberg]]/The Håsten Mountain, Varberg, Sweden (1896年)
|File:Nils Kreuger, Hästar i det fria, 1906.jpg|Freed horses ( 1906年 )
File:Kreuger 22.jpg|
</gallery>
}}
{{Gallery
|width=160
|height=140
|lines=4
|ファイル:Nils Kreuger - Labor.jpg|Labor(1884年)
|ファイル:In the Shadow, 1915, by the Swedish artist Nils Kreuger.jpg|In the Shadow (1915年)
|ファイル:Nils Kreuger - Middagsrast.jpg|Middagsrast/Lunch break (1917年)
|File:Kreuger 22.jpg|
}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
40行目: 56行目:
[[Category:スウェーデンの画家]]
[[Category:スウェーデンの画家]]
[[Category:19世紀の画家]]
[[Category:19世紀の画家]]
[[Category:20世紀の画家]]
[[Category:カルマル県出身の人物]]
[[Category:1858年生]]
[[Category:1858年生]]
[[Category:1930年没]]
[[Category:1930年没]]

2020年11月27日 (金) 04:23時点における版

ニルス・キュレーゲル
Nils Kreuger
誕生日 [1858年]]10月11日
出生地 スウェーデン,カルマル市
死没年 1943年5月25日
死没地 スウェーデン,ストックホルム
テンプレートを表示
"Freed horses" ( 1906年 )

ニルス・キュレーゲルNils Kreuger1858年10月11日 - 1930年5月11日)は、スウェーデン人の画家である。

略歴

スウェーデン南部、カルマル県カルマル市に生まれた。父親は木工製品の事業を経営していた。1874年からスウェーデン王立美術院で学び始めるが、病気になり中退した。1878年にエドヴァルド・ペルセウスが教える、私立の美術学校で修業を再開した。1881年にパリに渡り、私立の美術学校、アカデミー・コラロッシジャン=ポール・ローランスに学んだ。多くの北欧の芸術家も集まって風景を描いていたグレ=シュル=ロワンでも活動し、1882年に初めてパリのサロンに出展した。

1887年にスウェーデンに帰国した。

1892年に画家のリッカルド・ベリが購入したゴーギャンの絵画から啓示を受けたキュレーゲルは、リッカルド・ベリカール・ヌードストロームとともに、スウェーデン西海岸にあるヴァールベリで1893年から1896年にかけて過ごし、作品制作を重ねて総合主義的様式を発展させた[1]

キュレーゲルの作品は、スウェーデン美術におけるジャポニスムの例としても挙げることができる。彼はゴッホのスケッチを研究したが、そのスケッチのルーツは日本の葛飾北斎の作品であった。さらにキュレーゲルはベリの家の扉に日本画を模写したこともある[1]

キュレーゲルとゴッホのスケッチの類似性については研究者にも指摘されている[1]

主な作品

脚注

  1. ^ a b c トシュテン・グンナション「カール・ラーションのジャポニスムと同時代のスウェーデンの絵画」『カール・ラーション展』171頁。

参考文献