「京都市交通局広軌1形電車」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m カテゴリの一部変更
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{鉄道車両
[[File:Kyoto Municipal Tramway 29.JPG|thumb|29号(梅小路公園)]]
| 車両名 =京都市交通局 広軌1形電車
| 社色 = #3a204b
| 画像 = Kyoto Municipal Tramway 29.JPG
| 画像幅 =
| 画像説明 = 29号(梅小路公園)
| 運用者 = 京都市交通局
| 製造所 = 天野工場<br>梅鉢鉄工所
| 種車 = <!-- 改造・譲受車向け -->
| 製造年 = 1912年 - 1921年
| 製造数 = 169両
| 導入年 = 1912年
| 総数 = <!-- 改造・譲受車向け -->
| 運用開始 = 1912年
| 運用終了 = 1950年
| 廃車 = 1950年
| 投入先 = 京都市電
| 軌間 = [[標準軌|1435 mm]]
| 集電装置 =
| 電気方式 = 直流600V
| 最高運転速度 =
| 設計最高速度 =
| 最高速度 =
| 起動加速度 =
| 常用減速度 =
| 非常減速度 =
| 減速度 =
| 車両定員 = 48名
| 車両重量 =
| 自重 = 9t
| 長さ =
| 幅 =
| 高さ =
| 全長 =
| 全幅 =
| 全高 =
| 車体長 =
| 車体幅 =
| 車体高 =
| 床面高さ =
| 車体 =
| 台車 = 21-E<br>21-EM<br>BL-21-E<br>MG21-EM
| 主電動機 =
| 主電動機出力 = 25HP×2
| 駆動方式 =
| 歯車比 =
| 出力 =
| 編成出力 =
| 定格出力 =
| 定格速度 =
| 制御方式 =
| 制御装置 = 直接
| 制動装置 =水平片手把手々用
| 保安装置 =
| 備考 =
| 備考全幅 =
}}
'''京都市交通局 広軌1形電車'''(きょうとしこうつうきょく こうき1がたでんしゃ)は、[[京都市]][[京都市交通局|電気軌道事務所]]が[[路面電車]]([[京都市電]])を開業させた際、製造投入した車両である。総数169両が製造され、一部車両は[[大連都市交通]](今の[[中華人民共和国]][[大連市|大連]])・[[長崎電気軌道]]に譲渡された。
'''京都市交通局 広軌1形電車'''(きょうとしこうつうきょく こうき1がたでんしゃ)は、[[京都市]][[京都市交通局|電気軌道事務所]]が[[路面電車]]([[京都市電]])を開業させた際、製造投入した車両である。総数169両が製造され、一部車両は[[大連都市交通]](今の[[中華人民共和国]][[大連市|大連]])・[[長崎電気軌道]]に譲渡された。



2020年10月20日 (火) 11:59時点における版

京都市交通局 広軌1形電車
29号(梅小路公園)
基本情報
運用者 京都市交通局
製造所 天野工場
梅鉢鉄工所
製造年 1912年 - 1921年
製造数 169両
導入年 1912年
運用開始 1912年
運用終了 1950年
廃車 1950年
投入先 京都市電
主要諸元
軌間 1435 mm
電気方式 直流600V
車両定員 48名
自重 9t
台車 21-E
21-EM
BL-21-E
MG21-EM
主電動機出力 25HP×2
制御装置 直接
制動装置 水平片手把手々用
テンプレートを表示

京都市交通局 広軌1形電車(きょうとしこうつうきょく こうき1がたでんしゃ)は、京都市電気軌道事務所路面電車京都市電)を開業させた際、製造投入した車両である。総数169両が製造され、一部車両は大連都市交通(今の中華人民共和国大連)・長崎電気軌道に譲渡された。

車両概要

京都市では市電の開業に先駆け、民営の京都電気鉄道(京電)による路面電車路線が1895年より運転開始されていた。これは狭軌(1067mm軌間)の路線であったが、1912年に開業した京都市電気軌道事務所の方では標準軌(1435mm軌間。当時は1067mm軌間を日本標準軌としており、広軌とも呼んだ)を採用した。そのため、京都電気鉄道が京都市に買収された1918年以降、元京都電気鉄道の車両を狭軌1形、京都市電生え抜きの車両を広軌1形と呼ぶようになったとされている。

スタイルは当時の路面電車では標準であったオープンデッキ型で、中央にダブルポールを設けて折り返し地点で回転させるものとなった。 京都電気鉄道のほうでは開業時にシングルポールを採用し、電気は線路を通して変電所に返していたが、水道管の電食が問題になったため、上下電流を架線で送る方式になったとされている。 1912年6月の開業時にまず40両、そして同年中に55両、翌年に72両、1921年に2両を増備した。そのうち2両は貴賓車となっていたが、1923年に普通仕様へ改造した。また、どの時点で改造されたのか等は資料がなく不明だが、初期のオープンデッキ型から 運転台にガラス窓の付いた「ベスチュビュール型」に改造されている。

新車の増備に伴い、1938年に長崎電気軌道へ80形として5両、大連都市交通(大連市電)へ10両が譲渡され、1940年から段階的に廃車を開始する。同年中に14両、1946年に31両、1948年に42両、1949年に13両を廃車し、1952年に最後に残った33両を廃車して全廃となった。

交通局自身は29号を保存し、数度の移設を経て2014年3月8日からは梅小路公園内の「すざくゆめ広場」で保存されている[1]

終戦直後の1947年12月10日から1948年10月20日までの間、電動機の故障した1形22両が、600形のトレーラーとなる「親子電車」として運用されている。

脚注

  1. ^ 梅小路公園「市電ひろば」がオープン。 - 編集長敬白、2014年3月10日

外部リンク