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[[富山県立高岡商業高等学校]]、[[桃山学院大学]]時代は[[アマチュアレスリング|レスリング]]部に所属<ref>[https://db.japan-wrestling.jp/player/%E5%8C%97%E5%AE%AE%E5%85%89%E6%B4%8B/ 北宮光洋] 日本レスリング協会 選手&大会データベース</ref>し、大学では主将も務めた<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/><ref name="noah20130106">プロレスリング・ノア『New Year Navig.2013 2013.1.6 後楽園ホール』公式パンフレット</ref>。
[[富山県立高岡商業高等学校]]、[[桃山学院大学]]時代は[[アマチュアレスリング|レスリング]]部に所属<ref>[https://db.japan-wrestling.jp/player/%E5%8C%97%E5%AE%AE%E5%85%89%E6%B4%8B/ 北宮光洋] 日本レスリング協会 選手&大会データベース</ref>し、大学では主将も務めた<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/><ref name="noah20130106">プロレスリング・ノア『New Year Navig.2013 2013.1.6 後楽園ホール』公式パンフレット</ref>。


大学卒業後、[[ダイヤモンド・リング (プロレス)|健介オフィス]](後のダイヤモンド・リング)に入門。2011年9月25日、健介オフィス自主興行・[[富山テクノホール]](富山産業展示館)大会において同い年の[[梶原慧]]を相手にデビューを飾った<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/><ref name="noah20130106"/>。
大学卒業後、[[ダイヤモンド・リング (プロレス)|健介オフィス]](後のダイヤモンド・リング)に入門。2011年9月25日、健介オフィス自主興行・[[富山産業展示館]](富山テクノホール)大会において同い年の[[梶原慧]]を相手にデビューを飾った<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/><ref name="noah20130106"/>。


明るい性格と元気の良さが持ち前で、それらを生かした突貫ファイトが特徴である<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/>。
明るい性格と元気の良さが持ち前で、それらを生かした突貫ファイトが特徴である<ref name="diamondringofficial-kitamiya"/>。

2020年10月11日 (日) 13:27時点における版

マサ北宮
プロフィール
リングネーム マサ北宮
北宮 光洋
本名 北宮 光洋
ニックネーム Go For Broke[1]
身長 172cm
体重 105kg
誕生日 (1988-10-27) 1988年10月27日(35歳)
出身地 富山県砺波市[2]
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 レスリング
トレーナー マサ斎藤
佐々木健介
デビュー 2011年9月25日
テンプレートを表示
獲得メダル
男子 レスリング
西日本学生選手権
2009 フリー84kg級
2010 フリー84kg級
西日本学生新人戦
2008 フリー84kg級
2008 グレコローマン84kg級

マサ北宮(マサきたみや、1988年10月27日 - )は、日本プロレスラー。本名:北宮 光洋(きたみや みつひろ)。プロレスリング・ノアに所属。

経歴

富山県立高岡商業高等学校桃山学院大学時代はレスリング部に所属[3]し、大学では主将も務めた[2][4]

大学卒業後、健介オフィス(後のダイヤモンド・リング)に入門。2011年9月25日、健介オフィス自主興行・富山産業展示館(富山テクノホール)大会において同い年の梶原慧を相手にデビューを飾った[2][4]

明るい性格と元気の良さが持ち前で、それらを生かした突貫ファイトが特徴である[2]

デビュー以降は所属するダイヤモンド・リングのホームマッチに加え、プロレスリング・ノアの興行にも他のダイヤモンド・リング所属選手とともに定期的に参戦し、セコンド業務もこなす[4]

2014年3月4日、定期参戦しているノアへ移籍が決定した[5]

2015年1月10日、森嶋猛との一騎討ちを終え超危暴軍に加入した。

2016年4月11日、かつて所属した団体であるダイヤモンド・リングのスーパーバイザーであり、尊敬するマサ斎藤に肖り斎藤の承諾を得てマサ北宮へと改名した[6]

7月16日、丸藤正道&矢野通組の保持する GHCタッグ王座中嶋勝彦と組んで挑戦するも、北宮が丸藤からフォール負けを喫した。

9月23日、杉浦貴の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦するも敗れた。

11月23日、グローバル・リーグ戦をブロック1位で勝ち上がり優勝をかけて鈴木みのると対戦するも敗北、準優勝に終わった。

2018年3月11日、サイトー・スープレックス3連発からのフォール勝ちでGHCタッグ王座を獲得する。

得意技

サイトースープレックス
捻り式バックドロップと同型。現在のフィニッシャー。
ジャーマンスープレックス
ラリアット
パイルドライバー
通常のドリル・ア・ホール・パイルドライバーを使う。
監獄固め
スピアー[2][4]

タイトル歴

プロレスリング・ノア

テレビ出演

脚注

  1. ^ 選手プロフィールマサ北宮 / Masa Kitamiya”. プロレスリング・ノア公式サイト. 2020年6月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e 北宮光洋プロフィール | 健介オフィス-KENSUKE OFFICE
  3. ^ 北宮光洋 日本レスリング協会 選手&大会データベース
  4. ^ a b c d プロレスリング・ノア『New Year Navig.2013 2013.1.6 後楽園ホール』公式パンフレット
  5. ^ 勝彦以外は退団、DR事実上の休眠へ”. デイリースポーツ (2014年3月5日). 2014年3月5日閲覧。
  6. ^ 本日改名・マサ北宮選手 記者会見の模様”. プロレスリング・ノア (2016年4月11日). 2016年4月11日閲覧。
  7. ^ “フジテレビドラマ「若者たち2014」選手出演のお知らせ”. プロレスリング・ノア公式サイト. (2014年6月27日). http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=6243 2017年5月5日閲覧。 

外部リンク