「イギリス領トーゴランド」の版間の差分

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[[1955年]]12月、[[国連総会]]はイギリスに対し、トーゴランドでの[[国民投票]]を提案した。
[[1955年]]12月、[[国連総会]]はイギリスに対し、トーゴランドでの[[国民投票]]を提案した。


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[[1956年]][[5月9日]]、{{仮リンク|イギリス領トーゴランド国民投票 (1956年)|en|British Togoland status plebiscite, 1956|label=国民投票}}が行われた。国民の58%は西隣の[[英領ゴールド・コースト]](イギリスの{{仮リンク|直轄植民地|en|Crown colony}})との合併を望んだ。42%は黄金海岸ではなく、[[エウェ人]]の統一国家を建国する為に東隣のフランス領トーゴランドとの合併を望んだ<ref name=pim>McLaughlin (1994), "The Politics of the Independence Movements".</ref>。[[12月13日]]、国連総会は決議1044号「イギリス支配下のトーゴランドの将来」を採択し、国民投票結果を認めた。
国民の58%は西隣の[[英領ゴールド・コースト]](イギリスの{{仮リンク|直轄植民地|en|Crown colony}})との合併を望んだ。
42%は黄金海岸ではなく、[[エウェ人]]の統一国家を建国する為に東隣のフランス領トーゴランドとの合併を望んだ<ref name=pim>McLaughlin (1994), "The Politics of the Independence Movements".</ref>。
[[12月13日]]、国連総会は決議1044号「イギリス支配下のトーゴランドの将来」を採択し、国民投票結果を認めた。


[[1957年]][[3月6日]]、黄金海岸と合併し、[[ガーナ]]として独立した<ref>[http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf UN Publication entitled "The Future of the Togolands] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20131217051012/http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf |date=December 17, 2013 }}</ref><ref>[http://www.worldlii.org/int/other/UNGARsn/1957/8.pdf General Assembly, Eleventh Session, General Assembly resolution 1044 on “The future of Togoland under British administration”]</ref>。首都の[[ホ (ガーナ)|ホ]]は[[ヴォルタ州]]の州都になった。
[[1957年]][[3月6日]]、黄金海岸と合併し、[[ガーナ]]として独立した<ref>[http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf UN Publication entitled "The Future of the Togolands] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20131217051012/http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf |date=December 17, 2013 }}</ref><ref>[http://www.worldlii.org/int/other/UNGARsn/1957/8.pdf General Assembly, Eleventh Session, General Assembly resolution 1044 on “The future of Togoland under British administration”]</ref>。首都の[[ホ (ガーナ)|ホ]]は[[ヴォルタ州]]の州都になった。

2020年10月3日 (土) 15:51時点における版

英領トーゴランド
British Togoland
委任統治領

1916年1956年
国旗 国章
国歌
女王陛下万歳
{{{common_name}}}の位置
左:英領トーゴランド
右:フランス領トーゴランド
首都 (1916年12月27日 - 1956年12月13日)
言語 英語(公用語)
ガーナ・トーゴ山脈語群英語版
グベ語群
グル語群英語版
政府 委任統治領
歴史・時代 20世紀
 •  アフリカ戦線 1914年8月27日
 •  分割 1916年12月27日
 •  国際連盟B級委任統治領 1922年7月20日 - 1946年4月20日
 •  国際連合信託統治領 1946年12月13日 - 1957年3月6日
 •  黄金海岸に併合 1956年12月13日
 •  ガーナの一部として独立 1957年3月6日
通貨 西アフリカ・ポンド
現在 ガーナの旗 ガーナ

英領トーゴランド英語: British Togoland)は、イギリス西アフリカ1916年から1956年の間所有していた領土。正式名称は委任統治領トーゴランドMandate Territory of Togoland)、後に信託統治領トーゴランドTrust Territory of Togoland)と改名される。

歴史

1916年第一次世界大戦のアフリカ戦線で、イギリスフランスドイツから独領トーゴラントを奪った。2国はトーゴラントを東西に分割し、西側を英領トーゴランド、東側を仏領トーゴランドとした。大戦後、両トーゴランドは国際連盟のB級委任統治領になった。

1922年、両トーゴランドは正式に両国の植民地の一部となった。

第二次世界大戦後は、国際連合信託統治領となりイギリスが支配した。

1954年、イギリス政府は国連に対し、1957年以降は信託統治領を支配出来ないと伝えた。

1955年12月、国連総会はイギリスに対し、トーゴランドでの国民投票を提案した。

1956年5月9日国民投票英語版が行われた。国民の58%は西隣の英領ゴールド・コースト(イギリスの直轄植民地英語版)との合併を望んだ。42%は黄金海岸ではなく、エウェ人の統一国家を建国する為に東隣のフランス領トーゴランドとの合併を望んだ[1]12月13日、国連総会は決議1044号「イギリス支配下のトーゴランドの将来」を採択し、国民投票結果を認めた。

1957年3月6日、黄金海岸と合併し、ガーナとして独立した[2][3]。首都のヴォルタ州の州都になった。

脚注

座標: 北緯6度23分43秒 東経0度28分13秒 / 北緯6.3953度 東経0.4703度 / 6.3953; 0.4703