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国民の58%は西隣の[[英領ゴールド・コースト]](イギリスの{{仮リンク|直轄植民地|en|Crown colony}})との合併を望んだ。 |
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[[1957年]][[3月6日]]、黄金海岸と合併し、[[ガーナ]]として独立した<ref>[http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf UN Publication entitled "The Future of the Togolands] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20131217051012/http://unyearbook.un.org/1956YUN/1956_P1_SEC3_CH5.pdf |date=December 17, 2013 }}</ref><ref>[http://www.worldlii.org/int/other/UNGARsn/1957/8.pdf General Assembly, Eleventh Session, General Assembly resolution 1044 on “The future of Togoland under British administration”]</ref>。首都の[[ホ (ガーナ)|ホ]]は[[ヴォルタ州]]の州都になった。 |
2020年10月3日 (土) 15:51時点における版
英領トーゴランド | ||||||
British Togoland | ||||||
委任統治領 | ||||||
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国歌 女王陛下万歳 | ||||||
左:英領トーゴランド
右:フランス領トーゴランド | ||||||
首都 | ホ(1916年12月27日 - 1956年12月13日) | |||||
言語 | 英語(公用語) ガーナ・トーゴ山脈語群 グベ語群 グル語群 | |||||
政府 | 委任統治領 | |||||
歴史・時代 | 20世紀 | |||||
• | アフリカ戦線 | 1914年8月27日 | ||||
• | 分割 | 1916年12月27日 | ||||
• | 国際連盟B級委任統治領 | 1922年7月20日 - 1946年4月20日 | ||||
• | 国際連合信託統治領 | 1946年12月13日 - 1957年3月6日 | ||||
• | 黄金海岸に併合 | 1956年12月13日 | ||||
• | ガーナの一部として独立 | 1957年3月6日 | ||||
通貨 | 西アフリカ・ポンド | |||||
現在 | ガーナ |
英領トーゴランド(英語: British Togoland)は、イギリスが西アフリカに1916年から1956年の間所有していた領土。正式名称は委任統治領トーゴランド(Mandate Territory of Togoland)、後に信託統治領トーゴランド(Trust Territory of Togoland)と改名される。
歴史
1916年、第一次世界大戦のアフリカ戦線で、イギリスとフランスはドイツから独領トーゴラントを奪った。2国はトーゴラントを東西に分割し、西側を英領トーゴランド、東側を仏領トーゴランドとした。大戦後、両トーゴランドは国際連盟のB級委任統治領になった。
1922年、両トーゴランドは正式に両国の植民地の一部となった。
第二次世界大戦後は、国際連合の信託統治領となりイギリスが支配した。
1954年、イギリス政府は国連に対し、1957年以降は信託統治領を支配出来ないと伝えた。
1955年12月、国連総会はイギリスに対し、トーゴランドでの国民投票を提案した。
1956年5月9日、国民投票が行われた。国民の58%は西隣の英領ゴールド・コースト(イギリスの直轄植民地)との合併を望んだ。42%は黄金海岸ではなく、エウェ人の統一国家を建国する為に東隣のフランス領トーゴランドとの合併を望んだ[1]。12月13日、国連総会は決議1044号「イギリス支配下のトーゴランドの将来」を採択し、国民投票結果を認めた。
1957年3月6日、黄金海岸と合併し、ガーナとして独立した[2][3]。首都のホはヴォルタ州の州都になった。
脚注
- ^ McLaughlin (1994), "The Politics of the Independence Movements".
- ^ UN Publication entitled "The Future of the Togolands Archived December 17, 2013, at the Wayback Machine.
- ^ General Assembly, Eleventh Session, General Assembly resolution 1044 on “The future of Togoland under British administration”