「アメリコ・ガジェゴ」の版間の差分
Championship2006 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
m編集の要約なし |
||
40行目: | 40行目: | ||
1974年に[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]でキャリアをスタートさせる。レギュラーとしてプレーするのにそう時間はかからず、1975年に[[トゥーロン]]で行われたユースのトーナメントに[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の一員として優勝を果たした。また、1978年の自国開催の[[1978 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]では全ての試合に先発出場し、アルゼンチン初のW杯優勝に貢献した。その3年後、[[CAリーベル・プレート]]へ移籍。 |
1974年に[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]でキャリアをスタートさせる。レギュラーとしてプレーするのにそう時間はかからず、1975年に[[トゥーロン]]で行われたユースのトーナメントに[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の一員として優勝を果たした。また、1978年の自国開催の[[1978 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]では全ての試合に先発出場し、アルゼンチン初のW杯優勝に貢献した。その3年後、[[CAリーベル・プレート]]へ移籍。 |
||
リーベル・プレートでは、中盤でカルテットを組んでいた{{仮リンク|ロケ・アルファロ|es|Roque Alfaro}}、[[エクトル・エンリケ]]、{{仮リンク|クラウディオ・モレシ|es|Claudio Morresi}}らが攻撃に専念できるよう豊富な運動量で奔走し、チームを支えた<ref>「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号</ref>。また、キャプテンとして[[コパ・リベルタドーレス]]、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]、[[コパ・インテルアメリカーナ]]などクラブ史上初のタイトルを獲得した。 |
リーベル・プレートでは、中盤でカルテットを組んでいた{{仮リンク|ロケ・アルファロ|es|Roque Alfaro}}、[[エクトル・エンリケ]]、{{仮リンク|クラウディオ・モレシ|es|Claudio Morresi}}らが攻撃に専念できるよう豊富な運動量で奔走し、チームを支えた<ref>「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号</ref>。また、キャプテンとして[[コパ・リベルタドーレス]]、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]、[[コパ・インテルアメリカーナ|コパ・インテラメリカーナ]]などクラブ史上初のタイトルを獲得した。 |
||
1988年に現役を引退。ガジェゴは[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|プリメーラ・ディビシオン]]で計440試合に出場した。 |
1988年に現役を引退。ガジェゴは[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|プリメーラ・ディビシオン]]で計440試合に出場した。 |
||
56行目: | 56行目: | ||
* [[コパ・リベルタドーレス]] : [[コパ・リベルタドーレス1986|1986]] |
* [[コパ・リベルタドーレス]] : [[コパ・リベルタドーレス1986|1986]] |
||
* [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]] : 1986 |
* [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]] : 1986 |
||
* [[コパ・インテルアメリカーナ]] : 1986 |
* [[コパ・インテルアメリカーナ|コパ・インテラメリカーナ]] : 1986 |
||
==== 代表 ==== |
==== 代表 ==== |
2020年9月8日 (火) 00:35時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
アメリコ・ルベン・ガジェゴ Américo Rubén Gallego | |||||
愛称 | El Tolo | |||||
ラテン文字 | Américo GALLEGO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1955年4月25日(69歳) | |||||
出身地 | モルテロス | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1974-1980 | ニューウェルズ | 262 | (25) | |||
1981-1988 | リーベル・プレート | 180 | (10) | |||
代表歴 | ||||||
1975-1982 | アルゼンチン | 73 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
1994 | リーベル・プレート | |||||
2000-2001 | リーベル・プレート | |||||
2002-2003 | インデペンディエンテ | |||||
2004 | ニューウェルズ | |||||
2005-2007 | トルーカ | |||||
2007-2008 | ティグレス | |||||
2009-2010 | インデペンディエンテ | |||||
2011 | コロコロ | |||||
2012-2013 | インデペンディエンテ | |||||
2015 | ニューウェルズ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アメリコ・ルベン・ガジェゴ(Américo Rubén Gallego, 1955年4月25日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州モルテロス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
経歴
現役時代
1974年にニューウェルズ・オールドボーイズでキャリアをスタートさせる。レギュラーとしてプレーするのにそう時間はかからず、1975年にトゥーロンで行われたユースのトーナメントにアルゼンチン代表の一員として優勝を果たした。また、1978年の自国開催のFIFAワールドカップでは全ての試合に先発出場し、アルゼンチン初のW杯優勝に貢献した。その3年後、CAリーベル・プレートへ移籍。
リーベル・プレートでは、中盤でカルテットを組んでいたロケ・アルファロ、エクトル・エンリケ、クラウディオ・モレシらが攻撃に専念できるよう豊富な運動量で奔走し、チームを支えた[1]。また、キャプテンとしてコパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタルカップ、コパ・インテラメリカーナなどクラブ史上初のタイトルを獲得した。
1988年に現役を引退。ガジェゴはプリメーラ・ディビシオンで計440試合に出場した。
引退後
引退後は指導者の道を歩んだ。1994年にキャリアを終えたクラブであるリーベル・プレートにヘッドコーチとして戻り、前期リーグで優勝。その翌年、ダニエル・パサレラの下アルゼンチン代表のアシスタントコーチに就任。2000年にリーベル・プレートへ戻ると、後期リーグを勝ち取った。2002年にCAインデペンディエンテ、2004年にはニューウェルズ・オールドボーイズをそれぞれ率いて前期リーグで優勝した。
ニューウェルズ・オールドボーイズ退任後、いくつものクラブからオファーを受け、メキシコのクラブであるCDトルーカの監督に就任。2005年の前期リーグでクラブを優勝に導き、メキシコでのベストコーチと称された。2007年、家族との時間を優先するためトルーカの監督を辞任。その後もUANLティグレス、CAインデペンディエンテ、CSDコロコロなどで指揮を執った。
タイトル
選手時代
クラブ
- リーベル・プレート
- アルゼンチンリーグ : 1981N, 1985-86
- コパ・リベルタドーレス : 1986
- インターコンチネンタルカップ : 1986
- コパ・インテラメリカーナ : 1986
代表
- アルゼンチン代表
- トゥーロンユーストーナメント : 1975
- FIFAワールドカップ : 1978
指導者時代
- リーベル・プレート
- インデペンディエンテ
- アルゼンチンリーグ : 2002-03A
- ニューウェルズ・オールドボーイズ
- アルゼンチンリーグ : 2004-05A
- トルーカ
脚注
- ^ 「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号
外部リンク
- アメリコ・ガジェゴ - National-Football-Teams.com
- Managerial statistics in Argentina(スペイン語)