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==発言==
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李の政治思想は、米韓関係と南北関係を韓国の2軸と規定し、それが敵対的であることは韓国にとって望ましくないとし、軸を分離させるのではなく政権内側からのアプローチにより調節し、最終的には結合すべきと説く、[[北朝鮮]]への[[宥和政策]]である。それを実現するために、活発な交流により相互の政府内の構造を把握し、親和性を高めなければならないという思想である。さらに、それを実現するためには韓国政府内部の構造変化も必要であるとして、旧来の保守・革新のイデオロギー対立からの決別、反共的な法令の改廃、北朝鮮と対立的であった過去史の清算を唱えている。[[アメリカ合衆国]]および[[日本]]に対しては、外形的なものにこだわってむやみに不協和音を生じさせているとし、きわめて厳しい論調をとっている。
李の政治思想は、米韓関係と南北関係を韓国の2軸と規定し、それが敵対的であることは韓国にとって望ましくないとし、軸を分離させるのではなく政権内側からのアプローチにより軸を調節・管理し、最終的には結合すべきと説く、[[北朝鮮]]への[[宥和政策]]である。それを実現するために、活発な交流により相互の政府内の構造を把握し、政府間相互の親和性を高めなければならないという思想である。さらに、それを実現するためには北朝鮮の体制変化を求めるだけではなく、韓国政府内部の構造変化も必要であるとして、旧来の保守・革新のイデオロギー対立からの決別、反共的な法令の改廃、北朝鮮と対立的であった過去史の清算を唱えている。[[アメリカ合衆国]]および[[日本]]に対しては、外形的なものにこだわってむやみに不協和音を生じさせているとし、きわめて厳しい論調をとっている。


日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)'''会う必要はない。'''」「'''一体何しに来るのか?'''」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた。<ref>[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000027.html李統一部長官「脱北者ソ氏の米亡命はナンセンス」, 朝鮮日報, 2006/05/04]</ref>2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに[[経済制裁]]発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた。 <ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20060726/20060726_002.shtml 北朝鮮ミサイル問題 韓国統一相の米批判発言を擁護 盧大統領に集中砲火, 西日本新聞, 2006/07/26]</ref>米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と言われ、彼の言動がいかに国際世論と隔絶しているかが分かる。
日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)'''会う必要はない。'''」「'''一体何しに来るのか?'''」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた。<ref>[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000027.html李統一部長官「脱北者ソ氏の米亡命はナンセンス」, 朝鮮日報, 2006/05/04]</ref>2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに[[経済制裁]]発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた。 <ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20060726/20060726_002.shtml 北朝鮮ミサイル問題 韓国統一相の米批判発言を擁護 盧大統領に集中砲火, 西日本新聞, 2006/07/26]</ref>米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と言われ、彼の言動がいかに国際世論と隔絶しているかが分かる。

2006年9月24日 (日) 10:25時点における版

李鍾Lee Jong-seok、イジョンソク)は韓国の政治家、学者。2006年7月現在は盧武鉉政権下で統一部長官を務めている。

略歴

1958年に京畿道京畿道南楊州に生まれる。龍山高等学校を経て、成均館大学校行政学科に入り、学生運動に身を投じる。80年代学生運動の指導者として、幾度も逮捕された経験がある。

大学を卒業すると、成均館大学校大学院政治外交学科へと進み、そこで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に親しみを持つ。北朝鮮のありのままを知ろうと言う「独立門研究会」の一員として主体思想金日成や北朝鮮の革命史等を学び、『北韓指導集団の抗日武装闘争の歴史的経験についての研究』や『朝鮮労働党の指導思想と構造変化に関する研究』等を著した。

1994年に世宗研究所に入所すると、さらに専門的に北朝鮮の政治と南北関係を研究し、このころから対北宥和政策をメディアで本格的に主張するようになる。2000年には『現代北朝鮮の理解』を発表している。金大中政権が誕生すると、韓国政府が採用している太陽政策を強く支持したことから韓国政府に起用されるようになり、95年には統一相の政策諮問委員、さらに2000年の南北首脳会談では金大統領に同行して平壌をおとずれた。その後盧武鉉によって国家安全評議会の委員に任命された。2006年2月には統一部長官に任命されており、対北朝鮮政策を取り仕切る立場にたっている。

発言

李の政治思想は、米韓関係と南北関係を韓国の2軸と規定し、それが敵対的であることは韓国にとって望ましくないとし、軸を分離させるのではなく政権内側からのアプローチにより軸を調節・管理し、最終的には結合すべきと説く、北朝鮮への宥和政策である。それを実現するために、活発な交流により相互の政府内の構造を把握し、政府間相互の親和性を高めなければならないという思想である。さらに、それを実現するためには北朝鮮の体制変化を求めるだけではなく、韓国政府内部の構造変化も必要であるとして、旧来の保守・革新のイデオロギー対立からの決別、反共的な法令の改廃、北朝鮮と対立的であった過去史の清算を唱えている。アメリカ合衆国および日本に対しては、外形的なものにこだわってむやみに不協和音を生じさせているとし、きわめて厳しい論調をとっている。

日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)会う必要はない。」「一体何しに来るのか?」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた。[1]2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに経済制裁発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた。 [2]米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と言われ、彼の言動がいかに国際世論と隔絶しているかが分かる。

参照

  1. ^ 朝鮮日報, 2006/05/04
  2. ^ 北朝鮮ミサイル問題 韓国統一相の米批判発言を擁護 盧大統領に集中砲火, 西日本新聞, 2006/07/26

外部リンク