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*2019年[[6月12日]]の9時45分頃、厩舎に帰厩途中の4歳牡の競走馬1頭が車のエンジン音に驚いて暴れ、厩務員の[[手綱]]を切って逃走した。車両通行のため開いていたゲートから公道に出たものの、約5分後に住宅地で確保され、人馬にケガはなかった<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20190613/20190613-146797.html 笠松の競走馬、住宅地へ脱走 車エンジン音で暴れ出す] - 岐阜新聞Web 2019年6月13日</ref>。 |
*2019年[[6月12日]]の9時45分頃、厩舎に帰厩途中の4歳牡の競走馬1頭が車のエンジン音に驚いて暴れ、厩務員の[[手綱]]を切って逃走した。車両通行のため開いていたゲートから公道に出たものの、約5分後に住宅地で確保され、人馬にケガはなかった<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20190613/20190613-146797.html 笠松の競走馬、住宅地へ脱走 車エンジン音で暴れ出す] - 岐阜新聞Web 2019年6月13日</ref>。 |
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:2013年の事故も含め、度重なる放馬事故を受けて、岐阜県地方競馬組合は同月17日に厩舎入口に従来の遮断機に加え、横に開閉する伸縮型のアルミ製フェンスと鉄製バリケードを設置し、組合職員や警備員らによる対応訓練が行われた。なお、県競馬組合は「事故の再発防止対策を徹底するため」として予定していた同月18日から21日の競馬開催を自粛した<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20190618/20190618-148244.html 馬脱走再発防止へ柵設置 笠松競馬、厩舎に2カ所] - 岐阜新聞Web 2019年6月18日</ref>。 |
:2013年の事故も含め、度重なる放馬事故を受けて、岐阜県地方競馬組合は同月17日に厩舎入口に従来の遮断機に加え、横に開閉する伸縮型のアルミ製フェンスと鉄製バリケードを設置し、組合職員や警備員らによる対応訓練が行われた。なお、県競馬組合は「事故の再発防止対策を徹底するため」として予定していた同月18日から21日の競馬開催を自粛した<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20190618/20190618-148244.html 馬脱走再発防止へ柵設置 笠松競馬、厩舎に2カ所] - 岐阜新聞Web 2019年6月18日</ref>。 |
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*2020年6月、関係者が勝馬投票券を購入した[[競馬法]]違反容疑で、所属の調教師1名、騎手3名が岐阜県警より任意による事情聴取と自宅や厩舎など家宅捜索を受けたことが公表された。岐阜県地方競馬組合は「警察の捜査に全面的に協力し、必要に応じて関係者に厳正な処分をする」とコメントした<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20200624/20200624-250608.html 笠松競馬の調教師ら馬券購入か 県警が家宅捜索] - 岐阜新聞Web 2020年6月24日</ref>。 |
*2020年6月、関係者が勝馬投票券を購入した[[競馬法]]違反容疑で、所属の調教師1名、騎手3名が岐阜県警より任意による事情聴取と自宅や厩舎など家宅捜索を受けたことが公表された。岐阜県地方競馬組合は「警察の捜査に全面的に協力し、必要に応じて関係者に厳正な処分をする」とコメントした<ref>[https://www.gifu-np.co.jp/news/20200624/20200624-250608.html 笠松競馬の調教師ら馬券購入か 県警が家宅捜索] - 岐阜新聞Web 2020年6月24日</ref>。この調教師1名、騎手3名とは、[[尾島徹]]調教師、[[山下雅之]]・[[島崎和也]]・[[佐藤友則]]各騎手であるという報道もある。 |
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== 中津競馬場 == |
== 中津競馬場 == |
2020年6月25日 (木) 15:18時点における版
入場門 | |
施設情報 | |
---|---|
通称・愛称 | 名馬・名手の里 ドリームスタジアム |
所在地 | 岐阜県羽島郡笠松町若葉町12番地 |
座標 | 北緯35度22分19.8秒 東経136度46分3.1秒 / 北緯35.372167度 東経136.767528度座標: 北緯35度22分19.8秒 東経136度46分3.1秒 / 北緯35.372167度 東経136.767528度 |
開場 | 1935年 |
所有者 | 岐阜県地方競馬組合 |
管理・運用者 | 岐阜県地方競馬組合 |
収容能力 | 16,000人 |
コース | |
周回 | 右回り |
馬場 | ダート(1周1100m) |
笠松競馬場(かさまつけいばじょう、Kasamatsu Racecourse)は、岐阜県羽島郡笠松町(一部施設は同郡岐南町にまたがる)にある地方競馬のための競馬場である。
1935年(昭和10年)、恵那郡中津町(現・中津川市)に存在した中津競馬場を笠松町に移転したのが前身。戦前、岐阜県には各務原競馬場、養老競馬場が存在していたが1938年(昭和13年)に笠松競馬場に統合されている。
概要
競馬の主催者は岐阜県地方競馬組合(岐阜県、笠松町、岐南町で構成される一部事務組合)。オッズパーク、D-Net加盟競馬場。名古屋競馬と交互に開催され名古屋競馬開催時は場外発売を行う。2004年に「名馬・名手の里 ドリームスタジアム」の愛称がつけられ、各種PRに用いられている。
最寄駅は名鉄名古屋本線笠松駅である。かつては隣の東笠松駅が最寄駅で、競馬開催時には優等列車も停車していたが、利用客減少から2005年1月29日に廃止された。
コースは木曽川の畔に位置しており、一周1100mの右周りコースである。厩舎は競馬場から離れたところにあり、調教の際には厩舎から競馬場まで延々と歩いて移動させる[1]。
地方競馬から中央競馬への移籍騎手第一号となった安藤勝己、柴山雄一が在籍していた競馬場として知られ、昭和から平成にかけて「怪物」フェートノーザン、「名馬」オグリキャップや「女傑」マックスフリート、その後もオグリローマン・ライデンリーダー・レジェンドハンター・ラブミーチャンなどを輩出しており中央地方の枠を超えて注目を集めることが多い競馬場の一つである。
全国でも珍しい滞在型交流を実施している。冬季期間中、金沢競馬場所属の競走馬が所属変更することなく笠松競馬場・名古屋競馬場の両方の馬房に滞在してレースに出走する。馬だけでなく調教師などの関係者も滞在をする。また、騎手も毎年10名前後滞在してレースに参加する。
2006年3月7日からインターネットストリーミングライブ放送が開始された。
トータリゼータシステムは日本ベンダーネットである。発売締切前に流れる曲はフランク・ミルズの『愛のオルゴール(Music Box Dancer)』であったが、2011年10月3日に曲を変更した。
2018年4月、地域に密着し、地域に愛される笠松けいばを目指して『笠松けいばファンクラブ』が始動。
コース概要
- ダート右回り 1周1100m・幅員20m
- 直線(4コーナーから決勝線まで) 238m
- 施行可能距離 800m, 1400m, 1600m, 1800m, 1900m, 2500m
- 出走可能頭数(フルゲート) 12頭[2]
- パドックは日本の競馬場で唯一、コースの内側にあり、直線のほぼ真ん中の位置にある。
- 2017年3月に大型ビジョン(ターフビジョン)が完成[3]。
-
スタンド
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スタンドをツインアーチ138より望む。右から東・中央・西スタンド
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直線コース
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パドック
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競馬場のそばにある馬道
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電光掲示板
現状
笠松競馬は上述の通り数々の名騎手や名馬を輩出し、全国地方競馬でも確かな存在感を持ってきた競馬場である。しかし1990年代後半から単年度赤字が続いていたことや売り上げ好転の見通しも暗いことなどから、2004年に将来的な廃止も含めた検討が行なわれるなど中長期的な見通しが不透明な状態になっている。
2005年度は黒字売り上げが見込めない場合は廃止を検討するという案が岐阜県議会に上程されたが、関係者の賃金や競走賞金を減らしたり(オグリキャップ記念・全日本サラブレッドカップのダートグレード競走からの撤退もその一環である)3連単馬券の発売を開始し、2005年度は8,000万円の黒字となり今後も黒字売り上げが見込めると判断されたため2006年度も開催が継続することとなった。しかしその後も売上不振は続き、2010年度は赤字が最大で3億1500万円と試算されたことから、組合は賞金と出走手当の最大4割削減などのコストカットを提案。反発した馬主や厩舎サイドとの交渉の結果、15%の削減と基金の取り崩しで合意がなされ、当面の存続が決定した。また、財源確保のため、競馬場に募金箱を設置するなどで寄付金を募るという、全国初の試みもなされることとなった。
しかし県議会に廃止案が出され大幅な賞金カットが実施されるなどしたこともあり、競馬場の先行きや自身の生活に現在も不安を抱いたままの厩舎関係者は非常に多い。かつては全国有数の水準の高さで知られた騎手陣も、安藤勝己以後も川原正一・柴山雄一・安藤光彰とトップ・中堅クラスの人材の流出が止まらず続いている。実際、安藤光彰などは中央競馬の騎手免許試験合格の際のマスコミのインタビューの際、中央競馬への移籍の最大の動機として笠松競馬の先行きが不透明なことを挙げており、岐阜県や笠松競馬側が中長期的な経営展望を打ち出せなかったことが流出を招いた一因になったといえる。
現在では、これら移籍していった者たちの他にも将来的な中央競馬の騎手試験の受験希望を明言する者もいる。このこともあり、競馬場運営の早急な安定は騎手の確保やファンの維持にとって早急に解決すべき課題としてさまざまな競馬マスコミからも指摘を受けるところとなっている。
近年は、馬券のインターネット販売が好調であることや、中央競馬(JRA)の馬券発売の効果で単年度収支は黒字計上を続けており[4][5]、施設改修や賞金増額にも取り組んでいる[6][7]
土地施設賃貸借問題
笠松競馬場は建設時に地主との交渉がうまくいかなかったことから競馬場の敷地の98%が全国では珍しく私有地になっており、コース内側には畑や水田に墓地まで存在する。この為に多額の土地施設賃貸料が発生しており、赤字が続くようになった笠松競馬場の経営にとって大きな足枷となった。黒字が見込めなければ廃止という条件が課された2005年度には地主らが笠松競馬存続に協力する形で賃貸料を固定資産税相当額に引き下げたが、笠松競馬が単年度黒字を計上した2006年度以降の賃貸料を巡って増額を求める地主らの一部と低く抑えたい競馬組合が対立[8]。賃貸借契約が合意に達しないまま笠松競馬が開催を続けたため、敷地の約30%を占める一部の地主らが賃貸借契約終了の確認とこれまでの賃貸料支払い並びに原状回復を求めて競馬組合を提訴するに至った。2008年5月の岐阜地裁一審判決では地主側が勝訴[9]。競馬組合側は控訴した。第2審の名古屋高裁では和解協議が持たれ、2010年度まで坪当たり賃料1200円とすることで合意した。しかしながら2011年度以降は固定資産税評価額など客観的基準に基づき賃料を算出することになっており、笠松競馬場の存続見通しが不透明なのは変わりがない[10]。
主な競走
- 2歳
- 秋風ジュニア(P)
- ジュニアクラウン(P)
- ジュニアキング(P) - 2014年新設
- ラブミーチャン記念(牝馬限定・SPI) - GRANDAME-JAPAN(2歳シーズン)対象競走
- ライデンリーダー記念(牝馬限定・SPI) - 以前はジュニアグランプリの競走名で実施
- 3歳
- ぎふ清流カップ(SPI、2018年新設)
- 新緑賞(SPII)
- クイーンカップ(牝馬限定・SPIII) - 東海・北陸・近畿地区交流
- 岐阜金賞(SPI) - 東海・北陸・近畿地区交流
- ゴールドジュニア(SPIII) - 弥生賞ディープインパクト記念、スプリングステークス、若葉ステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
- 西日本ダービー(2016年新設、名古屋・金沢・園田・高知・佐賀での持ち回り開催[11])
- 3歳(4歳)以上
- オグリキャップ記念(SPI) - 地方競馬全国交流
- 飛山濃水杯(SPIII) - 東海・北陸・近畿交流交流、2019年新設
- サマーカップ(SPII) - キーンランドカップ、セントウルステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
- くろゆり賞(SPI) - 東海・北陸・近畿地区交流
- オータムカップ(SPII) - 東海・北陸・近畿地区交流
- 笠松グランプリ(SPI) - 地方競馬全国交流、以前は全日本サラブレッドカップの競走名で実施
- 東海ゴールドカップ(SPI)
- ウインター争覇(SPIII)
- 白銀争覇(SPIII) - 阪急杯、オーシャンステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
- マーチカップ(SPIII)
※ P=プレステージ競走、SP=スーパープレステージ(Super Prestige)の略
なお、2008年までフローラステークスの東海・北陸・近畿・中国地区トライアルとして行われてきた若草賞は2009年より福山競馬場、2014年より名古屋競馬場で実施されている。
笠松競馬開催期間の最終日には、一定以上の実績を残した馬(いわゆる「オープン馬」)による「東海クラウン」競走が行われる。
- 騎手招待競走
- ヤングジョッキーズシリーズ(2017年 - 、トライアルラウンドを開催)
所属騎手
- 岐阜県地方競馬組合を参照。
勝馬投票券
2007年4月より、「TRIPLE DREAMS」として今までの笠松競馬場・名古屋競馬場に金沢競馬場も加えた相互発売体制になった。現在は、基本として日・火は金沢競馬場のレースを笠松競馬場・名古屋競馬場にて、月・水・木・金は笠松競馬場・名古屋競馬場のレースを金沢競馬場にてそれぞれ場外発売する。なお、シアター恵那でも金沢競馬場のレースを発売する。
2007年6月より、他地区のナイター競走で行われるダートグレード競走の日を中心にリレーナイターを実施。実施当日には笠松・名古屋競馬のレース終了後に大井競馬場や川崎競馬場などのレースを発売する。なお、シアター恵那でも発売をする。
2012年6月8日をもって枠単を廃止し、6月10日(金沢競馬場外発売)からワイドの発売を開始した。
2014年9月10日より、笠松競馬場ならびに各場外発売所でフォーメーションでの勝馬投票券購入が可能になった[12]。
2014年10月4日より、笠松競馬場ならびに場外発売所「シアター恵那」にて、地方競馬共同トータリゼータシステムを利用した中央競馬(JRA)の勝馬投票券発売を開始した[13]。中央競馬の発売においてはそれぞれJ-PLACE笠松ならびにJ-PLACE恵那の名称で案内される。(J-PLACEで購入した馬券の払い戻しは、他の地方競馬主催者を含むJ-PLACEでのみ可能。場外勝馬投票券発売所#J-PLACEでの発売についてを参照)
発売する馬券の種類
○…発売 ×…発売なし
単勝 | 複勝 | 枠番連複 | 枠番連単 | 馬番連複 | 馬番連単 | ワイド | 3連複 | 3連単 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
○ | ○ | ○ | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
場外馬券売場
以下の愛知県競馬組合管理の施設でも場外発売が行なわれている。
レース予想・実況
馬がパドック(下見所)周回中に予想紙記者による解説が行われている。
予想紙は『競馬エース』と『競馬東海』の2紙で価格はいずれも550円である(以前は穴予想で有名だった『ケイシン』もあった)。
複数いる笠松競馬場公認予想屋のうち「大黒社」こと一岡浩司は元近鉄運転士で、テレビ、雑誌等への出演歴も多数ある[14]。また、2006年から2009年まで活動していた女性予想屋の師匠(指南役)も務めていた[15]。
実況は以前、主に弘報館の畑野謙二や河村憲広、岸和田競輪場の岸和田BBスタジオでキャスターをしていた岸根正朋、藤原健一が担当していた。2013年4月8日からは耳目社所属の実況アナウンサーや[16]、西田茂弘(元福山競馬場実況アナウンサー)が担当しているほか、2018年6月からは元ラジオNIKKEIアナウンサーの舩山陽司も不定期ではあるが場内実況を担当している[17]。
テレビ中継
1990年代中頃に 競馬開催日には岐阜放送のテレビで15:00-16:25の放送枠で「笠松競馬中継」を放送していたことがある。1980~90年頃には岐阜放送のラジオでも生ワイド番組内でレース実況を入中することもあった。
2011年4月〜2013年3月の間、スカパー!のエキサイティング・グランプリ(709ch)で、開催日に無料放送(ノースクランブル放送)の『笠松競馬中継』(13:00 - 17:00)を放送していた。2013年4月からは中継を行っていなかったが、2014年度からは地方競馬ナイン(701chか702ch)でオグリキャップ記念と笠松グランプリの開催日に限り中継を行う。
グリーンチャンネルでは2012年、2013年、2015年に笠松グランプリを中継した(詳細はグリーンチャンネル地方競馬中継を参照)。
主な出身馬
- オグリキャップ - 引退式が行われた際は笠松競馬場が超満員となり入場できなかったファンは土手などで引退式を見物していた。オグリキャップの子の活躍を描いたテレビドラマ『オグリの子』(ドラマ愛の詩、1998年8月3・4日放送)が同競馬場とその周辺で撮影された。
- ワカオライデン(日本中央競馬会から移籍)
- ライデンリーダー
- フェートノーザン(日本中央競馬会から移籍)
- レジェンドハンター
- マックスフリート
- トミシノポルンガ
- タイプスワロー
- オグリローマン
- ハカタビッグワン(船橋競馬場から移籍)
- ミツアキタービン
- ミツアキサイレンス
- マルヨフェニックス
- ラブミーチャン(日本中央競馬会(登録のみで未出走)から移籍)
- エレーヌ(ホッカイドウ競馬から移籍)
- コロニアルペガサス
- ブレーブボーイ(名古屋競馬場 → 日本中央競馬会 → 当地)
- リユウアラナス
- ダイタクチカラ
- キンカイチフジ(アングロアラブ)
- スズノキャスター(アングロアラブ)
- オグリオー(アングロアラブ)
- ツルギベンサー(アングロアラブ)
出来事
- 1981年12月30日に行われた東海ゴールドカップ(2,500m)で、ダイサンフジタカ騎乗の井手上慎一が距離を1,400mと錯誤し、2周目直線で手綱を緩めてスピードダウンしたため5着に敗れ、上位人気馬であったことから場内のファンが「八百長だ」と騒いで返金を要求。一部のファンは管理事務所を取り囲み、さらに興奮したファンが予想紙を販売する小屋への放火や窓ガラスを割るなど暴徒化、岐阜県警機動隊や羽島署員が出動する事態となり、警察官に暴行を働いたファン1名が公務執行妨害容疑で逮捕される始末となった。なお、公正委員は井手上の距離錯誤によるミスを認めたものの、地方競馬実施規則に基づき、審議対象にならずレースは成立という結論を下した。また、井手上は笠松競馬での騎乗を無期限で停止(後に解除)され、所属していた名古屋競馬でも10日間の騎乗停止となった[18][19]。
- 2011年1月7日第3レース(若竹特別A2 ダート1,800m 5頭立て)にてハロー車(馬場を均すための専用車)がレース中に侵入し、競走を妨害したとして競走が不成立となる事故が発生した。向正面からスタートし、コースを1周半する1,800mの距離で行われたレースだったが、馬場整備の受託業者が800m(スタート地点は1800mと同じ向正面)で行われるレースと勘違いし、競走中にもかかわらずコースにハロー車を入れ整備を始めた。最後の直線に差し掛かったところで、競走中の5頭は2台のハロー車の間を縫うようにしてゴールインしたが、競走全般に重大な影響を与えたものと見なされ、競走は不成立となり、当レースに関する勝馬投票券は全て返還(無条件払い戻し)となった。払戻総額は786万2,000円。当然ながら不成立とならなければ的中していた勝馬投票券を持っていた者も数多くおり、抗議も相次ぐ事態となった[20]。なお、笠松競馬では午前中に1,800mのレースが行われることは少なく(1,800mのレース自体も開催期間中に僅かしか行われない)、それも業者の勘違いに繋がったと言われる。
- 2013年4月26日、第5レースに出走予定だったミッキーオスカー(牡4歳)が脱走し、約10km走り抜け各務原市内の公園で保護された[21]。第5レースは2番人気であったミッキーオスカーを除外した8頭で行われた[21]。
- 2013年10月26日、ダートコースでマラソン大会が行われ、約900人が参加した[22]。
- 2013年10月28日3時5分頃、コスモビジョン(牝2歳)が場内コースで調教されていた際、突然暴れだし逃走し走行中の軽乗用車に衝突し運転手と馬が死亡した。その年4回目の脱走であり、開催を自粛し名古屋競馬は開催日程を変更することになった[23] [24]。その後、11月18日から4週間ぶりに開催されたのに伴い、警備員の増員や非常サイレン増設に当面は月に一度、馬の逃走を想定した訓練を実施するなど再発防止策が行われた[25]。
- その後、翌2014年10月7日に男性の競馬場パート警備員を業務上過失致死傷容疑で岐阜地検に書類送検した。警備会社や、笠松競馬場を管理する県地方競馬組合は、サイレンの設置や監視態勢の強化などの事故防止策を講じていたことから、立件は見送った[26]。
- 2015年10月には、笠松町へのふるさと納税に対する返礼品として、レース名の命名権が与えられている。
- 2019年6月12日の9時45分頃、厩舎に帰厩途中の4歳牡の競走馬1頭が車のエンジン音に驚いて暴れ、厩務員の手綱を切って逃走した。車両通行のため開いていたゲートから公道に出たものの、約5分後に住宅地で確保され、人馬にケガはなかった[27]。
- 2013年の事故も含め、度重なる放馬事故を受けて、岐阜県地方競馬組合は同月17日に厩舎入口に従来の遮断機に加え、横に開閉する伸縮型のアルミ製フェンスと鉄製バリケードを設置し、組合職員や警備員らによる対応訓練が行われた。なお、県競馬組合は「事故の再発防止対策を徹底するため」として予定していた同月18日から21日の競馬開催を自粛した[28]。
- 2020年6月、関係者が勝馬投票券を購入した競馬法違反容疑で、所属の調教師1名、騎手3名が岐阜県警より任意による事情聴取と自宅や厩舎など家宅捜索を受けたことが公表された。岐阜県地方競馬組合は「警察の捜査に全面的に協力し、必要に応じて関係者に厳正な処分をする」とコメントした[29]。この調教師1名、騎手3名とは、尾島徹調教師、山下雅之・島崎和也・佐藤友則各騎手であるという報道もある。
中津競馬場
1927年(昭和2年)、恵那郡中津町大字駒場(現・中津川市)に中津競馬倶楽部によって開設された競馬場。馬場は1周800m。
1933年(昭和8年)秋まにで春秋14回(41日間)開催されたが、山間部であることから入場者が少なく、経営困難となった。移転先として岐阜市、大垣市、土岐郡多治見町(現・多治見市)が候補となる[注釈 1]が、1934年(昭和9年)に羽島郡八剣村(現・岐南町)へ移転が決まり、その後笠松町に変更された。
跡地の一部は農地、宅地、岐阜県立中津商業高等学校第2グラウンドとなっている。また、1929年(昭和4年)に中津競馬倶楽部有志によって建立された馬頭観音の石碑が残っている。
その他
一時期、2500mスタート地点(第3コーナー付近ポケット)に「ジョッキーマックル君の快走にご期待を!!」なる横断幕が掲げられていた。
脚注
- ^ 移動の際には公道を一度横断しなければならないが、その横断歩道にある信号機の押しボタンは、下馬しなくてもボタンを押せるように高い位置にも設置されている。下馬してしまうと馬が暴れて危険な場合もあるためで、道路には「馬横断注意」の標識も設置されているgoogleマップ 岐阜県道178号下中屋笠松線岐南町薬師寺4丁目 - googleストリートビュー笠松町東金池町 - googleストリートビュー
- ^ 以前は現存している平地競走の地方競馬場で唯一最大10頭立てだったが、日本中央競馬会(JRA)から12頭立て発走ゲートを無償で譲り受け、大型ビジョンの12頭対応化が行われ、2019年9月11日より12頭立てレースが開始された。『笠松競馬でも12頭立て、「迫力感じた」』 - 岐阜新聞Web 2019年9月13日。
- ^ 笠松競馬場に大型ビジョンが完成しました!!
- ^ 『オグリの里~馬だより 地方競馬、V字回復』 岐阜新聞Web 2017年2月27日。
- ^ 『オグリの里~馬だより オグリキャップ精神で復興』 岐阜新聞Web 2017年4月21日。
- ^ 『オグリの里~馬だより 笠松にも待望の大型ビジョン』 岐阜新聞Web 2016年1月20日。
- ^ 『笠松競馬場、2016年度に改修 賞金拡充も』 みんなの投稿ニュース(netkeiba.com) 2016年3月20日。
- ^ 『笠松競馬場に明け渡し命令』 CBC NEWS i 2008年5月29日。
- ^ 『笠松競馬場土地明け渡し訴訟、岐阜地裁が地主側の請求認める』 YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2008年5月29日。
- ^ 笠松競馬訴訟和解へ 地主側と組合が合意 中日新聞 2009年2月5日
- ^ 第1回 西日本ダービーの実施についてnetkeiba.com、2016年8月5日閲覧
- ^ “9月10日(水)笠松競馬場・シアター恵那でフォーメーション投票発売開始”. 笠松けいば公式サイト (2014年8月26日). 2014年10月9日閲覧。
- ^ “岐阜県地方競馬組合によるJRA勝馬投票券の発売開始について”. 笠松けいば公式サイト (2014年9月19日). 2014年10月9日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 車いすのパティシエ☆ - 場立ちの予想屋「大黒社」です! 2010年12月6日付記事
- ^ 笠松競馬実況を担当します - ミツオーのセカンド・ボイス 2013年3月30日
- ^ 舩山アナウンサー笠松競馬実況中 大川充夫 - 地方競馬日替わりライターブログ(楽天ブログ)2018年6月25日
- ^ 騎手が1周勘違い、笠松では大荒れ(1981年)(上) - 岐阜新聞Web 2018年11月30日
- ^ 騎手が1周勘違い、笠松では大荒れ(1981年)(下) - 岐阜新聞Web 2018年12月7日
- ^ 危険過ぎた「笠松大障害」(競馬場ハプニング) - 岐阜新聞Web 2018年1月19日
- ^ a b 「笠松競馬発→国道、住宅地怪走→公園でゴール 大逃げ10キロ」 2013年4月27日付中日新聞朝刊、社会面*10版広域35ページ
- ^ “ダートコースを駆ける 笠松競馬場でマラソン大会”. 2013年10月30日閲覧。
- ^ “笠松競馬場から脱走した馬と衝突、軽乗用車の男性死亡”. 2013年10月30日閲覧。
- ^ “笠松競馬が開催自粛、名古屋競馬は開催日程を変更へ”. 2013年10月30日閲覧。
- ^ “笠松競馬レース再開へ 馬逃走防止で警備員4倍以上に”. 2013年11月23日閲覧。
- ^ “競走馬が逃げ車と衝突、死傷…警備員を書類送検”. 2014年10月10日閲覧。
- ^ 笠松の競走馬、住宅地へ脱走 車エンジン音で暴れ出す - 岐阜新聞Web 2019年6月13日
- ^ 馬脱走再発防止へ柵設置 笠松競馬、厩舎に2カ所 - 岐阜新聞Web 2019年6月18日
- ^ 笠松競馬の調教師ら馬券購入か 県警が家宅捜索 - 岐阜新聞Web 2020年6月24日
注釈
- ^ 中津競馬場、今に伝える(岐阜新聞2018年6月3日記事)
外部リンク
- 笠松けいばオフィシャルサイト
- 笠松競馬場 (@kasamatsukeiba) - X(旧Twitter)
- 地方競馬全国協会公式サイト「競馬場紹介」笠松競馬場
- オグリの里 - 岐阜新聞