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== 概説 ==
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「Queer」という言葉が英語圏では偽造酒や男性同性愛者のことを指したために、[[19世紀|19]][[20世紀]]にかけては、主に[[性的少数者|セクシュアル・マイノリティ]]に対する[[侮蔑|蔑称]]、[[差別用語]]として用いられた。
「Queer」という言葉が英語圏では偽造酒や男性同性愛者のことを指したために、[[19世紀|19]]から[[20世紀]]にかけては、主に[[性的少数者|セクシュアル・マイノリティ]]に対する[[侮蔑|蔑称]]、[[差別用語]]として用いられた。


[[1990年代]]になって、セクシュアル・マイノリティの'''一部の者たち'''は、侮蔑用語となった「クィア」を、[[異性愛]]や[[性別二元制|ジェンダー・バイナリ]]を規範とする社会に違和感を覚える[[性的指向]]、[[性自認]]、性のあり方、およびそのような自分達を言及する際の適切な用語として、自己肯定的に、[[ラディカル]]に用いる言葉に使用するようになった。
[[1990年代]]になって、セクシュアル・マイノリティの'''一部の者たち'''は、侮蔑用語となった「クィア」を、[[異性愛]]や[[性別二元制|ジェンダー・バイナリ]]を規範とする社会に違和感を覚える[[性的指向]]、[[性自認]]、性のあり方、およびそのような自分達を言及する際の適切な用語として、自己肯定的に、[[ラディカル]]に用いる言葉に使用するようになった。


「クィア」という語を学問領域で初めて肯定的に使用したのは、[[テレサ・デ・ラウレティス]](テレサ・デ・ローティス)である。彼女は、[[1990年]][[2月]]に、[[カリフォルニア大学サンタクルーズ校]]で行われた、レズビアンやゲイの[[セクシュアリティ]]を理論的に考える研究会議「[[クィア理論|クィア・セオリー]]」においてクィア概念を提唱した。[[風間孝]]、[[河口和也]]、[[キース・ヴィンセント]] 『別冊id研』<ref>風間孝、河口和也、キース・ヴィンセント『別冊id研』([[動くゲイとレズビアンの会]]、[[1997年]]、13ページ/河口和也 『クイア・スタディーズ』 [[2003年]]、57-58ページにも採録)</ref>によると、ラウレティスは、[[アメリカ合衆国]]において、「ゲイとレズビアン」という“ひとかたまり”の集団として扱われることについて、セクシュアリティについての差異がないかのように捉えられていることを問題提起する機会として<!--1990年のカリフォルニア大学サンタクルーズ校での-->会議を主催。そのときには、人種とセクシュアリティの関係についてなど、セクシュアリティという単一な概念から、多様で複数性のあるセクシュアリティーズや様々な変数を組み入れて[[アプローチ]]できる言葉として「クィア」という語を使用した。
「クィア」という語を学問領域で初めて肯定的に使用したのは、[[テレサ・デ・ラウレティス]](テレサ・デ・ローティス)である。彼女は、[[1990年]]2月に、[[カリフォルニア大学サンタクルーズ校]]で行われた、レズビアンやゲイの[[セクシュアリティ]]を理論的に考える研究会議「[[クィア理論|クィア・セオリー]]」においてクィア概念を提唱した。[[風間孝]]、[[河口和也]]、[[キース・ヴィンセント]] 『別冊id研』<ref>風間孝、河口和也、キース・ヴィンセント『別冊id研』([[動くゲイとレズビアンの会]]、[[1997年]]、13ページ/河口和也 『クイア・スタディーズ』 [[2003年]]、57-58ページにも採録)</ref>によると、ラウレティスは、[[アメリカ合衆国]]において、「ゲイとレズビアン」という“ひとかたまり”の集団として扱われることについて、セクシュアリティについての差異がないかのように捉えられていることを問題提起する機会として<!--1990年のカリフォルニア大学サンタクルーズ校での-->会議を主催。そのときには、人種とセクシュアリティの関係についてなど、セクシュアリティという単一な概念から、多様で複数性のあるセクシュアリティーズや様々な変数を組み入れて[[アプローチ]]できる言葉として「クィア」という語を使用した。


[[イヴ・セジウィック]]によると、「クィア」とは「連続する動き、運動、そして動因であり―繰り返し、渦巻き、トラブル性をもつもの」とされる(Sedgwick "TendenciesLondon:Routledge", 1994)。また、語源として、[[ラテン語]]の「横切る」という意味、また「ひねる」という意味の[[インド]]=ラテン語の "torquer" について触れ、「斜めに」を意味する[[英語]] "athwart" がそれに相当すると指摘している。いずれにしても、不変、静止、同化といった固定的な状態を表す言葉ではなく、[[名詞]]的(「~である」)でもなく、[[動詞]]的(「~する」)な語源であることに注意が必要である。
[[イヴ・セジウィック]]によると、「クィア」とは「連続する動き、運動、そして動因であり―繰り返し、渦巻き、トラブル性をもつもの」とされる(Sedgwick "TendenciesLondon:Routledge", 1994)。また、語源として、[[ラテン語]]の「横切る」という意味、また「ひねる」という意味の[[インド]]=ラテン語の "torquer" について触れ、「斜めに」を意味する[[英語]] "athwart" がそれに相当すると指摘している。いずれにしても、不変、静止、同化といった固定的な状態を表す言葉ではなく、[[名詞]]的(「~である」)でもなく、[[動詞]]的(「~する」)な語源であることに注意が必要である。
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日本における本語の普及は『クィア・パラダイス 「性」の迷宮へようこそ』(対談集、1996、[[翔泳社]])の執筆、雑誌『クィア・ジャパン』(1999-2001、[[勁草書房]])、『クィア・ジャパン・リターンズ』(2005、[[ポット出版]])の編集長としての、[[伏見憲明]]の労に依る面が大きい。
日本における本語の普及は『クィア・パラダイス 「性」の迷宮へようこそ』(対談集、1996、[[翔泳社]])の執筆、雑誌『クィア・ジャパン』(1999-2001、[[勁草書房]])、『クィア・ジャパン・リターンズ』(2005、[[ポット出版]])の編集長としての、[[伏見憲明]]の労に依る面が大きい。


文学研究者の[[竹村和子]]は、クィアという言葉が、ファッショナブルに消費される可能性について、「[[変態 (曖昧さ回避)|変態]]」という常ならざるという立場を積極的に活かして、「変態理論」という訳も可能であることについて述べている([[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]] 『研究する意味』、[[東京図書]]、[[2003年]])。
文学研究者の[[竹村和子]]は、クィアという言葉が、ファッショナブルに消費される可能性について、「[[変態 (曖昧さ回避)|変態]]」という常ならざるという立場を積極的に活かして、「変態理論」という訳も可能であることについて述べている([[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]] 『研究する意味』、[[東京図書]]、2003年)。


<!--(ふたりが性的マイノリティでないとどう知ったの?)(性的マイノリティの非当事者がクイアについて語るのは越権。) また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。-->
<!--(ふたりが性的マイノリティでないとどう知ったの?)(性的マイノリティの非当事者がクイアについて語るのは越権。) また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、2002年3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。-->
また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。
また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。


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== 「クィア」を冠にした日本の運動・グループ ==
== 「クィア」を冠にした日本の運動・グループ ==
*[[関西クィア映画祭]]
* [[関西クィア映画祭]]
*[[アジアンクィア映画祭]]
* [[アジアンクィア映画祭]]
*クイア学会
* クイア学会


==脚注==
==脚注==
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==関連文献==
==関連文献==
*{{Cite |和書 |title = 現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在 |date = 2019年1月 |publisher = [[青土社]] |isbn = 978-4-7917-1376-9 }}
*{{Cite |和書 |title = 現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在 |date = 2019年1月 |publisher = [[青土社]] |isbn = 978-4-7917-1376-9}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[クィア理論]]
* [[クィア理論]]
*[[性的少数者]]
* [[性的少数者]]
*[[LGBT]]
* [[LGBT]]


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2020年6月15日 (月) 07:06時点における版

クィアあるいはクイア(Queer)とは、元々は「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する用語として肯定的な意味で使われている。

概説

「Queer」という言葉が英語圏では偽造酒や男性同性愛者のことを指したために、19から20世紀にかけては、主にセクシュアル・マイノリティに対する蔑称差別用語として用いられた。

1990年代になって、セクシュアル・マイノリティの一部の者たちは、侮蔑用語となった「クィア」を、異性愛ジェンダー・バイナリを規範とする社会に違和感を覚える性的指向性自認、性のあり方、およびそのような自分達を言及する際の適切な用語として、自己肯定的に、ラディカルに用いる言葉に使用するようになった。

「クィア」という語を学問領域で初めて肯定的に使用したのは、テレサ・デ・ラウレティス(テレサ・デ・ローティス)である。彼女は、1990年2月に、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で行われた、レズビアンやゲイのセクシュアリティを理論的に考える研究会議「クィア・セオリー」においてクィア概念を提唱した。風間孝河口和也キース・ヴィンセント 『別冊id研』[1]によると、ラウレティスは、アメリカ合衆国において、「ゲイとレズビアン」という“ひとかたまり”の集団として扱われることについて、セクシュアリティについての差異がないかのように捉えられていることを問題提起する機会として会議を主催。そのときには、人種とセクシュアリティの関係についてなど、セクシュアリティという単一な概念から、多様で複数性のあるセクシュアリティーズや様々な変数を組み入れてアプローチできる言葉として「クィア」という語を使用した。

イヴ・セジウィックによると、「クィア」とは「連続する動き、運動、そして動因であり―繰り返し、渦巻き、トラブル性をもつもの」とされる(Sedgwick "TendenciesLondon:Routledge", 1994)。また、語源として、ラテン語の「横切る」という意味、また「ひねる」という意味のインド=ラテン語の "torquer" について触れ、「斜めに」を意味する英語 "athwart" がそれに相当すると指摘している。いずれにしても、不変、静止、同化といった固定的な状態を表す言葉ではなく、名詞的(「~である」)でもなく、動詞的(「~する」)な語源であることに注意が必要である。

「セクシュアル・マイノリティ」を始めとして、「規範」、「法」に対して、「クィアさ」(奇妙さ、奇怪さ、転覆可能性、異常さ)をもっている当事者であることを満たしている限り、クィアを行うことが可能であり、クィアという概念の外延は安定しない。この意味で「アイデンティティなき概念」と言われており、現在もその意味や内容を更新し続けている。

具体的には、ある人物が、いわゆる変態を肯定的にとらえ、権力によってそれが異常と同定され、その人物がそれを苦に感じ、その人物がクィアと感じるならば、クィア・カテゴリーの外延は更新される可能性がある。

なお、文脈によっては、元々の「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」という意味合いを持つことも少なくない。よって領域によっては、クイアという言葉を、新しい意味合いで使用することを明示しておく必要がある。

日本における「クィア」

発音、カタカナ表記ともに、日本語圏では「クィア」と呼ぶ/書くことが多いが、書名などクイアやクイア理論という表記も散見される。

日本における本語の普及は『クィア・パラダイス 「性」の迷宮へようこそ』(対談集、1996、翔泳社)の執筆、雑誌『クィア・ジャパン』(1999-2001、勁草書房)、『クィア・ジャパン・リターンズ』(2005、ポット出版)の編集長としての、伏見憲明の労に依る面が大きい。

文学研究者の竹村和子は、クィアという言葉が、ファッショナブルに消費される可能性について、「変態」という常ならざるという立場を積極的に活かして、「変態理論」という訳も可能であることについて述べている(小森陽一 『研究する意味』、東京図書、2003年)。

また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、社会学者の上野千鶴子心理学者の小倉千加子が、『ザ・フェミニズム』(筑摩書房2002年3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。

いずれにせよ現在の日本においては、英語圏におけるQueerという語の毒々しさ、それをあえて逆手にとるという戦略的な意味合いが薄れ、性的少数者LGBTと同義か、ほとんど区別されない形で用いられがちである。イベントや団体の名称に用いられることも増えている。

日本語発祥の用語と言われる「Xジェンダー」は、英語圏における"genderfluid"の語意に近似してはいるが、日本における独自のクィア概念である。また、英語圏において"queer"を自称することで、Xジェンダーであることを説明する人もいるが、クィアはXジェンダーだけではなく広義の意味合いであるため、明確にセクシュアリティや性同一性を示したい場合には沿わない[2]

「クィア」を冠にした日本の運動・グループ

脚注

  1. ^ 風間孝、河口和也、キース・ヴィンセント『別冊id研』(動くゲイとレズビアンの会1997年、13ページ/河口和也 『クイア・スタディーズ』 2003年、57-58ページにも採録)
  2. ^ 前回の「Xジェンダーは日本人にしか通じない」記事コメントから考える本当の英語名 - Letibee Life(2015年10月28日)

関連文献

  • 『現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在』青土社、2019年1月。ISBN 978-4-7917-1376-9 

関連項目