「香取神社 (東京都北区)」の版間の差分
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創建年代は不明であるが、奥殿の中にある朱塗りの本殿は、かつて[[上野東照宮]]の内陣だったものを[[徳川家光]]の[[霊夢]]により、当社に移したものといわれており、その頃には既に存在していたものと推測される。稲付村の鎮守であった。 |
創建年代は不明であるが、奥殿の中にある朱塗りの本殿は、かつて[[上野東照宮]]の内陣だったものを[[徳川家光]]の[[霊夢]]により、当社に移したものといわれており、その頃には既に存在していたものと推測される{{R|北区}}。稲付村の鎮守であった{{R|北区}}{{sfn|新編武蔵風土記稿 稲付村}}。 |
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門前には、「小林先生頌功之碑」と呼ばれる[[筆子塚]]がある{{R|北区}}。 |
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また[[境内]]には、7個の[[力石]]が置かれている。軽いもので約71[[キログラム|kg]]、重いものだと約206kgあるという<ref name="北区">[http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/spot/293-2/ 香取神社]北区地域振興部観光振興担当</ref>。 |
また[[境内]]には、7個の[[力石]]が置かれている{{R|北区}}。軽いもので約71[[キログラム|kg]]、重いものだと約206kgあるという<ref name="北区">[http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/spot/293-2/ 香取神社]北区地域振興部観光振興担当</ref>。 |
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== 交通アクセス == |
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== 参考文献 == |
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*芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』[[学生社]]、1993年 |
*芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』[[学生社]]、1993年 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2020年6月6日 (土) 04:20時点における版
香取神社 | |
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所在地 | 東京都北区赤羽西2-22-7 |
主祭神 | 経津主神、大山咋神 |
社格等 | 村社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 稲付香取神社 |
例祭 | 9月15日前後の土・日曜日[1] |
概要
創建年代は不明であるが、奥殿の中にある朱塗りの本殿は、かつて上野東照宮の内陣だったものを徳川家光の霊夢により、当社に移したものといわれており、その頃には既に存在していたものと推測される[1]。稲付村の鎮守であった[1][2]。
門前には、「小林先生頌功之碑」と呼ばれる筆子塚がある[1]。
また境内には、7個の力石が置かれている[1]。軽いもので約71kg、重いものだと約206kgあるという[1]。
交通アクセス
- 赤羽駅より徒歩9分。
脚注
参考文献
- 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年
- 「稲付村 香取社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ17豊島郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/96。