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2020年3月19日 (木) 08:11時点における版

明治安田生命Jリーグ
今シーズン・大会:
現在進行のスポーツイベント 2020年のJリーグ
前身日本サッカーリーグ (JSL)
競技サッカー
創立1991年11月
代表日本の旗 村井満チェアマン
開始年1993年
参加チーム59(J1:18、J2:22、J3:16+3)
国内カップ戦JリーグYBCルヴァンカップ
日本の旗 日本
連盟アジアサッカー連盟 (AFC)
前回優勝J1:横浜F・マリノス
J2:柏レイソル
J3:ギラヴァンツ北九州
参加資格Jリーグクラブライセンス制度参照
テレビ局特記事項参照
スポンサー#協賛団体参照
公式サイトJリーグ.jp
備考
インターネット配信業者DAZNが一次放映権を保有しており、インターネット配信を行うほか、Jリーグが各テレビ局に映像提供を行っている。

日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、: Japan Professional Football League)は、日本プロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注釈 1](ジェイリーグ、: J.LEAGUE)。

概説

主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。加盟するには参加カテゴリーに対応した単年のみ有効のクラブライセンスが必要である。

1993年に10クラブで開始し、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現J1リーグ)と「Jリーグ ディビジョン2」(現J2リーグ[注釈 2]の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。制度上J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とではリーグエンブレムや参加要件等様々な点で差別化されている。

2020年シーズン開始時点で、日本国内の38都道府県に本拠地を置く56クラブ(J1:18、J2:22、J3:16)が参入[注釈 3]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが9クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。

J1リーグの年間最終順位上位原則3クラブは、同年度の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会優勝クラブとともに、翌年度のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を与えられる(J1上位3クラブと天皇杯優勝クラブが重複した場合は、J1の4位も出場)。アジアの大会における日本のサッカークラブも参照。

アルファベットの「J」をかたどった公式ロゴマークは、設立当時博報堂に在籍していた大貫卓也が手がけたものである[3]

理念と活動方針

Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[4]

  • 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
  • 豊かなスポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与
  • 国際社会における交流および親善への貢献

また、次の内容の活動方針を掲げている[4]

  1. フェアで魅力的な試合の開催
  2. スタジアム環境の確立
  3. 地域交流の推進
  4. フットサルの普及
  5. サッカー以外のスポーツの推進
  6. 障がい者スポーツの推進

この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[5]

加盟要件

Jリーグ加盟の要件には、スタジアム・経営状況・チーム運営状況などの項目が定められている。チーム運営については、実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず、育成組織(下部組織)によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている。2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し、Jリーグへの加盟可否・加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された。

また2006年から、Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを「Jリーグ準加盟」と認定することを定め、J3発足後の2014年以降は代わって「Jリーグ百年構想クラブ」と呼称するものとしている。

設立経緯

日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[6][7][8][9]1968年日本代表メキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[7][10][11]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[10][12][13][14][15]1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[9][16][17][18]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[19][20]。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり[21]1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』[22][23]1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど[24]、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった[10][12][19][25][26]

日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり[27][28][29][30]1977年ドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度[10][20][31]により奥寺、木村和司を始め[32]、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた[7][15][26][33]。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった[34][35]

1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにも関わらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた[18][36][37][38]

このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」[注釈 4]が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる[7][10][15][16][19][20][26][44][45][46]。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」、J.League x JFA公式サイトの「サッカーで振り返る平成史」でも、この1988年3月「JSL活性化委員会」設置をその始まりに置いている[32]。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している[47]。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』[15](プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した[21][48][注釈 5]。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり[15][20][45]、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」[注釈 6]を設置[15][32]。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが[53]ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり[54]、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」[注釈 7]で大勢を占めた[56][57]。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった[45]。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し[15][58]、翌1989年 6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し[7][15][45][59]、JFA内に「プロリーグ検討委員会」[注釈 8]が設置された[15][32][52][61]。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた[62]。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである[43]。プロリーグ構想は具現化され[15][63]、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表[52]、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した[注釈 9]。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案[注釈 10]の中から川淵が気に入り採用に至ったもの[21][66][67]。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが[23][68]、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で[23]電通ペレの引退興行を始め[69]、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった[70]。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる[71]。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる[72]

1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で[26][73]FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て[26][74]、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える[26][75]。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化[注釈 11]とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった[26][76][77]。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず[43]、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた[26][78][45]。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は[15][79]、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている[75]。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした[9][12][80][81]。Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた[15][20][82][83]。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが[9][18][84]、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になったのは事実ではある[出典無効]。しかし、森健兒木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて[20][47][85][86]、川淵は日本サッカーに絶望し、一時サッカー界から離れていた時期があり[87][88]、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった[89]。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており[90]、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで[91]、木之本は「川淵さんのJSL総務主事就任前にプロ化の道筋はすでに出来上がっていた」[92]、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている[93]。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが[86]2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった[20]。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早いと反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された[20][77][82]。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ[20]、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した[8][20][86][94]

1992年には前哨戦として、ヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。

クラブ名称表記

Jリーグでは方針としてクラブ名称を地域名称+愛称にしているため、発足当初から企業名称は原則排除している。ただ、前哨戦として1992年に開催されたヤマザキナビスコカップではプロ化への移行・準備的な要素が考慮された事から一部のクラブ名称表記について、例えば「読売ヴェルディ」(ヴェルディ川崎)や「三菱浦和レッドダイヤモンズ」(浦和レッドダイヤモンズ)などの様に報道などでクラブ名称表記に企業名称を入れることを暫定的に容認したことがある。

沿革

クラブ数の推移

年度 J1 J2 J3 総数
1993年 10 10
1994年 12 12
1995年 14 14
1996年 16 16
1997年 17 17
1998年 18 18
1999年 16 10 26
2000年 16 11 27
2001年 16 12 28
2002年 16 12 28
2003年 16 12 28
2004年 16 12 28
2005年 18 12 30
2006年 18 13 31
2007年 18 13 31
2008年 18 15 33
2009年 18 18 36
2010年 18 19 37
2011年 18 20 38
2012年 18 22 40
2013年 18 22 40
2014年 18 22 11(+1) 52
2015年 18 22 12(+1) 53
2016年 18 22 13(+3) 56
2017年 18 22 14(+3) 57
2018年 18 22 14(+3) 57
2019年 18 22 15(+3) 58
2020年 18 22 16(+3) 59

開催日時

リーグ戦は基本的に試合は毎週土曜日または日曜日に開催している。スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか、祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある。

土曜日・日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが、各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか、夏期(おおむね6月下旬から9月上旬にかけて)のJ1・J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される。また、祝祭日以外の平日に開催される試合は全てナイトマッチで開催されている(ただし、Jリーグの発足直後と2011年には水曜日の開催でもデイマッチを行う事があった[注釈 12])。

なお、最終節は全試合の開催日と試合開始時間を統一している。

2008年以降、日本代表の試合のある日は原則として、JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない(この間、J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため、リーグ戦の試合自体が組まれない)。また、試合予定が未定の分で、日本代表の試合が予定されている場合は土曜、日曜両方で開催できるように対応している。

試合日程については、概ね1月中旬に、各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程・対戦組み合わせ・試合会場のみを先行で発表し、1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程・組み合わせ・試合会場、並びに前半戦(概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は、第1ステージの17試合分のみ)の試合開始時間を、6月下旬または7月初めに後半戦(概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが、第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり)の試合開始時間について発表される[106]

J1
  • 1部制だった時代(1993年から1998年)も含めて、1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた。ただし、1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日(主に水曜日)にも開催されていた。
  • 2001年以降はスポーツ振興くじ(toto)の導入に伴い、J2と共に土曜日を中心とする開催になった。
  • 2002年、テレビ中継などの日程調整も考慮し、土曜日開催を基本としつつ、原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された。
  • 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが、AFCチャンピオンズリーグに参加するクラブについては、週の中間(火曜・水曜)に試合をすることを考慮して、週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり、アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある。国際Aマッチ期間は試合が開催されない。
  • 2018年度からは、DAZNと協力し年間10節程度、各節1-3試合程度を「明治安田生命フライデーナイトJリーグ」として金曜日に適宜開催する。
J2
  • 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが、1か月に1-2回程度は木曜日にも開催されていた。
  • 2001年以降はtotoの導入に伴い、J1と共に土曜日を中心とする開催になった(一部は日曜日に開催)。
  • 2012年以降は原則日曜日開催。J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある。水曜日開催が行われる週もある。国際Aマッチ期間も、日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する(ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった)。
J3
  • 基本的に原則日曜日の開催に固定している。
  • J3クラブのスタジアム基準で照明設備が必須とされていないことから、夏季を含め基本的にデイマッチを中心として編成している(本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される)。
  • 毎年8月から9月は、天皇杯の都道府県予選(J3は都道府県予選から出場)、並びに国体ブロック予選(ミニ国体)が行われるため、3週間から1か月程度のインターバルがある。なおこれについては2017年以降、天皇杯の制度改革によって多少見直されている。

その他、同一都道府県・市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は、極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している(2011年の場合はJ1のさいたま市神奈川県静岡県大阪府、J2の東京都、神奈川県が該当)。ただし、初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった[注釈 13]2011年にもJ1のさいたまと大阪、J2の東京都、さらにJ1・J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが、このときでもやむをえない場合を除き原則として、どちらかが土曜日、もう一方は日曜日の開催[注釈 14] とするように配慮されている。

なお、2012年から2016年までJ1とJ2の開催日が分けられていたこと、及びキックオフ時間がずらされていたが、これは当時Jリーグ中継を担当していたスカパー!のチャンネル数や放送時間の制約によるものであったことが、2016年のJリーグとDAZNの契約記者会見の際に明らかにされており、現在は土曜か日曜のどちらを開催日にするかはクラブ側に委ねられているという[107]

クラブ一覧

正会員クラブ

クラブの所属(カテゴリ)は2020年シーズン[108]。ホームスタジアムについては2020年シーズン各チームのホーム開幕節で使用するスタジアム(県外開催となる富山を除く)を、各チームのホーム開幕節時点での表記で記す[109]。複数の資料で記述にぶれがあるものについては、Jリーグ公式サイトのクラブガイドの記述に基づき、スタジアム名称は命名権によるものとした(命名権の取り扱いについては各スタジアムの記事を参照のこと)。準加盟年度については、準会員(1992-98)、準加盟(2005-13)、Jリーグ百年構想クラブ(2014-)をすべて含む。

地域 クラブ名
(呼称)
所属 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
加盟
年度
準加盟
年度
北海道 北海道コンサドーレ札幌
Hokkaido Consadole SAPPORO
J1 北海道 / 札幌市を中心とする全道
札幌ドーム〈札幌市豊平区〉)
1998年 1996年
東北 ヴァンラーレ八戸
Vanraure HACHINOHE
J3 青森県 / 八戸市ほか3市11町2村[注釈 15]
プライフーズスタジアム〈八戸市〉)
2019年 2013年
いわてグルージャ盛岡
Iwate Grulla MORIOKA
J3 岩手県 / 岩手県全県14市15町4村[注釈 16]
いわぎんスタジアム〈盛岡市〉)
2014年 2013年
ベガルタ仙台
Vegalta SENDAI
J1 宮城県 / 仙台市
ユアテックスタジアム仙台〈仙台市泉区〉)
1999年 1996年
ブラウブリッツ秋田
Blaublitz AKITA
J3 秋田県 / 秋田市他4市[注釈 17] を中心とする全県
ソユースタジアム〈秋田市〉)
2014年 2013年
モンテディオ山形
Montedio YAMAGATA
J2 山形県 / 山形市天童市鶴岡市を中心とする全県
NDソフトスタジアム山形〈天童市〉)
1999年
福島ユナイテッドFC
FUKUSHIMA United FC
J3 福島県 /福島市会津若松市を中心とする全県
とうほう・みんなのスタジアム〈福島市〉)
2014年 2013年
関東 鹿島アントラーズ
KASHIMA Antlers
J1 茨城県 / 鹿嶋市他5市[注釈 18]
茨城県立カシマサッカースタジアム〈鹿嶋市〉)
1991年
水戸ホーリーホック
MITO Hollyhock
J2 茨城県 / 水戸市ほか5市3町1村[注釈 19]
ケーズデンキスタジアム水戸〈水戸市〉)
2000年
栃木SC
TOCHIGI SC
J2 栃木県 / 宇都宮市
栃木県グリーンスタジアム〈宇都宮市〉)
2009年 2007年
ザスパクサツ群馬
Thespakusatsu GUNMA
J2 群馬県 / 草津町前橋市を中心とする全県
正田醤油スタジアム群馬〈前橋市〉)
2005年
浦和レッズ
URAWA Reds
J1 埼玉県 / さいたま市
埼玉スタジアム2002〈さいたま市緑区〉)
1991年
大宮アルディージャ
OMIYA Ardija
J2 埼玉県 / さいたま市
NACK5スタジアム大宮〈さいたま市大宮区〉)
1999年
ジェフユナイテッド千葉
Jef United CHIBA
J2 千葉県 / 千葉市市原市
フクダ電子アリーナ〈千葉市中央区〉)
1991年
柏レイソル
KASHIWA Reysol
J1 千葉県 / 柏市
三協フロンテア柏スタジアム〈柏市〉
1995年 1992年
FC東京
F.C. TOKYO
J1 東京都 / 東京都
味の素スタジアム調布市〉)
1999年
東京ヴェルディ
TOKYO Verdy
J2 東京都 / 東京都
(味の素スタジアム〈調布市〉)
1991年
FC町田ゼルビア
FC MACHIDA Zelvia
J2 東京都 / 町田市
町田GIONスタジアム〈町田市〉)
2012年
[注釈 20]
2009年
川崎フロンターレ
KAWASAKI Frontale
J1 神奈川県 / 川崎市
等々力陸上競技場〈川崎市中原区〉)
1999年 1997年
横浜F・マリノス
YOKOHAMA F. Marinos
J1 神奈川県 / 横浜市横須賀市大和市
日産スタジアム〈横浜市港北区〉)
1991年
横浜FC
YOKOHAMA FC
J1 神奈川県 / 横浜市
ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉)
2001年
Y.S.C.C.横浜
Y.S.C.C YOKOHAMA
J3 神奈川県 / 横浜市
(ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉)
2014年 2013年
SC相模原
SC SAGAMIHARA
J3 神奈川県 / 相模原市座間市綾瀬市愛川町
相模原ギオンスタジアム〈相模原市南区
2014年 2010年
湘南ベルマーレ
SHONAN Bellmare
J1 神奈川県 / 平塚市ほか8市11町[注釈 21]
Shonan BMW スタジアム平塚〈平塚市〉)
1994年 1992年
ヴァンフォーレ甲府
Ventforet KOFU
J2 山梨県 / 甲府市韮崎市を中心とする全県
山梨中銀スタジアム〈甲府市〉)
1999年
北信越 AC長野パルセイロ
AC NAGANO Parceiro
J3 長野県 / 長野市ほか6市5町5村[注釈 22]
長野Uスタジアム〈長野市〉)
2014年 2012年
松本山雅FC
MATSUMOTO Yamaga F.C.
J2 長野県 / 松本市ほか4市2町3村[注釈 23]
サンプロ アルウィン〈松本市〉)
2012年 2010年
アルビレックス新潟
Albirex NIIGATA
J2 新潟県 / 新潟県全県20市6町4村[注釈 24]
デンカビッグスワンスタジアム〈新潟市中央区〉)
1999年
カターレ富山
Kataller TOYAMA
J3 富山県 / 富山市を中心とする全県
富山県総合運動公園陸上競技場〈富山市〉)
2009年 2008年
ツエーゲン金沢
Zweigen KANAZAWA
J2 石川県 / 金沢市他3市2町[注釈 25] を中心とする全県
石川県西部緑地公園陸上競技場〈金沢市〉)
2014年 2013年
東海 清水エスパルス
SHIMIZU S-Pulse
J1 静岡県 / 静岡市
IAIスタジアム日本平〈静岡市清水区〉)
1991年
ジュビロ磐田
Júbilo IWATA
J2 静岡県 / 磐田市
ヤマハスタジアム〈磐田市〉)
1994年 1992年
藤枝MYFC
FUJIEDA MYFC
J3 静岡県 / 藤枝市ほか4市2町[注釈 26]
藤枝総合運動公園サッカー場〈藤枝市〉)
2014年 2013年
アスルクラロ沼津
Azul claro NUMAZU
J3 静岡県 / 沼津市
静岡県愛鷹広域公園多目的競技場〈沼津市〉)
2017年 2013年
名古屋グランパス
NAGOYA Grampus
J1 愛知県 / 名古屋市豊田市みよし市を中心とする全県
豊田スタジアム〈豊田市〉)
1991年
FC岐阜
FC GIFU
J3 岐阜県 / 岐阜市を中心とする全県
岐阜メモリアルセンター長良川競技場〈岐阜市〉)
2008年 2007年
関西 京都サンガF.C.
KYOTO Sanga F.C.
J2 京都府 / 京都市ほか12市1町[注釈 27]
サンガスタジアム by KYOCERA亀岡市〉)
1996年 1994年
ガンバ大阪
Gamba OSAKA
J1 大阪府 / 吹田市ほか7市[注釈 28]
パナソニックスタジアム吹田〈吹田市〉)
1991年
セレッソ大阪
Cerezo OSAKA
J1 大阪府 / 大阪市堺市
ヤンマースタジアム長居〈大阪市東住吉区〉)
1995年 1993年
ヴィッセル神戸
Vissel KOBE
J1 兵庫県 / 神戸市
ノエビアスタジアム神戸〈神戸市兵庫区〉)
1997年 1995年
中国 ガイナーレ鳥取
Gainare TOTTORI
J3 鳥取県 / 鳥取市他4市[注釈 29] を中心とする全県
とりぎんバードスタジアム〈鳥取市〉)
2011年 2007年
ファジアーノ岡山
Fagiano OKAYAMA
J2 岡山県 / 岡山市倉敷市津山市を中心とする全県
シティライトスタジアム〈岡山市北区
2009年 2007年
サンフレッチェ広島
Sanfrecce HIROSHIMA
J1 広島県 / 広島市
エディオンスタジアム広島〈広島市安佐南区〉)
1991年
レノファ山口FC
Renofa YAMAGUCHI FC
J2 山口県 / 山口県全県13市6町[注釈 30]
維新みらいふスタジアム〈山口市〉)
2015年 2013年
四国 徳島ヴォルティス
TOKUSHIMA Vortis
J2 徳島県 / 徳島市ほか4市4町[注釈 31] を中心とする全県
鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム〈鳴門市〉)
2005年
カマタマーレ讃岐
Kamatamare SANUKI
J3 香川県 / 高松市丸亀市を中心とする全県
Pikaraスタジアム〈丸亀市〉)
2014年 2011年
愛媛FC
EHIME FC
J2 愛媛県 / 松山市を中心とする全県
ニンジニアスタジアム〈松山市〉)
2006年
FC今治
FC IMABARI
J3 愛媛県 / 今治市
ありがとうサービス. 夢スタジアム〈今治市〉)
2020年 2016年
九州 アビスパ福岡
Avispa FUKUOKA
J2 福岡県 / 福岡市
ベスト電器スタジアム〈福岡市博多区〉)
1996年 1995年
ギラヴァンツ北九州
Giravanz KITAKYUSHU
J2 福岡県 / 北九州市
ミクニワールドスタジアム北九州〈北九州市小倉北区〉)
2010年 2008年
サガン鳥栖
Sagan TOSU
J1 佐賀県 / 鳥栖市
駅前不動産スタジアム〈鳥栖市〉)
1999年
V・ファーレン長崎
V Varen NAGASAKI
J2 長崎県 / 長崎市諫早市を中心とする全県
トランスコスモススタジアム長崎〈諫早市〉)
2013年 2009年
ロアッソ熊本
Roasso KUMAMOTO
J3 熊本県 / 熊本市
えがお健康スタジアム〈熊本市東区〉)
2008年 2006年
大分トリニータ
OITA Trinita
J1 大分県 / 大分市別府市佐伯市を中心とする全県
昭和電工ドーム大分〈大分市〉)
1999年
鹿児島ユナイテッドFC
KAGOSHIMA United FC
J3 鹿児島県 / 鹿児島市
白波スタジアム〈鹿児島市〉)
2016年 2015年
FC琉球
FC RYUKYU
J2 沖縄県 / 沖縄市を中心とする全県
タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉)
2014年 2013年

Jリーグ百年構想クラブ

クラブ名 所属 活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
承認年度
東北 ラインメール青森
ReinMeer Aomori F.C
JFL 青森県 / 青森市
カクヒログループアスレチックスタジアム〈青森市〉)
2019年
いわきFC
IWAKI FC
JFL 福島県 / いわき市ほか9市町村[注釈 32] 2020年
関東 栃木シティフットボールクラブ
TOCHIGI City Football Club
関東1部 栃木県 / 栃木市
栃木市総合運動公園陸上競技場〈栃木市〉)
2014年
VONDS市原
VONDS ICHIHARA
関東1部 千葉県 / 市原市 2020年
東京武蔵野シティFC
TOKYO MUSASHINO City FC
JFL 東京都 / 武蔵野市
武蔵野陸上競技場〈武蔵野市〉)
2016年
南葛SC
NANKATSU SC
東京都1部 東京都 / 葛飾区 2020年
東海 ヴィアティン三重
Veertien Mie
JFL 三重県 / 桑名市ほか7市町[注釈 33] 2020年
近畿 FC大阪
FC OSAKA
JFL 大阪府 / 東大阪市 2020年
九州 テゲバジャーロ宮崎
Tegevajaro Miyazaki
JFL 宮崎県 / 宮崎市新富町
(新富町に新設予定)
2019年

過去にJリーグ正会員であったクラブ

クラブ名 活動区域/ホームタウン
(ホームスタジアム)
加盟期間
横浜フリューゲルス
YOKOHAMA Flügels
神奈川県横浜市長崎県熊本県鹿児島県[注釈 34]
三ツ沢公園球技場横浜国際総合競技場長崎県立総合運動公園陸上競技場[注釈 34]熊本市水前寺競技場[注釈 34]鹿児島県立鴨池陸上競技場[注釈 34]
1991-1998年

過去にJリーグ百年構想クラブであったクラブ

クラブ名 所属
(脱退時)
活動区域 / ホームタウン
(ホームスタジアム)
承認期間
tonan前橋
Tonan MAEBASHI
関東2部 群馬県 / 前橋市
前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場〈前橋市〉)
2013-2019年
奈良クラブ
NARA Club
JFL 奈良県 / 奈良市を中心とする全県
ならでんフィールド〈奈良市〉)
2013-2020年
  • 奈良クラブは2020年より「解除条件付き失格」処分中。

入れ替え制度

1998年にJ1参入決定戦を実施。1999年からはJ1・J2の2部制への移行に伴い、入れ替え制度を導入した。

  • Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され、J1の16位からJ2降格も取り消される。なお、J1・J2の2部制へ移行した1999年から2017年シーズン終了時点までにJ1昇格・J2降格が取り消されたことは1度もない。
  • 公式試合安定開催基金から融資を受けているクラブが返済期日まで完済できない場合、次シーズンはJ2所属となる。すなわち、J1に所属するクラブにおいてはJ1残留できる順位であってもJ2降格となり、J2に所属するクラブにおいてはJ1昇格できる順位であっても昇格は見送られる。ただし、過去にこの制度が適用(J1からの強制降格、もしくはJ2からの昇格見送り)となったクラブは1度もない(2018年シーズン終了時点)。
  • 2012年よりJ2からの降格が制度化され、J2への昇格クラブが生じた場合、同数のクラブが2012年のポストシーズンにおいては日本フットボールリーグ(JFL)へ、2013年のポストシーズン以降はJ3へ降格する。
  • 2012年のポストシーズン(2013年の参入)以降は、J1・J2・J3のリーグに参入するには「Jリーグクラブライセンス制度により当該リーグないしそれより上のライセンスを取得している」ことが要件となる。

1996年 - 2012年

年度 J1 J2 JFL 備考
クラブ数 J2降格 J1昇格 クラブ数 JFL降格 J2参入
1998 18 札幌 - - 降格制度なし 9クラブ[注釈 35] J1参入決定戦実施
1999 16 浦和 / 平塚 川崎 / FC東京 10 水戸 自動入れ替え2クラブ
2000 16 京都 / 川崎 札幌 / 浦和 11 横浜FC
2001 16 福岡 / C大阪 京都 / 仙台 12 -
2002 16 広島 / 札幌 大分 / C大阪 12 -
2003 16 仙台 / 京都 新潟 / 広島 12 -
2004 16 - 川崎 / 大宮 12 徳島 / 草津 J1・J2入れ替え戦の導入
2005 18 柏 / 東京V / 神戸 京都 / 福岡 / 甲府 12 愛媛 自動入れ替え2クラブ+J1・J2入れ替え戦
2006 18 福岡 / C大阪 / 京都 横浜FC / 柏 / 神戸 13 -
2007 18 広島 / 甲府 / 横浜FC 札幌 / 東京V / 京都 13 熊本 / 岐阜
2008 18 東京V / 札幌 広島 / 山形 15 栃木 / 富山 / 岡山
2009 18 柏 / 大分 / 千葉 仙台 / C大阪 / 湘南 18 北九州 自動入れ替え3クラブ
2010 18 FC東京 / 京都 / 湘南 柏 / 甲府 / 福岡 19 鳥取
2011 18 甲府 / 福岡 / 山形 FC東京 / 鳥栖 / 札幌 20 町田 / 松本
2012 18 神戸 / G大阪 / 札幌 甲府 / 湘南 / 大分 22 町田 長崎 入れ替え3クラブ(J1昇格プレーオフ導入)

2013年以降

年度 J1 J2 J3 JFL 備考
クラブ数 J2降格 J1昇格 クラブ数 J3降格 J2昇格 クラブ数 J3参入
2013 18 湘南 / 磐田 / 大分 G大阪 / 神戸 / 徳島 22 鳥取 (讃岐) - 10クラブ[注釈 36] 讃岐はJFLからJ2への参入
2014 18 大宮 / C大阪 / 徳島 湘南 / 松本 / 山形 22 富山 金沢 12 山口 J2・J3入れ替え戦の導入
2015 18 松本 / 清水 / 山形 大宮 / 磐田 / 福岡 22 大分 / 栃木 山口 / 町田 13 鹿児島
2016 18 名古屋 / 湘南 / 福岡 札幌 / 清水 / C大阪 22 北九州 大分 16 沼津
2017 18 甲府 / 新潟 / 大宮 湘南 / 長崎 / 名古屋 22 群馬 栃木 17 -
2018 18 柏 / 長崎 松本 / 大分 22 熊本 / 讃岐 琉球 / 鹿児島 17 八戸 自動入れ替え2クラブ+J1参入プレーオフ導入
2019 18 松本 / 磐田 柏 / 横浜FC 22 鹿児島 / 岐阜 北九州 / 群馬 18 今治
2020 18 - 22 - 19

懲罰

Jリーグでは各クラブが不正行為や選手・観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある。制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり、裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて、チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている。

制裁措置はクラブ、及びクラブに所属する個人に対して行われ、以下のような段階が設けられている。

クラブに対する制裁
  1. けん責
  2. 制裁金(最大1億円)
  3. 中立地での試合の開催
  4. 無観客試合の開催
  5. 試合の没収(得点を3対0として試合を没収)
  6. 勝点減(最大15点)
  7. (リーグカップ戦における)出場権剥奪
  8. 下位ディビジョンへの強制降格
  9. 除名

※中立地開催・無観客試合・没収試合・強制降格は2014年から設けられた。

個人に対する制裁
  1. けん責
  2. 制裁金(最大5,000万円)
  3. 出場資格停止(無期限または最大1年以内の期限付き出場停止)
  4. 公式試合に関わる職務の停止(一定期間、無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止)

通算成績

J1リーグ戦

J2リーグ戦

J3リーグ戦

タイトル獲得クラブ一覧

  • Jリーグ発足以降に主なタイトルを獲得したクラブのみ掲載。
  • J2・J3の年間優勝および2ステージ時代のJ1ステージ優勝は含めない。
  • 詳細な情報については各クラブ・大会の項目を参照の事。
クラブ名 J
/
J1


J
X
S
C
96
J
C

C
W
C
A
C
L
J
C
C
A
C
W
A
S
C
A
3
C
P
P
C
T
P
C
S
B
C


鹿島アントラーズ 8 5 6 6 0 25 0 1 2 0 0 1 0 0 0 4 29
浦和レッズ 1 3 2 1 0 7 0 2 1 0 0 0 0 0 0 3 10
ジェフユナイテッド千葉 0 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2
柏レイソル 1 1 2 1 0 5 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 6
FC東京 0 1 2 0 0 3 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 4
東京ヴェルディ 2 2 3 3 0 10 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 11
川崎フロンターレ 2 0 1 1 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4
横浜F・マリノス 4 2 1 0 0 7 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 8
横浜フリューゲルス 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 4
湘南ベルマーレ 0 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 3
清水エスパルス 0 1 1 2 0 4 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 5
ジュビロ磐田 3 1 2 3 0 9 0 1 1 0 1 0 0 0 0 3 12
名古屋グランパス 1 2 0 2 1 6 0 0 0 0 0 0 0 1 1 2 8
京都サンガF.C. 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
ガンバ大阪 2 4 2 2 0 10 0 1 0 0 0 0 1 0 0 2 12
セレッソ大阪 0 1 1 1 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3
ヴィッセル神戸 0 1 0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2
サンフレッチェ広島 3 0 0 4 0 7 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 8
大分トリニータ 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1

※2020年2月8日現在[32][110][111][112][113][114][115][116][117][118][119][120]

表彰

試合入場者数

歴代入場者数

歴代試合入場者数一覧[121](単位:人)
年度 J1 J2 J3
1993年 3,235,750 - -
1994年 5,173,817 - -
1995年 6,159,691 - -
1996年 3,204,807 - -
1997年 2,755,698 - -
1998年 3,666,496 - -
1999年 2,798,005 827,217 -
2000年 2,655,553 1,340,820 -
2001年 3,971,415 1,505,722 -
2002年 3,928,215 1,806,392 -
2003年 4,164,229 2,084,185 -
2004年 4,551,695 1,904,172 -
2005年 5,742,233 1,975,340 -
2006年 5,597,408 1,998,688 -
2007年 5,838,771 2,034,543 -
2008年 5,875,865 2,227,570 -
2009年 5,809,516 2,903,607 -
2010年 5,638,894 2,290,082 -
2011年 4,833,782 2,440,695 -
2012年 5,375,300 2,681,881 -
2013年 5,271,047 3,079,181 -
2014年 5,275,387 3,043,948 444,966
2015年 5,447,602 3,162,194 569,016
2016年 5,498,222 3,221,653 709,640
2017年 5,778,178 3,219,936 710,621
歴代年齢構成分布一覧[122](単位:パーセント)
年度 11 -
18歳[注釈 38]
19 -
22歳
23 -
29歳
30 -
39歳
40 -
49歳
50歳
以上
2000年 12.6 11.2 26.0 27.5 14.3 8.2
2001年 12.0 11.4 26.2 28.9 13.2 8.3
2002年 10.8 13.0 26.7 26.9 13.7 8.8
2003年 10.9 9.0 20.8 32.1 17.8 9.4
2004年 8.0 7.3 19.2 34.1 19.9 11.5
2005年 8.0 6.7 17.5 33.9 21.2 12.8
2006年 7.4 7.1 16.3 33.7 21.8 13.7
2007年 6.3 7.1 15.9 33.0 23.6 14.2
2008年 5.9 6.8 14.3 31.3 25.5 16.2
2009年 6.8 6.8 14.8 29.8 24.9 16.9
2010年 5.9 6.1 14.1 29.4 26.3 18.3

2010年8月8日、J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した。なお、カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は、2009年3月に1億人を突破している。

なお、イギリスのサッカー専門誌『World Soccer』が2009年8月号で掲載した統計によると、世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38,975人であり、J1リーグは19,278人(2008年シーズン)で第6位に位置している[123]

スタジアム別入場者数

  • 掲載順は1試合あたりの平均入場者数の多いクラブ順による。
  • ホームスタジアムの略称、所属ディビジョン、入場者数[124] は、2018年度時点(年度途中で呼称変更があった場合はシーズン終了時点)のもの(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が16試合)。
  • ホームスタジアムが複数登録されている場合は、座席数が大きいものから記載(ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外)。
  • 招待券比率は、2018年シーズン中(J1・J2)[125] または2017年シーズン中(J3)[126] に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査(アンケート)の集計結果による(必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない)。
  • 入場料収入[127] は、各クラブの2017年(平成29年)度決算の数値(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が16試合)。
クラブ
所属
スタジアム略称
(所在地)
座席数
(席)
平均入場者数
(人)
総入場者数
(人)
招待券比率
%
入場料収入
(百万
画像
1 浦和
J1
埼玉
さいたま市
63,770 35,502 603,534 2.8 2,337
2 FC東京
J1
味スタ
調布市
49,970 26,432 449,338 11.3 1,026
3 名古屋
J1
豊田ス
豊田市
40,000 24,660 419,218 7.9 824
パロ瑞穂
名古屋市
20,000
4 G大阪
J1
吹田S
吹田市
39,694 23,485 399,242 4.8 1,266
5 川崎
J1
等々力
川崎市
26,827 23,218 394,709 12.7 1,038
6 横浜FM
J1
日産ス
横浜市
72,372 21,788 370,401 7.4 1,026
ニッパツ
横浜市
15,454
7 鹿島
J1
カシマ
鹿嶋市
40,728 19,434 330,376 16.3 894
8 C大阪
J1
ヤンマー
大阪市
47,000 18,811 319,782 7.3 839
金鳥スタ
大阪市
20,500
9 神戸
J1
ノエスタ
神戸市
30,132 18,272 367,716 10.8 514
10 札幌
J1
札幌ド
札幌市
41,484 18,223 309,798 8.5 622
11 磐田
J1
ヤマハ
磐田市
15,165 15,474 263,060 10.7 615
12 仙台
J1
ユアスタ
仙台市
19,694 15,408 261,943 8.6 619
13 鳥栖
J1
ベアスタ
鳥栖市
24,490 15,000 255,004 4.6 631
14 清水
J1
アイスタ
静岡市
20,281 14,991 254,844 13.3 625
15 新潟
J2
デンカS
新潟市
42,300 14,913 313,180 19.9 629
16 広島
J1
Eスタ
広島市
50,000 14,346 243,874 13.7 496
17 松本
J2
松本
松本市
20,396 13,283 278,948 11.0 494
18 湘南
J1
BMWス
平塚市
15,690 12,120 206,039 14.1 240
19
J1
三協F柏
柏市
15,349 11,402 193,833 10.1 554
20 長崎
J1
トラスタ
諫早市
20,246 11,225 190,827 3.8 115
21 千葉
J2
フクアリ
千葉市
18,500 9,858 207,025 8.9 337
22 大宮
J2
NACK
さいたま市
15,600 9,224 193,711 7.3 397
23 大分
J2
大銀ド
大分市
40,000 8,907 187,052 8.8 250
24 福岡
J2
レベスタ
福岡市
22,563 8,873 186,323 24.1 190
25 岡山
J2
Cスタ
岡山市
20,000 8,599 180,586 3.6 190
26 甲府
J2
中銀スタ
甲府市
17,000 7,384 155,054 18.6 353
27 岐阜
J2
長良川
岐阜市
20,000 6,858 144,011 16.1 111
28 山形
J2
NDスタ
天童市
21,292 6,766 142,094 10.2 172
29 横浜FC
J2
ニッパツ
横浜市
15,454 6,141 128,959 9.9 171
30 山口
J2
みらスタ
山口市
15,115 6,123 128,579 8.9 204
31 東京V
J2
味スタ
調布市
49,970 5,936 124,654 13.1 186
32 京都
J2
西京極
京都市
20,588 5,663 118,931 20.7 205
33 栃木
J2
栃木グ
宇都宮市
15,589 5,657 118,805 6.8 59
34 熊本
J2
えがおS
熊本市
32,000 5,269 110,643 11.8 111
35 徳島
J2
鳴門大塚
鳴門市
16,599 4,997 104,941 5.5 136
36 水戸
J2
Ksスタ
水戸市
12,000 4,938 103,698 28.5 83
37 町田
J2
町田
町田市
16,033 4,915 103,215 9.4 94
38 金沢
J2
石川西部
金沢市
20,261 4,528 95,093 20.3 60
39 北九州
J3
ミクスタ
北九州市
15,066 4,501 72,014 12.1 124
40 鹿児島
J3
白波スタ
鹿児島市
12,571 4,040 64,642 21.5 21
41 長野
J3
長野U
長野市
15,491 3,554 56,869 15.4 59
42 相模原
J3
ギオンス
相模原市
15,300 3,458 55,331 37.3 26
43 群馬
J3
正田スタ
前橋市
15,253 3,346 53,531 7.3 67
44 愛媛
J2
ニンスタ
松山市
21,401 3,161 66,382 11.6 74
45 琉球
J3
タピスタ
沖縄市
10,189 3,146 50,330 45.5 5
46 讃岐
J2
ピカスタ
丸亀市
30,099 3,073 64,532 20.0 87
47 沼津
J3
愛鷹
沼津市
5,104 2,857 45,716 40.6 22
48 秋田
J3
A-スタ
秋田市
4,992 2,839 45,420 22.4 16
49 富山
J3
富山
富山市
25,250 2,670 42,718 17.6 34
50 鳥取
J3
とりスタ
鳥取市
16,033 2,657 42,519 18.0 33
51 福島
J3
とうスタ
福島市
21,000 1,576 25,214 29.5 12
52 藤枝
J3
藤枝サ
藤枝市
13,000 1,273 20,360 47.4 7
53 盛岡
J3
いわスタ
盛岡市
4,946 1,216 19,461 16.0 13
54 YS横浜
J3
ニッパツ
横浜市
15,454 1,005 16,077 31.9 14

ユニフォーム

1993年から1996年までは「ミズノ」が全クラブのユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)を一括して受け持っていた。ただ、その契約はリーグ戦のみの契約だったので、天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して、カップ戦用のユニフォームを着用していた[注釈 39]。しかし、1997年にはこれまでの「ミズノ」に加えて、「アンブロ」・「アディダス」・「プーマ」(ヴェルディ川崎は自主制作という形で「ナイキ」)が新たなユニフォーム・サプライヤー(これもリーグ戦限定)として加わり、1998年からは事前にJリーグとユニフォーム・サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って、各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった[128]

3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが、現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している。また、Jリーグ事務局長の事前承認があれば、「ユニフォーム使用計画」に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる。なお、Jリーグ年間王者のクラブは、金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。

国内公式戦(リーグ、リーグカップ、天皇杯)では、ユニフォームの前面胸部と、背番号上部、左袖、トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている。2016年からは背番号下部、2018年からは前面鎖骨部(左側および右側)に関してもスポンサーを付けることが認められたが、これ以前にもFC東京ガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある[129]

2020シーズンユニフォーム・サプライヤー

サプライヤー 使用クラブ
アシックス 神戸
アディダス 仙台・横浜FM・松本・新潟・金沢・今治
アスレタ 八戸・秋田・栃木・東京V・讃岐
アンダーアーマー 岩手・大宮
アンブロ FC東京・G大阪・長崎
カッパ 札幌・千葉
ガビック 水戸
ケレメ 群馬
ゴル 相模原・藤枝
ゴールドウイン 富山
サッカージャンキー 横浜FC
スフィーダ 琉球
スボルメ 町田
ナイキ 鹿島・浦和・広島
ニューバランス 岐阜・鳥栖
ヒュンメル 福島
フィンタ 山口
プーマ 川崎・清水・磐田・沼津・京都・C大阪・鳥取・熊本・大分・鹿児島
ペナルティ 山形・湘南・長野・岡山・北九州
ミズノ 甲府・名古屋・徳島・愛媛
ヤンガー YS横浜
ヨネックス 柏・福岡

背番号

1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが、1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された[130]

また、2004年には欠番の解禁など規約が一部改定されたことで特定の番号(12が多い)をクラブ公式にサポーターズナンバーとし欠番とするクラブが出てきた。2018年5月30日、Jリーグの理事会が開催され、シーズン途中の背番号変更が可能となり、同日から適用となった[131]。初適用者は当時ヴィッセル神戸三田啓貴で、8から7に変更となった。

2019年シーズン現在の主な規約内容は以下の通り。

  • 背番号0は不可。
  • 背番号1ゴールキーパー、背番号2から11まではフィールドプレーヤーが付けなければならない。
  • 背番号12以降は、登録選手が50人以下であれば50まではポジションとは無関係に自由に付けることができる。ただし登録選手が51人を超えた場合は、51から連番で番号をつけなければならない。

なお、変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある。

固定背番号導入当初、天皇杯では、Jリーグへの届け出とは別に背番号を登録したため、リーグ戦と異なる背番号を着用した例がある。

公式試合球

Jリーグの試合では、Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球(公式試合球)が使用されている。なお、1993年の開幕戦でヘニー・マイヤー(V川崎)が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に、ガラスケースに入れて保存されている[132]

製造は全てアディダス、提供は全てモルテン

年度 公式試合球
1993年 - 1994年 エトルスコ・ユニコ
1994年 - 1997年 クエストラ
1998年 - 2000年 トリコロール
2001年 ガマラダ
2002年 - 2003年 フィーバーノヴァ
2004年 - 2005年 ロテイロ
2006年 - 2007年 チームガイスト
2008年 チームガイストII
2009年 テラパス
2010年 ジャブラニ
2011年 スピードセル
2012年 タンゴ12[133]
2013年 カフサ[134]
2014年 ブラズーカ[135]
2015年 コネクト15[136]
2016年 エレホタ[137]
2017年 クラサバ[138]
2018年 テルスター18
2019年 コネクト19[139]
2020年 ツバサ[140]

指導者資格

  • 第1種チーム(トップ)の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導すること。
  • 第1種チーム(サテライト)は同A級(以上)指導者ライセンス保持者、第2種以下は同B級(以上)ライセンス保持者が監督を務めることが出来る。

審判員

日本サッカー協会に登録された1級審判員の中から推薦、決定されJリーグ担当審判員となる。2019年シーズンの場合、主審担当者が59名、副審担当者が100名[141]。この中には日本サッカー協会の認定したプロフェッショナルレフェリー (PR) がおり、審判員としての報酬のみで生計を立てている。

2020年シーズンからJ1全試合においてビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) が導入されることが決まっている[142]

フラッグ

毎試合、Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ(旗)が掲げられる。フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし、自クラブのロゴタイプエンブレムが入っていることが一般的である。また、Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか、選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する。なお、リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり、通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている。

  1. 背景は「白」を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
  2. 背景は左側から黒で縁取られた「緑」「白」「赤」を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。

音楽

特に規約では規定されていない[注釈 40]ものの、リーグ戦では選手入場時にアンセムが流れる(一部クラブ除く)。Jリーグの公式アンセム「THE GLORY」(作曲:岸利至)も存在し、一部のクラブでアンセムとして使用しているが、多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを作成し、入場時に流している。また、Jリーグ公式テーマソングがあり、Jリーグに関するイベントなどで使用される機会がある。

ルヴァンカップは専用のアンセム(作曲:☆Taku Takahashi)を使用する。

年度 曲名 作詞 作曲 編曲
公式テーマソング 1993年 J'S THEME - 春畑道哉TUBE -
公式アンセム 1993年 J'S BALLAD - -
2003年 THE'GLORY - 岸利至 岸利至
公式ソング 2003年 飛躍 安岡優 村上てつや 小西貴雄

スローガン

年度 スローガン
1999年 - 2004年 Join!
2005年 - 2006年 Amazing,J.
2007年 Will Be 見せたい未来がある。
2008年 Will Be クラブサッカーの世界水準へ。
2009年 「SHOUT! for SHOOT!」声、枯れるまで。体、果てるまで。
2010年 極上のライブエンターテイメント
2011年 - 2015年 明日のために 今、走る
チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(東日本大震災復興支援スローガン)
2016年 チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-がんばろう熊本・九州(熊本地震復興支援スローガン)
2017年 チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(震災復興支援活動を一本化)

アカデミー

Jリーグに所属するクラブはアカデミー(下部組織、Jリーグの用語では「育成組織」)をもつことを義務つけている。アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され(日本サッカー協会チーム登録種別を参照)、Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する。

マスコットキャラクター

Jリーグ

Mr. ピッチ
  • 読み方は「ミスター・ピッチ」。
  • 1991年11月1日生まれ、出身地は不明。
  • 血液型はJ型。
  • 身長は180センチメートル、スリーサイズは上から200・200・200センチメートル、全身を緑の芝生におおわれているのが特徴。
  • 好きな色はグリーン。好きな言葉は「地球は青かった」、「石の上にも三年 芝の上にも百年」。
  • 趣味はガーデニング。
  • 「Jリーグ百年構想メッセンジャー」として、現在は各地で毎年行われている「ファミリーJoinデイズ」や「Jリーグオールスターサッカー」を始め、積極的に様々なイベントなどに出演している。また、各地の試合会場において、試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる。なお、「百年構想」をPRしているポスターや雑誌の広告などでも、彼がモデルを務めている。
Jリーグキング(J-boy)

Jリーグクラブ

協賛団体

Jリーグ(リーグ戦)の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか、新聞や雑誌、放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに「(企業名)はJリーグの○○パートナーです」、あるいは「(企業名)はJリーグを応援しています」のクレジットを掲載できる。また、各所属クラスに関係なく、試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる。

2011年度までの協賛カテゴリーは「オフィシャルスポンサー」と、それ以外のスポンサー(用具サプライヤー、90度システム広告スポンサーなど)とに区分されていたが、2012年度から原則として「○○パートナー」に呼称を統一させており、スポンサー・サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している。

全ディビジョン共通
  • オフィシャルパートナーの広告設置に関しては、Jリーグ規約[144] 第35条(27ページ)に「スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ、並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業・団体が所定サイズ・及び枚数の広告看板)を設置・掲出できるスペースを確保しなければならない」とする取り決めによるものである。
  • 日本スポーツ振興センター(toto・BIG、2001年より)、朝日新聞社2003年より)、DAZN2017年より)のトップパートナー[注釈 41] 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている[注釈 42]。また2019年よりDAZNの広告はJ1リーグに限り、バックスタンドの広告に移っている。なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合[注釈 43] もある。
  • 2008年から2013年まで、メインスタンドから見て左側(原則としてホームゴール裏)にオフィシャルサプライヤー(コンタクトレンズ等提供)のジョンソン・エンド・ジョンソンの小型広告が設置されていた。現在はJ1リーグに限り、メインスタンドから見て両サイドのゴール裏にリーグのタイトルロゴとスポーツくじ(toto・BIG)の小型広告がそれぞれ設置されている。
  • 2015年度より、Jリーグ全体(J3含む)の「トップパートナー」よりさらに最上級のスポンサーカテゴリーとして「タイトルパートナー」が制定され、明治安田生命保険が就任することになり[2]、リーグの正式な名称が「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」となった。
J1
  • 1993年から1995年の2ステージ制時代は、そのステージの冠スポンサー(1st・サントリー、2nd・日本信販)の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列[注釈 44] に2枚ずつの合計4枚、他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた。それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている。2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため、両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり、ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している(球技専用が多い)場合がある[注釈 45]
  • 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた。ただ、導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い。また、2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板(オーロラリボンビジョン)を導入した。主に、NHK-BSの中継対象試合を中心に運用されている。2015年からは回転広告板を廃止した代わりに、電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した。
  • 2015年からは、タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚(うち、長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ、コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚)設置されている(J2・J3も同様)。またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚(各ゴール裏1枚ずつ)を設置している。
J2
  • J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった(各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている)が、1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた。なお、2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった。
J3
  • 2014年は、J1・J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており、各会場のバックスタンド最前列[注釈 44]に、タイトル協賛の明治安田生命が4枚、他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板(横断幕)が設置されていた[注釈 42]。2014年のJ3のスポンサーのうち、日本航空以外の各社はJ1・J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが、2015年度からはJ1・J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり、J2同様、大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった(なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1・J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった)。
Jリーグカップ
  • 大会創設時よりヤマザキナビスコ→ヤマザキビスケットの企業ロゴ、および同社商品の広告看板(ルヴァンチップスター他)が設置されている。なお創設当初からの最初の3年(1992年から1994年)は、予選リーグの試合(1994年は1・2回戦)に限って、ナビスコの広告と一緒に、通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた。
スポンサースペシャルデー&スペシャルマッチ
  • 1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って、Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節・試合を対象としてスポンサースペシャルデー、ないしはスペシャルマッチを開催した。試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した。

協賛団体一覧

協賛カテゴリー種別 契約開始年度 協賛団体名
タイトルパートナー 2015年 明治安田生命[注釈 46]
オフィシャルブロードキャスティングパートナー 2017年 DAZN[145][146]
トップパートナー[注釈 41] 2005年 アイデム
2015年 ルートインホテルズ
イオン
2016年 エレクトロニック・アーツEAスポーツ
2017年 マスターカード
NTTドコモ[147][145]
2018年 コナミデジタルエンタテインメント[注釈 47]
2019年 いちご
90度広告システム[注釈 48] スポンサー 2015年 明治安田生命
百年構想パートナー 2003年 朝日新聞社
リーグカップ戦スポンサー 1992年 ヤマザキビスケット[注釈 49]
スーパーカップスポンサー 1994年 富士ゼロックス
オフィシャルエクイップメントパートナー 1993年 モルテン[注釈 50]
2005年 アディダス[注釈 50]
スポーツ振興パートナー 2001年 日本スポーツ振興センター
スポーツくじ<toto・BIG>)
オフィシャルチケッティングパートナー 2012年 ぴあチケットぴあ
オフィシャルECプラットフォームパートナー 2017年 楽天[148]
オフィシャルテクノロジーパートナー 2017年 NTTグループ[147][145]
オフィシャルタイムキーパー 2019年 タグ・ホイヤー[注釈 51]
オフィシャルVAR・フェアプレーパートナー 2020年 トップ[149]
サポーティングカンパニー 2015年 Yahoo! JAPAN[150]
2017年 デロイトトーマツ(ファイナンシャルアドバイザリー/コンサルティング[151]
マーケティングパートナー 2014年 電通[152]

過去の協賛団体一覧

協賛カテゴリー種別 契約期間 協賛団体名
ステージスポンサー[注釈 52] 1993年 - 1995年 サントリー(第1ステージ・チャンピオンシップ[注釈 53]
日本信販(NICOSカード)(第2ステージ)
オフィシャルスポンサー(1993年 - 2011年)
→トップパートナー(2012年 - )[注釈 41]
1993年 - 1999年 小学館
1993年 - 2004年 ローソン[注釈 54]
1993年 - 2007年 サントリー
日本信販→三菱UFJニコス(NICOSカード)
1993年 - 2014年 カルビー
1994年 - 2007年 ジャパンエナジー(JOMO)
2002年 - 2004年 武富士
2005年 - 2007年 平和[153]
GE Money(新生フィナンシャル)[154]
2008年 - 2010年 マイラン製薬
レオパレス21
プレナス
2011年 - 2013年 日本マクドナルド
2009年 - 2015年 日本コカ・コーラ
2012年 - 2015年 ジェーシービー
2015年 - 2016年 コロプラ
ECC
1996年 - 2019年 キヤノン
キヤノンマーケティングジャパン
90度広告システム[注釈 55] スポンサー 2002年 - 2007年 サントリー
2004年 - 2010年 OCN(NTTコミュニケーションズ
2008年 - 2010年 ジャパンエナジー(JOMO)
2012年 - 2014年 東京エレクトロン[注釈 56]
2009年 - 2015年 日本コカ・コーラ
ネットワークパートナー 2002年 - 2010年 東日本電信電話
西日本電信電話
オフィシャルサプライヤー 2008年 - 2013年 ジョンソン・エンド・ジョンソン
フェアプレーパートナー 2012年 - 2014年 東京エレクトロン[注釈 56]
アソシエイト[注釈 57][155] 2015年 日本航空[155][注釈 50]
アライアンスマーケティングパートナー 1993年 - 2013年 博報堂DYメディアパートナーズ
博報堂
オフィシャルブロードキャスティングパートナー 2007年 - 2016年 スカパーJSAT
J2サポーティングカンパニー 2002年 - 2003年 大日本印刷
2014年のJ3リーグに設定されていた独自の協賛スポンサーについてはJ3リーグ#協賛団体参照。

海外の提携リーグ

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ リーグの定める「用語集(ターミノロジー)」[1] では、「Jリーグ」の語を含め、日本語表記において「J」を全角の「J」を用いることと定めているが、Wikipediaにおいては表記ガイドに基づき半角で表記する。
  2. ^ 2014年度までJ1・J2のリーグ戦の呼称についてはJリーグ定款でそれぞれ「Jリーグ ディビジョン1」「Jリーグ ディビジョン2」と表記されていたが、2015年よりそれぞれ「J1リーグ」「J2リーグ」に改める。なおJ3については、初年度の2014年から正式な呼称として「J3リーグ」を採用している。[2]
  3. ^ これと別にJ3に参加するJ1クラブのU-23チームが3チームある。
  4. ^ 「活性化委員会」の提唱は森健兒[39]。設置時の名称は「JSL活性化委員会」である。現在これを「JSL第一次活性化委員会」と呼ぶのは、川淵が森の後、総務主事に就任し、森らに倣い再開させたものを「第二次活性化委員会」と名付けたため、森が総務主事だった時代に開催されたものを後に「"第一次"活性化委員会」と分けて呼ぶようになった[40]。「第一次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三の他、森と木之本が、石井義信森孝慈小倉純二、村田忠男(JFA)、浅野誠也(読売)、杉山隆一佐々木一樹[21] の7人を選んだ[41]。委員長には森健兒が就くのが自然だったが、森は名古屋転勤で忙し過ぎたためとバランスや企業説明を考え、森が小倉純二を委員長に指名した[26][42]。「活性化委員会」は、短期間に6回の会合をもち、日本リーグの現状分析、他国のプロリーグの調査、日本にプロリーグをつくる可能性を模索した[43]
  5. ^ この10ヵ月後にまとめられた「第二次活性化委員会」の報告書もこれを踏襲し、これがほとんどそのままJリーグの骨格となる[49]
  6. ^ 「第二次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三を含む、「第一次活性化委員会」と同じメンバー9人と、プロ化に乗り気でないチームの実行委員・阿部豊(NKK)、有村宏三郎(ヤンマー)、泉信一郎(全日空)に、川淵を加えた13人で[50]、「第二次活性化委員会」でも委員長には引き続き川淵が小倉純二を指名した[26][51]。「第二次活性化委員会」は「第一次活性化委員会」が出した結論をさらに検討させた[26][52]。川淵は、当時の日本リーグのレベルが低いばかりでなく、アンフェアなプレーが横行していたこともあり、当初はリーグのプロ化には反対だった[52]。しかし「活性化委員会の真剣な議論に参加しているうちに、根本的な改革が必要であることを思い知り"失うものは何もない"とプロ化推進に傾いていった[52][15]。「第二次活性化委員会」は1988年10月3日から翌1989年3月13日まで8回の会合を開き「1992年スペシャルリーグ・スタート」という提案を出して解散、以後の検討をJFAの「プロリーグ検討委員会」に委ねた[52]
  7. ^ 「JSL評議委員会」は、JSLの最高議決機関。主に加盟チームが自ら選出した評議員で構成されていた。親会社で立場のある取締役クラスの人が選出されることが多く、会社の意向を尊重する傾向があった[15]。「第一次活性化委員会」~「第二次活性化委員会」のメンバーは、各チームを実質的に切り回していた人たちではあったが、親会社に戻れば会社の経営方針に直接タッチできる役職には就いていなかった[55]。「JSL評議委員会」の議長は日産自動車副社長の細川泰嗣。他のメンバーも各チームの代表者であり、親会社での地位は「活性化委員会」のメンバーよりはるかに上だった[55]
  8. ^ JFA内に「プロ対策本部」(本部長は長沼健)が作られ[43][45]、1990年10月、その中に「プロリーグ検討委員会」(委員長は川淵三郎)が設置された[45]。「プロリーグ検討委員会」は1991年1月まで6回の会合を重ね、リーグ参加条件の決定、当該団体への参加意思確認とヒアリング、アドバイザーボードの開催などを行う[45][52][60]
  9. ^ 1991年11月1日、新リーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」として法人化されることが決定した[32][64]
  10. ^ 「Jリーグ」という名称の提案は、当初 Jipang League(ジパング・リーグ)の略称として提案された[65]
  11. ^ 未出場の国がワールドカップのホスト国となった先例はなかった。
  12. ^ 一例として、1993年サントリーシリーズ第6節(6月2日)・清水vsV川崎静岡県草薙総合運動場陸上競技場)、1994年NICOSシリーズ第3節(8月17日)の清水vs平塚2011年J1第15節(6月15日)の仙台G大阪、同年第17節(6月22日)仙台対甲府(以上2試合ユアテックスタジアム仙台)。また2000年J2水戸ひたちなか市総合運動公園陸上競技場で主催した一部の平日の試合を16時からの薄暮デイマッチにした事例がある。
  13. ^ このときは横浜Mが三ツ沢、横浜Fは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった。
  14. ^ ゴールデンウィークお盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日。
  15. ^ 八戸市十和田市五戸町三戸町田子町南部町おいらせ町階上町新郷村三沢市七戸町六戸町東北町野辺地町横浜町六ケ所村
  16. ^ 盛岡市北上市宮古市大船渡市花巻市久慈市遠野市一関市陸前高田市釜石市二戸市八幡平市奥州市滝沢市雫石町葛巻町岩手町紫波町矢巾町西和賀町金ケ崎町平泉町住田町大槌町山田町岩泉町田野畑村普代村軽米町野田村九戸村洋野町一戸町
  17. ^ 秋田市由利本荘市にかほ市男鹿市
  18. ^ 鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市
  19. ^ 水戸市ひたちなか市笠間市那珂市小美玉市茨城町城里町大洗町東海村
  20. ^ 2013年に退会し2014年に再加盟。
  21. ^ 平塚市厚木市伊勢原市小田原市茅ヶ崎市秦野市平塚市藤沢市大磯町寒川町二宮町鎌倉市南足柄市大井町開成町中井町箱根町松田町真鶴町山北町湯河原町
  22. ^ 長野市須坂市中野市飯山市千曲市坂城町小布施町高山村山ノ内町木島平村野沢温泉村信濃町飯綱町小川村栄村佐久市
  23. ^ 松本市安曇野市山形村塩尻市大町市池田町生坂村箕輪町朝日村
  24. ^ 新潟市聖籠町長岡市三条市柏崎市新発田市小千谷市加茂市十日町市見附市村上市燕市糸魚川市妙高市五泉市上越市阿賀野市佐渡市魚沼市南魚沼市胎内市弥彦村田上町阿賀町出雲崎町湯沢町津南町刈羽村関川村粟島浦村
  25. ^ 金沢市野々市市かほく市津幡町内灘町
  26. ^ 藤枝市島田市焼津市牧之原市吉田町川根本町
  27. ^ 京都市宇治市城陽市京田辺市向日市長岡京市木津川市亀岡市南丹市京丹波町福知山市舞鶴市綾部市
  28. ^ 吹田市茨木市高槻市豊中市池田市摂津市箕面市
  29. ^ 鳥取市、倉吉市米子市境港市
  30. ^ 山口市下関市山陽小野田市宇部市防府市周南市美祢市萩市下松市岩国市光市長門市柳井市周防大島町和木町上関町田布施町平生町阿武町
  31. ^ 徳島市鳴門市美馬市松茂町板野町藍住町北島町吉野川市
  32. ^ いわき市広野町楢葉町富岡町川内村大熊町双葉町浪江町葛尾村
  33. ^ 桑名市東員町いなべ市木曽岬町朝日町川越町菰野町
  34. ^ a b c d 1992年から1995年に「特別活動地域」として九州地方の3県をホームタウンとほぼ同権限の地域と位置づけた。
  35. ^ 仙台・山形・大宮・FC東京・川崎・甲府・新潟・鳥栖・大分の9クラブ。
  36. ^ JFLから9クラブ(秋田・福島・町田・相模原・YS横浜・長野・金沢・藤枝・琉球)、地域リーグ東北リーグ)から1クラブ(盛岡)。
  37. ^ 天皇杯の公式記録では、Jリーグクラブについては、前身のクラブからの通算としている。この場合、最多獲得クラブは横浜FMの7回(前身の日産自動車時代に5回獲得)となるほか、C大阪が前身のヤンマー時代に3回の天皇杯を獲得している。
  38. ^ 10歳以下は調査対象外となっている。
  39. ^ 全面的にミズノと契約したクラブの場合、チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と、他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった。またリーグ戦とカップ戦(チームによってはJリーグカップ・天皇杯など大会ごとにも)でユニフォームスポンサーが異なることもあった他、天皇杯や海外のクラブとの試合などでは、当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号や、選手名を入れたユニフォームがあった。
  40. ^ Jリーグの試合実施要項[143] 第4条第2項で「ホームクラブは、試合の前後およびハーフタイムに、次の各号の事項を行うことができる」とあり(第3号に「音楽放送」の記述あり)、必ずしも義務づけられているわけではない。
  41. ^ a b c 2011年までのオフィシャルスポンサーに当たるリーグ戦最上位スポンサーカテゴリー(なお2015年度からは明治安田生命保険がJリーグ全体のタイトルパートナー(特別協賛)に就任するため、スポンサーカテゴリーとしてはタイトルパートナーが最上級、トップパートナーはその次のクラスに当たる)。
  42. ^ a b J3に関しては2014年度にJ3独自のオフィシャルパートナーがあった名残で、日本スポーツ振興センター、スカパーJSAT、アディダスジャパンの広告はバックスタンド最前列に2枚ずつ張り付けてある
  43. ^ 2014年予選ではコカコーラ、コナミ(ウイニングイレブン)、東京エレクトロンの3社。
  44. ^ a b 陸上競技場の場合は、バックスタンドはトラック部分、ゴール裏はフィールド競技が行われる箇所に設置
  45. ^ 陸上競技場は場所によってバックスタンド一列で掲示する場合もある
  46. ^ 2014年度はJリーグ全体のトップパートナーであるとともに、J3リーグのタイトルパートナー(特別協賛)であったが、2015年度はJリーグ全体のタイトルパートナーに昇格させた(Jリーグチャンピオンシップを含む。トップパートナー契約は2019年まで兼任)。
  47. ^ 2002年から2014年まで以来のトップパートナー復帰
  48. ^ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
  49. ^ 2016年8月までの社名は「ヤマザキナビスコ」。
  50. ^ a b c 2014年J3リーグのオフィシャルスポンサーも務めた。
  51. ^ 2016年から2018年まではトップパートナー
  52. ^ 公式スポンサー兼務
  53. ^ 1997年から2004年のチャンピオンシップにおいても冠スポンサーとなっている
  54. ^ この期間中、関連会社のローソンチケットがJリーグオフィシャルチケットステーションの業務を担当していた。
  55. ^ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
  56. ^ a b 2011年はオフィシャルスポンサー。
  57. ^ アソシエイトとは、Jリーグ・アンダー22選抜チームと、それが出場するJ3リーグをサポートするための協賛カテゴリーである

出典

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参考文献

外部リンク