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2020年3月19日 (木) 08:11時点における版
明治安田生命Jリーグ | |
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今シーズン・大会: 2020年のJリーグ | |
前身 | 日本サッカーリーグ (JSL) |
競技 | サッカー |
創立 | 1991年11月 |
代表 | 村井満(チェアマン) |
開始年 | 1993年 |
参加チーム | 59(J1:18、J2:22、J3:16+3) |
国内カップ戦 | JリーグYBCルヴァンカップ |
国 | 日本 |
連盟 | アジアサッカー連盟 (AFC) |
前回優勝 | J1:横浜F・マリノス J2:柏レイソル J3:ギラヴァンツ北九州 |
参加資格 | Jリーグクラブライセンス制度参照 |
テレビ局 | 特記事項参照 |
スポンサー | #協賛団体参照 |
公式サイト | Jリーグ.jp |
備考 | |
インターネット配信業者DAZNが一次放映権を保有しており、インターネット配信を行うほか、Jリーグが各テレビ局に映像提供を行っている。 |
日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英: Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注釈 1](ジェイリーグ、英: J.LEAGUE)。
概説
主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。加盟するには参加カテゴリーに対応した単年のみ有効のクラブライセンスが必要である。
1993年に10クラブで開始し、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現J1リーグ)と「Jリーグ ディビジョン2」(現J2リーグ)[注釈 2]の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。制度上J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とではリーグエンブレムや参加要件等様々な点で差別化されている。
2020年シーズン開始時点で、日本国内の38都道府県に本拠地を置く56クラブ(J1:18、J2:22、J3:16)が参入[注釈 3]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが9クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。
J1リーグの年間最終順位上位原則3クラブは、同年度の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会優勝クラブとともに、翌年度のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を与えられる(J1上位3クラブと天皇杯優勝クラブが重複した場合は、J1の4位も出場)。アジアの大会における日本のサッカークラブも参照。
アルファベットの「J」をかたどった公式ロゴマークは、設立当時博報堂に在籍していた大貫卓也が手がけたものである[3]。
理念と活動方針
Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[4]。
- 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
- 豊かなスポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与
- 国際社会における交流および親善への貢献
また、次の内容の活動方針を掲げている[4]。
この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[5]。
加盟要件
Jリーグ加盟の要件には、スタジアム・経営状況・チーム運営状況などの項目が定められている。チーム運営については、実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず、育成組織(下部組織)によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている。2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し、Jリーグへの加盟可否・加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された。
また2006年から、Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを「Jリーグ準加盟」と認定することを定め、J3発足後の2014年以降は代わって「Jリーグ百年構想クラブ」と呼称するものとしている。
設立経緯
日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[6][7][8][9]、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[7][10][11]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[10][12][13][14][15]。1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[9][16][17][18]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[19][20]。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり[21]、1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』[22][23]、1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど[24]、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった[10][12][19][25][26]。
日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主の正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり[27][28][29][30]、1977年にドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度[10][20][31]により奥寺、木村和司を始め[32]、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた[7][15][26][33]。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった[34][35]。
1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにも関わらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた[18][36][37][38]。
このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」[注釈 4]が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる[7][10][15][16][19][20][26][44][45][46]。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」、J.League x JFA公式サイトの「サッカーで振り返る平成史」でも、この1988年3月「JSL活性化委員会」設置をその始まりに置いている[32]。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している[47]。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』[15](プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した[21][48][注釈 5]。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり[15][20][45]、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」[注釈 6]を設置[15][32]。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健や岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが[53]、ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり[54]、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」[注釈 7]で大勢を占めた[56][57]。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった[45]。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し[15][58]、翌1989年 6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し[7][15][45][59]、JFA内に「プロリーグ検討委員会」[注釈 8]が設置された[15][32][52][61]。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた[62]。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである[43]。プロリーグ構想は具現化され[15][63]、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表[52]、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した[注釈 9]。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案[注釈 10]の中から川淵が気に入り採用に至ったもの[21][66][67]。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが[23][68]、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で[23]、電通がペレの引退興行を始め[69]、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった[70]。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる[71]。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる[72]。
1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で[26][73]、FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年か2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て[26][74]、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える[26][75]。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化[注釈 11]とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった[26][76][77]。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず[43]、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた[26][78][45]。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は[15][79]、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている[75]。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした[9][12][80][81]。Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた[15][20][82][83]。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが[9][18][84]、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になったのは事実ではある[出典無効]。しかし、森健兒と木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて[20][47][85][86]、川淵は日本サッカーに絶望し、一時サッカー界から離れていた時期があり[87][88]、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった[89]。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており[90]、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで[91]、木之本は「川淵さんのJSL総務主事就任前にプロ化の道筋はすでに出来上がっていた」[92]、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている[93]。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが[86]、2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった[20]。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早いと反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された[20][77][82]。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ[20]、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した[8][20][86][94]。
1992年には前哨戦として、ヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。
クラブ名称表記
Jリーグでは方針としてクラブ名称を地域名称+愛称にしているため、発足当初から企業名称は原則排除している。ただ、前哨戦として1992年に開催されたヤマザキナビスコカップではプロ化への移行・準備的な要素が考慮された事から一部のクラブ名称表記について、例えば「読売ヴェルディ」(ヴェルディ川崎)や「三菱浦和レッドダイヤモンズ」(浦和レッドダイヤモンズ)などの様に報道などでクラブ名称表記に企業名称を入れることを暫定的に容認したことがある。
沿革
- 1988年
- 1989年
- 6月、第二次JSL活性化委員会による最終報告書が日本サッカー協会へ提出される。
- 1990年
- 3月、Jリーグ参加条件の詳細が決定される。(ホームタウン制、ホームスタジアムの確保、拠出金など)
- 6月、日本サッカーリーグ参加クラブへJリーグ参加の要請が行われ、20団体からプロリーグ参加希望の返答。
- 8月、プロリーグ検討委員会が組織される。
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 4月、Jリーグ規約施行。
- 5月15日、「サントリーシリーズ」開幕で初年度のリーグ戦開始(1993年Jリーグ開幕節)。開幕試合は、横浜マリノス VS ヴェルディ川崎の神奈川ダービーで幕を開ける。
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- ヴィッセル神戸が加盟。
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 水戸ホーリーホックが加盟。
- 2001年
- 横浜FCが加盟。
- 2002年
- J2での延長戦を廃止。
- 7月、鈴木昌が2代目チェアマンに就任。
- Jリーグアカデミー・サポートセンターが発足。
- 2003年
- J1での延長戦を廃止。
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦を導入。
- 2005年
- J1の所属クラブ数が増加(16クラブ→18クラブ)。
- 徳島ヴォルティス、ザスパ群馬が加盟。
- J1を1ステージ制へ移行。Jリーグチャンピオンシップを廃止。
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- ガイナーレ鳥取が加盟。
- 2012年
- 4月1日、「公益社団法人 日本プロサッカーリーグ」に移行[95]。
- FC町田ゼルビア、松本山雅FCが加盟。
- J1昇格プレーオフを導入。
- J2・JFL間での入れ替え制度を導入。
- タイ・プレミアリーグ、ベトナムサッカーリーグ、ミャンマーサッカーリーグとパートナーシップ協定を締結。
- 2013年
- 2014年
- 2月、村井満が5代目チェアマンに就任。
- 3部にあたる下部リーグ・J3リーグ(J3、11クラブ+Jリーグ・アンダー22選抜の計12クラブ/チーム)[98]。を新設。J3リーグ独自の「タイトルパートナー」(特別協賛)として明治安田生命保険と契約を締結し、名称を「明治安田生命J3リーグ」に制定。
- カマタマーレ讃岐 (J2)、AC長野パルセイロ、SC相模原、ツエーゲン金沢、ブラウブリッツ秋田、FC琉球、Y.S.C.C.横浜、藤枝MYFC、福島ユナイテッドFC、グルージャ盛岡(以上J3)が新規加盟。FC町田ゼルビアが再加盟。
- インドネシア・スーパーリーグ[99] とパートナーシップ協定を締結。
- 2015年
- スポンサーカテゴリーに「タイトルパートナー」を新設し、明治安田生命保険相互会社と契約を締結。リーグ全体の総称を「明治安田生命Jリーグ」、また各カテゴリーごとのタイトルも「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」に統一。
- J1を11年ぶりに2ステージ制へ移行。ステージ優勝クラブと年間勝点1位、2位、3位の最大5クラブが出場できるJリーグチャンピオンシップを復活させる。
- レノファ山口FCが加盟。
- ニューイヤーカップを新設。
- イランサッカーリーグ[100]、マレーシア・スーパーリーグ[101]、カタール・スターズリーグ[102] とパートナーシップ協定を締結。
- 2016年
- 鹿児島ユナイテッドFCが加盟。Jリーグ・アンダー22選抜が活動終了し、FC東京U-23・ガンバ大阪U-23・セレッソ大阪U-23がJ3に参加。
- Jサテライトリーグが7年ぶりに復活。
- 3月、日本トップリーグ連携機構に加盟[103]。
- Aリーグ(オーストラリア)と戦略的連携協定を締結[104]。
- 7月20日、イギリスの大手動画配信会社パフォーム・グループと2017年から2026年まで10年間の放映権を契約。
- 2017年
- アスルクラロ沼津が加盟。
- J1を3年ぶりに1ステージ制へ移行。JリーグチャンピオンシップおよびJ2・J3入れ替え戦を廃止。
- ラ・リーガ(スペイン)と戦略的連携協定を締結[105]。
- 2018年
- J1参入プレーオフを導入。
- 2019年
- ヴァンラーレ八戸が加盟。
- 2020年
- FC今治が加盟。
- 2020年3月2日:一般社団法人日本野球機構(NPB)と新型コロナウイルス対策連絡会議を設置し、専門家チームを置くことを発表し、会見した。(設置と専門家チームを置くことに関しては2020年3月3日付)
クラブ数の推移
年度 | J1 | J2 | J3 | 総数 |
---|---|---|---|---|
1993年 | 10 | 10 | ||
1994年 | 12 | 12 | ||
1995年 | 14 | 14 | ||
1996年 | 16 | 16 | ||
1997年 | 17 | 17 | ||
1998年 | 18 | 18 | ||
1999年 | 16 | 10 | 26 | |
2000年 | 16 | 11 | 27 | |
2001年 | 16 | 12 | 28 | |
2002年 | 16 | 12 | 28 | |
2003年 | 16 | 12 | 28 | |
2004年 | 16 | 12 | 28 | |
2005年 | 18 | 12 | 30 | |
2006年 | 18 | 13 | 31 | |
2007年 | 18 | 13 | 31 | |
2008年 | 18 | 15 | 33 | |
2009年 | 18 | 18 | 36 | |
2010年 | 18 | 19 | 37 | |
2011年 | 18 | 20 | 38 | |
2012年 | 18 | 22 | 40 | |
2013年 | 18 | 22 | 40 | |
2014年 | 18 | 22 | 11(+1) | 52 |
2015年 | 18 | 22 | 12(+1) | 53 |
2016年 | 18 | 22 | 13(+3) | 56 |
2017年 | 18 | 22 | 14(+3) | 57 |
2018年 | 18 | 22 | 14(+3) | 57 |
2019年 | 18 | 22 | 15(+3) | 58 |
2020年 | 18 | 22 | 16(+3) | 59 |
開催日時
リーグ戦は基本的に試合は毎週土曜日または日曜日に開催している。スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか、祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある。
土曜日・日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが、各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか、夏期(おおむね6月下旬から9月上旬にかけて)のJ1・J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される。また、祝祭日以外の平日に開催される試合は全てナイトマッチで開催されている(ただし、Jリーグの発足直後と2011年には水曜日の開催でもデイマッチを行う事があった[注釈 12])。
なお、最終節は全試合の開催日と試合開始時間を統一している。
2008年以降、日本代表の試合のある日は原則として、JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない(この間、J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため、リーグ戦の試合自体が組まれない)。また、試合予定が未定の分で、日本代表の試合が予定されている場合は土曜、日曜両方で開催できるように対応している。
試合日程については、概ね1月中旬に、各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程・対戦組み合わせ・試合会場のみを先行で発表し、1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程・組み合わせ・試合会場、並びに前半戦(概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は、第1ステージの17試合分のみ)の試合開始時間を、6月下旬または7月初めに後半戦(概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが、第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり)の試合開始時間について発表される[106]。
- J1
-
- 1部制だった時代(1993年から1998年)も含めて、1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた。ただし、1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日(主に水曜日)にも開催されていた。
- 2001年以降はスポーツ振興くじ(toto)の導入に伴い、J2と共に土曜日を中心とする開催になった。
- 2002年、テレビ中継などの日程調整も考慮し、土曜日開催を基本としつつ、原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された。
- 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが、AFCチャンピオンズリーグに参加するクラブについては、週の中間(火曜・水曜)に試合をすることを考慮して、週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり、アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある。国際Aマッチ期間は試合が開催されない。
- 2018年度からは、DAZNと協力し年間10節程度、各節1-3試合程度を「明治安田生命フライデーナイトJリーグ」として金曜日に適宜開催する。
- J2
-
- 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが、1か月に1-2回程度は木曜日にも開催されていた。
- 2001年以降はtotoの導入に伴い、J1と共に土曜日を中心とする開催になった(一部は日曜日に開催)。
- 2012年以降は原則日曜日開催。J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある。水曜日開催が行われる週もある。国際Aマッチ期間も、日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する(ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった)。
- J3
-
- 基本的に原則日曜日の開催に固定している。
- J3クラブのスタジアム基準で照明設備が必須とされていないことから、夏季を含め基本的にデイマッチを中心として編成している(本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される)。
- 毎年8月から9月は、天皇杯の都道府県予選(J3は都道府県予選から出場)、並びに国体ブロック予選(ミニ国体)が行われるため、3週間から1か月程度のインターバルがある。なおこれについては2017年以降、天皇杯の制度改革によって多少見直されている。
その他、同一都道府県・市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は、極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している(2011年の場合はJ1のさいたま市、神奈川県、静岡県、大阪府、J2の東京都、神奈川県が該当)。ただし、初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった[注釈 13]。2011年にもJ1のさいたまと大阪、J2の東京都、さらにJ1・J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが、このときでもやむをえない場合を除き原則として、どちらかが土曜日、もう一方は日曜日の開催[注釈 14] とするように配慮されている。
なお、2012年から2016年までJ1とJ2の開催日が分けられていたこと、及びキックオフ時間がずらされていたが、これは当時Jリーグ中継を担当していたスカパー!のチャンネル数や放送時間の制約によるものであったことが、2016年のJリーグとDAZNの契約記者会見の際に明らかにされており、現在は土曜か日曜のどちらを開催日にするかはクラブ側に委ねられているという[107]。
クラブ一覧
正会員クラブ
クラブの所属(カテゴリ)は2020年シーズン[108]。ホームスタジアムについては2020年シーズン各チームのホーム開幕節で使用するスタジアム(県外開催となる富山を除く)を、各チームのホーム開幕節時点での表記で記す[109]。複数の資料で記述にぶれがあるものについては、Jリーグ公式サイトのクラブガイドの記述に基づき、スタジアム名称は命名権によるものとした(命名権の取り扱いについては各スタジアムの記事を参照のこと)。準加盟年度については、準会員(1992-98)、準加盟(2005-13)、Jリーグ百年構想クラブ(2014-)をすべて含む。
地域 | クラブ名 (呼称) |
所属 | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
加盟 年度 |
準加盟 年度 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道コンサドーレ札幌 Hokkaido Consadole SAPPORO |
J1 | 北海道 / 札幌市を中心とする全道 (札幌ドーム〈札幌市豊平区〉) |
1998年 | 1996年 |
東北 | ヴァンラーレ八戸 Vanraure HACHINOHE |
J3 | 青森県 / 八戸市ほか3市11町2村[注釈 15] (プライフーズスタジアム〈八戸市〉) |
2019年 | 2013年 |
いわてグルージャ盛岡 Iwate Grulla MORIOKA |
J3 | 岩手県 / 岩手県全県14市15町4村[注釈 16] (いわぎんスタジアム〈盛岡市〉) |
2014年 | 2013年 | |
ベガルタ仙台 Vegalta SENDAI |
J1 | 宮城県 / 仙台市 (ユアテックスタジアム仙台〈仙台市泉区〉) |
1999年 | 1996年 | |
ブラウブリッツ秋田 Blaublitz AKITA |
J3 | 秋田県 / 秋田市他4市[注釈 17] を中心とする全県 (ソユースタジアム〈秋田市〉) |
2014年 | 2013年 | |
モンテディオ山形 Montedio YAMAGATA |
J2 | 山形県 / 山形市、天童市、鶴岡市を中心とする全県 (NDソフトスタジアム山形〈天童市〉) |
1999年 | ||
福島ユナイテッドFC FUKUSHIMA United FC |
J3 | 福島県 /福島市、会津若松市を中心とする全県 (とうほう・みんなのスタジアム〈福島市〉) |
2014年 | 2013年 | |
関東 | 鹿島アントラーズ KASHIMA Antlers |
J1 | 茨城県 / 鹿嶋市他5市[注釈 18] (茨城県立カシマサッカースタジアム〈鹿嶋市〉) |
1991年 | |
水戸ホーリーホック MITO Hollyhock |
J2 | 茨城県 / 水戸市ほか5市3町1村[注釈 19] (ケーズデンキスタジアム水戸〈水戸市〉) |
2000年 | ||
栃木SC TOCHIGI SC |
J2 | 栃木県 / 宇都宮市 (栃木県グリーンスタジアム〈宇都宮市〉) |
2009年 | 2007年 | |
ザスパクサツ群馬 Thespakusatsu GUNMA |
J2 | 群馬県 / 草津町、前橋市を中心とする全県 (正田醤油スタジアム群馬〈前橋市〉) |
2005年 | ||
浦和レッズ URAWA Reds |
J1 | 埼玉県 / さいたま市 (埼玉スタジアム2002〈さいたま市緑区〉) |
1991年 | ||
大宮アルディージャ OMIYA Ardija |
J2 | 埼玉県 / さいたま市 (NACK5スタジアム大宮〈さいたま市大宮区〉) |
1999年 | ||
ジェフユナイテッド千葉 Jef United CHIBA |
J2 | 千葉県 / 千葉市、市原市 (フクダ電子アリーナ〈千葉市中央区〉) |
1991年 | ||
柏レイソル KASHIWA Reysol |
J1 | 千葉県 / 柏市 (三協フロンテア柏スタジアム〈柏市〉 |
1995年 | 1992年 | |
FC東京 F.C. TOKYO |
J1 | 東京都 / 東京都 (味の素スタジアム〈調布市〉) |
1999年 | ||
東京ヴェルディ TOKYO Verdy |
J2 | 東京都 / 東京都 (味の素スタジアム〈調布市〉) |
1991年 | ||
FC町田ゼルビア FC MACHIDA Zelvia |
J2 | 東京都 / 町田市 (町田GIONスタジアム〈町田市〉) |
2012年 [注釈 20] |
2009年 | |
川崎フロンターレ KAWASAKI Frontale |
J1 | 神奈川県 / 川崎市 (等々力陸上競技場〈川崎市中原区〉) |
1999年 | 1997年 | |
横浜F・マリノス YOKOHAMA F. Marinos |
J1 | 神奈川県 / 横浜市、横須賀市、大和市 (日産スタジアム〈横浜市港北区〉) |
1991年 | ||
横浜FC YOKOHAMA FC |
J1 | 神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉) |
2001年 | ||
Y.S.C.C.横浜 Y.S.C.C YOKOHAMA |
J3 | 神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉) |
2014年 | 2013年 | |
SC相模原 SC SAGAMIHARA |
J3 | 神奈川県 / 相模原市、座間市、綾瀬市、愛川町 (相模原ギオンスタジアム〈相模原市南区) |
2014年 | 2010年 | |
湘南ベルマーレ SHONAN Bellmare |
J1 | 神奈川県 / 平塚市ほか8市11町[注釈 21] (Shonan BMW スタジアム平塚〈平塚市〉) |
1994年 | 1992年 | |
ヴァンフォーレ甲府 Ventforet KOFU |
J2 | 山梨県 / 甲府市、韮崎市を中心とする全県 (山梨中銀スタジアム〈甲府市〉) |
1999年 | ||
北信越 | AC長野パルセイロ AC NAGANO Parceiro |
J3 | 長野県 / 長野市ほか6市5町5村[注釈 22] (長野Uスタジアム〈長野市〉) |
2014年 | 2012年 |
松本山雅FC MATSUMOTO Yamaga F.C. |
J2 | 長野県 / 松本市ほか4市2町3村[注釈 23] (サンプロ アルウィン〈松本市〉) |
2012年 | 2010年 | |
アルビレックス新潟 Albirex NIIGATA |
J2 | 新潟県 / 新潟県全県20市6町4村[注釈 24] (デンカビッグスワンスタジアム〈新潟市中央区〉) |
1999年 | ||
カターレ富山 Kataller TOYAMA |
J3 | 富山県 / 富山市を中心とする全県 (富山県総合運動公園陸上競技場〈富山市〉) |
2009年 | 2008年 | |
ツエーゲン金沢 Zweigen KANAZAWA |
J2 | 石川県 / 金沢市他3市2町[注釈 25] を中心とする全県 (石川県西部緑地公園陸上競技場〈金沢市〉) |
2014年 | 2013年 | |
東海 | 清水エスパルス SHIMIZU S-Pulse |
J1 | 静岡県 / 静岡市 (IAIスタジアム日本平〈静岡市清水区〉) |
1991年 | |
ジュビロ磐田 Júbilo IWATA |
J2 | 静岡県 / 磐田市 (ヤマハスタジアム〈磐田市〉) |
1994年 | 1992年 | |
藤枝MYFC FUJIEDA MYFC |
J3 | 静岡県 / 藤枝市ほか4市2町[注釈 26] (藤枝総合運動公園サッカー場〈藤枝市〉) |
2014年 | 2013年 | |
アスルクラロ沼津 Azul claro NUMAZU |
J3 | 静岡県 / 沼津市 (静岡県愛鷹広域公園多目的競技場〈沼津市〉) |
2017年 | 2013年 | |
名古屋グランパス NAGOYA Grampus |
J1 | 愛知県 / 名古屋市、豊田市、みよし市を中心とする全県 (豊田スタジアム〈豊田市〉) |
1991年 | ||
FC岐阜 FC GIFU |
J3 | 岐阜県 / 岐阜市を中心とする全県 (岐阜メモリアルセンター長良川競技場〈岐阜市〉) |
2008年 | 2007年 | |
関西 | 京都サンガF.C. KYOTO Sanga F.C. |
J2 | 京都府 / 京都市ほか12市1町[注釈 27] (サンガスタジアム by KYOCERA〈亀岡市〉) |
1996年 | 1994年 |
ガンバ大阪 Gamba OSAKA |
J1 | 大阪府 / 吹田市ほか7市[注釈 28] (パナソニックスタジアム吹田〈吹田市〉) |
1991年 | ||
セレッソ大阪 Cerezo OSAKA |
J1 | 大阪府 / 大阪市、堺市 (ヤンマースタジアム長居〈大阪市東住吉区〉) |
1995年 | 1993年 | |
ヴィッセル神戸 Vissel KOBE |
J1 | 兵庫県 / 神戸市 (ノエビアスタジアム神戸〈神戸市兵庫区〉) |
1997年 | 1995年 | |
中国 | ガイナーレ鳥取 Gainare TOTTORI |
J3 | 鳥取県 / 鳥取市他4市[注釈 29] を中心とする全県 (とりぎんバードスタジアム〈鳥取市〉) |
2011年 | 2007年 |
ファジアーノ岡山 Fagiano OKAYAMA |
J2 | 岡山県 / 岡山市、倉敷市、津山市を中心とする全県 (シティライトスタジアム〈岡山市北区) |
2009年 | 2007年 | |
サンフレッチェ広島 Sanfrecce HIROSHIMA |
J1 | 広島県 / 広島市 (エディオンスタジアム広島〈広島市安佐南区〉) |
1991年 | ||
レノファ山口FC Renofa YAMAGUCHI FC |
J2 | 山口県 / 山口県全県13市6町[注釈 30] (維新みらいふスタジアム〈山口市〉) |
2015年 | 2013年 | |
四国 | 徳島ヴォルティス TOKUSHIMA Vortis |
J2 | 徳島県 / 徳島市ほか4市4町[注釈 31] を中心とする全県 (鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム〈鳴門市〉) |
2005年 | |
カマタマーレ讃岐 Kamatamare SANUKI |
J3 | 香川県 / 高松市、丸亀市を中心とする全県 (Pikaraスタジアム〈丸亀市〉) |
2014年 | 2011年 | |
愛媛FC EHIME FC |
J2 | 愛媛県 / 松山市を中心とする全県 (ニンジニアスタジアム〈松山市〉) |
2006年 | ||
FC今治 FC IMABARI |
J3 | 愛媛県 / 今治市 (ありがとうサービス. 夢スタジアム〈今治市〉) |
2020年 | 2016年 | |
九州 | アビスパ福岡 Avispa FUKUOKA |
J2 | 福岡県 / 福岡市 (ベスト電器スタジアム〈福岡市博多区〉) |
1996年 | 1995年 |
ギラヴァンツ北九州 Giravanz KITAKYUSHU |
J2 | 福岡県 / 北九州市 (ミクニワールドスタジアム北九州〈北九州市小倉北区〉) |
2010年 | 2008年 | |
サガン鳥栖 Sagan TOSU |
J1 | 佐賀県 / 鳥栖市 (駅前不動産スタジアム〈鳥栖市〉) |
1999年 | ||
V・ファーレン長崎 V Varen NAGASAKI |
J2 | 長崎県 / 長崎市、諫早市を中心とする全県 (トランスコスモススタジアム長崎〈諫早市〉) |
2013年 | 2009年 | |
ロアッソ熊本 Roasso KUMAMOTO |
J3 | 熊本県 / 熊本市 (えがお健康スタジアム〈熊本市東区〉) |
2008年 | 2006年 | |
大分トリニータ OITA Trinita |
J1 | 大分県 / 大分市、別府市、佐伯市を中心とする全県 (昭和電工ドーム大分〈大分市〉) |
1999年 | ||
鹿児島ユナイテッドFC KAGOSHIMA United FC |
J3 | 鹿児島県 / 鹿児島市 (白波スタジアム〈鹿児島市〉) |
2016年 | 2015年 | |
FC琉球 FC RYUKYU |
J2 | 沖縄県 / 沖縄市を中心とする全県 (タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉) |
2014年 | 2013年 |
Jリーグ百年構想クラブ
クラブ名 | 所属 | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
承認年度 | |
---|---|---|---|---|
東北 | ラインメール青森 ReinMeer Aomori F.C |
JFL | 青森県 / 青森市 (カクヒログループアスレチックスタジアム〈青森市〉) |
2019年 |
いわきFC IWAKI FC |
JFL | 福島県 / いわき市ほか9市町村[注釈 32] | 2020年 | |
関東 | 栃木シティフットボールクラブ TOCHIGI City Football Club |
関東1部 | 栃木県 / 栃木市 (栃木市総合運動公園陸上競技場〈栃木市〉) |
2014年 |
VONDS市原 VONDS ICHIHARA |
関東1部 | 千葉県 / 市原市 | 2020年 | |
東京武蔵野シティFC TOKYO MUSASHINO City FC |
JFL | 東京都 / 武蔵野市 (武蔵野陸上競技場〈武蔵野市〉) |
2016年 | |
南葛SC NANKATSU SC |
東京都1部 | 東京都 / 葛飾区 | 2020年 | |
東海 | ヴィアティン三重 Veertien Mie |
JFL | 三重県 / 桑名市ほか7市町[注釈 33] | 2020年 |
近畿 | FC大阪 FC OSAKA |
JFL | 大阪府 / 東大阪市 | 2020年 |
九州 | テゲバジャーロ宮崎 Tegevajaro Miyazaki |
JFL | 宮崎県 / 宮崎市・新富町 (新富町に新設予定) |
2019年 |
過去にJリーグ正会員であったクラブ
クラブ名 | 活動区域/ホームタウン (ホームスタジアム) |
加盟期間 |
---|---|---|
横浜フリューゲルス YOKOHAMA Flügels |
神奈川県/横浜市、長崎県、熊本県、鹿児島県[注釈 34] (三ツ沢公園球技場、横浜国際総合競技場、長崎県立総合運動公園陸上競技場[注釈 34]、熊本市水前寺競技場[注釈 34]、鹿児島県立鴨池陸上競技場[注釈 34]) |
1991-1998年 |
過去にJリーグ百年構想クラブであったクラブ
クラブ名 | 所属 (脱退時) |
活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
承認期間 |
---|---|---|---|
tonan前橋 Tonan MAEBASHI |
関東2部 | 群馬県 / 前橋市 (前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場〈前橋市〉) |
2013-2019年 |
奈良クラブ NARA Club |
JFL | 奈良県 / 奈良市を中心とする全県 (ならでんフィールド〈奈良市〉) |
2013-2020年 |
- 奈良クラブは2020年より「解除条件付き失格」処分中。
入れ替え制度
1998年にJ1参入決定戦を実施。1999年からはJ1・J2の2部制への移行に伴い、入れ替え制度を導入した。
- Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され、J1の16位からJ2降格も取り消される。なお、J1・J2の2部制へ移行した1999年から2017年シーズン終了時点までにJ1昇格・J2降格が取り消されたことは1度もない。
- 公式試合安定開催基金から融資を受けているクラブが返済期日まで完済できない場合、次シーズンはJ2所属となる。すなわち、J1に所属するクラブにおいてはJ1残留できる順位であってもJ2降格となり、J2に所属するクラブにおいてはJ1昇格できる順位であっても昇格は見送られる。ただし、過去にこの制度が適用(J1からの強制降格、もしくはJ2からの昇格見送り)となったクラブは1度もない(2018年シーズン終了時点)。
- 2012年よりJ2からの降格が制度化され、J2への昇格クラブが生じた場合、同数のクラブが2012年のポストシーズンにおいては日本フットボールリーグ(JFL)へ、2013年のポストシーズン以降はJ3へ降格する。「J2・J3入れ替え戦」も参照
- 2012年のポストシーズン(2013年の参入)以降は、J1・J2・J3のリーグに参入するには「Jリーグクラブライセンス制度により当該リーグないしそれより上のライセンスを取得している」ことが要件となる。
1996年 - 2012年
年度 | J1 | J2 | JFL | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
クラブ数 | J2降格 | J1昇格 | クラブ数 | JFL降格 | J2参入 | ||
1998 | 18 | 札幌 | - | - | 降格制度なし | 9クラブ[注釈 35] | J1参入決定戦実施 |
1999 | 16 | 浦和 / 平塚 | 川崎 / FC東京 | 10 | 水戸 | 自動入れ替え2クラブ | |
2000 | 16 | 京都 / 川崎 | 札幌 / 浦和 | 11 | 横浜FC | ||
2001 | 16 | 福岡 / C大阪 | 京都 / 仙台 | 12 | - | ||
2002 | 16 | 広島 / 札幌 | 大分 / C大阪 | 12 | - | ||
2003 | 16 | 仙台 / 京都 | 新潟 / 広島 | 12 | - | ||
2004 | 16 | - | 川崎 / 大宮 | 12 | 徳島 / 草津 | J1・J2入れ替え戦の導入 | |
2005 | 18 | 柏 / 東京V / 神戸 | 京都 / 福岡 / 甲府 | 12 | 愛媛 | 自動入れ替え2クラブ+J1・J2入れ替え戦 | |
2006 | 18 | 福岡 / C大阪 / 京都 | 横浜FC / 柏 / 神戸 | 13 | - | ||
2007 | 18 | 広島 / 甲府 / 横浜FC | 札幌 / 東京V / 京都 | 13 | 熊本 / 岐阜 | ||
2008 | 18 | 東京V / 札幌 | 広島 / 山形 | 15 | 栃木 / 富山 / 岡山 | ||
2009 | 18 | 柏 / 大分 / 千葉 | 仙台 / C大阪 / 湘南 | 18 | 北九州 | 自動入れ替え3クラブ | |
2010 | 18 | FC東京 / 京都 / 湘南 | 柏 / 甲府 / 福岡 | 19 | 鳥取 | ||
2011 | 18 | 甲府 / 福岡 / 山形 | FC東京 / 鳥栖 / 札幌 | 20 | 町田 / 松本 | ||
2012 | 18 | 神戸 / G大阪 / 札幌 | 甲府 / 湘南 / 大分 | 22 | 町田 | 長崎 | 入れ替え3クラブ(J1昇格プレーオフ導入) |
2013年以降
年度 | J1 | J2 | J3 | JFL | 備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クラブ数 | J2降格 | J1昇格 | クラブ数 | J3降格 | J2昇格 | クラブ数 | J3参入 | ||
2013 | 18 | 湘南 / 磐田 / 大分 | G大阪 / 神戸 / 徳島 | 22 | 鳥取 | (讃岐) | - | 10クラブ[注釈 36] | 讃岐はJFLからJ2への参入 |
2014 | 18 | 大宮 / C大阪 / 徳島 | 湘南 / 松本 / 山形 | 22 | 富山 | 金沢 | 12 | 山口 | J2・J3入れ替え戦の導入 |
2015 | 18 | 松本 / 清水 / 山形 | 大宮 / 磐田 / 福岡 | 22 | 大分 / 栃木 | 山口 / 町田 | 13 | 鹿児島 | |
2016 | 18 | 名古屋 / 湘南 / 福岡 | 札幌 / 清水 / C大阪 | 22 | 北九州 | 大分 | 16 | 沼津 | |
2017 | 18 | 甲府 / 新潟 / 大宮 | 湘南 / 長崎 / 名古屋 | 22 | 群馬 | 栃木 | 17 | - | |
2018 | 18 | 柏 / 長崎 | 松本 / 大分 | 22 | 熊本 / 讃岐 | 琉球 / 鹿児島 | 17 | 八戸 | 自動入れ替え2クラブ+J1参入プレーオフ導入 |
2019 | 18 | 松本 / 磐田 | 柏 / 横浜FC | 22 | 鹿児島 / 岐阜 | 北九州 / 群馬 | 18 | 今治 | |
2020 | 18 | - | 22 | - | 19 |
懲罰
Jリーグでは各クラブが不正行為や選手・観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある。制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり、裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて、チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている。
制裁措置はクラブ、及びクラブに所属する個人に対して行われ、以下のような段階が設けられている。
- クラブに対する制裁
※中立地開催・無観客試合・没収試合・強制降格は2014年から設けられた。
- 個人に対する制裁
-
- けん責
- 制裁金(最大5,000万円)
- 出場資格停止(無期限または最大1年以内の期限付き出場停止)
- 公式試合に関わる職務の停止(一定期間、無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止)
通算成績
J1リーグ戦
J2リーグ戦
J3リーグ戦
タイトル獲得クラブ一覧
- Jリーグ発足以降に主なタイトルを獲得したクラブのみ掲載。
- 天皇杯については、Jリーグ所属クラブが参加するようになった1992年度の第72回大会以降の戦績について記す[注釈 37]。
- Jリーグカップについては、Jリーグ発足前年の1992年大会を含む。
- J2・J3の年間優勝および2ステージ時代のJ1ステージ優勝は含めない。
- 詳細な情報については各クラブ・大会の項目を参照の事。
クラブ名 | J / J1 |
天 皇 杯 |
J 杯 |
X S C |
96 J C |
国 内 |
C W C |
A C L |
J C C |
A C W |
A S C |
A 3 C |
P P C |
T P C |
S B C |
国 際 |
合 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | 8 | 5 | 6 | 6 | 0 | 25 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 29 |
浦和レッズ | 1 | 3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 10 |
ジェフユナイテッド千葉 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
柏レイソル | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 |
FC東京 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
東京ヴェルディ | 2 | 2 | 3 | 3 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 11 |
川崎フロンターレ | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
横浜F・マリノス | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 |
横浜フリューゲルス | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 |
湘南ベルマーレ | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
清水エスパルス | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 |
ジュビロ磐田 | 3 | 1 | 2 | 3 | 0 | 9 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 |
名古屋グランパス | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 8 |
京都サンガF.C. | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
ガンバ大阪 | 2 | 4 | 2 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 12 |
セレッソ大阪 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
ヴィッセル神戸 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
サンフレッチェ広島 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 8 |
大分トリニータ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
※2020年2月8日現在[32][110][111][112][113][114][115][116][117][118][119][120]
表彰
試合入場者数
歴代入場者数
|
|
2010年8月8日、J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した。なお、カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は、2009年3月に1億人を突破している。
なお、イギリスのサッカー専門誌『World Soccer』が2009年8月号で掲載した統計によると、世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38,975人であり、J1リーグは19,278人(2008年シーズン)で第6位に位置している[123]。
スタジアム別入場者数
- 掲載順は1試合あたりの平均入場者数の多いクラブ順による。
- ホームスタジアムの略称、所属ディビジョン、入場者数[124] は、2018年度時点(年度途中で呼称変更があった場合はシーズン終了時点)のもの(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が16試合)。
- ホームスタジアムが複数登録されている場合は、座席数が大きいものから記載(ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外)。
- 招待券比率は、2018年シーズン中(J1・J2)[125] または2017年シーズン中(J3)[126] に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査(アンケート)の集計結果による(必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない)。
- 入場料収入[127] は、各クラブの2017年(平成29年)度決算の数値(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が16試合)。
クラブ 所属 |
スタジアム略称 (所在地) |
座席数 (席) |
平均入場者数 (人) |
総入場者数 (人) |
招待券比率 (%) |
入場料収入 (百万円) |
画像 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 浦和 J1 |
埼玉 (さいたま市) |
63,770 | 35,502 | 603,534 | 2.8 | 2,337 | |
2 | FC東京 J1 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 26,432 | 449,338 | 11.3 | 1,026 | |
3 | 名古屋 J1 |
豊田ス (豊田市) |
40,000 | 24,660 | 419,218 | 7.9 | 824 | |
パロ瑞穂 (名古屋市) |
20,000 | |||||||
4 | G大阪 J1 |
吹田S (吹田市) |
39,694 | 23,485 | 399,242 | 4.8 | 1,266 | |
5 | 川崎 J1 |
等々力 (川崎市) |
26,827 | 23,218 | 394,709 | 12.7 | 1,038 | |
6 | 横浜FM J1 |
日産ス (横浜市) |
72,372 | 21,788 | 370,401 | 7.4 | 1,026 | |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | |||||||
7 | 鹿島 J1 |
カシマ (鹿嶋市) |
40,728 | 19,434 | 330,376 | 16.3 | 894 | |
8 | C大阪 J1 |
ヤンマー (大阪市) |
47,000 | 18,811 | 319,782 | 7.3 | 839 | |
金鳥スタ (大阪市) |
20,500 | |||||||
9 | 神戸 J1 |
ノエスタ (神戸市) |
30,132 | 18,272 | 367,716 | 10.8 | 514 | |
10 | 札幌 J1 |
札幌ド (札幌市) |
41,484 | 18,223 | 309,798 | 8.5 | 622 | |
11 | 磐田 J1 |
ヤマハ (磐田市) |
15,165 | 15,474 | 263,060 | 10.7 | 615 | |
12 | 仙台 J1 |
ユアスタ (仙台市) |
19,694 | 15,408 | 261,943 | 8.6 | 619 | |
13 | 鳥栖 J1 |
ベアスタ (鳥栖市) |
24,490 | 15,000 | 255,004 | 4.6 | 631 | |
14 | 清水 J1 |
アイスタ (静岡市) |
20,281 | 14,991 | 254,844 | 13.3 | 625 | |
15 | 新潟 J2 |
デンカS (新潟市) |
42,300 | 14,913 | 313,180 | 19.9 | 629 | |
16 | 広島 J1 |
Eスタ (広島市) |
50,000 | 14,346 | 243,874 | 13.7 | 496 | |
17 | 松本 J2 |
松本 (松本市) |
20,396 | 13,283 | 278,948 | 11.0 | 494 | |
18 | 湘南 J1 |
BMWス (平塚市) |
15,690 | 12,120 | 206,039 | 14.1 | 240 | |
19 | 柏 J1 |
三協F柏 (柏市) |
15,349 | 11,402 | 193,833 | 10.1 | 554 | |
20 | 長崎 J1 |
トラスタ (諫早市) |
20,246 | 11,225 | 190,827 | 3.8 | 115 | |
21 | 千葉 J2 |
フクアリ (千葉市) |
18,500 | 9,858 | 207,025 | 8.9 | 337 | |
22 | 大宮 J2 |
NACK (さいたま市) |
15,600 | 9,224 | 193,711 | 7.3 | 397 | |
23 | 大分 J2 |
大銀ド (大分市) |
40,000 | 8,907 | 187,052 | 8.8 | 250 | |
24 | 福岡 J2 |
レベスタ (福岡市) |
22,563 | 8,873 | 186,323 | 24.1 | 190 | |
25 | 岡山 J2 |
Cスタ (岡山市) |
20,000 | 8,599 | 180,586 | 3.6 | 190 | |
26 | 甲府 J2 |
中銀スタ (甲府市) |
17,000 | 7,384 | 155,054 | 18.6 | 353 | |
27 | 岐阜 J2 |
長良川 (岐阜市) |
20,000 | 6,858 | 144,011 | 16.1 | 111 | |
28 | 山形 J2 |
NDスタ (天童市) |
21,292 | 6,766 | 142,094 | 10.2 | 172 | |
29 | 横浜FC J2 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 6,141 | 128,959 | 9.9 | 171 | |
30 | 山口 J2 |
みらスタ (山口市) |
15,115 | 6,123 | 128,579 | 8.9 | 204 | |
31 | 東京V J2 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 5,936 | 124,654 | 13.1 | 186 | |
32 | 京都 J2 |
西京極 (京都市) |
20,588 | 5,663 | 118,931 | 20.7 | 205 | |
33 | 栃木 J2 |
栃木グ (宇都宮市) |
15,589 | 5,657 | 118,805 | 6.8 | 59 | |
34 | 熊本 J2 |
えがおS (熊本市) |
32,000 | 5,269 | 110,643 | 11.8 | 111 | |
35 | 徳島 J2 |
鳴門大塚 (鳴門市) |
16,599 | 4,997 | 104,941 | 5.5 | 136 | |
36 | 水戸 J2 |
Ksスタ (水戸市) |
12,000 | 4,938 | 103,698 | 28.5 | 83 | |
37 | 町田 J2 |
町田 (町田市) |
16,033 | 4,915 | 103,215 | 9.4 | 94 | |
38 | 金沢 J2 |
石川西部 (金沢市) |
20,261 | 4,528 | 95,093 | 20.3 | 60 | |
39 | 北九州 J3 |
ミクスタ (北九州市) |
15,066 | 4,501 | 72,014 | 12.1 | 124 | |
40 | 鹿児島 J3 |
白波スタ (鹿児島市) |
12,571 | 4,040 | 64,642 | 21.5 | 21 | |
41 | 長野 J3 |
長野U (長野市) |
15,491 | 3,554 | 56,869 | 15.4 | 59 | |
42 | 相模原 J3 |
ギオンス (相模原市) |
15,300 | 3,458 | 55,331 | 37.3 | 26 | |
43 | 群馬 J3 |
正田スタ (前橋市) |
15,253 | 3,346 | 53,531 | 7.3 | 67 | |
44 | 愛媛 J2 |
ニンスタ (松山市) |
21,401 | 3,161 | 66,382 | 11.6 | 74 | |
45 | 琉球 J3 |
タピスタ (沖縄市) |
10,189 | 3,146 | 50,330 | 45.5 | 5 | |
46 | 讃岐 J2 |
ピカスタ (丸亀市) |
30,099 | 3,073 | 64,532 | 20.0 | 87 | |
47 | 沼津 J3 |
愛鷹 (沼津市) |
5,104 | 2,857 | 45,716 | 40.6 | 22 | |
48 | 秋田 J3 |
A-スタ (秋田市) |
4,992 | 2,839 | 45,420 | 22.4 | 16 | |
49 | 富山 J3 |
富山 (富山市) |
25,250 | 2,670 | 42,718 | 17.6 | 34 | |
50 | 鳥取 J3 |
とりスタ (鳥取市) |
16,033 | 2,657 | 42,519 | 18.0 | 33 | |
51 | 福島 J3 |
とうスタ (福島市) |
21,000 | 1,576 | 25,214 | 29.5 | 12 | |
52 | 藤枝 J3 |
藤枝サ (藤枝市) |
13,000 | 1,273 | 20,360 | 47.4 | 7 | |
53 | 盛岡 J3 |
いわスタ (盛岡市) |
4,946 | 1,216 | 19,461 | 16.0 | 13 | |
54 | YS横浜 J3 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 1,005 | 16,077 | 31.9 | 14 |
ユニフォーム
1993年から1996年までは「ミズノ」が全クラブのユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)を一括して受け持っていた。ただ、その契約はリーグ戦のみの契約だったので、天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して、カップ戦用のユニフォームを着用していた[注釈 39]。しかし、1997年にはこれまでの「ミズノ」に加えて、「アンブロ」・「アディダス」・「プーマ」(ヴェルディ川崎は自主制作という形で「ナイキ」)が新たなユニフォーム・サプライヤー(これもリーグ戦限定)として加わり、1998年からは事前にJリーグとユニフォーム・サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って、各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった[128]。
3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが、現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している。また、Jリーグ事務局長の事前承認があれば、「ユニフォーム使用計画」に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる。なお、Jリーグ年間王者のクラブは、金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。
国内公式戦(リーグ、リーグカップ、天皇杯)では、ユニフォームの前面胸部と、背番号上部、左袖、トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている。2016年からは背番号下部、2018年からは前面鎖骨部(左側および右側)に関してもスポンサーを付けることが認められたが、これ以前にもFC東京とガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある[129]。
2020シーズンユニフォーム・サプライヤー
サプライヤー | 使用クラブ |
---|---|
アシックス | 神戸 |
アディダス | 仙台・横浜FM・松本・新潟・金沢・今治 |
アスレタ | 八戸・秋田・栃木・東京V・讃岐 |
アンダーアーマー | 岩手・大宮 |
アンブロ | FC東京・G大阪・長崎 |
カッパ | 札幌・千葉 |
ガビック | 水戸 |
ケレメ | 群馬 |
ゴル | 相模原・藤枝 |
ゴールドウイン | 富山 |
サッカージャンキー | 横浜FC |
スフィーダ | 琉球 |
スボルメ | 町田 |
ナイキ | 鹿島・浦和・広島 |
ニューバランス | 岐阜・鳥栖 |
ヒュンメル | 福島 |
フィンタ | 山口 |
プーマ | 川崎・清水・磐田・沼津・京都・C大阪・鳥取・熊本・大分・鹿児島 |
ペナルティ | 山形・湘南・長野・岡山・北九州 |
ミズノ | 甲府・名古屋・徳島・愛媛 |
ヤンガー | YS横浜 |
ヨネックス | 柏・福岡 |
背番号
1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが、1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された[130]。
また、2004年には欠番の解禁など規約が一部改定されたことで特定の番号(12が多い)をクラブ公式にサポーターズナンバーとし欠番とするクラブが出てきた。2018年5月30日、Jリーグの理事会が開催され、シーズン途中の背番号変更が可能となり、同日から適用となった[131]。初適用者は当時ヴィッセル神戸の三田啓貴で、8から7に変更となった。
2019年シーズン現在の主な規約内容は以下の通り。
- 背番号0は不可。
- 背番号1はゴールキーパー、背番号2から11まではフィールドプレーヤーが付けなければならない。
- 背番号12以降は、登録選手が50人以下であれば50まではポジションとは無関係に自由に付けることができる。ただし登録選手が51人を超えた場合は、51から連番で番号をつけなければならない。
なお、変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある。
固定背番号導入当初、天皇杯では、Jリーグへの届け出とは別に背番号を登録したため、リーグ戦と異なる背番号を着用した例がある。
公式試合球
Jリーグの試合では、Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球(公式試合球)が使用されている。なお、1993年の開幕戦でヘニー・マイヤー(V川崎)が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に、ガラスケースに入れて保存されている[132]。
年度 | 公式試合球 |
---|---|
1993年 - 1994年 | エトルスコ・ユニコ |
1994年 - 1997年 | クエストラ |
1998年 - 2000年 | トリコロール |
2001年 | ガマラダ |
2002年 - 2003年 | フィーバーノヴァ |
2004年 - 2005年 | ロテイロ |
2006年 - 2007年 | チームガイスト |
2008年 | チームガイストII |
2009年 | テラパス |
2010年 | ジャブラニ |
2011年 | スピードセル |
2012年 | タンゴ12[133] |
2013年 | カフサ[134] |
2014年 | ブラズーカ[135] |
2015年 | コネクト15[136] |
2016年 | エレホタ[137] |
2017年 | クラサバ[138] |
2018年 | テルスター18 |
2019年 | コネクト19[139] |
2020年 | ツバサ[140] |
指導者資格
- 第1種チーム(トップ)の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導すること。
- 第1種チーム(サテライト)は同A級(以上)指導者ライセンス保持者、第2種以下は同B級(以上)ライセンス保持者が監督を務めることが出来る。
審判員
日本サッカー協会に登録された1級審判員の中から推薦、決定されJリーグ担当審判員となる。2019年シーズンの場合、主審担当者が59名、副審担当者が100名[141]。この中には日本サッカー協会の認定したプロフェッショナルレフェリー (PR) がおり、審判員としての報酬のみで生計を立てている。
2020年シーズンからJ1全試合においてビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) が導入されることが決まっている[142]。
フラッグ
毎試合、Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ(旗)が掲げられる。フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし、自クラブのロゴタイプやエンブレムが入っていることが一般的である。また、Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか、選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する。なお、リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり、通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている。
- 背景は「白」を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
- 背景は左側から黒で縁取られた「緑」「白」「赤」を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
音楽
特に規約では規定されていない[注釈 40]ものの、リーグ戦では選手入場時にアンセムが流れる(一部クラブ除く)。Jリーグの公式アンセム「THE GLORY」(作曲:岸利至)も存在し、一部のクラブでアンセムとして使用しているが、多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを作成し、入場時に流している。また、Jリーグ公式テーマソングがあり、Jリーグに関するイベントなどで使用される機会がある。
ルヴァンカップは専用のアンセム(作曲:☆Taku Takahashi)を使用する。
年度 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 | |
---|---|---|---|---|---|
公式テーマソング | 1993年 | J'S THEME | - | 春畑道哉(TUBE) | - |
公式アンセム | 1993年 | J'S BALLAD | - | - | |
2003年 | THE'GLORY | - | 岸利至 | 岸利至 | |
公式ソング | 2003年 | 飛躍 | 安岡優 | 村上てつや | 小西貴雄 |
スローガン
年度 | スローガン |
---|---|
1999年 - 2004年 | Join! |
2005年 - 2006年 | Amazing,J. |
2007年 | Will Be 見せたい未来がある。 |
2008年 | Will Be クラブサッカーの世界水準へ。 |
2009年 | 「SHOUT! for SHOOT!」声、枯れるまで。体、果てるまで。 |
2010年 | 極上のライブエンターテイメント |
2011年 - 2015年 | 明日のために 今、走る チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(東日本大震災復興支援スローガン) |
2016年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-がんばろう熊本・九州(熊本地震復興支援スローガン) |
2017年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(震災復興支援活動を一本化) |
アカデミー
Jリーグに所属するクラブはアカデミー(下部組織、Jリーグの用語では「育成組織」)をもつことを義務つけている。アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され(日本サッカー協会チーム登録種別を参照)、Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する。
マスコットキャラクター
Jリーグ
- Mr. ピッチ
- 読み方は「ミスター・ピッチ」。
- 1991年11月1日生まれ、出身地は不明。
- 血液型はJ型。
- 身長は180センチメートル、スリーサイズは上から200・200・200センチメートル、全身を緑の芝生におおわれているのが特徴。
- 好きな色はグリーン。好きな言葉は「地球は青かった」、「石の上にも三年 芝の上にも百年」。
- 趣味はガーデニング。
- 「Jリーグ百年構想メッセンジャー」として、現在は各地で毎年行われている「ファミリーJoinデイズ」や「Jリーグオールスターサッカー」を始め、積極的に様々なイベントなどに出演している。また、各地の試合会場において、試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる。なお、「百年構想」をPRしているポスターや雑誌の広告などでも、彼がモデルを務めている。
- Jリーグキング(J-boy)
Jリーグクラブ
協賛団体
Jリーグ(リーグ戦)の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか、新聞や雑誌、放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに「(企業名)はJリーグの○○パートナーです」、あるいは「(企業名)はJリーグを応援しています」のクレジットを掲載できる。また、各所属クラスに関係なく、試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる。
2011年度までの協賛カテゴリーは「オフィシャルスポンサー」と、それ以外のスポンサー(用具サプライヤー、90度システム広告スポンサーなど)とに区分されていたが、2012年度から原則として「○○パートナー」に呼称を統一させており、スポンサー・サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している。
- 全ディビジョン共通
- オフィシャルパートナーの広告設置に関しては、Jリーグ規約[144] 第35条(27ページ)に「スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ、並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業・団体が所定サイズ・及び枚数の広告看板(幕)を設置・掲出できるスペースを確保しなければならない」とする取り決めによるものである。
- 日本スポーツ振興センター(toto・BIG、2001年より)、朝日新聞社(2003年より)、DAZN(2017年より)のトップパートナー[注釈 41] 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている[注釈 42]。また2019年よりDAZNの広告はJ1リーグに限り、バックスタンドの広告に移っている。なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合[注釈 43] もある。
- 2008年から2013年まで、メインスタンドから見て左側(原則としてホームゴール裏)にオフィシャルサプライヤー(コンタクトレンズ等提供)のジョンソン・エンド・ジョンソンの小型広告が設置されていた。現在はJ1リーグに限り、メインスタンドから見て両サイドのゴール裏にリーグのタイトルロゴとスポーツくじ(toto・BIG)の小型広告がそれぞれ設置されている。
- 2015年度より、Jリーグ全体(J3含む)の「トップパートナー」よりさらに最上級のスポンサーカテゴリーとして「タイトルパートナー」が制定され、明治安田生命保険が就任することになり[2]、リーグの正式な名称が「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」となった。
- J1
- 1993年から1995年の2ステージ制時代は、そのステージの冠スポンサー(1st・サントリー、2nd・日本信販)の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列[注釈 44] に2枚ずつの合計4枚、他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた。それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている。2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため、両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり、ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している(球技専用が多い)場合がある[注釈 45]。
- 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた。ただ、導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い。また、2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板(オーロラリボンビジョン)を導入した。主に、NHK-BSの中継対象試合を中心に運用されている。2015年からは回転広告板を廃止した代わりに、電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した。
- 2015年からは、タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚(うち、長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ、コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚)設置されている(J2・J3も同様)。またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚(各ゴール裏1枚ずつ)を設置している。
- J2
- J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった(各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている)が、1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた。なお、2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった。
- J3
- 2014年は、J1・J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており、各会場のバックスタンド最前列[注釈 44]に、タイトル協賛の明治安田生命が4枚、他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板(横断幕)が設置されていた[注釈 42]。2014年のJ3のスポンサーのうち、日本航空以外の各社はJ1・J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが、2015年度からはJ1・J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり、J2同様、大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった(なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1・J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった)。
- Jリーグカップ
- 大会創設時よりヤマザキナビスコ→ヤマザキビスケットの企業ロゴ、および同社商品の広告看板(ルヴァン、チップスター他)が設置されている。なお創設当初からの最初の3年(1992年から1994年)は、予選リーグの試合(1994年は1・2回戦)に限って、ナビスコの広告と一緒に、通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた。
- スポンサースペシャルデー&スペシャルマッチ
- 1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って、Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節・試合を対象としてスポンサースペシャルデー、ないしはスペシャルマッチを開催した。試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した。
協賛団体一覧
協賛カテゴリー種別 | 契約開始年度 | 協賛団体名 |
---|---|---|
タイトルパートナー | 2015年 | 明治安田生命[注釈 46] |
オフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2017年 | DAZN[145][146] |
トップパートナー[注釈 41] | 2005年 | アイデム |
2015年 | ルートインホテルズ | |
イオン | ||
2016年 | エレクトロニック・アーツ(EAスポーツ) | |
2017年 | マスターカード | |
NTTドコモ[147][145] | ||
2018年 | コナミデジタルエンタテインメント[注釈 47] | |
2019年 | いちご | |
90度広告システム[注釈 48] スポンサー | 2015年 | 明治安田生命 |
百年構想パートナー | 2003年 | 朝日新聞社 |
リーグカップ戦スポンサー | 1992年 | ヤマザキビスケット[注釈 49] |
スーパーカップスポンサー | 1994年 | 富士ゼロックス |
オフィシャルエクイップメントパートナー | 1993年 | モルテン[注釈 50] |
2005年 | アディダス[注釈 50] | |
スポーツ振興パートナー | 2001年 | 日本スポーツ振興センター (スポーツくじ<toto・BIG>) |
オフィシャルチケッティングパートナー | 2012年 | ぴあ(チケットぴあ) |
オフィシャルECプラットフォームパートナー | 2017年 | 楽天[148] |
オフィシャルテクノロジーパートナー | 2017年 | NTTグループ[147][145] |
オフィシャルタイムキーパー | 2019年 | タグ・ホイヤー[注釈 51] |
オフィシャルVAR・フェアプレーパートナー | 2020年 | トップ[149] |
サポーティングカンパニー | 2015年 | Yahoo! JAPAN[150] |
2017年 | デロイトトーマツ(ファイナンシャルアドバイザリー/コンサルティング)[151] | |
マーケティングパートナー | 2014年 | 電通[152] |
過去の協賛団体一覧
協賛カテゴリー種別 | 契約期間 | 協賛団体名 |
---|---|---|
ステージスポンサー[注釈 52] | 1993年 - 1995年 | サントリー(第1ステージ・チャンピオンシップ[注釈 53]) |
日本信販(NICOSカード)(第2ステージ) | ||
オフィシャルスポンサー(1993年 - 2011年) →トップパートナー(2012年 - )[注釈 41] |
1993年 - 1999年 | 小学館 |
1993年 - 2004年 | ローソン[注釈 54] | |
1993年 - 2007年 | サントリー | |
日本信販→三菱UFJニコス(NICOSカード) | ||
1993年 - 2014年 | カルビー | |
1994年 - 2007年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2002年 - 2004年 | 武富士 | |
2005年 - 2007年 | 平和[153] | |
GE Money(新生フィナンシャル)[154] | ||
2008年 - 2010年 | マイラン製薬 | |
レオパレス21 | ||
プレナス | ||
2011年 - 2013年 | 日本マクドナルド | |
2009年 - 2015年 | 日本コカ・コーラ | |
2012年 - 2015年 | ジェーシービー | |
2015年 - 2016年 | コロプラ | |
ECC | ||
1996年 - 2019年 | キヤノン キヤノンマーケティングジャパン | |
90度広告システム[注釈 55] スポンサー | 2002年 - 2007年 | サントリー |
2004年 - 2010年 | OCN(NTTコミュニケーションズ) | |
2008年 - 2010年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2012年 - 2014年 | 東京エレクトロン[注釈 56] | |
2009年 - 2015年 | 日本コカ・コーラ | |
ネットワークパートナー | 2002年 - 2010年 | 東日本電信電話 |
西日本電信電話 | ||
オフィシャルサプライヤー | 2008年 - 2013年 | ジョンソン・エンド・ジョンソン |
フェアプレーパートナー | 2012年 - 2014年 | 東京エレクトロン[注釈 56] |
アソシエイト[注釈 57][155] | 2015年 | 日本航空[155][注釈 50] |
アライアンスマーケティングパートナー | 1993年 - 2013年 | 博報堂DYメディアパートナーズ |
博報堂 | ||
オフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2007年 - 2016年 | スカパーJSAT |
J2サポーティングカンパニー | 2002年 - 2003年 | 大日本印刷 |
※2014年のJ3リーグに設定されていた独自の協賛スポンサーについてはJ3リーグ#協賛団体参照。 |
海外の提携リーグ
- タイ・プレミアリーグ(2012年2月、パートナーシップ協定締結)
- ベトナムサッカーリーグ(2012年8月、パートナーシップ協定締結)
- ミャンマーサッカーリーグ(同上)
- カンボジア・リーグ(2013年5月、パートナーシップ協定締結)
- Sリーグ(2013年6月、パートナーシップ協定締結)
- インドネシア・スーパーリーグ(2014年1月、パートナーシップ協定締結)
- イランサッカーリーグ(2015年1月 - 2017年、パートナーシップ協定締結)
- マレーシア・スーパーリーグ(2015年2月、パートナーシップ協定締結)
- カタール・スターズリーグ(2015年5月、パートナーシップ協定締結)
- Aリーグ(2016年5月、戦略的連携協定締結)
- ラ・リーガ(2017年6月、戦略的連携協定締結)
関連項目
- 日本サッカーのリーグ構成 (1種)
- ファミリーJoinデイズ
- 譲渡試合
- プレシーズンマッチ
- 日本のダービーマッチ
- 地域密着
- ホームタウン
- プロフェッショナル (サッカー)
- 日本のサッカー選手一覧
- 日本プロサッカー選手会
- 特別指定選手
- 社員選手
- レンタル移籍
- 外国人枠 (サッカー)
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- スポーツ振興くじ(toto、サッカーくじ)
- 「Jリーグ」で始まるページの一覧
脚注
注釈
- ^ リーグの定める「用語集(ターミノロジー)」[1] では、「Jリーグ」の語を含め、日本語表記において「J」を全角の「J」を用いることと定めているが、Wikipediaにおいては表記ガイドに基づき半角で表記する。
- ^ 2014年度までJ1・J2のリーグ戦の呼称についてはJリーグ定款でそれぞれ「Jリーグ ディビジョン1」「Jリーグ ディビジョン2」と表記されていたが、2015年よりそれぞれ「J1リーグ」「J2リーグ」に改める。なおJ3については、初年度の2014年から正式な呼称として「J3リーグ」を採用している。[2]
- ^ これと別にJ3に参加するJ1クラブのU-23チームが3チームある。
- ^ 「活性化委員会」の提唱は森健兒[39]。設置時の名称は「JSL活性化委員会」である。現在これを「JSL第一次活性化委員会」と呼ぶのは、川淵が森の後、総務主事に就任し、森らに倣い再開させたものを「第二次活性化委員会」と名付けたため、森が総務主事だった時代に開催されたものを後に「"第一次"活性化委員会」と分けて呼ぶようになった[40]。「第一次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三の他、森と木之本が、石井義信、森孝慈、小倉純二、村田忠男(JFA)、浅野誠也(読売)、杉山隆一、佐々木一樹[21] の7人を選んだ[41]。委員長には森健兒が就くのが自然だったが、森は名古屋転勤で忙し過ぎたためとバランスや企業説明を考え、森が小倉純二を委員長に指名した[26][42]。「活性化委員会」は、短期間に6回の会合をもち、日本リーグの現状分析、他国のプロリーグの調査、日本にプロリーグをつくる可能性を模索した[43]。
- ^ この10ヵ月後にまとめられた「第二次活性化委員会」の報告書もこれを踏襲し、これがほとんどそのままJリーグの骨格となる[49]。
- ^ 「第二次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三を含む、「第一次活性化委員会」と同じメンバー9人と、プロ化に乗り気でないチームの実行委員・阿部豊(NKK)、有村宏三郎(ヤンマー)、泉信一郎(全日空)に、川淵を加えた13人で[50]、「第二次活性化委員会」でも委員長には引き続き川淵が小倉純二を指名した[26][51]。「第二次活性化委員会」は「第一次活性化委員会」が出した結論をさらに検討させた[26][52]。川淵は、当時の日本リーグのレベルが低いばかりでなく、アンフェアなプレーが横行していたこともあり、当初はリーグのプロ化には反対だった[52]。しかし「活性化委員会の真剣な議論に参加しているうちに、根本的な改革が必要であることを思い知り"失うものは何もない"とプロ化推進に傾いていった[52][15]。「第二次活性化委員会」は1988年10月3日から翌1989年3月13日まで8回の会合を開き「1992年スペシャルリーグ・スタート」という提案を出して解散、以後の検討をJFAの「プロリーグ検討委員会」に委ねた[52]。
- ^ 「JSL評議委員会」は、JSLの最高議決機関。主に加盟チームが自ら選出した評議員で構成されていた。親会社で立場のある取締役クラスの人が選出されることが多く、会社の意向を尊重する傾向があった[15]。「第一次活性化委員会」~「第二次活性化委員会」のメンバーは、各チームを実質的に切り回していた人たちではあったが、親会社に戻れば会社の経営方針に直接タッチできる役職には就いていなかった[55]。「JSL評議委員会」の議長は日産自動車副社長の細川泰嗣。他のメンバーも各チームの代表者であり、親会社での地位は「活性化委員会」のメンバーよりはるかに上だった[55]。
- ^ JFA内に「プロ対策本部」(本部長は長沼健)が作られ[43][45]、1990年10月、その中に「プロリーグ検討委員会」(委員長は川淵三郎)が設置された[45]。「プロリーグ検討委員会」は1991年1月まで6回の会合を重ね、リーグ参加条件の決定、当該団体への参加意思確認とヒアリング、アドバイザーボードの開催などを行う[45][52][60]。
- ^ 1991年11月1日、新リーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」として法人化されることが決定した[32][64]。
- ^ 「Jリーグ」という名称の提案は、当初 Jipang League(ジパング・リーグ)の略称として提案された[65]。
- ^ 未出場の国がワールドカップのホスト国となった先例はなかった。
- ^ 一例として、1993年サントリーシリーズ第6節(6月2日)・清水vsV川崎(静岡県草薙総合運動場陸上競技場)、1994年NICOSシリーズ第3節(8月17日)の清水vs平塚、2011年J1第15節(6月15日)の仙台対G大阪、同年第17節(6月22日)仙台対甲府(以上2試合ユアテックスタジアム仙台)。また2000年J2の水戸もひたちなか市総合運動公園陸上競技場で主催した一部の平日の試合を16時からの薄暮デイマッチにした事例がある。
- ^ このときは横浜Mが三ツ沢、横浜Fは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった。
- ^ ゴールデンウィーク・お盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日。
- ^ 八戸市、十和田市、五戸町、三戸町、田子町、南部町、おいらせ町、階上町、新郷村、三沢市、七戸町、六戸町、東北町、野辺地町、横浜町、六ケ所村
- ^ 盛岡市、北上市、宮古市、大船渡市、花巻市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、滝沢市、雫石町、葛巻町、岩手町、紫波町、矢巾町、西和賀町、金ケ崎町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町
- ^ 秋田市、由利本荘市、にかほ市、男鹿市
- ^ 鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市
- ^ 水戸市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、茨城町、城里町、大洗町、東海村
- ^ 2013年に退会し2014年に再加盟。
- ^ 平塚市、厚木市、伊勢原市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、平塚市、藤沢市、大磯町、寒川町、二宮町、鎌倉市、南足柄市、大井町、開成町、中井町、箱根町、松田町、真鶴町、山北町、湯河原町
- ^ 長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市
- ^ 松本市、安曇野市、山形村、塩尻市、大町市、池田町、生坂村、箕輪町、朝日村
- ^ 新潟市、聖籠町、長岡市、三条市、柏崎市、新発田市、小千谷市、加茂市、十日町市、見附市、村上市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、南魚沼市、胎内市、弥彦村、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、刈羽村、関川村、粟島浦村
- ^ 金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町
- ^ 藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町
- ^ 京都市、宇治市、城陽市、京田辺市、向日市、長岡京市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市
- ^ 吹田市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、摂津市、箕面市
- ^ 鳥取市、倉吉市、米子市、境港市
- ^ 山口市、下関市、山陽小野田市、宇部市、防府市、周南市、美祢市、萩市、下松市、岩国市、光市、長門市、柳井市、周防大島町、和木町、上関町、田布施町、平生町、阿武町
- ^ 徳島市、鳴門市、美馬市、松茂町、板野町、藍住町、北島町、吉野川市
- ^ いわき市、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村
- ^ 桑名市、東員町、いなべ市、木曽岬町、朝日町、川越町、菰野町
- ^ a b c d 1992年から1995年に「特別活動地域」として九州地方の3県をホームタウンとほぼ同権限の地域と位置づけた。
- ^ 仙台・山形・大宮・FC東京・川崎・甲府・新潟・鳥栖・大分の9クラブ。
- ^ JFLから9クラブ(秋田・福島・町田・相模原・YS横浜・長野・金沢・藤枝・琉球)、地域リーグ(東北リーグ)から1クラブ(盛岡)。
- ^ 天皇杯の公式記録では、Jリーグクラブについては、前身のクラブからの通算としている。この場合、最多獲得クラブは横浜FMの7回(前身の日産自動車時代に5回獲得)となるほか、C大阪が前身のヤンマー時代に3回の天皇杯を獲得している。
- ^ 10歳以下は調査対象外となっている。
- ^ 全面的にミズノと契約したクラブの場合、チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と、他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった。またリーグ戦とカップ戦(チームによってはJリーグカップ・天皇杯など大会ごとにも)でユニフォームスポンサーが異なることもあった他、天皇杯や海外のクラブとの試合などでは、当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号や、選手名を入れたユニフォームがあった。
- ^ Jリーグの試合実施要項[143] 第4条第2項で「ホームクラブは、試合の前後およびハーフタイムに、次の各号の事項を行うことができる」とあり(第3号に「音楽放送」の記述あり)、必ずしも義務づけられているわけではない。
- ^ a b c 2011年までのオフィシャルスポンサーに当たるリーグ戦最上位スポンサーカテゴリー(なお2015年度からは明治安田生命保険がJリーグ全体のタイトルパートナー(特別協賛)に就任するため、スポンサーカテゴリーとしてはタイトルパートナーが最上級、トップパートナーはその次のクラスに当たる)。
- ^ a b J3に関しては2014年度にJ3独自のオフィシャルパートナーがあった名残で、日本スポーツ振興センター、スカパーJSAT、アディダスジャパンの広告はバックスタンド最前列に2枚ずつ張り付けてある
- ^ 2014年予選ではコカコーラ、コナミ(ウイニングイレブン)、東京エレクトロンの3社。
- ^ a b 陸上競技場の場合は、バックスタンドはトラック部分、ゴール裏はフィールド競技が行われる箇所に設置
- ^ 陸上競技場は場所によってバックスタンド一列で掲示する場合もある
- ^ 2014年度はJリーグ全体のトップパートナーであるとともに、J3リーグのタイトルパートナー(特別協賛)であったが、2015年度はJリーグ全体のタイトルパートナーに昇格させた(Jリーグチャンピオンシップを含む。トップパートナー契約は2019年まで兼任)。
- ^ 2002年から2014年まで以来のトップパートナー復帰
- ^ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
- ^ 2016年8月までの社名は「ヤマザキナビスコ」。
- ^ a b c 2014年J3リーグのオフィシャルスポンサーも務めた。
- ^ 2016年から2018年まではトップパートナー
- ^ 公式スポンサー兼務
- ^ 1997年から2004年のチャンピオンシップにおいても冠スポンサーとなっている
- ^ この期間中、関連会社のローソンチケットがJリーグオフィシャルチケットステーションの業務を担当していた。
- ^ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
- ^ a b 2011年はオフィシャルスポンサー。
- ^ アソシエイトとは、Jリーグ・アンダー22選抜チームと、それが出場するJ3リーグをサポートするための協賛カテゴリーである
出典
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- 読売新聞解説部『時代の証言者13 「サッカー」長沼健』読売新聞社、2006年。ISBN 4-643-06006-9。
- 川淵三郎『川淵三郎 虹を掴む』講談社、2006年。ISBN 4-06-212676-1。
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- 濱口博行『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』朝日新聞出版、2010年。ISBN 978-4-02-100903-7。
- 木之本興三『日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記』ワニブックス、2013年。ISBN 4-8470-9165-5。
- 木村元彦「[21年目の真実] Jリーグ創造記 森健兒、木之本興三の回想」『サッカー批評』第62号、2013年5月。
外部リンク
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