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== 略歴 ==
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[[1952年]]、ラーマ9世国王とシリキット王妃の[[長男]](第2子)として[[王宮 (バンコク)|王宮]]で生まれた。幼少期は[[バンコク]]で学んだが、[[1966年]]から[[イギリス]]へ渡り、キングスミード校およびミルフィールド校([[サマーセット]])で学んだ。[[1970年]]には[[オーストラリア]]に渡り、キングス校([[シドニー]])で陸軍予科課程を修めた。[[1972年]]には太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン({{lang|th|สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร}})を父王より付与され、王位継承権を得た。
[[1952年]]、ラーマ9世国王とシリキット王妃の[[長男]](第2子)として[[王宮 (バンコク)|王宮]]で生まれた。幼少期は[[バンコク]]で学んだが、[[1966年]]から[[イギリス]]へ渡り、キングスミード校およびミルフィールド校([[サマーセット]])で学んだ。[[1970年]]には[[オーストラリア]]に渡り、キングス校([[シドニー]])で陸軍予科課程を修めた。[[1972年]]には太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン({{lang|th|สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร}})を父王より付与され、王位継承権を得た。


[[1972年]]には再びオーストラリアに渡りダントルーン陸軍士官学校([[キャンベラ]])で学ぶ傍ら、[[スコータイ・タンマティベート大学]]で[[人文学]]を修めた。[[1975年]]に帰国し、[[タイ王国陸軍]]の頭脳として陸軍内での役職が与えられたが、翌年1月から再びオーストラリアに渡り8ヶ月間軍事を学んだ。[[1978年]]にはラーマ9世の親衛隊として働くが、同年には[[タイの仏教]]の伝統に従い、一時的に職を辞して出家している。
[[1972年]]には再びオーストラリアに渡りダントルーン陸軍士官学校([[キャンベラ]])で学ぶ傍ら、[[スコータイ・タンマティベート大学]]で[[人文学]]を修めた。[[1975年]]に帰国し、[[タイ王国陸軍]]の頭脳として陸軍内での役職が与えられたが、翌年1月から再びオーストラリアに渡り8ヶ月間軍事を学んだ。[[1978年]]にはラーマ9世の親衛隊として働くが、同年には[[タイの仏教]]の伝統に従い、一時的に職を辞して出家している。

2019年11月3日 (日) 07:52時点における版

ラーマ10世
รัชกาลที่ ๑๐
Rama X
タイ国王
在位 2016年10月13日[1] - 在位中
戴冠 2019年5月4日、於大宮殿
全名 พระบาทสมเด็จพระปรเมนทรรามาธิบดีศรีสินทรมหาวชิราลงกรณ มหิศรภูมิพลราชวรางกูร กิติสิริสมบูรณ์อดุลยเดช สยามินทราธิเบศรราชวโรดม บรมนาถบพิตร พระวชิรเกล้าเจ้าอยู่หัว
別名 วชิราลงกรณ
ワチラーロンコーン
王朝 チャクリー王朝
家系 チャクリー王室
出生 (1952-07-28) 1952年7月28日(71歳)
タイ王国の旗 タイバンコク王宮
ラーマ9世
シリキット
配偶者 ソームサワリー・キティヤーコーン
(1977年-1991年)
ユワティダー・ポンプラスート
(1994年-1996年)
シーラット・スワディー
(2001年-2014年)
スティダー・ワチラロンコン
(2019年- )
子女 パッチャラキッティヤパー王女
チュターワット・マヒドン
ワッチャラレート・マヒドン
チャクリーワット・マヒドン
ワッチャラウィー・マヒドン
シリワンナワーリーナリーラット王女
ティパンコーンラッサミチョト王子
居所 大宮殿
チットラダー宮殿
宗教 上座部仏教
親署
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称号:国王
敬称 陛下
His Majesty the King
พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว
タイ王室

ラーマ10世国王
スティダー王后
シニーナ貴人



ラーマ10世タイ語: รัชกาลที่ ๑๐1952年7月28日 - )は、チャクリー王朝の第10代タイ国王(在位: 2016年10月13日 - )。ラーマ9世とその王妃シリキットの間の唯一の男子。

王太子在位時代より正式名称の一部からワチラーロンコーンタイ語: วชิราลงกรณ, ラテン文字転写: Vajiralongkorn)と呼ばれる。ワチラロンコーンワチラロンコンなどとも表記される。

略歴

ファイル:House of Mahidol 1966 (2).jpg
1966年撮影

1952年、ラーマ9世国王とシリキット王妃の長男(第2子)として王宮で生まれた。幼少期はバンコクで学んだが、1966年からイギリスへ渡り、キングスミード校およびミルフィールド校(サマーセット)で学んだ。1970年にはオーストラリアに渡り、キングス校(シドニー)で陸軍予科課程を修めた。1972年には王太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン(สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร)を父王より付与され、王位継承権を得た。

1972年には再びオーストラリアに渡りダントルーン陸軍士官学校(キャンベラ)で学ぶ傍ら、スコータイ・タンマティベート大学人文学を修めた。1975年に帰国し、タイ王国陸軍の頭脳として陸軍内での役職が与えられたが、翌年1月から再びオーストラリアに渡り8ヶ月間軍事を学んだ。1978年にはラーマ9世の親衛隊として働くが、同年にはタイの仏教の伝統に従い、一時的に職を辞して出家している。

この後、アメリカ軍イギリス軍オーストラリア軍などとの共同軍事演習などを指揮し、タイ王国軍、とりわけ陸軍とのつながりを非常に強めた。これはタイで過去に軍部が政権を握っていた時代にあって、陸軍が王位継承者である王子を利用し政権の正当性を高めようとしたことがうかがえる。一方で、ワチラーロンコーン自身もインドシナ半島共産主義化を危惧し、タイ国共産党を撲滅しようとしていた軍事政権に荷担することで、自らの存在感をアピールし、政治的地位を高めたという側面もある。

1980年代後半から、共産主義勢力が影をひそめてくるにつれ、タイ軍は「反共産主義」という大義名分を失い、政治的に急速に後退するが、一方でタイ軍は式典によってその存在感をアピールするようになる。同時にラーマ9世が高齢により公務の遂行が困難になっていったが、ワチラーロンコーンは、この隙をつくようにタイ軍の行う式典に頻繁に顔を出している。また諸国を訪問し国際的に顔の広い妹・シリントーン王女(もう一人の王位継承者)を意識して、外国の賓客の接待にも顔を出すようになった。1989年には、昭和天皇の大喪の礼などの公務にも参加した。

2012年に、生誕60周年記念の100バーツ紙幣が発行されている[2]

2016年10月13日、父であるラーマ9世の崩御を受け、プラユット・チャンオチャ首相が「ワチラーロンコーンが新国王に即位する」ことを発表した[3][4]。ただし、弔いと決意を固める時間がほしいとの理由で、当面は即位しない意向を示したため、すぐに議会において、国王即位の承認手続きは行われなかった[4]

11月29日には、内閣によるワチラーロンコーンの国王即位要請が議会によって承認された[5]12月1日、暫定議会議長による即位要請を受けこれを受諾、ラーマ10世として国王に即位した[6](即位日は遡って10月13日)。

2016年12月の国民投票で新憲法案が承認されたが、ワチラーロンコーンは署名を拒否し、一部の条文の修正を要求するという異例の対応を取った[7]。その後、2017年4月になって、ようやく国王の権限が強められたと解釈できる新憲法に署名し、憲法は施行された[8]

2017年(平成29年)3月5日には、第二次世界大戦の戦没者慰霊のためにベトナムへの国際親善訪問(日程:2月28日-3月6日)をしていた日本の天皇明仁皇后美智子(いずれも当時)が父親の前国王ラーマ9世の弔問のためタイの首都バンコクに立ち寄った際に王宮を訪れた2人と会見した。その際、ラーマ10世新国王側の意向で通訳を介さず、3人のみで会話に臨んだ[9]

王立タイ造幣局は、ワチラーロンコーンの肖像画の入った新バーツ紙幣を順次発行している。20バーツ、50バーツ、100バーツは2018年4月に、500バーツ、1000バーツは2018年7月28日に発行された[10]

家族

戴冠式に臨むラーマ10世(2019年)

2019年5月までに四度の結婚と三度の離婚を経験している。過去のタイ国王にここまで多くの結婚した前例はない。1人目のソームサワリー妃は、シリキット王妃の姪で従妹にあたり、ラーマ5世の男系子孫で結婚前にもモームルワンの称号を持っており、離婚後も王族の一員として活動している。元女優で2人目のスチャーリニー妃と息子は、離婚後に全員が国外へ追放され、アメリカ合衆国に平民として居住中。3人目のシーラット妃は、タイ中部の出身地に戻り平民として生活している。

栄典

タイ

タイ以外

金羊
セラフィム騎士団英語版員としての紋章
国名 勲章名
ブルネイの旗 ブルネイ Family Order of Brunei​, 2nd Class
デンマークの旗 デンマーク エレファント勲章
ドイツの旗 ドイツ ドイツ連邦共和国功労勲章特等大十字章
日本の旗 日本 菊花章
マレーシアの旗 マレーシア Honorary Grand Commander of the Order of the Defender of the Realm
ネパールの旗 ネパール Order of Ojaswi Rajanya, Member
オランダの旗 オランダ Grand Cross of the Order of the Crown
ポルトガルの旗 ポルトガル アヴィス騎士団、Grand Cross
スペインの旗 スペイン Knight Grand Cross of the Order of Charles III
スウェーデンの旗 スウェーデン Knight of the Royal Order of the Seraphim
イギリスの旗 イギリス ロイヤル・ヴィクトリア勲章、Honorary Knight Grand Cross
トレンガヌ州の旗 トレンガヌ州 - Family Order of Terengganu, 2nd Class

系譜

ラーマ10世の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. (=18.) ラーマ4世国王
 
 
 
 
 
 
 
8. (=24.)​ ラーマ5世国王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. テブシリン王妃
 
 
 
 
 
 
 
4. マヒドンアドゥンラデート王子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. (=16.) ラーマ4世国王
 
 
 
 
 
 
 
9. サワーンワッタナー太王太后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. ピヤマーワディ王女
 
 
 
 
 
 
 
2. ラーマ9世国王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. チュム・チュークラモン
 
 
 
 
 
 
 
10. チュー・チュークラモン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5. シーナカリン王太后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11. カム・チュークラモン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. パー
 
 
 
 
 
 
 
1. ラーマ10世国王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. (=8.)​ ラーマ5世国王
 
 
 
 
 
 
 
12. キティヤーコーンウォーララッグ王子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. ウアム・ピソーンヤブット
 
 
 
 
 
 
 
6. ナッカットモンコン王子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. テーワンウタイウォン王子
 
 
 
 
 
 
 
13. MCアブソーンサマーン・キティヤーコーン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. ヤイ・テーワグン・ナ・アユタヤ
 
 
 
 
 
 
 
3. シリキット王妃
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. サーイサニットウォン王子
 
 
 
 
 
 
 
14. チャオプラヤー・ウォーンサーヌプラパット
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. キアン・サニットウォン・ナ・アユタヤ
 
 
 
 
 
 
 
7. MLブア・キティヤーコーン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. ルアイ・ブントーン
 
 
 
 
 
 
 
15. ターオ・ワニダーピチャーリニー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. ウェー・ブントーン
 
 
 
 
 
 

関連項目

脚注

  1. ^ 即位宣誓は2016年12月1日
  2. ^ シリキット王妃誕生記念80バーツ紙幣発行”. タイ国政府観光庁 (2012年7月4日). 2012年12月15日閲覧。
  3. ^ “タイ国王に皇太子即位へ”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2016年10月13日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101300871&g=int 2016年10月13日閲覧。 
  4. ^ a b “タイ新国王にワチラロンコン皇太子 即位は後日”. NHK. (2016年10月14日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161014/k10010729431000.html?utm_int=all_side_ranking-social_003 2016年10月14日閲覧。 
  5. ^ “タイ:ワチラロンコン皇太子が国王即位へ-議会が政権の要請を承認”. bberg.co.jp (ブルームバーグ). (2016年11月29日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-11-29/OHE3H26S972B01 2016年11月30日閲覧。 
  6. ^ “タイ皇太子が新国王即位”. ロイター (ロイター). (2016年12月2日). オリジナルの2016年12月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161202034930/http://jp.reuters.com/article/idJP2016120101001883 2016年12月2日閲覧。 
  7. ^ “タイ民政復帰、また遅れ 国王が新憲法案の修正要求”. 日本経済新聞. (2017年1月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM10H8X_Q7A110C1FF2000/ 2017年8月29日閲覧。 
  8. ^ “タイ新憲法ようやく施行 修正経て国王の権限強く”. 日本経済新聞. (2017年4月7日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H8O_W7A400C1FF1000/ 2017年8月29日閲覧。 
  9. ^ “両陛下、タイ前国王ご弔問”. 産経ニュース. (2017年3月6日). https://www.sankei.com/life/news/170306/lif1703060009-n1.html 2019年8月28日閲覧。 
  10. ^ “タイ国王陛下のお誕生日に「500バーツ・1000バーツ新紙幣」が流通開始”. DIGIMA NEWS. (2018年7月5日). https://www.digima-news.com/20180705_36633 2019年7月23日閲覧。 

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、ラーマ10世に関するカテゴリがあります。
ラーマ10世

1952年7月28日 - 存命中

タイ王室
先代
プーミポン・
アドゥンヤデート
国王

(ラーマ9世)
タイの国王
2016年​ – 現在
現職
先代
ワチラーウット
王太子

(ラーマ6世)
タイの王太子
1972年2016年
空位
儀礼席次
新設 陛下
ワチラーロンコーン
国王陛下
次代
スティダー王妃