「桜井良太」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
人物の欄にプレースタイルを加筆
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
40行目: 40行目:


2007年、[[レバンガ北海道|レラカムイ北海道]]へ移籍し、初挑戦となるPGに挑んでいる。ターンオーバーとパーソナルファールの減少が課題ではあるが、高い身長と持ち前の攻撃力を生かしたゲームメイクをする。東野HC曰く、「世界基準のPG」。2008-09シーズン終了後に[[NBAデベロップメント・リーグ|NBADL]]へ武者修行を行った。
2007年、[[レバンガ北海道|レラカムイ北海道]]へ移籍し、初挑戦となるPGに挑んでいる。ターンオーバーとパーソナルファールの減少が課題ではあるが、高い身長と持ち前の攻撃力を生かしたゲームメイクをする。東野HC曰く、「世界基準のPG」。2008-09シーズン終了後に[[NBAデベロップメント・リーグ|NBADL]]へ武者修行を行った。

2011年から2013年は日本代表主将を務める。


2013年のNBLオールスターに選出されている<ref>{{cite web|url=http://www.bbspirits.com/news/nbl1311112/ |title=NBL/NBDLオールスターファン投票最終結果発表 |publisher=BASKETBALL SPIRITS |date=2013-11-11 |accessdate=2014-03-22 }}</ref>。
2013年のNBLオールスターに選出されている<ref>{{cite web|url=http://www.bbspirits.com/news/nbl1311112/ |title=NBL/NBDLオールスターファン投票最終結果発表 |publisher=BASKETBALL SPIRITS |date=2013-11-11 |accessdate=2014-03-22 }}</ref>。

2019年8月10日 (土) 05:39時点における版

桜井良太
RYOTA Sakurai
レバンガ北海道  No.11
ポジション [SF]
基本情報
愛称 リョータ
日本語 桜井良太
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-03-13) 1983年3月13日(41歳)
出身地 三重県桑名市
身長 194cm (6 ft 5 in)
体重 85kg (187 lb)
選手経歴
1998-2001
2001-2005
2005-2007
2007-
四日市工業高校
愛知学泉大学
トヨタ自動車
レラカムイ北海道→レバンガ北海道
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp

桜井 良太(さくらい りょうた, 1983年3月13日 - )は、三重県桑名市出身のバスケットボール選手。身長194cm、体重85kg、ポジションはスモールフォワード。

人物

日本人離れした高い身体能力と、身長に似合わない類希なドリブル・ボールハンドリング力と視野の広さを持つ。また、高いディフェンス力と豊富な運動量を持ち、長年北海道を攻守共に支えている。積極的にドライブを仕掛け、相手のファールを誘発する事も得意であり、そこから成功率の高いフリースローで点を稼ぐ。ルーズボールには誰よりも貪欲に飛び付き、ガッツ溢れるプレーでファンも多い。また、持ち味は相手の進路に立ちオフェンスファールをもらう「テイクチャージ」。このプレー等もあり、常に怪我が絶えない選手である。元バスケットボール日本A代表、李相佰杯日本代表。家族は父・母・姉の4人。姉のもも子もかつてユニチカトヨタ紡織に所属していた。

キャリア概観

姉の影響でバスケットを始める。長島中を卒業後、四日市工業高に入学。高校3年生時のインターハイ初戦、西塔佳郎、松本怜、伊藤孝志らを擁する強豪福岡大大濠高を相手に37点(3P1本、2P13本、フリースロー8本)をする活躍で番狂わせを起こしてみせた。そんな彼の名を一躍全国に知らしめたのが、高校3年生時のウィンターカップ長谷川誠田臥勇太など数多くの名選手を輩出している能代工業高を相手に、51点(うちフリースロー連続記録達成/21本、3P/6本、ダンク/3本)、7ブロックという大活躍により、ここでもインターハイに続いて、大番狂わせを起こしてみせた。またダンクでリングを掴んだまま回転するさまからメリーゴーランドダンクとも呼ばれ、全国区の選手へとのし上がった。

高校卒業後は愛知学泉大学に入学。1年生時から東海地区、西日本の各大会での新人王を受賞、その後も最優秀選手賞などを受賞。転機は大学3年生の時に訪れる。日本A代表監督にNBAプレーヤーのトニー・クーコッチドラゼン・ペトロヴィッチを育てたジェリコ・パブリセヴィッチが就任。彼によって、未来の日本代表を担う大学生を集めたスプリングキャンプが行われ、その参加メンバーに選出される。このキャンプで監督の目に止まり、同年日本A代表候補に大学生として西塔佳郎大宮宏正竹内譲次竹内公輔菅谷徹らと共に選出される。その後ヨーロッパ遠征を経て、キリンカップバスケットボール2004、第1回スタンコビッチカップに出場。

その後、第2回のスプリングキャンプにも参加、2005年のA代表候補にも選ばれ、スタメンに定着。第23回FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会 東アジア地区予選に出場後、2度目のヨーロッパ遠征を経て、キリンカップ・バスケットボール2005、キリンインターナショナルバスケットボール2005、第23回FIBAアジア男子選手権に出場。そして、この第23回FIBAアジア男子選手権においてオールアジア2ndチームに選ばれる。

スーパーリーグ2005-2006年シーズンには、新人ながらもトヨタ自動車アルバルクの優勝に貢献。2006年、日本で開催されるFIBAバスケットボール世界選手権に向けた日本A代表に選ばれる。

2007年、レラカムイ北海道へ移籍し、初挑戦となるPGに挑んでいる。ターンオーバーとパーソナルファールの減少が課題ではあるが、高い身長と持ち前の攻撃力を生かしたゲームメイクをする。東野HC曰く、「世界基準のPG」。2008-09シーズン終了後にNBADLへ武者修行を行った。

2011年から2013年は日本代表主将を務める。

2013年のNBLオールスターに選出されている[1]

2019年4月10日のホーム栃木戦で、連続試合出場記録が600試合に更新された。怪我が多いが、常にコートに立ち続け「鉄人」と呼ばれている。

経歴

  • 四日市工業高校 - 愛知学泉大学 - トヨタ自動車(2005年〜2007年) - レラカムイ北海道(2007年〜)

脚注

  1. ^ NBL/NBDLオールスターファン投票最終結果発表”. BASKETBALL SPIRITS (2013年11月11日). 2014年3月22日閲覧。

関連項目

外部リンク