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この地域は[[砂漠]]地帯にあり、境界線はすべて直線で構成されている。北の境界線は[[北緯22度線]]であり、その長さは95kmにわたる。南の辺は Jabal Bartazuga (標高410m)と Jabal Hesmet 'Omar (標高570m)を結んでいる。
この地域は[[砂漠]]地帯にあり、境界線はすべて直線で構成されている。北の境界線は[[北緯22度線]]であり、その長さは95kmにわたる。南の辺は Jabal Bartazuga (標高410m)と Jabal Hesmet 'Omar (標高570m)を結んでいる。


地域の北部には、タウィル山({{lang|ar|جبل طويل / Jabal Tawil}}、標高459m)、東部には {{lang|ar|Jabal Ḩajar az Zarqā'}}(標高662m)が聳える。また、地域の南部には[[ワジ]]・タウィール({{lang|ar|وادي طويل}} 、一名 Khawr Abū Bard)が流れている。
地域の北部には、タウィル山({{lang|ar|جبل طويل / Jabal Tawil}}、標高459m)、東部には {{lang|ar|Jabal Ḩajar az Zarqā'}}(標高662m)が聳える。また、地域の南部には[[ワジ]]・タウィール({{lang|ar|وادي طويل}} 、一名 Khawr Abū Bard)が流れている。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
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ビル・タウィールの帰属は、[[ハラーイブ・トライアングル]]の帰属問題と不可分に結びついている。
ビル・タウィールの帰属は、[[ハラーイブ・トライアングル]]の帰属問題と不可分に結びついている。


エジプトとスーダンの国境線について、エジプト政府は1899年の境界線を主張し、スーダン政府は1902年の境界線を主張している。ハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を採用すると、ビル・タウィールは自国領に含まれない。ビル・タウィールはハラーイブ・トライアングルのわずか10分の1の面積であり、ハラーイブ・トライアングルと比較して重要な土地であると考えられていないことから、両国ともハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を主張し、その結果、ビル・タウィールの領有権は両国とも否認する形となっている。
エジプトとスーダンの国境線について、エジプト政府は1899年の境界線を主張し、スーダン政府は1902年の境界線を主張している。ハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を採用すると、ビル・タウィールは自国領に含まれない。ビル・タウィールはハラーイブ・トライアングルのわずか10分の1の面積であり、ハラーイブ・トライアングルと比較して重要な土地でないと考えられていことから、両国ともハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を主張し、その結果、ビル・タウィールの領有権は両国とも否認する形となっている。


また、ビル・タウィールには、エジプトかスーダンを通ってしかアクセスできないため、第三国がビル・タウィールを自国領土と宣言することは難しい。このため、ビル・タウィールは「いずれの国家によっても領土と主張されていない」地球上で稀な土地の一つとなっている。
また、ビル・タウィールには、エジプトかスーダンを通ってしかアクセスできないため、第三国がビル・タウィールを自国領土と宣言することは難しい。このため、ビル・タウィールは「いずれの国家によっても領土と主張されていない」地球上で稀な土地の一つとなっている。

2019年7月28日 (日) 05:06時点における版

ビル・タウィール

بيرطويل
ビル・タウィールの位置(エジプト内)
ビル・タウィール
ビル・タウィール
ビル・タウィールの位置(スーダン内)
ビル・タウィール
ビル・タウィール
北緯21度52分14秒 東経33度44分14秒 / 北緯21.87056度 東経33.73722度 / 21.87056; 33.73722
無主地
面積
 • 合計 2,060 km2
等時帯 UTC+2 (EST)
 • 夏時間 +3

ビル・タウィールبيرطويل 、ラテン文字転写 :Bir Tawil or Bi'r Tawīl)は、エジプトスーダンの国境地帯にある地域。この地域は、いずれの国家によっても領有権が主張されていない無主地である。

地理

米軍作成の地図(1960年)。境界線に囲まれているのがビル・タウィール

この地域は砂漠地帯にあり、境界線はすべて直線で構成されている。北の境界線は北緯22度線であり、その長さは95kmにわたる。南の辺は Jabal Bartazuga (標高410m)と Jabal Hesmet 'Omar (標高570m)を結んでいる。

地域の北部には、タウィール山(جبل طويل / Jabal Tawil、標高459m)、東部には Jabal Ḩajar az Zarqā'(標高662m)が聳える。また、地域の南部にはワジ・タウィール(وادي طويل 、一名 Khawr Abū Bard)が流れている。

歴史

1899年、イギリスはこの地域の覇権を握り、保護国エジプト王国との共同主権地域とした(英埃領スーダン)。このとき、エジプトとスーダンの境界線 ("Political boundary") は北緯22度線とされた。22度線以南のビル・タウィールの地域は、ハルツームのスーダン総督の管轄下に置かれた。

1902年、イギリスはこの地に新しい行政境界線 ("Administrative boundary") を引き、ビル・タウィールはエジプト側に組み込まれた。この地域が、アスワンを本拠とする遊牧民アバブダ人英語版の放牧地であり、地理的・文化的にハルツームよりもカイロに近かったためである。このとき同時に、ビル・タウィールの東北側、紅海にかけての22度線以北の地域(ハラーイブ・トライアングル)がスーダン側に組み込まれることになった。ハライブ一帯の遊牧民がスーダン側を拠点としていたためである。

帰属問題

上がエジプト、下がスーダン、緑の部分が両国が領有を主張するハラーイブ・トライアングル、その左の白い部分がビル・タウィール
北スーダン王国の国旗

ビル・タウィールの帰属は、ハラーイブ・トライアングルの帰属問題と不可分に結びついている。

エジプトとスーダンの国境線について、エジプト政府は1899年の境界線を主張し、スーダン政府は1902年の境界線を主張している。ハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を採用すると、ビル・タウィールは自国領に含まれない。ビル・タウィールはハラーイブ・トライアングルのわずか10分の1の面積であり、ハラーイブ・トライアングルと比較して重要な土地でないと考えられていることから、両国ともハラーイブ・トライアングルを自国領とする境界線を主張し、その結果、ビル・タウィールの領有権は両国とも否認する形となっている。

また、ビル・タウィールには、エジプトかスーダンを通ってしかアクセスできないため、第三国がビル・タウィールを自国領土と宣言することは難しい。このため、ビル・タウィールは「いずれの国家によっても領土と主張されていない」地球上で稀な土地の一つとなっている。

この地の領有を主張してミクロネーションの「建国」を宣言する民間人は幾人か存在している。2014年にはアメリカ人のジェレマイア・ヒートンが現地に赴いてミクロネーション「北スーダン王国」の建国を宣言した [1]。これらの領有宣言を承認する国家はない。

脚注

関連項目

外部リンク