「アナベル・リー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{基礎情報 文学作品
『'''アナベル・リー'''』(''Annabel Lee'' )は、[[1849年]]に書かれた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の作家・詩人・編集者・文芸批評家[[エドガー・アラン・ポー]]による最後の詩である。ポーの死後2日目に地元の日刊新聞[[ニューヨーク・トリビューン]]紙に発表された。
|題名 = アナベル・リー
|原題 = Annabel Lee
|画像 = Sartain's annabel 1850.jpg
|画像サイズ = 200px
|キャプション = 収録された『Sartain's Union Magazine of Literature and Art』(1850年1月)
|作者 = [[エドガー・アラン・ポー]]
|国 = {{USA1837}}
|言語 = [[英語]]
|ジャンル = [[詩]]
|シリーズ =
|発表形態 = 新聞掲載(死後)
|初出 = 『ニューヨーク・トリビューン』[[1849年]]10月9日号
|刊行 =
|収録 = 『Sartain's Union Magazine of Literature and Art』 [[1850年]]1月
|受賞 =
|訳者 = [[日夏耿之介]]、[[阿部保]]
|前作 =
|次作 =
|portal1 = 文学
}}
『'''アナベル・リー'''』(''Annabel Lee'' )は、[[1849年]]に書かれた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の作家・詩人・編集者・文芸批評家[[エドガー・アラン・ポー]]による最後の詩である。ポーの死後2日目に地元の日刊新聞[[ニューヨーク・トリビューン]]紙に発表された。


日本語訳詩は[[日夏耿之介]]、[[阿部保]]、[[福永武彦]]などある。[[大江健三郎]]は日夏訳<ref>日夏訳の文体を選んだ理由を[[若島正]]訳、[[ウラジーミル・ナボコフ]]『[[ロリータ]]』([[新潮文庫]])の解説で「それは母国の現代語には無知で、家庭の事情から「[[唐詩選]]」はじめ漢詩になじんでいたからだ。それを手引にアメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩は、私にいささかも古びたところのない、新しい英語とひとしいものに感じられた。その英詩と日夏訳との間の文体、声の落差がさらにも強く私を魅了したのである。それをきっかけに、これら二つの(時には三つの)言語の間を行き来することであじわいなれた恍惚が、いまも私の文学受容になごりをとどめている」と書いている。</ref>から初めての女性を中心にした小説『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(「らふたし〜」/読み方は「ろうたし〜」)という作品を書いている<ref>[[渡辺利雄]]『アメリカ文学に触発された日本の小説』([[研究社]][[2014年]])pp.27-53。</ref>。作家の[[宮本百合子]]は『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/33189_16392.html 『獄中への手紙』(一九四〇年(昭和十五年)七月十七日付〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕)]』同年八月号『婦人公論』掲載の日夏訳を[[宮本顕治]]に紹介している。
日本語訳詩は[[日夏耿之介]]、[[阿部保]]、[[福永武彦]]などある。[[大江健三郎]]は日夏訳<ref>日夏訳の文体を選んだ理由を[[若島正]]訳、[[ウラジーミル・ナボコフ]]『[[ロリータ]]』([[新潮文庫]])の解説で「それは母国の現代語には無知で、家庭の事情から「[[唐詩選]]」はじめ漢詩になじんでいたからだ。それを手引にアメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩は、私にいささかも古びたところのない、新しい英語とひとしいものに感じられた。その英詩と日夏訳との間の文体、声の落差がさらにも強く私を魅了したのである。それをきっかけに、これら二つの(時には三つの)言語の間を行き来することであじわいなれた恍惚が、いまも私の文学受容になごりをとどめている」と書いている。</ref>から初めての女性を中心にした小説『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(「らふたし〜」/読み方は「ろうたし〜」)という作品を書いている<ref>[[渡辺利雄]]『アメリカ文学に触発された日本の小説』([[研究社]][[2014年]])pp.27-53。</ref>。作家の[[宮本百合子]]は『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/33189_16392.html 『獄中への手紙』(一九四〇年(昭和十五年)七月十七日付〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕)]』同年八月号『婦人公論』掲載の日夏訳を[[宮本顕治]]に紹介している。

2019年7月2日 (火) 11:13時点における版

アナベル・リー
Annabel Lee
収録された『Sartain's Union Magazine of Literature and Art』(1850年1月)
収録された『Sartain's Union Magazine of Literature and Art』(1850年1月)
作者 エドガー・アラン・ポー
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
ジャンル
発表形態 新聞掲載(死後)
初出情報
初出 『ニューヨーク・トリビューン』1849年10月9日号
刊本情報
収録 『Sartain's Union Magazine of Literature and Art』 1850年1月
日本語訳
訳者 日夏耿之介阿部保
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

アナベル・リー』(Annabel Lee )は、1849年に書かれたアメリカの作家・詩人・編集者・文芸批評家エドガー・アラン・ポーによる最後の詩である。ポーの死後2日目に地元の日刊新聞『ニューヨーク・トリビューン』紙に発表された。

日本語訳詩は日夏耿之介阿部保福永武彦などある。大江健三郎は日夏訳[1]から初めての女性を中心にした小説『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(「らふたし〜」/読み方は「ろうたし〜」)という作品を書いている[2]。作家の宮本百合子は『『獄中への手紙』(一九四〇年(昭和十五年)七月十七日付〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕)』同年八月号『婦人公論』掲載の日夏訳を宮本顕治に紹介している。

原文

IT was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of ANNABEL LEE;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.

I was a child and she was a child .
In this kingdom by the sea:
But we loved with a love that was more than love --
I and my ANNABEL LEE;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.

And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud,chilling
My beautiful ANNABEL LEE;
So that her high-born kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.

The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me -
Yes! - that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we—
Of many far wiser than we—
And neither the angels in Heaven above
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee

For the moon never beams, without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise, but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling - my darling, - my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the side of the sea

昔々のお話です
海のほとりの王国に
一人の娘が住んでいた
その子の名前はアナベル・リー
いつも心に思うのは
僕への愛と僕の愛

僕もあの子もふたり子供
海のほとりの王国で
愛し愛して愛以上
僕と僕のアナベル・リー
翼あるあの天使さえ
僕らの愛をうらやんだ

そしたら昔のお話です
海のほとりの王国で
雲が木枯し吹きつけた
僕のかわいいアナベル・リー
そしたらえらい親戚が
あの子をたちまち連れてって
お墓にぴしゃり閉じ込めた
海のほとりの王国で

お空の天使はさびしくて
僕とあの子をねたんでた
そう! すべてはそのせいで(ご存じ
海のほとりの王国で
雲から木枯し夜通し吹いて
凍えて死んだアナベル・リー

だけどふたりのその愛は
年寄り物知りみんなより
ずっとずうっと強かった
だからお空の天使でも
海の底の魔物でも
僕とあの子のたましいを
引き離せないアナベル・リー

月輝かず、汝が夢は来たらず
かの美しきアナベル・リー。
星出でず、されど見る汝が輝かしき瞳
かの美しきアナベル・リー。
さればこの夜の季節、われかたわらに身を横たう
わが愛する、愛する、わが生命、わが花嫁よ。
あの海のほとりの墓所にて、
海鳴るほとりの霊屋にて。

その他の訳

 それ以前にも以下のような訳類があることが明らかにされている[3]

  • 大正14(1915)年に鯖瀬春彦「アナベル・リイ」(『音楽』6巻6、東京音楽学校)(詳細未詳)。
  • 大正8(1919)年4月に片山伸訳「アナベル・リイ」(生田春月編『泰西名詩名訳集』越山堂)、昭和2年10月、畑喜代司著『泰西名詩の味ひ方』(資文堂)所収〔亞米利加詩篇〕に清水暉吉訳「アナベル・リィ」を収録(これは昭和10年に『泰西名詩の鑑賞』として改題・再刊されている)。
  • 昭和10(1935)年『世界文芸大辞典』第一巻(中央公論社)に日夏耿之助が「アナベル・リイ」の項目執筆を行っている。

 大江健三郎の小説『﨟(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(2007年刊)は、2010年、文庫化に際し『美しいアナベル・リイ』に改題されたものであるが、日夏耿之助訳中に「﨟(らふ)たしアナベル・リイ」という表記は第四聯と第六聯に見えるものの、「総毛立ちつ身まかりつ」と直接に連接した表現はみられない。

日夏耿之助訳(創元選書『ポオ詩集』)では七五調を基調としながら、 第一聯「わたの水阿(みさき)の里住みの」~ 第二聯「わたの水阿のうらかげや」~ 第三聯「かかればありしそのかみは」~ 第四聯「帝郷の天人ばら天祉(てんし)およばず」~ 第四聯「ねびまさりけむひとびと」~ 第六聯「月照るなべ」~「そぎへに居臥す身のすゑかも。」と、最後の「そぎへに居臥す身のすゑかも」を七七調にすることで韻律のうえでも詩に決着をつけて終わる。

一方、加島祥造(岩波文庫『ポー詩集』)では 第一聯「幾年(いくとし)も幾年も前のこと」~ 第二聯「この海辺の王国で、ぼくと彼女は子供のように、子供のままに生きていた」~ 第三聯「そしてこれが理由となって、ある夜遠いむかし、その海辺の王国に」~ 第四聯「天使たちは天国にいてさえぼくたちほど幸せでなかったから」~「ある夜、雲から風が吹きおりて凍えさせ、殺してしまった、ぼくのアナベル・リーを。」 と、四聯に集約している。

 マラルメはポーによる第六聯の詩をフランス語に訳すにあたり、最終第六聯と入れ替えるかたちで、原詩の第五聯を末尾に配するという改竄をおこなっている[4]

日本への享受と影響

脚注

  1. ^ 日夏訳の文体を選んだ理由を若島正訳、ウラジーミル・ナボコフロリータ』(新潮文庫)の解説で「それは母国の現代語には無知で、家庭の事情から「唐詩選」はじめ漢詩になじんでいたからだ。それを手引にアメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩は、私にいささかも古びたところのない、新しい英語とひとしいものに感じられた。その英詩と日夏訳との間の文体、声の落差がさらにも強く私を魅了したのである。それをきっかけに、これら二つの(時には三つの)言語の間を行き来することであじわいなれた恍惚が、いまも私の文学受容になごりをとどめている」と書いている。
  2. ^ 渡辺利雄『アメリカ文学に触発された日本の小説』(研究社2014年)pp.27-53。
  3. ^ 中村融、1992、「日本でのポー-13-書誌--大正1年~昭和11年(改訂版) (PDF) 」 、『茨城大学教養部紀要』(24号)、茨城大学、NAID 40000136784 pp. 215-231
  4. ^ アナベル・リイの主題による変奏”. コミュニケーションギャラリー ふげん社. 2017-66-26時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月19日閲覧。

外部リンク