「徳島縣護國神社」の版間の差分

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== 由緒 ==
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[[1879年]]([[明治]]12年)9月、[[眉山公園]]に招魂社として創建された。[[1906年]](明治39年)4月、徳島中央公園の[[徳島城]]跡に遷座。[[1939年]]([[昭和]]14年)4月、徳島縣護國神社と改称する。


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[[1945年]](昭和20年)7月、[[徳島大空襲]]で社殿等焼失したが、[[1958年]](昭和33年)再建される。[[1978年]](昭和53年)には御創社百周年記念として境内整備事業が行われた。


しかし、神社の境内が徳島市からの借地である上、史跡文化財保護地区のため諸問題があり、神社を移転することとなった。[[2000年]]([[平成]]12年)徳島市雑賀町在住の篤志家・川﨑阿佐惠が社地を寄進。本殿・社務所を新築、拝殿・手水舎・慰霊碑等を移設し、[[2003年]](平成15年)9月に遷座した。
しかし、神社の境内が徳島市からの借地である上、史跡文化財保護地区のため諸問題があり、神社を移転することとなった。[[2000年]]([[平成]]12年)雑賀町在住の篤志家・川﨑阿佐惠が社地を寄進。本殿・社務所を新築、拝殿・手水舎・慰霊碑等を移設し、[[2003年]](平成15年)9月に遷座した。


==境内社==
==境内社==
;大國神社
;大國神社
[[1981年]](昭和56年)[[出雲大社]]より神像を、川﨑阿佐惠が創建{{要出典|date=201796 (水) 03:10 (UTC)}}
徳島縣護國神社の現在地への遷座より前の[[1981年]](昭和56年)、川﨑阿佐惠が[[出雲大社]]より神像を拝戴し創建した。<ref>[http://gokoku-jinja.jp/ohkuni.html 徳島縣護國神社サイトの「大國神社」ページ] 2019[[53]]閲覧</ref>


== 年中行事 ==
== 年中行事 ==
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* [[護国神社]]
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*[[徳島県戦没者記念館]]:境内にある資料館。
*[[徳島県戦没者記念館]]:境内にある資料館。

==脚註==
<references />

== 外部リンク ==
*[http://gokoku-jinja.jp 徳島縣護國神社]

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2019年5月2日 (木) 16:01時点における版

徳島縣護國神社
所在地 徳島県徳島市雑賀町東開21-1
位置 北緯34度2分25.7秒 東経134度33分43.5秒 / 北緯34.040472度 東経134.562083度 / 34.040472; 134.562083座標: 北緯34度2分25.7秒 東経134度33分43.5秒 / 北緯34.040472度 東経134.562083度 / 34.040472; 134.562083
主祭神 徳島県出身の戦没者
社格 内務大臣指定護国神社
創建 1879年明治12年)
例祭 11月2日
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徳島縣護國神社(とくしまけんごこくじんじゃ)は徳島県徳島市雑賀町に鎮座する神社護国神社)である。

祭神

戊辰戦争から第二次大戦に至る事変・戦争等の国難に準じた徳島県出身の戦死者三万四千三百余柱を祀り、相殿に徳島県出身の殉職自衛官二十余柱を祀る。

由緒

1879年明治12年)9月、眉山公園に招魂社として創建された。1906年(明治39年)4月、徳島中央公園の徳島城跡に遷座。1939年昭和14年)4月、徳島縣護國神社と改称する。

1945年(昭和20年)7月、徳島大空襲で社殿等焼失したが、1958年(昭和33年)に再建される。1978年(昭和53年)には御創社百周年記念として境内整備事業が行われた。

しかし、神社の境内が徳島市からの借地である上、史跡文化財保護地区のため諸問題があり、神社を移転することとなった。2000年平成12年)雑賀町在住の篤志家・川﨑阿佐惠が社地を寄進。本殿・社務所を新築、拝殿・手水舎・慰霊碑等を移設し、2003年(平成15年)9月に遷座した。

境内社

大國神社

徳島縣護國神社の現在地への遷座より前の1981年(昭和56年)、川﨑阿佐惠が出雲大社より神像を拝戴し創建した。[1]

年中行事

関連項目

脚註

  1. ^ 徳島縣護國神社サイトの「大國神社」ページ 2019年5月3日閲覧

外部リンク