「国道414号」の版間の差分

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* 指定区間 : 伊豆市月ケ瀬字賤戸六十六番一から同市大平字畑八十番五まで(同市月ケ瀬字賤戸六十六番一から同市青羽根字中原百九十二番一を経て同市大平字畑八十番五までを除く。)([[伊豆縦貫自動車道]][[大平インターチェンジ (静岡県)|大平IC]] - [[月ケ瀬インターチェンジ|月ケ瀬IC]]間)
* 指定区間 : 伊豆市月ケ瀬字賤戸六十六番一から同市大平字畑八十番五まで(同市月ケ瀬字賤戸六十六番一から同市青羽根字中原百九十二番一を経て同市大平字畑八十番五までを除く。)([[伊豆縦貫自動車道]][[大平インターチェンジ (静岡県)|大平IC]] - [[月ケ瀬インターチェンジ|月ケ瀬IC]]間)

== 歴史 ==
伊豆半島の中央にある天城峠(標高830メートル)は、急峻な地形で伊豆半島を分断し、南伊豆を陸の孤島として分断してきた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=116}}。[[天城越え]]の下田路が整備されたのは江戸時代中期以降のことで、日米修好通商条約を結んだアメリカ総領事の[[タウンゼント・ハリス]]や、黒船に乗り込んで密航を企てた[[吉田松陰]]もこの道を通ったと記録されている{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=116}}。

[[明治時代]]に入ると政府が地元の願いを受け入れて交通難所の[[天城越え]]のルートにトンネルを開削する工事に乗りだし、当時最高の土木技術と予算10万3000円を投じ、4年の工事期間を経て総石造りの[[天城山隧道]](旧天城トンネル)を[[1905年]](明治38年)に完成させた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=116}}。これによって三島・沼津から南伊豆への交通路である[[下田街道]](天城街道)が整備されると、伊豆半島の観光開発が進むにつれて交通量も増大した{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=117}}。しだいに、幅4メートルと狭い旧天城トンネルでは交通量を支えきれなくなってきたことから、西側に並行して有料道路の新天城トンネルが開通し、下田街道のメインルートは新トンネルに移った{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=117}}。

[[1978年]]([[昭和]]53年)に発生した[[伊豆大島近海地震]]で、天城峠の南面の崖のような地形で起こった地盤崩壊により、下田街道は大きな被害を受けている{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=118}}。この震災によって新たな道路を建設する復旧工事では、崖に沿わずに狭いスペースで高度を稼ぐ2回転ループ橋である[[河津七滝ループ橋|七滝高架橋]]を完成させて、[[1981年]](昭和56年)に通行止めを解除させた{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=118}}。

1981年(昭和56年)4月30日の一般国道の路線を指定する政令の一部改正が行われ、一般国道になることが決まると、翌[[1982年]](昭和57年)4月1日に県道から一般国道414号に昇格した{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=119}}<ref> 昭和56年4月30日政令第153号「一般国道の路線を指定する政令」改正(昭和57年4月1日施行)</ref>。国道指定当初から旧天城トンネルも、有料の新天城トンネルとともに国道414号の一部として指定されていたが、[[2000年]]([[平成]]12年)に新天城トンネルは償還期限を迎えて無料開放された{{sfn|佐藤健太郎|2015|p=119}}。


== 路線状況 ==
== 路線状況 ==
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* {{cite book |和書 |author=「日本の道100選」研究会|title=日本の道100選〈新版〉|publisher=[[ぎょうせい]]|editor=国土交通省道路局(監修)|date=2002-06-20|isbn=4-324-06810-0|ref=harv}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2019年4月30日 (火) 08:43時点における版

一般国道
国道414号
総延長 79.1 km
実延長 67.6 km
現道 60.7 km
制定年 1982年
起点 静岡県下田市
中島橋交差点(北緯34度40分40.48秒 東経138度56分42.74秒
主な
経由都市
静岡県伊豆市伊豆の国市
終点 静岡県沼津市
上石田交差点(北緯35度7分13.57秒 東経138度52分53.68秒
接続する
主な道路
記法
国道135号
国道136号
国道246号
国道1号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

国道414号(こくどう414ごう)は、静岡県下田市から、同県沼津市を結ぶ一般国道である。

概要

河津七滝ループ橋
国道414号、沼津市志下にて

河津町から伊豆市にかけて通る天城山は観光地でハイキングなどで人気であり、また、720度の河津七滝ループ橋を通過する。 伊豆南部の天城峠にある河津七滝ループ橋は、高低差45m、2回転の間円形ループ橋で、一般国道のなかでも特に目を引くループ橋の名所として知られる[1]。もともと、山腹沿いにつづら折れの道路があったが、1978年伊豆大島近海地震で大崩落してしまったために、新たに建設されたものである[1]

伊豆半島の真ん中にある天城峠越えの国道414号旧道でもある天城路は、自然と文学の歴史ある路として、1986年(昭和61年)に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の一つに選定されている[2]

路線データ

歴史

伊豆半島の中央にある天城峠(標高830メートル)は、急峻な地形で伊豆半島を分断し、南伊豆を陸の孤島として分断してきた[4]天城越えの下田路が整備されたのは江戸時代中期以降のことで、日米修好通商条約を結んだアメリカ総領事のタウンゼント・ハリスや、黒船に乗り込んで密航を企てた吉田松陰もこの道を通ったと記録されている[4]

明治時代に入ると政府が地元の願いを受け入れて交通難所の天城越えのルートにトンネルを開削する工事に乗りだし、当時最高の土木技術と予算10万3000円を投じ、4年の工事期間を経て総石造りの天城山隧道(旧天城トンネル)を1905年(明治38年)に完成させた[4]。これによって三島・沼津から南伊豆への交通路である下田街道(天城街道)が整備されると、伊豆半島の観光開発が進むにつれて交通量も増大した[5]。しだいに、幅4メートルと狭い旧天城トンネルでは交通量を支えきれなくなってきたことから、西側に並行して有料道路の新天城トンネルが開通し、下田街道のメインルートは新トンネルに移った[5]

1978年昭和53年)に発生した伊豆大島近海地震で、天城峠の南面の崖のような地形で起こった地盤崩壊により、下田街道は大きな被害を受けている[6]。この震災によって新たな道路を建設する復旧工事では、崖に沿わずに狭いスペースで高度を稼ぐ2回転ループ橋である七滝高架橋を完成させて、1981年(昭和56年)に通行止めを解除させた[6]

1981年(昭和56年)4月30日の一般国道の路線を指定する政令の一部改正が行われ、一般国道になることが決まると、翌1982年(昭和57年)4月1日に県道から一般国道414号に昇格した[7][8]。国道指定当初から旧天城トンネルも、有料の新天城トンネルとともに国道414号の一部として指定されていたが、2000年平成12年)に新天城トンネルは償還期限を迎えて無料開放された[7]

路線状況

伊豆半島を南北に移動する際に、曲がりくねった海岸線沿いの国道よりも移動時間は短縮できる[9]。天城峠の南に2回転ループで45 mの高低差を上り下りする河津七滝ループ橋と、「天城越え」で知られる旧道の天城山隧道(国重要文化財)は国道414号の名所となっている[9]。旧道の天城山隧道の前後は砂利敷きの道路であるが、整備が行き届いているため自動車での通行も可能である[9]

バイパス

別名

天城峠越えの道筋は、下田街道の名で知られ、なかでも河津町湯ヶ野 - 伊豆市湯ケ島間の旧天城トンネルで峠を越える旧道は、天城路ともよばれる。

重複区間

道の駅

道の駅天城越えにある昭和の森会館は、川端康成の短編小説『伊豆の踊子』をはじめとする天城文学ゆかりの展示品を集めた伊豆近代文学博物館がある[10]

交通量

平成22年度道路交通センサスより

  • 下田市東中 12,529
  • 下田市河内 10,109
  • 下田市箕作 4,218
  • 賀茂郡河津町梨本 5,154
  • 伊豆市湯ヶ島 4,840
  • 伊豆市月ケ瀬 7,884
  • 伊豆の国市長銅 10,894
  • 伊豆の国市北江間 18,212
  • 沼津市下香貫 21,868
  • 沼津市三園町 24,247
  • 三園橋 25,015
  • 沼津市杉崎町 26,170
  • 沼津市大岡 17,294
  • 沼津市下香貫から三園橋にかけて土日祝日は激しい渋滞が起きている。

バス路線

地理

伊豆半島のほぼ真ん中に位置する天城峠を越える道路沿いは、天城の自然豊かな深い山間地域であり、ヤマメマスが生息する渓流が流れ、沢には特産のワサビ田が点在し、伊豆市湯ケ島には天城随一の名瀑である浄蓮の滝がある[10]。天城峠一帯の原生林は、昭和天皇在位50周年を記念して国民休養林に指定した「昭和の森」である[10]。天城周辺は湯ヶ野河津七滝湯ヶ島など数多くの温泉が点在し、古くから湯治場として栄えたといわれる[10]

通過する自治体

交差する道路

(単独区間のみ。国道136号との重複区間は国道136号を参照。)

この間、国道136号と重複
沼津市役所前交差点、静岡県道139号原木沼津線との交差点

沿線

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e f g 2015年4月1日現在

出典

  1. ^ a b 佐藤健太郎 2014, pp. 34–35.
  2. ^ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 9.
  3. ^ a b c d e f g 表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (PDF). 道路統計年報2016. 国土交通省道路局. p. 23. 2017年5月5日閲覧。
  4. ^ a b c 佐藤健太郎 2015, p. 116.
  5. ^ a b 佐藤健太郎 2015, p. 117.
  6. ^ a b 佐藤健太郎 2015, p. 118.
  7. ^ a b 佐藤健太郎 2015, p. 119.
  8. ^ 昭和56年4月30日政令第153号「一般国道の路線を指定する政令」改正(昭和57年4月1日施行)
  9. ^ a b c 佐々木・石野・伊藤 2015, p. 63.
  10. ^ a b c d 「日本の道100選」研究会 2002, pp. 110–111.

参考文献

  • 佐々木節、石野哲也、伊藤もずく 著、松井謙介編 編『絶景ドライブ100選[新装版]』学研パブリッシング〈GAKKEN MOOK〉、2015年9月30日。ISBN 978-4-05-610907-8 
  • 佐藤健太郎『ふしぎな国道』講談社〈講談社現代新書〉、2014年、34-35頁。ISBN 978-4-06-288282-8 
  • 佐藤健太郎『国道者』新潮社、2015年11月25日。ISBN 978-4-10-339731-1 
  • 「日本の道100選」研究会 著、国土交通省道路局(監修) 編『日本の道100選〈新版〉』ぎょうせい、2002年6月20日。ISBN 4-324-06810-0 

関連項目