「廃車」の版間の差分

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[[日中戦争]]が勃発した[[1937年]]以降、軍の要請により日本が支配する[[外地]]([[植民地]])の鉄道整備のため、鉄道省に在籍する車両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に戦時供出といい、対象となった車両には特別廃車の手続が取られた。
[[日中戦争]]が勃発した[[1937年]]以降、軍の要請により日本が支配する[[外地]]([[植民地]])の鉄道整備のため、鉄道省に在籍する車両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に'''戦時供出'''といい、対象となった車両には'''特別廃車'''の手続が取られた。


1937年から1938年にかけては、主に[[中国]]の[[華中鉄道]]や[[華北交通]]向けに[[国鉄9600形蒸気機関車|9600形]]や[[国鉄C51形蒸気機関車|C51形]]などの蒸気機関車の他、[[国鉄スハ32系客車|スハ33000形客車]]やキハ40000形、[[国鉄キハ07形気動車|キハ42000形気動車]]などが、[[標準軌]]に改造のうえ供出された。
1937年から1938年にかけては、主に[[中国]]の[[華中鉄道]]や[[華北交通]]向けに[[国鉄9600形蒸気機関車|9600形]]や[[国鉄C51形蒸気機関車|C51形]]などの蒸気機関車の他、[[国鉄スハ32系客車|スハ33000形客車]]や[[国鉄キハ40000形気動車|キハ40000形]]、[[国鉄キハ07形気動車|キハ42000形気動車]]などが、[[標準軌]]に改造のうえ供出された。


太平洋戦争が始まると、今度は南方の[[タイ王国|タイ]]や[[ミャンマー|ビルマ]]、[[海南島]]などの占領地で建設された軍用鉄道向けに、多数の機関車が供出された。[[泰緬鉄道]]に供出された[[国鉄C56形蒸気機関車|C56形]]が代表的であるが、[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形]]、[[国鉄C50形蒸気機関車|C50形]]、[[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]、[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]なども対象となっている。これらは1m軌間に改造のうえ発送されたが、途中で輸送船が撃沈されるなどして失われたものも多い。
太平洋戦争が始まると、今度は南方の[[タイ王国|タイ]]や[[ミャンマー|ビルマ]]、[[海南島]]などの占領地で建設された軍用鉄道向けに、多数の機関車が供出された。[[泰緬鉄道]]に供出された[[国鉄C56形蒸気機関車|C56形]]が代表的であるが、[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形]]、[[国鉄C50形蒸気機関車|C50形]]、[[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]、[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]なども対象となっている。これらは1m軌間に改造のうえ発送されたが、途中で輸送船が撃沈されるなどして失われたものも多い。


戦後残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。タイ国鉄に引き継がれたC56形のように、その後の消息が比較的聞かれ、その後日本に帰還したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり、人知れず異郷の土となった。
戦後残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。[[タイ国道|タイ国鉄]]に引き継がれたC56形のように、その後の消息が比較的聞かれ、その後日本に帰還したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり、人知れず異郷の土となった。


====事故・災害廃車====
====事故・災害廃車====

2006年8月18日 (金) 05:15時点における版

廃車(はいしゃ)とは、鉄道車両自動車など、一般的に車両と呼ばれるものの本来の用途に於ける使用(人や物を運ぶ事)をやめ、車籍を抹消し、廃棄する事、又は廃車となった車両の事である。

自動車に於ける廃車

自動車の場合、自動車の所有者が抹消登録と呼ばれる手続きを行う事によってナンバープレートが取り外され、廃車という事になる。

登録自動車・軽自動車

抹消登録の方法として、道路運送車両法第15条に基づいた手続きにより廃車する「永久抹消登録」と、同法第16条に基づいた手続きにより廃車する「一時抹消登録」のどちらかを所有者が選択する。

登録自動車の場合は陸運支局で、軽自動車の場合は軽自動車検査協会でこの手続きを行う。

永久抹消登録

道路運送車両法第15条に基づく廃車手続きで、俗に「15条抹消」と呼ばれる事もある。法的には「自動車が滅失、解体等したため再使用する事ない手続き」とされており、車両の解体を前提としたもので、この抹消手続きを行うと自動車の再登録に必要な抹消登録証明書の交付を受けられない。従ってこの手続きを受けた車は日本国内では二度と走る事ができないという事になるが、運行目的以外での再利用(倉庫など)は可能である。

なお、この抹消登録を行った車でも日本国外へ輸出する事はできるが、その場合には運輸支局から輸出抹消仮登録証明書の発行を受ける必要がある。

一時抹消登録

道路運送車両法第16条に基づく廃車手続きで、俗に「16条抹消」と呼ばれる事もある。法的には「自動車の使用を一時中止するための手続き」とされており、所有者が長期間自動車を使用できない状態(長期出張・入院など)により、一時的に自動車の使用を停止する場合などにこの手続きを行う。この抹消手続きを行うと、抹消登録証明書の交付が受けられ、日本国内で再び登録し、運行する事が可能である。

鉄道車両に於ける廃車

廃車の原因

ある鉄道車両が廃車となる理由には、大きく分けて次の3種類がある。

  1. 経年廃車
  2. 用途(余剰)廃車
  3. 事故(天災によるものも含む)廃車

経年廃車

鉄道車両は整備や手入れをきちんと行えば、50年以上使用する事が可能である。たとえば、JR西日本クモハ42形電車はおよそ70年に亘って乗客を乗せて走っていたし、車齢120年を超える蒸気機関車が、車籍のない遊戯施設扱いであるものの動態保存され、客車を牽いて運転されている例もある。しかし、この様なケースは極めて稀であり、大抵の車両は早くて20年、遅くとも35~40年(新幹線は15~20数年)で役目を終えている。これは以下のような理由による。

時代遅れになる
技術は日進月歩である。従って製造された当時は最新鋭の技術を使っていたとしても、いずれ陳腐化する事は避けられない。また、新たな保安装置が開発され、それを設置する事ができなくなる事もある。鉄道車両は、長期間に亘って法定の保守点検を行うため、新造費用だけでなくランニングコストが多く掛かる。このため、保守コストを低減できる様に設計されたより新しい車両に置き換える方がトータルコストが低減できる事があるため、寿命に達していなくても廃車される事がある。あまりにも古い車両の場合、交換用の部品が製造中止になってしまい、修理が行えなくなったために、やむなく廃車になる場合もある。先述の42系の場合、001号を走らせるため、稼動中の006号を廃車して部品取り用にしたくらいである。
老朽化
鉄道車両は使い続ければ老朽化が進行していく。各種機器の老朽化による動作不良が事故を招く事もあるので、ある程度の期間使用した時点で廃車となる。特に新幹線車両は在来線よりも高い安全水準が要求される事や、高速・長距離走行のため各部の摩耗や傷みが在来線車両より早く進行するといった理由から、車両の寿命が短くなっている。
日本では、法律により鉄道車両の減価償却期間は13年と定められている。つまり、13年使用すれば元は取れたとみなされる。ただし、これを基準に設計された車両は東京都交通局8000形電車JR東日本209系電車など数例のみで、たいていは設計上の耐用年数を20~40年程度とし、内装や車体、機器等の更新を行ないながら法定耐用年数の13年を超えて使用される。しかし、この長さも事業者の事情によってまちまちであり、老朽化・陳腐化したものを短期間のうちに一気に置き換えてしまう事業者もあれば、これと同じものを更新しながら相当長期間にわたって使い続ける(使い続けなければならない)事業者もある。
この設計上の耐用年数も時代によって変遷しており、一般に1950年代前半までに製造された車両は頑丈に造られており、軽量構造が一般化した1950年代後半以降に製造された車両に比べて、同一経年であっても一般に老朽化の度合いは小さい。例えば、1940年代後半から製造された国鉄スハ43系客車が、後継車として製造された軽量構造のナハ10系客車が老朽化により全廃された後も大量に残存した事例がある。それゆえ、その後に製造された車両は、行き過ぎた軽量構造を改善し、やや頑丈な構造として重量も増加している。また、オールステンレス車は、普通鋼製の車両に比べて錆の発生による劣化が少なく、塗装の省略等による保守上のメリットも大きいため、長く使用可能である。
また、特殊な構造を持つ車両や極端に性能の異なる車両(例えば試作車や、何らかの理由で少数しか製造されなかったグループ)は、その特殊さゆえ保守に手間がかかったり、交換部品のコストが嵩んだりするため、特に多数の車両を運用する大手鉄道事業者では早期の整理対象となりやすい。多少古い車両であったとしても数がまとまっていれば、量産効果により維持コストは削減可能であるし、性能が揃っていれば運転上の特殊な取り扱いもしなくて済むのである。極端な例としては、新幹線0系電車のように、老朽化した同系を新造した同系によって置き換えるといったことも行なわれている。
旧型車からの下回り、機器を流用した車体新製車は流用機器の老朽化から、完全新造車に比べて短い期間のうちに、新造した車体ごと廃棄されてしまう例も多い。流用機器の老朽化や陳腐化が理由であるが、保守面等でのデメリットが更新当時の想定以上に急速に表面化するなどの理由によって、早期に廃車されてしまう例も見られる。一方で、老朽化の進んだ機器を新造あるいは余剰のより新しいものと交換して、経年の浅い車体がさらに活用される例も少なくない。
特殊なもの(他と違うもの)は、一般に短命であるといえよう。

用途(余剰)廃車

環境の変化による廃車

鉄道車両を取り巻く輸送環境は廃車となった車両の走る路線についての内部的な変化のみならず、その車両の走る路線そのものとは関係のない外部的要因による変化など、様々な理由で変化する。

前者の内部的な変化としては、まず運用体系の変化や輸送力増強などに伴う編成の組み換えに伴う余剰車両の廃車が挙げられる。

例えば、小田急ロマンスカー「SE車」を「SSE」化した(8両×4本を5両×6本に組み替えた)際、余剰となった2両が廃車となった。また、京成AE形電車に於いても、6連×7本から8連5本に組み替えたため、余剰となった2両が廃車となった。但し残りの車両は1990年代半ばから京成3400形電車に機器を供出した。

また、新型車両を投入した後にそれまでの車両を廃車にはせずに他の線区へ転出し、他線区の旧形式車を淘汰させる事がある。この時には編成は適宜組み替えられるが、この組み替えた結果として余った車両が廃車となる事がある。例えば、JR東日本山手線埼京線国鉄205系電車がある(山手線573両・埼京線52両を武蔵野線鶴見線埼京線京葉線八高線仙石線南武線・南武支線に転用した結果、6両が転用先がなく余剰となり廃車予定である)。

  • 編成組み換えによって余剰となるのは大抵付随車であり、転用する場合は電装(モーターなどを取り付け、動力車に改造する事)などが必要となり、莫大なコストが掛かる。但し、転属による短編成化で制御車(先頭車)が不足する場合には、改造されて制御車になる場合もある。上記の国鉄205系電車の他、国鉄457系電車におけるグリーン車国鉄165系電車などからの改造車、国鉄80系電車などの例がある。

また、営団地下鉄東西線乗り入れ専用車であった国鉄301系電車の場合、営団との協定でJR側の乗り入れ数が減少したため、余剰となった1編成が廃車となっている。また、この形式はそれ以前にも営団に合わせた7→10連への組み換えが遠因で、6両が廃車となっている。

他にも信越本線横川軽井沢間の碓氷峠の急勾配区間の専用補助機関車として活躍した国鉄EF63形電気機関車は、長野新幹線開業と引き換えの碓氷峠区間の在来線廃止に伴い全車廃車となっている。碓氷峠ではその先代の国鉄ED42形電気機関車も粘着運転への切り換えに伴うアプト式運転廃止で全車廃車となっており、この区間では路線切り換えによる車輛の用途廃止による廃車が2代続いたことになる。

後者の外部的な変化としては、他社他路線若しくは他車両、新しい規制や法令の影響などで廃車された例がある。

例えば、東京都電6152号車で、都電全盛時代を伝える唯一の車両として、またライトの形状から「一球さん」という愛称で、保存車として大変親しまれていたが、京福電気鉄道越前本線列車衝突事故が起きた際、その事故車両についてブレーキ機構が1系統しかなく、これの故障により停止不能となった事が事故原因として明らかとなり、同様のブレーキシステムであった6152号も運転に不安があるとして休車となり、その後廃車となってしまった。

また、小田急10000形電車(ロマンスカーHiSE)は、交通バリアフリー法施行に伴い鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、特徴でもあったハイデッカー構造のためにバリアフリー対応工事が困難である事が理由の1つとなり、より古い電車である小田急7000形電車(ロマンスカーLSE)よりも早く淘汰される事となった(長野電鉄へ譲渡された2編成。残りの編成については処遇未定)。

また、食堂車はその外部的要因と内部的要因による影響を複合的に受けた例のひとつといえる。 まず、1972年の北陸トンネル火災事故によって国鉄10系客車の食堂車火災に対する安全性が問われ(外部的要因)、早期に全廃されている。また、国鉄末期になると、新幹線網の発達や自動車の普及による特急電車の短距離化・短編成化の傾向の影響を受けたり(内部的要因)、更に近年のライフスタイルの多様化の影響を受けるなどして(外部的要因)、昼行特急列車の食堂車の多くが廃止され、車両の大部分は余剰であるとして廃車された。

  • 新幹線においても、国鉄期の車両には食堂車が一般的であったのに対して現在の車両には連結されていないことから、この傾向を伺うこともできよう。
  • なお、廃止となった昼行特急列車の食堂車のうち、廃車を免れた少数の例として、国鉄485系電車において雷鳥の食堂車を廃止する代わりに「和風車だんらん」に改造した例がある。この車両は後のスーパー雷鳥新設時、ラウンジ付グリーン車に再改造されている。JRに継承した一部は国鉄24系客車北斗星トワイライトエクスプレス)の食堂車に改造された。

珍しい例としては、新幹線1000形電車の「解体設備の運転試験のために廃車」といったものや、国鉄DD54形ディーゼル機関車や東武2080系のように「あまりにも故障が多発し過ぎて廃車」といったものなどがある。

試験終了による廃車

試験車は大きく分けると次の3タイプになる。

A 新造車…試験のためだけに開発された車両。今までと全く違う機器を搭載していたり、車体形状が編成内でバラバラである事も多い(例…JR東日本E993系電車《ACトレイン》)。
B 改造車…台車やモーターなど一部分のみの試験を行う車両。在来の車両に改造や仕様変更を行っただけなので、客扱いをしながらデータ収集を行う事も多い(例…国鉄103系電車DDM駆動改造車《モハ103-502》)。
C 先行試作車…次期新造車両の性能を確認するための車両。新造車と違うのは、量産を念頭に置いた車両である点と、実際に客扱いを行う点で、突飛な姿をしている事はまずない(例…JR東日本901系電車→JR東日本209系電車)。
また、客の評価や運用上の問題点などを調べ、量産車に反映させる役割も担っている(例…JR西日本681系電車)。

という3タイプに分けられる。

このうち、Aは旅客車に改造される事はまずなく、試験終了と共に引退するものがほとんどである。その際に耐久試験として重りに潰されたり、壁に激突させたりして原形を留めない姿で解体されて行くものも多い。ただし、国鉄キハ391系気動車の様に試験終了後も現在に至るまで保存されている物もある。

また、Bは試験終了後は一部一般型に戻されるケースもあるが、基本的にはそのままの姿で使用され続ける。しかし、種車に旧型の車両を選んでいた場合は牽引車や入れ替え車として再利用される場合を除いて廃車されてしまう場合がほとんどである。また京成3200形電車VVVF試験車など一旦は運行を開始したが、電動機自体が扱いにくく、少数派という事で整備に独特の手順が必要な事が嫌われて程なく運用から離脱した例もある。

Cは量産型に合わせた量産化改造が行われ、新形式の一員として活躍を続けるものがほとんどである。しかし、量産が中止になったり、量産時に大幅な設計変更が行われた場合、その車両は異端車として早めに休車・処分される事もある(例…国鉄415系電車クハ415-1901)。また、無事に活躍を開始したとしても量産編成の中間に組み込まれたり(例…国鉄201系電車900番台)、支線運用に就き続けたりする場合が多い。(例…営団6000系電車ハイフン車) 中には国鉄207系電車など未だに本線で活躍している例もある。同車は1986年に次世代型VVVFインバータ制御試作車として登場したが、当時はまだ半導体技術が未熟であったため、コストが掛かり過ぎるなどの理由で、量産に至らなかった。また国鉄DE50形ディーゼル機関車の様に、量産先行形として試作を行い実際の営業運転でも良好な成績を残したたものの、その後の環境の変化(全国的な電化の進捗)により量産しても活躍が見込めないとして、結局1形式1両の先行試作機だけが残ってしまったというケースもある。

イベントトレイン・ジョイフルトレインの廃車

イベントトレインとジョイフルトレインは多くが旧型車の改造によって製造されており車齢が高いものが多い。そういった車両に展望化やハイデッカー化など無理な工事を施せば当然各部が老朽化して来る。また特定の列車専用の改造をした車両が多いために転属も難しい。そのため、その列車が廃止されればそのまま廃車にされる場合が多い。特に最近では不況も後押しして廃止が相次ぎ、これらの車両の数も減少傾向にある。

これらの車両が生き残る場合には次の様なものがある。

A 団体専用車になる場合…イベントトレイン・ジョイフルトレインは元々団体用の車両もあるだけに、これが最も多いパターンである。ほぼ無改造で転用される場合がほとんどであるが、一部の客車列車などには欧風→和風の改造(逆もあり)など内装の変更が行われる場合もある。このパターンではJR西日本の国鉄キハ65形気動車エーデル・シュプール&リゾート改造車などがある。
B 別のジョイフルトレインに改造される場合…経年の浅い車両では再改造されて別のジョイフルトレインになる場合もある。国鉄キハ183系気動車1000番台がいい例で、オランダ村特急ゆふいんの森IIシーボルトゆふDXと4回も変わっている。このパターンの場合の改造は主に内装と塗色変更を中心に行われる。
C 全く別の車両になる場合…非常に稀な話だが数例がある。例えばクロ212-1U@Tech試験車に改造された例が挙げられる。
D 一般車に戻される場合…改造が塗装の変更など少しであった場合や、各種ビアホールトレインなど、元々期間限定であった場合などに行われる。元に戻った後は他車と全く区別が付かなくなる場合もしばしばである。また戦後の混乱期には車両数を確保するために展望車などを無理矢理改造した事もあった。前者の例としては名鉄1000系電車「ブルーライナー」などが、後者の例としては江ノ電の納涼電車などが挙げられる。
E 一般車に格下げされる場合…これには2パターンあり、元々グリーン車や座席指定の車両を普通車(自由席)にする場合と、運用がなくなったイベントトレインとジョイフルトレインを一般車と共通運用にする場合がある。前者の場合、リニューアル改造などが同時に行われる事も多いが、後者の場合は無改造であったり、座席の固定化などの簡単な改造で済ます事も多い。前者の例ではKenjiなどが、後者の例では近江鉄道700系電車などが当てはまる他、最近の国鉄色復元車もこれに含まれる。戦中・戦後の混乱期には輸送力を確保するため、一等寝台車などを三等車(普通車)に改造した例もあった。
F 地方私鉄に譲渡される場合…大手私鉄で余剰となった車両でも、バスや自家用車との乗客確保争いに明け暮れる地方私鉄では重要な戦力になる場合も少なくない。後述の様にその鉄道会社に合わせた改造が行われる事がほとんどだが、内装はそのまま使われる事も多い。会津鉄道キハ8500系気動車富士急行2000形電車など例も多い。
特別廃車

日中戦争が勃発した1937年以降、軍の要請により日本が支配する外地植民地)の鉄道整備のため、鉄道省に在籍する車両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に戦時供出といい、対象となった車両には特別廃車の手続が取られた。

1937年から1938年にかけては、主に中国華中鉄道華北交通向けに9600形C51形などの蒸気機関車の他、スハ33000形客車キハ40000形キハ42000形気動車などが、標準軌に改造のうえ供出された。

太平洋戦争が始まると、今度は南方のタイビルマ海南島などの占領地で建設された軍用鉄道向けに、多数の機関車が供出された。泰緬鉄道に供出されたC56形が代表的であるが、C12形C50形C58形D51形なども対象となっている。これらは1m軌間に改造のうえ発送されたが、途中で輸送船が撃沈されるなどして失われたものも多い。

戦後残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。タイ国鉄に引き継がれたC56形のように、その後の消息が比較的聞かれ、その後日本に帰還したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり、人知れず異郷の土となった。

事故・災害廃車

事故により損傷し廃車となる事もある。JR福知山線脱線事故に被災したJR西日本207系電車に見られる様な原形を留めない場合や、修理費用が新製とほとんど変わらなくなる様な場合が典型例である。しかしながら、鉄道車両の場合は台枠と呼ばれる部位について、歪んだり変形したりした場合その修復は極めて難しく、新潟県中越地震で脱線した新幹線200系電車K25編成など見た目は直りそうな車両であっても実際には修理不能として事故廃車となる事がある。また、修理可能であったとしても、事故地点の地形的な問題から車体の搬出が困難であったり、被災路線の迅速な復旧作業に支障が出ると判断された場合、現地で解体される事もある。

  • 損傷が激しい事故廃車の場合、基本的に現地で解体される事となるが、警察から証拠物件の保持命令が出された場合はそれが解かれるまで車籍の抹消は一切できない。そのため、2005年(平成17年)の鉄道事故である福知山線脱線事故の207系や、JR羽越本線脱線事故の事故車は、大破しており既にレール上には存在していないが平成17年度内の車籍抹消はされていない。三鷹事件の際の先頭車であった国鉄63系電車モハ63019の場合、裁判資料として事件後十数年間に渡って留置され続けた(その結果、モハ63型が実際には消滅したかの様に見えていたが、長年1両だけ残存していた。)。また東中野事故で唯一1両被災を免れた国鉄201系電車クハ201-3も事故以来17年間予備車扱いとして営業運転に復帰する事はなく、2005年12月20日に廃車されている。
  • 事故で廃車になった分は補填をしなければならないため、事故廃車となった車両が古い場合、或いは既に製造停止になっていた場合は他形式の車両を回すか、編成替えや改造で代替車両を製造する事となる。まだ新しかった場合には事故廃車となった車両と同じ車両を製造し直す。これを代替新造と呼ぶ。但し、事故車が廃車対象車であったり、残った車両が極端に少ない場合、また1形式1編成などの異端形式であった場合、残った車両も一緒に廃車となる事もある。そのため、名鉄1380系電車の様にわざわざ修理改造までして残すのはかなり稀な例である。
  • 鉄道車両には1両毎に番号が付いている。代替新造された車両は、事故廃車となった車両の番号と同じものを付ける鉄道事業者もあるが、事務上の処理に於いて障害になる、或いは縁起が悪いなどの理由から新しい番号を付番して、事故廃車となった車両の番号は欠番とする鉄道事業者もある。
  • また、車体全体或いは車両そのものを製造し直し、修理復旧扱いで再度営業運行に投入する事例もある(これらの場合は事故車の部品を流用することが多い)。端的な例としては東武鉄道があり、基本的に事故車は修理する方針のため、8000系など踏切事故で過去に大破した車両があるにも関わらず、新製40年以上経った2004年まで廃車は1両もなかった。同社で事故廃車扱いにされた車両は7800系の1編成2両のみであり、かつて2000系営団日比谷線内で火事を起こして全焼した時や、営団地下鉄日比谷線列車脱線衝突事故20000系が営団地下鉄03系と衝突、大破した時も同番号での修理復旧となっていた。また、事故廃車となった7800系にしても、その台車や機器類は修理して保管され、後の7800系の5000系列への更新の際に利用されている。

連接車やユニットモーター車など構造的に複数両数で1セットとなる車両に於いては、製造中止になっている場合、その中の1両でも廃車になると残った車両はそのままでは使えず、代替新造もできないという事で再利用不可能となり、廃車される場合もある。ユニットモーター車の場合は電装解除して付随車(もしくは運転台を取付て制御車)となる事もある。

事故から復旧しても、加速やブレーキ作動時の挙動に特有の癖が出る、あるいは故障が多発するなど不具合が残る場合もある。そういった場合、モーターを載せ換えるなどの修理を行うが、修理工程が新製に近いものになる、もしくは縁起が悪いなどの理由で乗務員から極端に嫌われると、廃車処分される場合もある。

戦災廃車

鉄道は物資輸送や生産の面で、戦争遂行において重要な役割を果たすことから、その機能を削ぐことは戦争に勝利するための戦略の一つとなる。そのため、鉄道はしばしば敵対勢力からの重要な攻撃目標となる。鉄道車両もその一要素をなすものとして攻撃対象となり、戦場となった地域では多くの車両が空襲艦砲射撃などによって破壊された。また、退却の際に鉄道施設を敵対陣営に使用させないため、自軍の手により破壊されることもある。

日本においては、太平洋戦争末期の空襲により、多くの車両が焼失した。これらは戦後に除籍されたが、戦後に発生した輸送状況の逼迫を打開するため、廃車体の一部は応急的に復旧されて復籍し、復興輸送の一翼を担った。一部は私鉄に譲渡されている。しかし、これらは火災の際の熱により台枠等の基本構造にダメージを受けていたり、復旧自体が物資不足の時期におこなわれた応急的なもので品質が悪く、多くは早期に非旅客用車両への転用や車体更新が行なわれた。

車体振替え

旧型車の置換えの際に置換え対象車の廃車の手続きを取らず、新規導入車を置換え対象車両の改造名義で振り替えてしまう事例もあり、一部の私鉄ではかつては多く行われていた(東武鉄道で近年まで運行されていた5000系列や3000系列はこの手法を応用した形である)。こうした振替えを繰り返していくと、実車はどう見ても新車であるが、書類上は100年以上も前の車両の改造車ということも起こりうる。鋼体化改造や事故車の復旧名義による代替新造も広義にはこの範疇に含まれ、車体新造や部品流用だけでなく他事業者から購入した中古車体(台車や機器まで含めた一切合財)によることもある。こうした場合、車籍は存続しているものの、旧車体は振替えの時点で実質的に廃車になったと見るべきであろう。

こうしたケースは、改造として当局に届け出られるべき事項であるが、まれに無届のまま現車の振替えが行なわれてしまうことがある。事例は私鉄ばかりでなく国有鉄道においても見られる。当然「違法」であるため、その事実が公にされることは少ないが、公然の秘密としてファンの間で膾炙されることも多かった。

廃車までの道のり

ここに、Aという鉄道車両があるとしよう。この度Aの置き換え車両Bが投入され、Aに代わって営業運転(乗客を乗せて走る事)を開始した。こうなるとAは営業運転から外れ(これを運用離脱という)、Bが万一故障した際の予備車ないしは休車となる。この時点ではAはまだ必要とあらば自走できる状態にある。

Bに問題がないと認められて量産されると、国土交通省へAの廃車届けが出される。これが受理された時点でAの車籍が抜かれる事になる。自動車でいうところの抹消登録であり、この時点で正式に廃車となる(つまり廃車=解体ではない)。こうなるともう本線(旅客列車が走っている線路すべて。車庫や工場内は本線ではない)を自走できなくなる。なお、鉄道車両にも一定期間毎の検査があり、これの期限が切れた車両から廃車されていく事が多い(若番車から廃車されていくとは限らない)。

廃車により、ある形式(同じ形質を持っている車両の総称 例:モハ101形)の車両が全車廃車になった場合、その形式を廃形式と呼び、ある系列(いくつかの形式が集まってできたグループ 例:国鉄101系電車)の車両が全車廃車になった場合はその系列を廃系列と呼ぶ。なお、特定の番台区分の車両がすべて廃車になった場合は廃区分番台と呼ぶ。また、車籍こそあるものの、付随車しか残っていない、運用離脱後屋外に放置されたまま朽ち果てているなどの理由で事実上本線走行が不可能になっている状態のものも廃形式・廃系列に含む事もある(例:国鉄165系電車→車籍がJRに残っているものはサロ165-106しかなく、営業運転は不可能。)。但し、その系列単独での編成は消滅したが、他の系列の編成に組み込まれて営業運転を行っている車両がある場合はこの対象外となる(例:最末期の阪急2800系電車・現在は廃系列)。

廃車になると、ほとんどは解体、もしくは他社売却となる事が多いが、中には各種鉄道保存展示施設鉄道公園、或いは一般の公園などに保存されたり、個人の宣伝用などに譲渡される事もある。珍しい例としては、廃車車両を漁礁として海に沈めた例もあり、海外では多く見られるが、日本では規制が厳しいため、愛知県や山口県など一部でのみ行われている。

新車は車両メーカーに発注して営業運転に使える様になるまでには1年程度掛かるため、事故などによる廃車を除いては、車両の更新(置き換え)計画は綿密に立てられている。

廃車解体

解体される場合は、動力車であれば解体場まで自力回送され、解体を待つ事になる(解体場に着いた時点で籍が抜かれ、正式廃車となる)。動力がない場合は他の動力車により牽引される事になる。解体場は車両基地や工場の片隅を使用する事が多い。近年は、環境上の問題から、自社に解体場は持たず、車両基地で2つないし3つに輪切りにしてトラックに積んで解体業者まで陸送される場合も多くなっている。例えば、群馬県館林市内にある東武鉄道北館林荷扱所には解体業者が駐在し、自社の廃車車両の処理だけでなく、他の大手私鉄や地方私鉄の廃車車両の解体も引き受けている。そのため相模大野(小田急電鉄)や若葉台(京王電鉄)などの他社の車両基地からも車両がトラックで陸送され、解体されている。

解体の順番が来ると、編成を解かれ、入れ換え機械により解体線に移されて、解体作業が始まるが、大体、次の様な方法で解体されている。

  1. 機器や内装装置を取り外した後、バーナーで真横に焼き切り、重機(油圧ショベルのアタッチメントを替えたり、クレーンなどを使う。フォークリフトを使う場合もあり。)を使って上部を外す。さらに下部も台車から外す。最終的にさらに裁断する。
  2. 機器や内装装置を外した後、重機(油圧ショベルのアタッチメントを解体用のものに替えて使用する)を使って裁断していく。
  3. 重機は使用せず、バーナーのみ使い手作業で解体していく。補助的にフォークリフトや小型クレーンを使う事もある。
  • JRでは、解体場が複数あるため、3つの方法すべてで解体されている(JR東日本の場合、解体業者との契約は各工場毎のため旧大船工場では1、旧大宮工場大成地区(現在の鉄道博物館建設予定地)では2など、各工場で異なっていた。)。
  • 解体業者に委託している鉄道会社の場合、既に台車や機器が取り外された車体のみで送られて来るので、2.の方法が多い。
  • 東京地下鉄や東葉高速鉄道などでは特に機器や内装装置は外さず、そのまま重機での解体後に分別している。
  • 西武鉄道などでは重機は使わず、3.のバーナーによる手作業で解体している。
  • 東海道新幹線浜松工場では、1の形を応用した専用の設備を使用する(まず屋根を外す→妻面を外す→車体下部を電動カッターで切断→切断した車体と床をまとめて細かく切断、となる)。

解体された後は素材毎に分別してリサイクルされる(例えば鉄屑は製鉄所へ運び再生鉄へ)が、再生できないものについては産業廃棄物としての処理がなされる。

取り外した機器などは他の車両の予備として残されたり、他の鉄道事業者向けに中古部品として販売される事もある。

ナンバープレートなどは車両基地一般公開やイベント時に即売会や鉄道会社の通販などで販売される事もある。しかし、近年では悪戯防止や金儲けの転売を阻止するためなどの理由で、販売されず鉄道会社の倉庫に死蔵される事や除籍と同時に廃棄処分される事も多くなっている。また、過去にイベントで販売された部品の塗料などにアスベストが含まれていることが発覚し、回収や除去などを行っている会社もあることから、今後はさらに販売されることは少なくなると思われる。

いずれにしても、廃車となった車両が解体されるまでには数日程度の時間しか必要としない。

他の鉄道事業者への譲渡

廃車になった後、他の鉄道事業者へ譲渡される車両もある。大都市では性能的に古くなった車両でも、車体や機器は極端に劣化しているわけではなく、地方の私鉄から見れば十分な品質性能を保っているし、線路がつながっていたり系列会社であったりすれば、なおさら交渉もスムーズに行われ易い。例えば、総武流山電鉄の車両はすべて元西武鉄道701・801系101系であるし、能勢電鉄の車両はすべて元阪急電鉄2000系3000系の系列である。なお、車両を丸ごとだけではなく、台車や車体、或いは部品1個単位といった、いわゆる「バラ売り」で譲渡される事がある(元営団日比谷線の3000系電車が銀座線の2000形電車や京王電鉄の5000系電車の譲渡用に台車を提供した例や営団東西線5000系の冷房用電源装置を長野電鉄が通勤車冷房化用に譲り受けた例など)。

太平洋戦争中は、鉄道車両も統制物資の一つとなり、中古車両の譲渡も政府機関の鉄道軌道統制会を通じて行なわれた。戦後の復興期には輸送状況の逼迫を打開するため、大型の新製車両を大手私鉄に割当てる代わりに、その会社の保有する小型車や中型車の地方私鉄への譲渡義務付けが政策的に行なわれたことがある。(参照:国鉄63系電車#63系電車の私鉄導入

以下に、地方私鉄に比較的多く譲渡された大手私鉄の車両を記す。

東急7000系電車7700系電車秩父鉄道北陸鉄道福島交通水間鉄道弘南鉄道横浜高速鉄道こどもの国線(東急時代のみ)・十和田観光電鉄
京王3000系電車北陸鉄道浅野川線岳南鉄道上毛電気鉄道松本電気鉄道
東急8000系電車伊豆急行
東急8500系電車長野電鉄・伊豆急行
これらの系列は、廃車となって他社に譲渡された車両がある一方で、元の職場でもまだ現役で走っているという珍しい例である。
京王5000系電車富士急行一畑電気鉄道伊予鉄道高松琴平電気鉄道わたらせ渓谷鐵道
東急5000・5200系電車長野電鉄福島交通熊本電気鉄道岳南鉄道上田交通松本電気鉄道
国鉄キハ35系気動車関東鉄道会津鉄道
※上記には、既に引退した車両も含まれる。

さらに、日本国外に譲渡された車両もある(日本から国外に譲渡された中古鉄道車両を参照の事)。

これらの様に譲渡される場合は、相手の鉄道会社の設備に合わせた車両改造が必要になる。主なものは次の通り(すべてが実施されるとは限らない。)。

  • 先頭車化改造(具体的には運転機器の取り付け(主に短編成化される時))
  • 列車便所の取り付け
  • ATSATCなどの改造(取り付け・取り外し)
  • モーターの改造(搭載車両の変更、出力の変化、付随車化など)
  • 台車の改造・交換(軌間の異なる場合のみ)
  • 集電装置の改造(第三軌条集電→架空線集電など)

また、転用先がワンマン運転をしている場合、当該路線のニーズに応じて、自動放送装置、デッドマン装置緊急停止装置、運賃回収機、乗車駅証明書発行機、バックミラーの設置が行われたり、ドア回路についても特定ドアのみの開閉が可能な様に改造が行われる。

また、転用を期に各部のリニューアルが行われたり、冷房が取り付けられたりする事も多い。

近年、首都圏を中心に各社が車両交代時期に入り、廃車が続出しているが、そのまま解体される事の方が多い。一般形電車と呼ばれる、安価且つ他社車両と同規格で造れる電車が出現したのも一因となっている。

これは鉄道会社によっても考え方がある様で、積極的に譲渡先を探す鉄道会社もある。例えば、東急電鉄では昔から積極的に譲渡先を探す様で、そのために地方で活躍する車両が現在でも多い様である。

保存展示や個人などへの譲渡

廃車となった車両のうち、産業考古学的、鉄道史的などの観点から保存する価値があると認められた車両は保存される事がある。保存には2種類あり、線路上を自走できる状態で保存するものを動態保存といい、自走はできずに主に展示目的で保存するものを静態保存という。

なお、静態保存されていた車両が整備され、もう一度本線を自走できる様に車籍を再び入れる事もある。これを車籍復活という。蒸気機関車などに多い。ただ、本線の保安装置や定格速度などが大幅に変化していた場合、旧型の車両を走らせるのは不可能なので、あえて車籍を戻さない場合もある。阪急100形電車江ノ島電鉄100形電車などが当てはまる。

また、名車である事から廃車を伸ばす事もある。最近の例ではJR西日本が北陸地区にサンダーバード増発のあおりで国鉄489系電車が廃車になる時に廃車予定だったクハ489-501・1の2両が歴史的観点から廃車が延期となり、別編成に組まれていた502・2が代わりに廃車となり、両編成の先頭車が入れ替えられ、当分の間延命する事になった。ちなみに、JR東海では保存目的でキハ58系気動車のグリーン車であるキロ28形式や165系電車のグリーン車サロ165形式、やキハ30系、キハ82系気動車などを車籍を抜かずに保管している。(なお103系、165系普通車は車籍なしで保存されている。)

数は少ないが、個人が保存目的や倉庫代わりに買い取る場合や、「思い出の車両」として地元自治体が引き取り、管理する場合もある。また、車両の製造会社が自社内で保存したり、「機械扱い」として車籍のない状態で工場内の牽引用に使用する場合もある。個人が買い取るケースは以前はよく見られたものの、近年では輸送費の高騰や土地の減少といった理由であまり行われていない事や、鉄屑の価格の方が「車両そのまま」で売却する価格より高いため、会社の方針として認めない場合も多い。個人が車両を丸ごと1両払い下げて何かに利用しようとすると、輸送費・土地代・改装費など込みで大体1,000万円くらいにはなる上、トレーラーなどでの輸送には警察その他多くの関係機関の許可が必要になり、その後の固定資産税もバカにならないという。

これらの対象とならないほとんどの車両は先程述べた様に、解体場に運ばれて解体され、屑鉄となる。また、一旦保存されても、特に個人や財政基盤の弱い団体の場合は維持・管理が難しく、雨ざらしの状態で維持管理も十分になされずに置かれているうちに錆や破損、部品の盗難などが目立つ様になり、無残な姿をさらし続けたあげく危険だとされて解体されてしまう場合もある。

近年では、不況により自治体の財政が悪化している事や、国際的に鉄屑の価格が上昇している事から、売却や保存より解体する方が金になるため、保存される例は減って来ている。2003年相鉄6000系電車 (2代)が引退した際、最後まで残った32両の無償譲渡を発表していたにも関わらず、1両も引き取り手が現れなかった事例がこの事を如実に示している。また旧馬込車両工場に2両が留置されていた東京都交通局5000形電車 (鉄道)南海20000系もほぼ同様の理由に従って解体されている。即ち、搬出費用が捻出不可であったため。

また、東急デハ80形電車江ノ島電鉄500形電車 (初代)など、かなり前から保存計画が挙がっていたのにも関らず、いずれも解体されているという例もある。やはり、不況、土地不足という点が原因となっている。

また、保存されても一部分だけという事も少なくない。「車輪だけ」とか「プレートだけ」という事も珍しくなく、それすらも車庫公開の時などに販売してしまう事もある。

試験・訓練として使用

鉄道の安全を維持するために、多くの会社で毎年事故復旧訓練や防災訓練が行われるが、電車が脱線した時の乗客救助は最重要課題である。しかし、実際に電車を脱線させるだけでも大掛かりになる上、救助訓練を行うと車両を破損するため、実際に営業中の電車は使用する訳にはいかないので、廃車になった車両を解体する前に使う事になる(JR東日本103系201系など)。その他、車両火災や衝突事故の防止、被害軽減のための実車試験として使用される事も多い(例:京急1000形電車)。

これとは別に、会社によっては訓練所で専用の車両を使用している会社もあるが、本線に出ない場合、車籍を抹消した車両を使用している。

関連項目

外部リンク