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2018年12月19日 (水) 05:38時点における版

サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
監督 ロバート・ワイズ
脚本 アーネスト・レーマン
原作 ハワード・リンゼイ
ラッセル・クローズ
製作 ロバート・ワイズ
ソウル・チャップリン
出演者 ジュリー・アンドリュース
クリストファー・プラマー
エリノア・パーカー
リチャード・ヘイドン
ペギー・ウッド
音楽 リチャード・ロジャース
オスカー・ハマースタイン二世
アーウィン・コスタル
撮影 テッド・マッコード
編集 ウィリアム・レイノルズ
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国の旗 1965年3月2日
日本の旗 1965年6月19日
上映時間 174分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $8,200,000
興行収入 $158,671,368[1]
配給収入 4億2327万円[2] 日本の旗
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サウンド・オブ・ミュージック』(: The Sound of Music、「音楽の音」の意)は、1965年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画20世紀フォックス配給。

概要

リチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが1959年11月にブロードウェイで初演したミュージカルサウンド・オブ・ミュージック』を原作とするミュージカル映画1965年に世界的に大ヒットした。

この映画は第38回アカデミー賞で作品賞、監督賞(ロバート・ワイズ)、編集賞(ウィリアム・H・レイノルズ)、編曲賞(アーウィン・コスタル)、録音賞(ジェームズ・P・コーコランフレッド・ハインズ)の5部門を獲得し、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の最後の作品でもあった。

ストーリー

オーストリアザルツブルク1938年ドイツによるオーストリア併合及び第二次世界大戦の前夜。映画の冒頭にジュリー・アンドリュースが山々に囲まれた緑の大地の上で歌い踊る≪歌:サウンド・オブ・ミュージック≫。出演者などの字幕の最後に「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という字幕が出る。

マリアは修道女見習い。お転婆で周囲の修道女にからかわれていた≪歌:マリア≫[3]。ある日、修道院長に、トラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、トラップ邸へ向かう≪歌:自信を持って≫[4]

ゲオルク・フォン・トラップ大佐(ゲオルク)はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人で数年前に妻を亡くして以来、子供たちの家庭教師がどれも長続きせず困っていた。ゲオルクは、子供たちを軍隊のように厳しくしつけているが、子供たちはいたって快活。早速カエルをマリアのポケットに忍ばせて悪戯をする。

夕食。子供たちの悪戯で席に置かれた松かさの上に知らずに座ったマリアは悲鳴をあげるが、父ゲオルクには「持病のリウマチの発作で」と誤魔化し、子供たちに朗らかに「歓迎の意」のお礼を述べる。

やがてゲオルクに電報が届き、翌日からウィーンに出かけることになる。長女リーズルは電報配達のロルフと密かな恋仲であり、夕食途中で席を立ちロルフに会いに行く。ふたりは互いの愛を確かめ合い、甘いひとときを過ごす≪歌:もうすぐ17才≫[5]。だが、時間が過ぎて閉門の時刻を忘れてしまい家から締め出されたリーズルは、マリアの部屋の窓からそっと入ってきた。外は雷鳴が音高く轟き、雷を怖がる弟や妹たちも次々にマリアの部屋に集まってきた。雷鳴と雷光におびえる子供たちにマリアは、「哀しい時、つらい時は楽しいことを考えましょう」と教える≪歌:私のお気に入り[6]。すっかり打ち解けたマリアと子供達だったが、就寝時間を守らなかったことで父ゲオルクにたしなめられる。

マリアは海軍の制服のような子供たちの衣服をかわいそうに思い、部屋のカーテンで遊び着を作って山に遠足に出かける。子供たちが悪戯や悪さをするのは父ゲオルクの気を引きたいからだと聞かされたマリアは、歌を歌って気を引いてはどうかと提案するが、母を亡くしてから長く家で音楽を奏でることがなかったため、皆が知っている歌がひとつもないと聞いて驚く。そこでマリアは子供たちに歌を基礎の基礎、ドレミの階名から教える≪歌:ドレミの歌[7]

数日してマリアと子供たちが川遊びをしているところに、ゲオルクが婚約者のエルザ・シュレーダーと友人マックス・デトワイラーを連れて戻る。奇妙な遊び着を着ていることでゲオルクは激昂するが、マリアは子供達に目を向けて欲しい、寂しさに応えてあげて欲しいと必死で訴える。だが、頑迷なゲオルクはマリアの訴えに聞く耳を持とうとせず、遂にはマリアをトラップ家には不釣り合いな家庭教師だと一蹴し、解雇を言い渡した。失意に暮れるマリアに対し早急に出て行くよう言い放ったゲオルグは、早速次の家庭教師を手配する事を考えながら家に戻るが、子供たちの合唱する声に吸い寄せられ、自らも長い間忘れていた歌を歌う≪歌:サウンド・オブ・ミュージック≫[8]。それによって、自分の教育方針が独りよがりだった事に気が付いたゲオルクは子供達、そしてマリアに謝罪。解雇を撤回し、引き続き家庭教師としてトラップ邸に留まるよう依頼した。

マリアと子供たちはエルザとマックスを歓迎する会を開く。その歌のすばらしさと人形劇の面白さにゲオルクは大喜びする≪歌:ひとりぼっちの羊飼い≫[9][10]。マックスは子供たちを合唱団として売り込むことを提案するがゲオルクは一笑に付す。そこでマリアはゲオルクに「次はあなたの番」とギターを差し出す。ゲオルクは照れて拒むが、子供たちに押し切られる形でギターを受け取り、昔を懐かしむかのように情感をこめて≪歌:エーデルワイス[11]を歌い上げる。

エルザの提案でトラップ邸で舞踏会が開かれた。楽団がワルツを演奏して参加した人々がダンスを踊り、テラスでは子どもたちとワルツに興じるマリアであったが、やがてオーストリアの民族舞踊レントラーの曲に変わると、ゲオルクが現われてマリアと踊りだし、二人の目が合うと、マリアは「これ以上はもう忘れた」と言って踊りをやめるが、顔を赤くして立ち尽くしてしまう。二人の間に愛が生まれつつあることに気付くのであった。部屋に戻る子供たちが歌う≪歌:さようなら、ごきげんよう≫[12]。出席者の中に地元の指導者ツェラーがいて、オーストリア国旗を掲げるゲオルクに国旗を降ろしドイツ国旗に変えるように忠告するが、ゲオルクは逆に彼を批難する。一方マックスはマリアがパーティーの食事に出席するよう提案し、ゲオルクも了承する。着替えのために2階に上がったマリアにエルザが、ゲオルクがマリアに気があるのではないかと伝える。エルザはゲオルクとマリアが互いにそれと気付かず惹かれあっていると感じており、二人の仲が進むのを危惧していた。ゲオルクの気持ちを本気にするなと言うエルザの言葉に、これ以上トラップ邸にいられないと思ったマリアは置き手紙をしてそっと修道院に戻る。【第1部 終わり】

突然のマリアとの別れを寂しがる子供たちは修道院[13]にマリアを訪ねるが、会えずに戻ることとなる。マリアは部屋に閉じこもったままで、そして修道院長に懺悔し、罪を犯した自分は一生神に仕えると訴えるが、逆に院長から神の愛も男女の愛も同じだ、向き合って自分の道を見つけなさいと諭される「全ての山に登れ、全ての道を歩き、全ての虹を渡れ、自分の夢を見つけるまで、生きている限り愛を注げる夢を見つけるまで」≪歌:すべての山に登れ[14]≫。やがてトラップ邸にマリアは戻る。修道院へ行っていたため昼食に遅れた子供たちは父親に叱責され、歌を歌って元気を出そうと歌っていると≪歌:私のお気に入り[15]、重なるようにマリアの歌声が聞こえた。

その晩、バルコニーで結婚を語り合うゲオルクとエルザだが、ゲオルクの目は夜の庭をそぞろ歩くマリアの後姿を追っていた。ゲオルクはすでに自分の心がマリアに向いていることに気づき、エルザに婚約解消を告げる。ゲオルクとマリアは、邸宅の庭で互いの愛を告白する≪歌:何かいいこと≫[16]

二人は教会で子供たちや修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ≪歌:マリア≫、新婚旅行に出かける。

二人が新婚旅行に行っている間に、オーストリア併合に伴い進駐してきたドイツ軍ザルツブルクにも駐屯していた。コンクールが行われる日、練習を終えて出てきたリーズルがロルフを見かけたが、彼はリーズルにゲオルク宛の電報を託し、リーズルに対しどこか冷たくなっていた。ロルフはオーストリア・ナチス党の親衛隊員になっており、ナチス式敬礼をした上にゲオルクもドイツ軍人としての任務に就くよう忠告する。一方、母国の不穏な雰囲気を察して急いで新婚旅行からこの日戻ったゲオルクの家には今やドイツのみならずオーストリアの国旗となったハーケンクロイツ旗が掲げられており、激昂したゲオルクはその旗を引きずりおろす。また、マックスは子供たちを合唱団として売り込む事を諦めておらず、ゲオルクが居ない間にコンクールへの出場を決めてしまっていたが、ゲオルクはなおも反対した。リーズルから渡された電報は、有能な軍人であったゲオルクに対するドイツ海軍からの出頭命令であった。愛国者でありドイツのオーストリア併合に反対するゲオルクは、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく時代の大きな波を感じとり、中立国であるスイスへ一家で亡命することを決意する。

その晩、トラップ一家が亡命する為に屋敷を出ると、今やドイツ第三帝国の官吏となった(もとのオーストリア人)ツェラーが待っていた。実はトラップ邸の執事でオーストリア・ナチス党員のフランツが亡命の計画を密告していたのである。ツェラーは出頭命令のもとゲオルクを新たな任務先へ護送しようとするが、ゲオルクは自身が反対していたコンクールを口実にし、ツェラーはコンクールが終わり次第護送するという条件を出して、護送の延長を許した。親衛隊の厳重な監視の下、ザルツブルクの祝祭劇場で行われたコンクールで≪歌:ドレミの歌ほか≫[17]と、≪歌:エーデルワイス≫、そして≪歌:さようなら、ごきげんよう≫を歌って2~3人ずつ舞台から消えていく。審査の結果が3位、2位と発表されて最後に優勝としてトラップ一家が発表されるが舞台に現れず、その表彰式の隙にトラップ一家は劇場から逃げ出していた。

一家はマリアのいた修道院に逃げ込むが、修道院長から国境が閉じられたことが伝えられ、ゲオルクは山を越えることを決意する。やがて親衛隊が修道院に到着して車を入口において修道院内を捜索する。その中にはロルフもおり、一家が墓場に潜んでいることに気付いたロルフは銃を構えるが、リーズルとゲオルクに声をかけられ一瞬躊躇する。同行するよう説得するゲオルクに反発したロルフは大声をあげ上官に通報するが、一家は裏口から車で逃走する。親衛隊も追跡しようと止めていた車で発車しようとしたがエンジンがかからず、トラップ一家を取り逃がしてしまう。直後に修道院長に対し罪を犯したと告白する修道女たちの手には、そのエンジンから外した部品[18]が握られていた。

国境線が全て閉鎖されているため、トラップ一家は徒歩で山を越えて逃亡先のスイスへと向かう≪歌:すべての山に登れ≫。【第2部 終わり】

キャスト

役名 俳優 日本語吹替
NETテレビ フジテレビ ソフト テレビ東京 製作40周年記念版 製作50周年記念版
マリア ジュリー・アンドリュース 武藤礼子 新妻聖子 島田歌穂 平原綾香
ゲオルク クリストファー・プラマー 井上孝雄 若山弦蔵 金内吉男 井上和彦 布施明 石丸幹二
エルザ エリノア・パーカー 寺島信子 藤波京子 増山江威子 戸田恵子 増子倭文江
マックス リチャード・ヘイドン 中村正 真木恭介 永井一郎 チョー 坂部文昭
修道院長 ペギー・ウッド英語版 加藤道子 中西妙子 京田尚子 藤波京子 伊集加代
リーズル シャーミアン・カー 横沢啓子 玉川紗己子 藤村歩 華原朋美 日笠陽子
フリードリッヒ ニコラス・ハモンド 永久勲雄 松田辰也 代永翼 大沼遼平
ルイーザ ヘザー・メンジース 瀬戸薫 玉川紗己子 冨永みーな 須藤祐実 仲原舞
クルト デュアン・チェイス英語版 岡村勝 松田辰也 中沢佳二 小林翼 戸野塚祐亮
ブリギッタ アンジェラ・カートライト 田中美紀 市原由美子 渕崎ゆり子 宇山玲加 石川愛梨
マルタ デビー・ターナー英語版 冨永みーな 土方結香 諸星すみれ 黒葛原未有
グレーテル キム・カラス英語版 市原由美子 三好由里子 建田百合子 松本春姫 山内初音
ロルフ ダニエル・トゥルーヒット英語版 石丸博也 水島裕 田中秀幸 日野聡 岸祐二
ツェラー ベン・ライト英語版 島宇志夫 大木民夫 小川真司 稲垣隆史
シュミット夫人 ノーマ・ヴァーデン英語版 京田尚子 沼波輝枝 島美弥子 火野カチコ 山本与志恵
執事フランツ ギル・スチュアート 上田敏也 仲木隆司 浦山迅 小島敏彦
マルガリータ アンナ・リー 市川千恵子 荘司美代子 小宮和枝 滝沢ロコ
ベルテ ポーティア・ネルソン英語版 京田尚子 沼波輝枝 宮寺智子 一城みゆ希
カタリナ エイダ・ベス・リー 菅谷政子 渡辺知子 定岡小百合 華村りこ
アガタ ドリーン・トライデン 藤夏子 折笠愛
ソフィア マーニ・ニクソン 富田千代美 小林優子
バーニス エヴァドニ・ベイカー英語版 横沢啓子 浅井淑子 菅谷政子 沢城みゆき
男爵 ケンドリックス・ハクザム 矢田稔 国坂伸 仲木隆司 関口篤
中尉 アラン・キャロウ 上田敏也 長堀芳夫 広瀬正志 樋渡宏嗣
その他声の出演 原浩 徳丸完 小林由利
有馬瑞香
向殿あさみ
好村俊子
龍田直樹
藤本教子
小林美奈
加島知枝
高岡瓶々
中田隼人
野田貴子
二宮弘子
日本語版制作
演出 春日正伸 山田悦司 木村絵理子 佐藤敏夫
歌唱シーン演出 市之瀬洋一
翻訳 森みさ(ソフト版字幕)
チオキ真里(BSプレミアム版字幕)
森みさ 森田瑠美
(森みさ)
森みさ
訳詞 森みさ 『ドレミの歌』: ペギー葉山
『ドレミの歌』以外 : もりちよこ
選曲 赤塚不二夫
効果 PAG PAG サウンドボックス
調整 山田太平 荒木勝也 田中和成 長井利親
録音 アートセンター
配給 ビデオフィルム
担当 山本悌嗣(東北新社)
プロデューサー 森原靖
遠藤幸子
五十嵐智之
渡邊一仁
解説 淀川長治 高島忠夫 池上彰
製作 東北新社 テレビ東京
東北新社
ブロードメディア・スタジオ
初回放送・初回収録 1976年10月10日
21:00-23:24
日曜洋画劇場
1978年11月3日
20:00-22:54
ゴールデン洋画劇場
1981年
VHS&LD&DVD&BD
2011年1月4日
18:30-21:54
『池上彰と見る!
20世紀名作シネマ特別企画』
2006年
<ファミリー・バージョン>
DVD&BD
2015年5月2日
『サウンド・オブ・ミュージック
製作50周年記念版』
正味 約128分 約150分 本編ノーカット
  • 20世紀フォックス発売の<ファミリーバージョン>DVD/BDには製作40周年記念版とソフト版の2バージョンの吹替が収録されている。
  • 2015年5月2日に発売された『サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 ブルーレイ・コレクターズBOX<5枚組>〔5,000セット完全数量限定〕とサウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版』ブルーレイにはテレビ放映版も含めた全ての吹替が収録されている。
  • 製作50周年記念版は製作40周年記念版から主要キャスト3名の吹き替えを置き換えた物である。そのため、その他の吹き替え音声は製作40周年記念版のものを流用している。

舞台との違い

映画と舞台とでは使われる音楽に若干の違いがある。

  • ドレミの歌
    映画ではマリアが子ども達を外に連れ出して街中を移動しながら歌うが、舞台ではトラップ家の中で歌う。
  • 私のお気に入り
    映画では嵐の夜にマリアの部屋で子ども達と一緒に歌うが、舞台では修道院でマリアと修道院長が歌う。
  • ひとりぼっちの羊飼い
    舞台で嵐の夜にマリアの部屋で子ども達と一緒に歌うのがもともとこの曲であるが、映画ではエルザを歓迎するための子ども達の人形劇で歌われる。[19]

またリチャード・ロジャースによって、以下の2曲が追加されている。

  • 自信を持って(: I Have Confidence in Me
    トラップ邸を初めてマリアが訪ねて行く道中で歌う。
  • なにかいいこと(: Something Good
    マリアとゲオルクがお互いに恋を告白したときに自分たちの幸せを歌う。

他方、舞台で使用された以下の3曲が映画では外されている。[20]

  • 恋の行方は(: How Can Love Survive
  • 誰も止められない(: No Way to Stop It
  • 普通の夫婦(: An Ordinary Couple

受賞

受賞 人物
作品賞 ロバート・ワイズ
ソウル・チャップリン
監督賞 ロバート・ワイズ
編集賞 ウィリアム・H・レイノルズ
音楽賞 アーウィン・コスタル
録音賞 ジェームズ・P・コーコラン
フレッド・ヘインズ
ノミネート
主演女優賞 ジュリー・アンドリュース
助演女優賞 ペギー・ウッド
撮影賞 テッド・マッコード
美術賞 ボリス・レヴィン
ウォルター・M・スコット
ルディ・レヴィット
衣装デザイン賞 ドロシー・ジーキンス

豆知識

作品内でトラップ邸として使用された邸宅
  • ジュリー・アンドリュースがトラップ邸を初めて訪れる直前に『自信を持って』を唄いながら街を歩く場面で、原作者のマリア・フォン・トラップ本人がワンシーンだけ通行人として映画に出演している。「フォン・トラップ夫人が姿を見せるのは、ヒロインがドームとレジデンツをつなぐアーチをくぐるショットにおいてである。後ろで民族衣装の女性3人が左から右に歩く。それがトラップ夫人と娘ロースマリー、孫娘バーバラである。」[21]
  • エリノア・パーカーが演じたエルザは、役名がBaronessとなっており『男爵夫人』とも訳されて表現されているが、夫人では婚約相手になれないし、先立たれた未亡人かどうかは映画の中では明らかでない(劇団四季の公演では夫に先立たれた夫人という表現がある)。このBaronessの言葉には女男爵という意味もある。ただしこの役はこの作品のための架空の人物であり、正式な役名はエルザ・シュレーダーで、父が子供たちに彼女を紹介する時も、子供たちが父が婚約したことをマリアに伝える時も「バロネス・シュレーダー」と映画の中で呼んでいる。ちなみにマリアが結婚した後は「バロネス・トラップ」となるが映画の中では呼ばれる場面はない。
  • 修道女の一人、シスター・ソフィア役はマーニ・ニクソンで、映画『王様と私』におけるデボラ・カー、映画『ウエストサイド物語』におけるナタリー・ウッド、映画『マイ・フェア・レディ』におけるオードリー・ヘプバーン等の歌唱部分の吹き替えをしていた。
  • 長女リーズル役のシャーミアン・カーは将来を嘱望されていたが本作の直後に結婚出産したため女優業を引退してしまった。しかしながら今でもこの作品の思い出話などの講演依頼が途切れることはなく、それなりの副収入になっていると本人は語っている。
  • アメリカでの初公開(1965年3月2日)当時、トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは35歳(1929年12月13日生まれ)、マリア役のジュリー・アンドリュースは29歳(1935年10月1日生まれ)。実話ではトラップ少佐(後述のように大佐ではない)はマリアより24歳9ヶ月年上であった(トラップ少佐は1880年4月4日生まれ、マリアは1905年1月26日生まれ)。また、第一子であるリーズル役のシャーミアン・カーは、当時UCLAの学生で22歳(1942年12月27日生まれ)であったが、16歳の長女役を演じた。なお、シャーミアン・カーと末子であるグレーテルを演じたキム・カラス(1958年8月4日生まれ)の年齢順はストーリーの設定・演者の生年月日と一致するが、他の子役については必ずしも一致していない(詳細は英語版の個別記事を参照の事)。
  • トラップ男爵はかつてオーストリア海軍の潜水艦隊司令官を勤めていた。第一次世界大戦中多くの戦果をあげ、その功績によりいくつかの勲章と准男爵の爵位を得ている。ドイツが男爵を引き込もうとした背景には、こういった戦歴や名声を政治的宣伝に利用する目的もあったと思われる。
  • 当時20世紀フォックス社は、巨費と歳月をかけた超大作『クレオパトラ』の失敗で倒産も囁かれていたが、この映画の空前の大成功により経営を立て直すことができた。収入はアメリカだけでも7900万ドル、これは当時の配給収入記録の最高額である。
  • 2010年12月、製作45周年記念して、HDニューマスター版:ブルーレイ・コレクターズBOX (数量限定生産)が発売された。尚、HDニューマスター版:ブルーレイ盤はDVD盤同様に、正規レンタルも行われている。
  • ミア・ファローリチャード・ドレイファスカート・ラッセルなどがトラップ大佐の子供役でオーディションを受けたが落選している。
  • マリア役にグレース・ケリードリス・デイなどの名前があがっていたが監督はメリー・ポピンズがまだ公開される前で無名のジュリー・アンドリューズを選んだ。

史実との相違点

本作品は、あくまでマリアの自伝を「基にした」ミュージカルを「基にした」映画であり、元のミュージカルの時点から史実とは異なる点が多々ある。

  • 映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時すでにマリアは修道院をやめている。体調を崩しての転職であった。
  • ゲオルクには前妻アガーテとの間に子供が7人いたが、マリアが家庭教師として教えたのは最初は次女(名前は同じマリア)であり、後に長女(母と同じアガーテ)に教えていて、7人の家庭教師ではない。
  • ゲオルク・フォン・トラップの役名は、1956年と58年に西独で製作された『菩提樹』や『続・菩提樹』ではバロン・フォン・トラップであり、『トラップ男爵』と訳されている。1965年のこの作品ではキャプテン・フォン・トラップとなっていて、映画の中では『キャプテン』と呼ばれ、マリアも『キャプテン』と呼んでいる。しかし婚約していたエルザは彼を『ゲオルク』〔英語風にゲオルグ〕と呼んでいる[22]。ゲオルクは結婚式のシーンで少佐の制服(オーストリアでは中金線3条)を着用しており、映画製作者側のゲオルグの設定に対する構想の変遷を垣間見ることができる。
  • ラスト近くで「トラップ・ファミリー合唱団(シンガーズ)」の名でザルツブルクの音楽祭に出演しているが、この楽団名はアメリカに渡って戦後になってから改名したもので、この当時は「トラップ・ファミリー聖歌隊」と名乗っていた。
  • 当時の実際の合唱団にはゲオルク・フォン・トラップの7人の連れ子の他に、マリアが産んだ2人(後にアメリカで3人目が生まれた)の子どもも加わっており、ラストの1938年当時は7人の連れ子はすでに大人[23]であって、マリアが生んだ2人[24]だけが子どもであった。これは、実際に二人が結婚したのは1927年で、ラストの出国当時はそれから11年後の話であることによる。そして1956年に西独でマリア・フォン・トラップの手記を基に映画化された映画『菩提樹』で、時代設定を10年ずらして、二人が知り合い結婚してすぐに出国するストーリーにして、子どもの顔触れも変えずにしたための矛盾である。「サウンド・オブ・ミュージック」も「菩提樹」の時代設定を踏襲している。[25]
  • 音楽好きの家族で合唱団を結成して、音楽のコンクールに出ることになっているが、実際は大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのであり、マリアではない。『菩提樹』では、教会へのオルガンの寄付を依頼しにトラップ家を訪れたヴァスナー神父が子供達の歌声を聴いて飛び入りで合唱指導を始める、という設定になっている。
  • 実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民も多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍やアドルフ・ヒトラーを迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では97%が賛成したとされるが、ドイツ軍進駐前に国民投票を行えば合併拒否が選択されることは確実であったという見解もある。ただしヒトラー自身がオーストリア出身である。詳しくはアンシュルス#ドイツによる併合を参照のこと。『菩提樹』ではオーストリアの民衆が歓声をあげてドイツ軍を迎える様子を伝えるラジオ放送をトラップとマリアが苦々しい表情で聞いている場面がある。
  • この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。ちなみに、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ツェラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である。詳細は親衛隊突撃隊を参照。
  • トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に召集令状が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペルトがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらにヒトラーの誕生日にミュンヘンのラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい。[26]
  • 映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えてフランスへ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、サウサンプトンから船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。ところで何故イタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になったトリエステで市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年で、オーストリア併合に反対したイタリア国内の動きからナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる。[27]
  • オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)のベルヒテスガーデンである。近辺にはアドルフ・ヒトラーの別荘すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである[28]
  • 実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、ゲオルクの死後マリアだけで子供達をまとめきれなかったのも一因とされる。
  • 伝記がミュージカル化される際、マリアは事実がフィクションとして脚色して描かれる事には寛容だったが、亡き夫ゲオルクが横暴に描かれるシーンにだけは納得しなかった。

オーストリアでの評価

  • 地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではこの映画はヒットしなかった。西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている[29]。そしてオーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。原因はこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する[30]
  • それはナチスが台頭する以前のオーストリアが自由で民主的な国であり、ゲオルク・フォン・トラップがその自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、彼の立場はオーストリア・ファシズムと言われる時代の考え方を支持するものであって、1930年代初めに議会が停止されて社会民主党や労働組合が解散させられ、ナチスも抑え込まれた状況で当時のシュシュニク首相を支持していた。古い体制を支持して結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって、映画の中のパーティ―で着た服装の首につけた徽章は古いファシズムを表す徽章であり、決して自由と戦う者とは違うものであった[31]。戦後中立を標榜したオーストリアにとって、戦前のオーストリアも自由を抑圧した体制であり、やがてナチスに迎合して合邦された苦い歴史があってトラップ一家はたんなる権力争いに敗れて亡命を余儀なくされたもので、戦前の体制を擁護する映画であると見られている[32]
  • 映画で家政婦も執事もナチス党員で監視する悪役のような描写になっているが、西独製作の「菩提樹」では史実に沿って執事が党員でありながら手引きする場面があり、長女アガーテが半世紀が過ぎた後に回想記で感謝の念を述べている。[33]
  • この映画のナチスに走ったツェラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。故に『サウンド・オブ・ミュージック』が日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている[34]
  • またゲオルクはオーストリアでは制服が軍事史博物館に展示されるほどの英雄であるが、当時の敵国であったイタリアなどではトラップ艦長は商船を攻撃した極悪人であり、それがイタリアと第二次世界大戦時に同盟国であったドイツに抵抗する英雄で格好よく描かれているという点で反感を買い、本映画の上映が禁止されている町もある。
  • 映画の冒頭に字幕で出てくる「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という時代の表現は、必ずしもオーストリアの歴史を正確に表しているものではない。

参考文献

  • 瀬川裕司著『『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密』(平凡社新書 2014年
  • 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」世界思想社 2010年3月発行
  • 増谷英樹・古田善文 著 図説「オーストリアの歴史」120~121P【映画『サウンド・オブ・ミュージック』のオーストリア像】 河出書房新社 2011年9月発行

脚注

  1. ^ The Sound of Music” (英語). Box Office Mojo. Amazon.com. 2013年6月28日閲覧。
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)221頁
  3. ^ : Maria
  4. ^ : I Have Confidence in Me
  5. ^ : Sixteen Going on Seventeen
  6. ^ : My Favorite Things
  7. ^ : Do-Re-Mi
  8. ^ : The Sound of Music
  9. ^ : Lonely Goatherd
  10. ^ 「羊飼い」と覚えられることが多いが、これはペギー葉山が日本語詞を書く際に「山羊飼い」ではメロディーに合わないために「羊」に変えたためである。
  11. ^ : Edelweiss
  12. ^ : So Long, Farewell
  13. ^ ザルツブルクにあるノンベルク修道院
  14. ^ : Climb Ev'ry Mountain
  15. ^ : My Favorite Things
  16. ^ : Something Good
  17. ^ : Do-Re-Mi
  18. ^ 取り外した部品はイグニッションコイルディストリビューター
  19. ^ 第2回新・午前10時の映画祭プログラム 30~31P 「サウンド・オブ・ミュージック」参照
  20. ^ http://www.visit-salzburg.net/travel/soundofmusic_songlist.htm
  21. ^ 「『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密」100P参照
  22. ^ 「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 82~83P 
  23. ^ 7番目の女子マルティナが16歳であった。
  24. ^ ローズマリーが8歳、エレオノーレが6歳であった。
  25. ^ 「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 21P 
  26. ^ 「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」17~18P
  27. ^ 「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 18~19P 
  28. ^ 「映画になった奇跡の実話」 鉄人ノンフィクション編集部
  29. ^ de:Die Trapp-Familie
  30. ^ 図説「オーストリアの歴史」120P  
  31. ^ 図説「オーストリアの歴史」121P
  32. ^ 図説「オーストリアの歴史」 121P
  33. ^ 「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 143P 
  34. ^ 図説「オーストリアの歴史」 120P

関連項目

外部リンク