「ヨーロッパ世界」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Nakaoka7675 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''ヨーロッパ世界'''(-せかい)とは、[[ヨーロッパ]]において、[[ゲルマン民族の大移動]]後、[[ゲルマン民族]]の習俗と[[古代ローマ]]の[[文明]]、さらに[[キリスト教]]信仰が融合してできた[[歴史的世界観]]である。
'''ヨーロッパ世界'''(-せかい)とは、[[ヨーロッパ]]において、[[ゲルマン民族の大移動]]後、[[ゲルマン民族]]の習俗と[[古代ローマ]]の[[文明]]、さらに[[キリスト教]]信仰が融合してできた歴史的世界観である。


[[古代ギリシア]]、[[古代ローマ]]の[[地中海世界]]の後に登場した世界である。
[[古代ギリシア]]、[[古代ローマ]]の[[地中海世界]]の後に登場した世界である。


==概要==
==概要==
[[ゲルマン民族の大移動]]によって[[西ローマ帝国]]が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、[[ラテン人]]のローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがて[[フランク王国]]に収斂されて行った。[[カール大帝]]が[[ローマ教皇]]によって[[西ローマ皇帝]]に戴冠すると、[[キリスト教]][[カリック]]を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカリックは文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いて[[マジャル人]]、[[スラブ人]]もカリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。
[[ゲルマン民族の大移動]]によって[[西ローマ帝国]]が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、[[ラテン人]]のローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがて[[フランク王国]]に収斂されて行った。[[カール大帝]]が[[ローマ教皇]]によって[[西ローマ皇帝]]に戴冠すると、[[キリスト教]][[カトリック教会|カトリック]]を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いて[[マジャル人]]、[[スラブ人]]もカリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。


==関連項目==
==関連項目==

2006年8月12日 (土) 08:25時点における版

ヨーロッパ世界(-せかい)とは、ヨーロッパにおいて、ゲルマン民族の大移動後、ゲルマン民族の習俗と古代ローマ文明、さらにキリスト教信仰が融合してできた歴史的世界観である。

古代ギリシア古代ローマ地中海世界の後に登場した世界である。

概要

ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、ラテン人のローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人はキリスト教を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがてフランク王国に収斂されて行った。カール大帝ローマ教皇によって西ローマ皇帝に戴冠すると、キリスト教カトリック)を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカトリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いてマジャル人スラブ人もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。

関連項目