「三浦義男 (参議院議員)」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
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[[宮城県]]の[[大崎地方]](現[[大崎市]]古川地域、旧[[古川市]])生まれ。古川中学校(現[[宮城県古川高等学校]])、[[第二高等学校 (旧制)|旧制第二高等学校]](現在の[[東北大学]])を経て、[[1920年]]([[大正]]9年)に東京帝國大学(現在の[[東京大学]])[[工学部]][[土木工学科]]を卒業、[[鉄道省]]に入省した。


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[[1943年]]([[昭和]]18年)、[[運輸省]](現在の[[国土交通省]])施設局長に就任。[[1953年]]([[昭和]]28年)、[[第3回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に[[全国区制|全国区]]から無所属で立候補し初当選、[[参議院議員]]となった。翌1954年、[[日本民主党]]に入党、[[国会対策委員長]]などを務めた。1950年から1951年までは、[[土木学会]]の会長職にもあった。

2018年11月7日 (水) 07:32時点における版

三浦 義男
みうら よしお
生年月日 1895年1月8日
出生地 宮城県大崎地方(現大崎市
没年月日 (1965-02-08) 1965年2月8日(70歳没)
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 鉄道省官僚
運輸省官僚
所属政党 (無所属→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 従三位
勲二等瑞宝章

宮城県の旗 公選第5-6代 宮城県知事
当選回数 2回
在任期間 1959年3月1日 - 1965年2月8日

選挙区 全国区
当選回数 1回
在任期間 1953年5月3日 - 1958年
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三浦 義男(みうら よしお、1895年明治28年)1月8日 - 1965年昭和40年)2月8日)は、日本の政治家参議院議員宮城県知事を歴任した。

生涯

宮城県大崎地方(現大崎市古川地域、旧古川市)生まれ。古川中学校(現宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校(現在の東北大学)を経て、1920年大正9年)に東京帝國大学(現在の東京大学工学部土木工学科を卒業、鉄道省に入省した。

1943年昭和18年)、運輸省(現在の国土交通省)施設局長に就任。1953年昭和28年)、参議院議員選挙全国区から無所属で立候補し初当選、参議院議員となった。翌1954年、日本民主党に入党、国会対策委員長などを務めた。1950年から1951年までは、土木学会の会長職にもあった。

保守合同後は自民党に所属し、1959年昭和34年)から宮城県知事を務めたが、2期目在任中の1965年昭和40年)2月8日胃癌により死去した。