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秋祭りの当日は、朝から昼前に子供[[だんじり]]、昼過ぎから夕方に大人だんじりが巡行されるが、ジジババオコシはこれらに先立って、地区の高齢者(ジジババ)に対して、早く起きて[[赤飯]]を作るよう催促することを目的に、太鼓をたたきながら地区内を回る行事である。 |
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そして、午前3時ごろに、葦田神社に軽トラックが帰り着き、ジジババオコシが終了する。 |
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2018年11月3日 (土) 04:39時点における版
ジジババオコシは、毎年10月15日に近い日曜日の未明に兵庫県豊岡市中郷で葦田神社の年中行事の一環として行われる。
主体・詳細
ジジババオコシは秋祭りの一環である。
秋祭りの当日は、朝から昼前に子供だんじり、昼過ぎから夕方に大人だんじりが巡行されるが、ジジババオコシはこれらに先立って、地区の高齢者(ジジババ)に対して、早く起きて赤飯を作るよう催促することを目的に、太鼓をたたきながら地区内を回る行事である。
前日の夜から葦田神社(北緯35度29分05.5秒 東経134度49分28.1秒)でどんどが焚かれ、日付が変わって午前0時になると、太鼓と叩き手を載せた2台の軽トラックが葦田神社前を出発し、太鼓の音を響かせながら、地元役員宅を順次回って祝儀や軽食の接待を受ける。
そして、午前3時ごろに、葦田神社に軽トラックが帰り着き、ジジババオコシが終了する。
由来・変遷
ジジババオコシはいつから始まったのかはよく分かっていない。具体的にいつのことを指すのかは不明であるが、かつては開始・終了時刻とももっと遅かったという。1938年発行の『兵庫県神社誌』には、神社調書によるものとして、13日には早旦(午前2時ごろ)に赤飯の用意を各戸に催促する「爺婆起し」が行われるという記載がある[1]。
戦後、「未明に行う必要はない」として一年だけ行われなかったことがあるほか、周辺の地区からクレームが届いたこともあったという。
1950年ごろまでは太鼓を4名程度で担いで回っていたが、いつのころからか農作業用のテーラーに変化し、その後、軽トラックで太鼓が運ばれるようになった[2]。
なお、豊岡市瀬戸でも10月15日の明け方にジジババオコシが行われていたとされるが[3]、2018年現在行われているかどうかは不明である。
出典
参考文献
- 財団法人兵庫県神職会編『兵庫県神社誌』下巻、1938年。
- 豊岡市教育委員会・豊岡市老人連合会『豊岡市の民俗文化財』1978年。
- 豊岡市歴史文化遺産活用活性化事業実行委員会『豊岡市の祭礼・年中行事等調査報告書』2017年。