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'''ユリ・シーガル'''<ref>[ウリ・セガル、ウリエル・セガル(Uriel Segal)とも表記される。]</ref>('''Uri Segal''', [[1944年]][[3月7日]] - )は、[[イスラエル]]出身の[[指揮者]]。 |
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[[1980年]]から[[1982年]]まで[[ボーンマス交響楽団]]の首席指揮者、[[1981年]]から[[1985年]]まで[[フィルハーモニア・フンガリカ]]の首席指揮者を務め、また[[イスラエル室内管弦楽団]]の芸術監督を歴任する。その一方で、アメリカでも活動し、[[1990年]]に[[シャトークア]]交響楽団の首席指揮者を務める([[2007年]]まで)。 |
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シューマン:『ピアノ協奏曲 イ短調』(英デッカ、POCL-9964)のブックレット、他 |
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2018年10月20日 (土) 11:31時点における版
ユリ・シーガル | |
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生誕 | 1944年3月7日 |
出身地 | イスラエルエルサレム |
学歴 | ギルドホール音楽演劇学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
担当楽器 | ヴァイオリン |
ユリ・シーガル[1](Uri Segal, 1944年3月7日 - )は、イスラエル出身の指揮者。
略歴
イスラエルのエルサレムに生まれる。7歳からヴァイオリンを学び、同地のルービン音楽アカデミーで音楽を学ぶ。1966年から1969年までロンドンのギルドホール音楽演劇学校で指揮法を学び、卒業後の1969年にコペンハーゲンで指揮者としてデビューを飾る。また卒業と同時に、ディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位を獲得する。翌年にはレナード・バーンスタインのアシスタントとニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務める。
1980年から1982年までボーンマス交響楽団の首席指揮者、1981年から1985年までフィルハーモニア・フンガリカの首席指揮者を務め、またイスラエル室内管弦楽団の芸術監督を歴任する。その一方で、アメリカでも活動し、1990年にシャトークア交響楽団の首席指揮者を務める(2007年まで)。
日本では、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を設立した一人として、発足時の1989年には常任指揮者を務める。その後は名誉指揮者となる。
私生活では1966年に結婚し、現在は息子と3人の娘と生活している。
録音
1970年代には、デッカ・レコードを中心に協奏曲の伴奏を担当していくつか残している。特にピアニストのラドゥ・ルプーのピアノ独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲第12番と第21番は有名である。またこの他にウラディーミル・アシュケナージと共演してシューマンのピアノ協奏曲も録音している。
1990年代に入ってからは、大阪センチュリー交響楽団のための委嘱作品のライヴ録音をカメラータ・トウキョウに行っている(主に池辺晋一郎や西村朗の現代作品など)。
参考文献
シューマン:『ピアノ協奏曲 イ短調』(英デッカ、POCL-9964)のブックレット、他
脚注
- ^ [ウリ・セガル、ウリエル・セガル(Uriel Segal)とも表記される。]