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* NWAインターコンチネンタルタッグ王座・・・1回 - 田中将斗&火野裕士(第38代)
* NWAインターコンチネンタルタッグ王座・・・1回 - 田中将斗&火野裕士(第38代)
* NWAインターコンチネンタルタッグ王座・・・1回 - TARU&クリス・ヴァイス(第39代)
* [[NWAユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座|NWA UNヘビー級王座]]・・・1回 - クリス・ヴァイス(第30代)
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2018年9月24日 (月) 22:36時点における版

VOODOO-MURDERS
ステーブル
メンバー
過去メンバー
デビュー 2005年2月 (2005-02)
団体 ZERO1

VOODOO-MURDERS(ブードゥー-マーダーズ)は、全日本プロレスを舞台として活動していたヒールプロレスラーユニット。略称はブードゥー、略表記はVM(以下、本文中で同ユニットをVMとも表記)。

2011年6月、リーダーのTARUによるメンバーのスーパー・ヘイトに対する暴行傷害を受け、全日本プロレスにより強制解散となった。

2012年12月、元メンバーである"brother"YASSHIが自身のレスラー復帰に伴いグループの活動再開を発表した。

なお、前者を第1期、後者を第2期として説明する。

経歴

第1期

結成の経緯・初期

2005年1月ジョニー・スタンボリーとTARUが共闘した事により結成された。スタンボリーは、前年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ラブ・マシンズの秘密兵器「GREAT MUTA」として参戦したが、ラブ・マシンズから戦力外通告を受け、孤立していた。一方、TARUは前年に大型選手との対戦を求めてDRAGON GATEを退団し、打倒・武藤敬司を掲げてフリーランスとして全日本プロレスに参戦していた。反・全日本プロレスという共通目的があった事で共闘関係が成立した。翌2月には、元WWEチャック・パルンボが加入、チーム名も「ブードゥー・マーダーズ(VOODOO-MURDERS)」と発表された。3月には元WWEのジャイアント・バーナードが加入し勢力が増した。

さらにその後、TARUと所属ユニットこそ違ってはいたが、同じく元DRAGON GATE所属であった近藤修司"brother"YASSHIも加入した。

発展期

2006年1月、諏訪間幸平が加入し、リングネームを「諏訪魔」に改名した。同年9月、対立していたユニットRO&DのメンバーであるRO'Zが加入。同月、RO&Dとのユニット解散をかけたタッグマッチを行い、これに勝利。試合中にRO&Dから寝返ったディーロ・ブラウンブキャナンも加入。[1]

10月、ハッスル20に“brother”YASSHI with TARU として参戦した。11月1日、プロレスリング・セムに近藤・YASSHIがSUWAのパートナーとして、TARUがセコンドとして参戦。モハメド・ヨネ石森太二青木篤志組に勝利した後、TARUが観客を罵ったのをきっかけにプロレスリング・ノア勢と乱闘となった。

混迷期

台北市国立台湾大学総合体育館で行われた「2010 プロレスLove in Taiwan」でのVM入場シーン

2007年6月、小島聡が加入した。7月には諏訪魔がTNAスコット・スタイナーと共闘を果たし、10月にはシルバーキング、ゾディアックが加入した。

2008年1月、諏訪魔が脱退したが、4月には元WWEのアル・ダバリが加入。8月には小島が脱退、9月にはジョー・ドーリングが加入し、9月に近藤が脱退。10月には平井伸和が加入し、リングネームをスーパー・ヘイトに改名した。

2009年2月、新日本プロレスを退団しフリーになったが加入したが、YASSHIがプロレスを休業するため離脱。その後、土方隆司が「歳三」として加入した。同年9月、ゾディアックが脱退。

2010年1月、レネ・デュプリが加入。2月には、F4との解散マッチに勝利した。6月にMAZADA、7月に鈴木健想、10月に、河野真幸が加入した。後に鈴木がリングネームをKENSO、河野がKONOに改名した。12月、鈴木と河野が世界最強タッグ決定リーグ戦優勝を果たした。同月ダーク・オズダーク・クエルボが加入した。

2011年1月、鈴木と河野が世界タッグ王座選手権に挑戦したが、試合中に仲間割れを起こし敗戦。試合後鈴木が追放された。

解散

しかし、2011年5月29日に試合前の控室にてTARUがスーパー・ヘイト(平井伸和) へ暴行を行い、試合後に平井が倒れ病院へ救急搬送された。後日、TARUが試合前の控え室でヘイトに暴行を働いたことを会社に申告し、無期限活動自粛を申し出た。全日本プロレス側はTARUの申し出を了承し、TARUの無期限活動を自粛、控え室に同席していた稔・河野・MAZADAの無期限出場停止処分及び保持する王座を剥奪し、ユニットの解散処分を課した[2][3][4]。尚、外国人選手は控え室に同席していなかったため、未処分となった。 その後、同席3選手については暴行を行っていないとして、6月30日付けで処分解除を決定した。稔とMAZADAは7月9日久喜大会で復帰、河野は右肘手術の為、引き続き欠場となった。

2011年11月22日、兵庫県葺合署によってTARUとMAZADAの2人が平井への傷害容疑で逮捕された。TARUは「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られず殴った」と容疑を認めている[5]

第2期

復活

2012年12月、ダイヤモンド・リングのホーム興行に"brother"YASSHIが乱入し、レスラー復帰を発表。その後の記者会見にて拳剛(旧:西村賢吾)とブードゥーマーダーズ再始動を発表。

2013年1月、TARUが復帰会見。同グループへの合流も発表された。2月11日のダイヤモンド・リング・ホーム興行にて、同団体所属の宮原健斗、ならびにKAIENTAI-DOJO所属の滝澤大志が合流する。第2期はダイヤモンド・リングの他、ZERO1天龍プロジェクト紅白プロレス合戦などに参戦している。

2014年7月、"brother"YASSHIが新体制となった全日本プロレスのリングに5年ぶりに登場。リング上で参戦を要求すると、ブードゥーマーダーズとしてではなく、"brother"YASSHI個人として出場し、試合終了後、リング上でブードゥーマーダーズを投入すると宣言しアピールした。しかし、全日本プロレスからは秋山準社長名義のコメントで「今の全日本プロレスにはスキャンダルは必要ありません。今後“brother”YASSHI選手をはじめとするVOODOO-MURDERSの全日本プロレス参戦はご遠慮いただきました」[6][7]と拒否され、予定されていたYASSHIのシリーズ参戦も白紙となった[6]

2015年1月、全日本プロレス主催の『ジャイアント馬場 十七回忌特別大会』にTARUの参戦が発表され[8]、3年8ヶ月ぶりに全日本プロレスのリングに上がった[9]。試合では、"brother"YASSHIと拳剛も共に入場し、鉄パイプで対戦相手の相島勇人太陽ケアを攻撃するなど、かつてのやり方を貫く戦いを見せた[9]。なお今回の参戦は、ジャイアント馬場の夫人である馬場元子相談役のオファーによって実現したものであり、あくまでも特例であることが強調された形となった[8][9]

2016年2月17日、CRYSIS興行にて"brother"YASSHIがVOODOO-MURDERSを離脱すると発表。 これに伴い、VOODOO-MURDERSの活動を見直すことになり 個々でのフリーランス活動となる。その後TARUの20周年記念興行にて拳剛がみちのくプロレスのBAD BOY加入のためTARUから追放される。興行中離脱したYASSHIがTARUに対してビデオメッセージを送っている。

抗争相手

第1期

全日本プロレス本隊、RO&D健介ファミリーなど。リングソウルビッグマウス・ラウドにも登場している。

また、抗争ではないものの、メンバーにプロレスリング・エルドラド所属選手が2人いたという縁から、TARUがGMとしてエルドラドにも登場したことがあった。

試合スタイル

第1期

結成当初は凶器攻撃・罵倒文句の凄まじさが特徴的であった。2006年頃から対戦相手の口に試合会場地の名産物を押し込むなどのユーモラスな行動や、TARU水[10]と呼ばれる水を観客に浴びせるなどのギミックが登場。

あらゆるファイトスタイルに対応できる人材を持ち、興行にメリハリをつける上で全日本には欠かせない集団となった。アンチヒーロー的存在としてVMに声援を送るファンも多く、F4との解散マッチに勝った後にTARUが興行を締めるマイクを持つなど、単に嫌われるだけのヒール軍団ではなくなっていた。

メンバー

第1期

解散時のメンバー

  • TARU - (設立 - 2011年)
グループ設立者で初代リーダー。メンバーからは「オヤジ」「おじき」と呼ばれている。
グループ解散後はレスラー活動を休業。2013年に復帰、第2期VMへ合流した。
新日を退団後、全日にフリーとして参戦から解散まで加入。
解散後は全日本に入団しSTACK OF ARMSへ。WRESTLE-1に所属。現在はWRESTLE-1を退団しフリー。
東京愚連隊として敵対していたが、NOSAWA論外との確執からVMへ。解散まで加入。
諏訪魔との方向性が異なり正規軍から離脱。解散まで加入。
解散後はSTACK OF ARMSへ。現在はWRESTLE-1に所属。
詳しい経緯もなく、新メンバーとして登場。凶器として消火器を使用。
事故により療養。プロレス界からセミリタイアしている。
ドーリングとの外国人コンビとして活躍。解散まで加入し、解散後は正規軍。
現在はWRESTLE-1へ不定期参戦している。
正規軍として参戦後、WWEとマイナー契約。契約切れにより再参戦。解散まで加入し解散後は正規軍。

元メンバー

TARUとともにグループ設立メンバー。
3人目となる初期メンバー。
4人目となる初期メンバー。新日本へ移籍。現在はWWEにて引退し、NXTのヘッドコーチへ。
初登場試合で、正体の渕正信に戻り、その場で離脱。
上記2選手は、RO&Dからの電撃加入だったが短期間で全日本を離脱。
プロレスリング・ノアへRO&Dとして参戦(TAKAみちのく曰く、移籍経緯は来るもの拒まず。)
現在、ディーロは再び全日本へ、ブキャナンは海外団体で活動中。
  • RO'Z ~2007年3月。
RO&DからVMへ電撃加入。地元テレビ番組出演を理由に全日本との契約を解除したため離脱。
  • 諏訪魔 - ~2008年1月3日本名諏訪間幸平
正規軍より電撃加入し改名。その後、メンバーと亀裂が生じ正規軍へ再合流。改名はしていない。
諏訪魔対抗に対し加入。しかしヒール気質が肌に合わずVM離脱、新グループF4を結成(後に解散)。
現在は、新日本プロレスへ移籍。
DRAGON GATE退団後、全日本参戦と同時に加入。08年全日本に正式入団し正規軍へ。
現在はWRESTLE-1に所属。
近藤修司とタッグによる主力メンバーであったが休業とともに離脱。のち2013年に活動復帰とともにグループ再始動を発起。
現在は鈴木みのる率いる鈴木軍のメンバーとして新日本プロレスで活動中。現・ランス・アーチャー。
小島の説得でF4へ合流する。現在はWRESTLE-1に不定期参戦。
全日本退団に伴い離脱。県議会議員に立候補し当選。二束のわらじで活動中。
VMメンバーとして参戦していたが、地元現地で心不全により死去。
主戦場を日本に戻すと同時に加入。2011年1月3日に意見の食い違いでVM追放される。
正規軍で続けていたが、新たな外国人ヒール軍「DK」を結成する。
  • ブードゥーマスク1〜48号
正体不明、欠場選手にる補助員のため不定期参戦。
以下は参戦が途絶え自然離脱。
2014年、地元現地で心筋梗塞により死去。
ダークコンビは、MAZADAの誘いにより加入。

共闘メンバー

第2期

現メンバー

  • TARU - (2013年1月 - )
グループ設立者で初代リーダー。メンバーからは「オヤジ」「おじき」と呼ばれている。
グループ解散後はレスラー活動を休業。2013年に復帰、新生VMへ合流した。
2014年より兄弟で加入。
2015年のジャガー横田38周年記念大会で自ら加入。ワールド女子プロレス・ディアナではTARUらと結託してCRYSISを結成。
2015年ディアナ川崎大会で加入。
2014年に加入。
2014年に加入。日高郁人などのZERO1本隊と共闘することもある。
ZERO1に参戦中の外国人レスラー。2016年加入。ZERO1ではTARUとのタッグで共闘中。
2017年2月に加入。
2018年1月に加入。
2018年1月に加入。
2018年3月に加入。

元メンバー

DIAMOND RING ⇒ フリー。TARUの勧誘から加入。
健介オフィス(現DIAMOND RING)設立以降、所属選手として最初のヒールレスラーとなる。その後、2013年11月に懲罰なしの特例措置で脱退[11]
脱退後はXceedに加入し、後に全日本プロレスに入団。
KAIENTA-DOJO所属。2013年2月宮原ともに加入。6月、不祥事によりレスラー活動を休業したため、離脱。
経緯不明。その後すぐに帰国して特に共闘はしなかった。
第1期で近藤修司とタッグによる主力メンバーであったが休業とともに離脱。
活動復帰を機にグループ再始動の発起した新生VMのリーダー。2月のCRYSIS興行で離脱を表明。現在欠場中の拳剛の復帰戦の対戦相手になることも宣言し同興行のラストではTARUとは握手を交わし拳剛とは拳を合わせた。
  • 拳剛 - (2012年12月 - )
フリーレスラー「西村賢吾」としてデビュー。2013年に改名を発表しVMへ加入。みちのくプロレスのBAD BOY加入により同ユニットを追放される。
2017年4月に加入後、長期欠場が続き自然脱退。

獲得タイトル

第1期

全日本プロレス
2011年2月現在、全日本プロレス内で獲得していないベルトは、三冠ヘビー級王座のみとなっている。
プロレス大賞
  • 最優秀タッグチーム賞 2006年

第2期

脚注

  1. ^ その後、2人はユニットを離脱してプロレスリング・ノアでRO&Dを再結成した。
  2. ^ スポーツ・ナビ|VM軍解散でカード変更 空位の王座決定戦などを追加=全日本プロレス - スポーツ・ナビ 2011年6月4日
  3. ^ Sヘイトが開頭手術で一命取り留めた - 日刊スポーツ・2011年5月31日
  4. ^ スーパー・ヘイト選手の病状に関して 5/31 - 全日本プロレス・2011年5月31日
  5. ^ TARU、MAZADAは容疑認める「反省の色が見られず殴った」 スポニチアネックス 2011年11月22日
  6. ^ a b 【全日本プロレス】全日本・秋山社長がVMの参戦を拒否!! YASSHIの9月シリーズも消滅!! 9・23熊本で真霜vsKENSOの一騎打ちも実現!! 「THE BIG FIGHT」 2014年9月3日付
  7. ^ ブードゥー・マーダーズ投入予告はフライング、秋山潤社長ガチ!全日YASSHI参戦 白紙+゛Hold my hand゛プロジェクト始動! ミルホンネット 2014年9月4日付
  8. ^ a b G馬場十七回忌大会にTARUが出場 デイリースポーツ 2015年1月4日付 2015年5月6日閲覧
  9. ^ a b c 【全日本プロレス】「馬場さんを忘れないでください」。メインで渕が大奮闘!! 天龍、諏訪魔相手に真っ向勝負!! TARUも登場の1・31全日本『ジャイアント馬場 十七回忌特別大会』後楽園大会試合結果!! 『ビッグファイト』編集部 2015年2月1日付 2015年5月6日閲覧
  10. ^ 一時期、これを会場の売店で1本(ペットボトル500ミリリットル)15,000円で販売していた。
  11. ^ 宮原健斗まさかのVM無血脱退 東京スポーツ 2013年11月16日付 2015年5月6日閲覧

外部リンク