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2018年9月19日 (水) 09:39時点における版
小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日(1845年4月21日) - 大正8年(1919年)9月18日)は、近代日本の実業家、政治家。幼名、彦太郎。
経歴
信濃国伊那郡小野村(天領、現長野県上伊那郡辰野町)の名家、小野兵右衛門光賢の子として生まれ、高遠藩藩校進徳館で学ぶ。明治15年(1882年)、横浜商業高校の前身にあたる横浜商法学校を創立。翌16年(1883年)、絹糸輸出商社の小野商店を創業。その後横浜正金銀行(東京銀行の前身)頭取、横浜商工会議所会頭、貴族院議員などを歴任。郷里の小野で小野駅の開設や、私財を投じての学校、図書館、病院等の建設に貢献した。
参考資料
- 「横浜正金銀行のあゆみ」神奈川県立博物館
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
関連項目
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