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;訴訟
2017年11月10日、同校卒の男性がバレーボール部での活動中、顧問の過剰な指導により、在校中の2008年に心的外傷後ストレス障害を発症、登校が困難になったとして顧問と県を相手に約200万円の損害賠償を求める訴訟で盛岡地方裁判所 <small>中村恭裁判長</small> は過剰な指導と不登校の因果関係は認められないとしながらも「指導として社会的正当性を欠いている」として、県に計20万円の支払いを命じる判決<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASKCC2TTWKCCUBQU002.html 部活指導「過剰」 岩手県に賠償命じる 盛岡地裁] 朝日新聞 2017年11月11日</ref>。


;文化部・同好会
;文化部・同好会

2018年8月19日 (日) 10:43時点における版

岩手県立盛岡第一高等学校
過去の名称 公立岩手中學校
岩手縣尋常中學校
岩手縣盛岡尋常中學校
岩手縣盛岡中學校
岩手縣立盛岡中學校
岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立盛岡高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩手県の旗 岩手県
校訓 忠實自彊・質實剛健
設立年月日 1880年(明治13年)5月13日
創立記念日 設立記念日に同じ
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科理数科
(平成19年度から括り募集)
学期 2学期制
高校コード 03101B
所在地 020-8515
岩手県盛岡市上田三丁目2番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岩手県立盛岡第一高等学校の位置(岩手県内)
岩手県立盛岡第一高等学校

岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daiichi High School)は、岩手県盛岡市上田三丁目にある県立高等学校

概要

歴史
同校の起源は1880年明治13年)に創設された「公立岩手中學校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次ぐ歴史を有する[1]2010年平成22年)に創立130周年を迎えた。
設置課程・学科 (2010年度(平成22年度)募集まで)
全日制課程 2学科
2007年度(平成19年度)から、1年次は全日制普通・理数科に改変(括り募集)。2年次から、普通科(7クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
設置課程・学科 (2011年度(平成23年度)募集から)
全日制課程 2学科
  • 普通科(1組~6組)
  • 理数科(7組)
2年次から、普通科(6クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
校訓
  • 「忠實自彊」(ちゅうじつじきょう)
  • 「質實剛健」(しつじつごうけん)
教育目標
  • 時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
  • 高い知性と教養を身につけた人間を育成する
  • たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
  • 強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
重点目標
  • 勉学に真摯に取り組む体制を確立する
  • 文武両道の校風を確立する
  • 自律性を持った自主的人間を育成する
  • 基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
校歌
校歌1908年(明治41年)に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。高校野球の応援席でも歌われており、応援に駆けつけた男子生徒たちが学帽を振りながら大声で合唱するが、女子生徒は何もせず、口弾みながら歌いだす。
男子寮(自彊寮)
同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)がある。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、当時生徒であった宮沢賢治も入寮していたことがある[2]
同窓会
「白堊(はくあ)同窓会」と称している。
制服
昼食方法
「学食」と呼ばれる食堂も設置しており、男子生徒たち、女子生徒たちに加え、たまには教師たちも利用している。
高校野球での応援席
男女共学の応援席でいつもは応援に駆けつけに来た一般の生徒たちが男女混合に混ざりながら配置して座っているが、ここでは座る配置も男女別に分断されており、応援席の半分が女子生徒、残り半分が男子生徒になっている。

沿革

旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
  • 1880年(明治13年)
    • 5月13日 - 盛岡市内丸に「公立岩手中学校」が設立される。(8級4年制)
    • 6月15日 - 開校。
    • 9月9日 - 専修科(6級3年制)を設立。
  • 1882年(明治15年)6月27日 - 初等中学科8級4年、高等中学科4級2年制とする。
  • 1885年(明治18年)7月9日 - 盛岡市内丸に新校舎が完成。
  • 1886年(明治19年)6月7日 -「岩手縣尋常中學校」と改称。修業年限を5ヶ年とする[3]
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 尋常中学校の増設に伴い、「岩手縣盛岡尋常中學校」と改称。
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 「岩手縣盛岡中學校」と改称。
  • 1901年(明治34年)3月30日 - 「岩手縣立盛岡中學校」と改称。
  • 1902年(明治35年)
  • 1908年(明治41年)5月13日 - 校歌校旗を制定。
  • 1917年大正6年)8月14日 - 現在地に移転。
  • 1925年(大正14年)10月 - 白堊同窓会(はくあ)を設立。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 補修科の募集を停止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧制中学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(名称:岩手縣立盛岡中學校併設中學校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集はおこなわれず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年生となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制盛岡中学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡第一高等学校」(男子校)が発足。
    • 旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
    • 併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
    • 併設中学校は新制高等学校に継承(名称:岩手県立盛岡第一高等学校併設中学校)され、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学へ入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月1日
      • 通信教育部を設置。
      • 定時制不来方中心校、雫石分校、好摩(こうま)分校を設置。
      • 高校三原則に基づく公立高校再編により、県立盛岡第二高等学校(女子校)と盛岡商業高等学校を統合し、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
        • 普通科と商業科を設置。
        • 組織は統合されたものの、校舎は旧3校とも既存の校舎を使用。旧・第一高校の校舎は上田校舎、旧・第二高校の校舎は白梅校舎、旧・商業高校の校舎は商業部と呼ばれた。また、この時点では普通科男子が上田校舎を、普通科女子が白梅校舎を使用する「校舎による男女別学」の形態をとっており、まだ完全な男女共学ではなかった。
    • 5月2日 - 定時制中心校を上田校舎内に収容。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 普通科において男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 統合を解消し、「岩手県立盛岡第一高等学校」(現校名/普通科/男女共学)に復称。
  • 1952年(昭和27年)3月8日 - 盛岡二高等学校通信教育部を統合。
  • 1958年(昭和33年)10月1日 - 定時制好摩分校玉山出張教室を開設。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1961年(昭和36年) - 校舎(第二期工事)が完成。
  • 1962年(昭和37年)
    • 5月7日 - 一本木教室を開設。
    • 8月28日 - 校舎(第三期工事)と第二体育館が完成し、移転を完了。旧校舎は岩手県庁の仮庁舎として転用されることとなる。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 定時制雫石分校の募集を停止し、全日制雫石分校に切り替える。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 一本木教室を分校に昇格。
  • 1966年(昭和41年)12月17日 - 部室・合宿室が完成。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 理数科を設置。
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
  • 1972年(昭和47年)8月20日 - プールが完成。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 好摩分校の生徒募集を停止。
  • 1978年(昭和53年)3月31日 - 好摩分校を廃止。
  • 1980年(昭和55年)10月 - 創立100周年を記念し、白堊記念館が完成。海外派遣事業「白堊の翼」を開始。
  • 1983年(昭和58年)11月30日 - 第二体育館を改築。
  • 1986年(昭和61年)3月4日 - 第一体育館が完成。
  • 1990年(平成2年)- 創立110周年記念式典を行う。
  • 1992年(平成4年)3月 - 一本木分校の生徒募集を停止。
  • 1995年(平成7年)3月31日 - 一本木分校を廃止。
  • 1999年(平成11年)12月 - 新校舎が完成し、使用を開始。
  • 2000年(平成12年)10月 - 校舎落成並びに創立120周年記念式典を行う。
  • 2001年(平成13年)8月 - グラウンドを改修。
  • 2004年(平成16年)4月 - 同窓会と振興会によりグラウンドに照明が設置される。
  • 2006年(平成18年)6月 - 同窓会有志により石川啄木歌碑が建立。
  • 2007年(平成19年)3月 - 生徒募集の形態を改変し、これまでそれぞれで行われていた普通科・理数科の募集を一括で行うこととする。
  • 2010年(平成22年)5月 - 創立130周年記念式典を行う。
  • 2015年(平成27年)4月 - 文科省よりSGH(スーパーグローバルハイスクール)指定。
  • 2017年(平成29年)7月 - 史上初となる女子應援委員が誕生する。

生徒活動

部活動・委員会

運動部・同好会
訴訟

2017年11月10日、同校卒の男性がバレーボール部での活動中、顧問の過剰な指導により、在校中の2008年に心的外傷後ストレス障害を発症、登校が困難になったとして顧問と県を相手に約200万円の損害賠償を求める訴訟で盛岡地方裁判所 中村恭裁判長 は過剰な指導と不登校の因果関係は認められないとしながらも「指導として社会的正当性を欠いている」として、県に計20万円の支払いを命じる判決[5]

文化部・同好会
委員会
  • 應援
  • 放送委員会
  • 白堊(生徒会誌)編集委員会
  • 中央執行委員会

應援團

バンカラ應援團があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となる[6]。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。

アクセス

主な行事

4月
  • 生徒会オリエンテーション:入学式前に行われ、生徒会や部活動の紹介がある。
  • 入学式:毎年、應援委員が校歌を披露する。
  • 対面式:入学式の後日行われる。1年生が2・3年生の歌う校歌や応援歌を聞く。[7]
  • 応援歌練習:1年生が校歌や応援歌13曲を指導される。
5月
  • 運動会:創立記念日である5月13日に行われる。運動会前日には、宣伝の目的で1年生と2年生一部で構成される「白堊団」が盛岡市内を練り歩く。
6月
  • スポーツ祭:クラス対抗で、球技を中心として行われる。
7月
  • 応援歌練習:夏の甲子園地方予選に照準を合わせて練習する。
9月
  • 白堊祭(文化祭):各部・クラスの研究成果の発表を始め、模擬店出店が行われる。
12月
  • 研修旅行:1年生が対象。関西(広島、長崎、京都)で平和学習と文化学習を中心とした研修を行う。2016年までは『関西』・『九州』・『沖縄』の3コースに分かれて研修を行っていた。かつて戦後の長い期間、修学旅行がなかったのが同校の特色の一つだった。
2月
  • 予餞会:受験を控えた3年生を観客として招待し、1・2年生が芝居などを披露する。
  • 応援歌練習:4月に3年生へ進級する2年生が、1年生を指導する。春の応援歌練習の予行の意味合いも兼ねる。
3月
  • 卒業式
  • 白堊の翼

一般公開について

開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。

  • 星を観る会:最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
  • 学校へ行こう週間:日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
  • 白堊祭
  • 大運動会

著名な出身者

戦前

政治・経済・軍事
学術・文化・芸術
芸能・マスコミ・スポーツ

戦後

政治・経済・軍事
学術・文化・芸術
芸能・マスコミ・スポーツ

脚注

  1. ^ 沿革抄
  2. ^ 岩手県立図書館、宮沢賢治
  3. ^ 太平洋戦争中に修業年限が4年に短縮されたが、戦後から廃止までは5年に戻った。
  4. ^ 現在の岩手県立盛岡第三高等学校とは無関係。
  5. ^ 部活指導「過剰」 岩手県に賠償命じる 盛岡地裁 朝日新聞 2017年11月11日
  6. ^ 同校では応援を「應援」、応援団を「應援團」と旧字体で表記するのが伝統である。
  7. ^ 男女共学であり、歌声はいつも男女混声であるが、男子生徒たちは声を高くして歌い、女子生徒たちも声を低くして歌っているため、女子声が聞きづらく、歌声が男子声になることも。

参考文献

  • 『創立100周年記念誌』岩手県立盛岡第一高等学校

関連項目

外部リンク

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