「ボルシェビーク (製菓)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Tokutotoo (会話 | 投稿記録)
Tokutotoo (会話 | 投稿記録)
46行目: 46行目:
フランス人のアドルフ・スィウ({{lang|ru|Адольф Сиу}})夫妻が[[1855年]][[11月24日]]にモスクワ市[[トヴェルスカヤ通り]]に製パン店として開業した。[[1861年]]から[[香水]]製造を開始して急成長し、その後[[化粧品]]、[[香料]]、[[石けん]]製造にも進出して事業を急速に拡大した。
フランス人のアドルフ・スィウ({{lang|ru|Адольф Сиу}})夫妻が[[1855年]][[11月24日]]にモスクワ市[[トヴェルスカヤ通り]]に製パン店として開業した。[[1861年]]から[[香水]]製造を開始して急成長し、その後[[化粧品]]、[[香料]]、[[石けん]]製造にも進出して事業を急速に拡大した。


[[1885年]]に「A・スィウ&K」社({{lang|ru|А. Сиу и К}})として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。モスクワで最初に本格的な電気設備を導入した施設の一つとなった同社工場には、香水事務所のほか、勤務する従業員のための寮や幼稚園、病院、洗濯場が設けられていた<ref name="village">[https://www.the-village.ru/village/business/wherework/275926-bolshevik {{lang|ru|Я работаю в здании фабрики „Большевик“(私は工場施設「ボルシェビーク」で働いています)}}] レーナ・ベレシャーギナ、『The Village』、2017年7月27日</ref>。[[1900年]]にはモスクワのほか、[[サンクトペテルブルク]]、[[キエフ]]、[[ワルシャワ]]に支店を置き、[[馬車]]や[[自動車]]、[[コーヒー]]、[[ココア]]を販売。製菓部門では[[マーマレード]]、[[キャラメル]]、[[ヌガー]]、[[トルテ]]、[[ケーキ]]、[[生クリーム]]など約2000種類の製品を製造していた。
[[1884年]]に「A・スィウ&K」社({{lang|ru|А. Сиу и К}})として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。モスクワで最初に本格的な電気設備を導入した施設の一つとなった同社工場には、香水事務所のほか、勤務する従業員のための寮や幼稚園、病院、洗濯場が設けられていた<ref name="village">[https://www.the-village.ru/village/business/wherework/275926-bolshevik {{lang|ru|Я работаю в здании фабрики „Большевик“(私は工場施設「ボルシェビーク」で働いています)}}] レーナ・ベレシャーギナ、『The Village』、2017年7月27日</ref>。[[1900年]]にはモスクワのほか、[[サンクトペテルブルク]]、[[キエフ]]、[[ワルシャワ]]に支店を置き、[[馬車]]や[[自動車]]、[[コーヒー]]、[[ココア]]を販売。製菓部門では[[マーマレード]]、[[キャラメル]]、[[ヌガー]]、[[トルテ]]、[[ケーキ]]、[[生クリーム]]など約2000種類の製品を製造していた。


[[1913年]]には菓子の品質の高さが評価されて[[ツァーリ|ロシア皇帝]]の表彰を受け、[[ロマノフ朝]]300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、{{lang|ru|Юбилейное}})の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。
[[1913年]]には菓子の品質の高さが評価されて[[ツァーリ|ロシア皇帝]]の表彰を受け、[[ロマノフ朝]]300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、{{lang|ru|Юбилейное}})の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。

2018年7月1日 (日) 05:42時点における版

ボルシェビーク公開株式会社
Открытое Акционерное общество «Большевик»
元の種類
公開株式会社
業種 製造業
事業分野 ビスケットケーキ製造
設立 1855年
解散 2012年
本社
モスクワ市レニングラード通り15番地
Footnotes / references
2012年、クラフトフーヅロシア非公開株式会社ソビンカ市工場に再編。
売却後の再開発事業で保存修復された旧本社工場(2015年
旧本社工場棟に併設されているヴェンスキー・ツェフ社(旧・ボルシェビーク製菓工場第3職場)のケーキ店(2015年
A・スィウ&K社時代の本社工場(1880~90年代撮影)

ボルシェビーク製菓工場(ロシア語:Кондитерская фабрика «Большевик»)は、旧ソ連最大の国営菓子メーカー。本社はモスクワ市にあり、ケーキクッキーなど小麦粉を原料とする菓子を製造した。ボルシェビーク・モスクワ製菓工場Московская кондитерская фабрика «Большевик»)としても知られた。1994年ボルシェビーク公開株式会社Открытое Акционерное общество «Большевик»)として民営化し、2012年クラフトフーヅロシア非公開株式会社(現・モンデリーズロシア非公開株式会社)に吸収された。

概要

フランス人のアドルフ・スィウ(Адольф Сиу)夫妻が1855年11月24日にモスクワ市トヴェルスカヤ通りに製パン店として開業した。1861年から香水製造を開始して急成長し、その後化粧品香料石けん製造にも進出して事業を急速に拡大した。

1884年に「A・スィウ&K」社(А. Сиу и К)として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。モスクワで最初に本格的な電気設備を導入した施設の一つとなった同社工場には、香水事務所のほか、勤務する従業員のための寮や幼稚園、病院、洗濯場が設けられていた[1]1900年にはモスクワのほか、サンクトペテルブルクキエフワルシャワに支店を置き、馬車自動車コーヒーココアを販売。製菓部門ではマーマレードキャラメルヌガートルテケーキ生クリームなど約2000種類の製品を製造していた。

1913年には菓子の品質の高さが評価されてロシア皇帝の表彰を受け、ロマノフ朝300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、Юбилейное)の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。

十月革命後、1924年にA・スィウ&K社は国有化された。社名は革命時に同社の工場労働者からモスクワ・ソビエト副議長が選出されたことを記念し、ウラジーミル・レーニンによって新たに「ボルシェビーク」と命名された[1]1927年に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、ビスケット類とトルテおよびケーキ類の小麦粉菓子の専業メーカー「ボルシェビーク製菓工場」に改組。戦後の1952年から工場のオートメーション化に着手し、ビスケット職場に独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、1960年代には生産量でヨーロッパ最大の製菓工場に成長した。

1971年、第九次五カ年計画早期達成の功績でソ連最高会議レーニン勲章を受章した。1970年代には、日本でロシア風菓子の製造販売を手がけていた大阪府豊中市パルナス製菓の招きで、トルテ・ケーキ職場で国家重要行事の記念ケーキ製造を指揮していた食品業界社会主義労働者英雄の女性職長(бригадиру рабочих)、イェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ(Евдокия Андреевна Ожина[2]が2度にわたり訪日し、ケーキ製法などの技術指導を行った[3]

市場経済導入後の1994年、フランス・ダノン社が出資するボルシェビーク公開株式会社として民営化された。その後2007年に米クラフトフーヅの現地法人、クラフトフーヅロシア非公開株式会社(現・モンデリーズロシア非公開株式会社)が買収し、同社の傘下に入った。そして本社工場のビスケット職場の大半は2009年、クラフトフーヅロシアがモスクワ東方約180kmのヴラジーミル州ソビンカ市に建設した新工場に移転し、同年10月14日から操業を開始した。

その後もレニングラード通りには本社および工場の第4職場(ビスケット製造)、第3職場(トルテ・ケーキ製造)が残り、本社工場併設の店舗でケーキを中心とするボルシェビーク製品の直販を行っていたが、2012年のモスクワ本社および工場用地売却にともない、第4職場は清算、第3職場は2010年設立のトルテ・ケーキ製造販売業、ヴェンスキー・ツェフ非公開株式会社(ООО "Венский цех")に事業譲渡して分離独立。ボルシェビーク社本体はクラフトフーヅロシアに吸収され、ソビンカ市のビスケット工場はクラフトフーヅロシア・ソビンカ市工場に再編された。

現在のモンデリーズロシアではソビンカ市工場を「ボルシェビーク・ビスケット工場」(Бисквитная фабрика «Большевик»)と通称しており、旧社から承継したボルシェビークブランドの「ユビレイノエ」シリーズと、モンデリーズブランドの「バーニー」「TUC」「オレオ」「ベルヴィタ」などのビスケットおよびクラッカー製品を、合わせて年間約9万トン製造している[4]

一方、旧第3職場の事業を引き継いだヴェンスキー・ツェフ社の社名(ウィーン工房)は、往年のA・スィウ&K社時代のケーキが、洋菓子文化の盛んなウィーンのものに並ぶ品質だと評判を呼んだことにちなんで名付けられたもので[1]、第3職場時代と同じ旧本社工場棟併設の店舗で、モンデリーズロシアから貸与された「ボルシェビーク」ブランドを掲げ、引き続きトルテおよび伝統的ロシアケーキなどの製造販売を行っている[1]

モスクワ工場跡地の再開発と施設保存

2012年の本社および工場の売却で、広さ5.4ヘクタールの用地は実業家ボリス・ミンツ傘下の「O1プロパティーズ」社ら2企業が取得した。O1プロパティーズ社はのち、本社工場跡地のすべての不動産を取得し、敷地内部には低層の高級集合住宅やオフィスビルを建設する一方、レニングラード通りに面した帝政ロシア時代建設の旧ボルシェビーク本社工場の3棟については、レンガ造りの内部構造を生かした特徴あるオフィスビルとして改築しつつ、外観を19世紀の建設当初の姿に修復する再開発事業「ボルシェビーク文化ビジネス複合施設」(Культурно-деловой комплекс „Большевик“)プロジェクトを進め、2017年に竣工した[1]

竣工時のテナント契約率はモスクワ市内のオフィスビルの平均を上回る70%で[1]、一般的なオフィスビルとは性格が異なる施設であることから、計画時にはデザイナーやメディア業界、新興企業、IT関連企業など、クリエイティブ関連産業やその経営者の入居を想定していたが、実際には国際的な大企業や国内の大手国有企業からも強い関心が示されたという[1]

旧本社工場棟の修復作業はロンドンの建築設計会社が手がけ、老朽化した壁面のレンガの修理や交換を行うとともに、国有化以後に改築などで失われた部分を建設当初の姿にもどす工事が行われた[1]。また2016年5月には、原料の小麦粉を貯蔵していた円形の倉庫施設を活用し、ミンツが収集してきた絵画コレクションを展示するロシア印象派美術館Музей русского импрессионизма)が開設された。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h Я работаю в здании фабрики „Большевик“(私は工場施設「ボルシェビーク」で働いています) レーナ・ベレシャーギナ、『The Village』、2017年7月27日
  2. ^ "Индустрия нашего стола" (週刊誌«Огонёк»1970年2月7日付1970年第6号, レーニン勲章プラウダ印刷所出版)
  3. ^ 「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」(Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.) История компании (ボルシェビーク公開株式会社公式サイト・社史)
  4. ^ География モンデリーズロシア非公開株式会社

外部リンク