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2010年[[10月26日]]発売の[[光文社]]発行の雑誌「[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。
2010年[[10月26日]]発売の[[光文社]]発行の雑誌「[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。


[[2018年]][[5月16日]]、かつての所属事務所・芸映の先輩歌手った西城秀樹が63歳で逝去。河合は現在在住先の豪州から「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、多くの感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です」と、久々に公の場で追悼のコメントを発表した<ref>[https://www.zakzak.co.jp/ent/news/180519/ent1805196776-n1.html 西城秀樹さんの早すぎる死に“妹”河合奈保子「ショックすぎ」 野口五郎「言葉見つからない」]ZAKZAK 2018年5月19日記事</ref>。
[[2018年]][[5月16日]]、かつての所属事務所・芸映の先輩歌手で、河合が芸能界デビューの切っ掛けともなった西城秀樹が63歳で逝去。河合は現在在住先の豪州から「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、多くの感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です」と、久々に公の場で追悼のコメントを発表した<ref>[https://www.zakzak.co.jp/ent/news/180519/ent1805196776-n1.html 西城秀樹さんの早すぎる死に“妹”河合奈保子「ショックすぎ」 野口五郎「言葉見つからない」]ZAKZAK 2018年5月19日記事</ref>。


== エピソード ==
== エピソード ==

2018年5月21日 (月) 06:52時点における版

河合 奈保子
出生名 河合 奈保子(かわい なほこ)
別名 金原 奈保子(かねはら なほこ、本名)(旧姓 河合)
生誕 (1963-07-24) 1963年7月24日(60歳)
出身地 日本の旗 日本大阪市住吉区(現・住之江区
学歴 明治大学付属中野高校定時制
ジャンル アイドル歌謡曲
職業歌手シンガーソングライター女優
活動期間 1980年 - 1996年

河合 奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 - )は、日本の女性元歌手シンガーソングライター女優。80年代アイドル。娘は元歌手のkaho。身長160cm。血液型O型

人物

所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア(2002年(平成14年)10月から2010年(平成22年)9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント)に所属していた。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。

シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。

歌以外にもピアノギターマンドリンシンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアアイドル水泳大会に登場していた。

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子のkahoは、2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューし、音楽活動をしていた時期があった[1][2][3]

略歴

デビューまで

大阪市住吉区(現・住之江区)出身。1963年7月24日、浪速区日本橋愛染橋病院において会社員の父親の長女として誕生(2400グラムの未熟児)。誕生時、両親は大阪府枚岡市(現:東大阪市)に居住していた。1歳時の8月に大阪府八尾市に引っ越し、2歳時の10月には東京都世田谷区に籍を移した[4]。3歳年下の妹がいる。

幼児のころ父親の職業に転勤が多く、幼稚園は東京都調布市の染地幼稚園、大阪府箕面市の箕面自由学園幼稚園、大阪府東大阪市の若宮保育園の3施設に通った[4]

粉浜小学校入学と同時にピアノを習い始めた。住吉第一中学校時代はフォークソングクラブに所属、中学2年の秋に日本テレビ系列『スター誕生!』に応募するが、この時は書類選考の段階で選外となる[4]1979年に私立大阪女子学園(現:大阪夕陽丘学園高等学校)に進学する。

アイドル歌手時代

1979年12月、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。河合がオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった[4]。オーディションの選考過程も紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された(最初に選考され、河合と共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵[5])。翌1980年3月16日中野サンプラザで開催された決勝大会で優勝する。オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った[4]

同月末に上京して歌レッスンを受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みと共に、アイドル歌手としてデビュー。この過程で明治大学付属中野高校定時制に編入し、後に卒業した。そのオーディションの決戦会場は、中野サンプラザ(東京都中野区)であった。

なお、歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」であった。2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。

デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う[6]。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う[7]NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという[8]

1983年12月6日より盲腸の摘出手術で東京・渋谷病院に入院したことがある。ちなみに同年12月14日に退院した。12月18日(日曜日)まで休養し、翌12月19日(月曜日)の「夜のヒットスタジオ」で復帰を果たした。なお、入院中に事務所先輩の角川博からEW&Fのカセットテープをプレゼントされたことなどを自身のラジオ番組「奈保子でスタート(1983.12.18ON AIR)」で語った。 翌日の「夜のヒットスタジオ」では入院中に編んだ自分用のセーターを披露したが、サイズを間違え随分と大きなセーターになってしまったと笑いながら答えていた。

歌唱中、マイクロフォンは左手で持つことが多かった。

ライブコンサートは1980年代の後半まで行われた[9]1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブなどが行われ、EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。

父親は大の阪神タイガースファンであったが、1985年3月25日に神奈川県民ホールで行われた横浜大洋ホエールズのファン感謝デーにゲストとして出演した。イベントでは自身の持ち歌2曲と、選手とのデュエットコーナーで「もしかしてPART2」を関根浩史投手と共に披露した。歌った感想は「気持ちよかった」と答えた。

アイドル以外の仕事へ

1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも関与する。1985年、ベストアルバム「NAOKO 22」のボーナストラックという形で自作曲を発表、コンサートでも次第に自作曲の割合が増え、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表。

1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物[10]』を「かたつむり大作戦」の会場「KBSホール」から歌唱した。 またこの時期はテレビドラマミュージカルにも積極的に出演した。1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当した。テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。 1988年岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。

1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。

日本作曲家協会に所属していた。

芸能活動停止・長期休業

1996年2月1日記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に結婚。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。

2005年6月、芸映プロ公式ウェブサイトの所属タレント一覧から項目が削除されたが、このとき芸能事務所から所属に関する発表はされなかった。

2006年4月26日、iTunes Music Store限定で自作ピアノ作品集「nahoko 音[11]」を発表した。同年11月28日にはCD化もなされ、同時に公式ウェブサイトが開設された。

2008年12月21日付の竹内まりやのブログ「Pholog」に6年ぶりに再会した記事が写真付きで掲載された。

2009年10月19日放送のSUPER SURPRISEにおいて既に芸映に所属していない事が報じられた[12]

2010年4月、楽曲提供した池田泉州銀行のCMが関西地区で放映された。

2010年10月26日発売の光文社発行の雑誌「FLASH」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。

2018年5月16日、かつての所属事務所・芸映の先輩歌手で、河合が芸能界デビューの切っ掛けともなった西城秀樹が63歳で逝去。河合は現在在住先の豪州から「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、多くの感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です」と、久々に公の場で追悼のコメントを発表した[13]

エピソード

特徴

  • デビューの年の秋に開かれたファーストコンサートでは、直前まで不安定さが懸念されたものの、本番では歌踊り共に無難にこなした[14]
  • デビュー当初からライブや歌番組、特に賞番組に於いて感情を表に出して歌えなくなることはほとんどなかった。この点に関して本人は「泣くと歌が歌えなくなるから」と答えている[4]
  • デビュー後しばらくの間、仕事以外では全く化粧をしなかった[4]
  • アイドル時代、少なくとも首都圏での仕事や全国向けテレビ・ラジオ放送においては、関西弁を使わなかった。ただし、関西の生活文化の話題は普通にしており、1980年当時、月刊明星において「大阪の実家では節分にはその年の方角(吉方位)を向いて巻き寿司を食べる習慣がある(恵方巻)」と発言している。
  • 近視で芸能活動以外はほぼ眼鏡をかけていた。
  • 会話中に「あのぉ」という言葉をはさむことが多かった。

その他

  • 笑福亭鶴瓶がサインをねだる熱心なファンの少女にサインをしたとき、「可愛い子だなあ」と思い、印象に残ったという。それがデビュー前の河合だったと後に語っている(『鶴瓶のぐるぐるぐるめ』1984年)。
  • デビュー間もないころの『週刊少年チャンピオン』1980年44月号315Pのインタビューで「太ってるから水着は本当に恥ずかしい」と話しているが、デビュー当時から河合を撮り続けた写真家の黒坂了司によれば、「水着撮影を嫌がったり、胸を気にすることはなかった」とのこと[15]
  • 巨人投手斎藤雅樹が、高校時代から河合の強烈なファンであった。しかし斎藤はなかなかサインを手に入れることができず、日本橋三越のサイン会でようやく入手したという[16]
  • テレビや雑誌等で好きな食べ物を聞かれると「お好み焼きとたこ焼き」と答えていた。82年のザ・ベストテンでは実際にお好み焼きを作る姿を披露している。
  • 小学生の頃の夢は保母さんになる事だった。1984年9月20日のザ・ベストテンではタイムカプセル用に録音された当時のテープが公開され「近所の小さい子がお姉ちゃんと慕ってくれるのが嬉しい。だから保母さんになりたい。」と将来の夢を語っている様子が放送された。
  • サンミュージック所属(当時)の岡田有希子は彼女のファンで、中学一年の時に描いて学校で金賞を獲った河合奈保子の肖像画(油絵)を歌番組で披露したことがある[17]
  • オメガトライブ」のメンバーだった西原俊次もファンの一人であり、『ザ・ベストテン』では彼女と会えたことが一番印象に残ったと述べている(1985年12月26日放送分)。
  • 芸映友の会ファンクラブ発表のテレフォンガイドでは1982年夏のツアースケジュールなど、本人がアナウンスした回があった。
  • 2016年9月17日に行われたトリビュートイベント「〜再会の夏〜 奈保子ファンミーティング in SARAVAH東京」ではバックコーラスを務めたMILKの元メンバーも参加していた。また、その内容はフジテレビの情報番組内で放映された。
  • 1987年にRFラジオ日本と岐阜放送でON AIRされた「ザ・マンデーナイト」において女性パーソナリティの東洋子より、上越新幹線内で発車前に乗り込んできた一団の中に彼女がいて、カセットを聞きながら小さな声で歌っていたことを暴露された。
  • デビュー以来、いわゆる下ネタにはほとんど反応しなかったが、1986年6月5日放送のTBSラジオ「NISSANミッドナイトステーション やんぐひぽぽたます」ではキッチュ(現:松尾貴史)とのコントでは下ネタを披露した。
  • 彼女がメインパーソナリティを務めるラジオ番組で、ハガキ投稿者のお名前は基本的に「さん付け」で読んでいたが、比較的よく読まれるリスナーで、年下の投稿者には「くん付け」で読むことがあった。
  • 写真集「Scarlet」には彼女自身が撮影した写真を何枚か採用している。

音楽

概要

河合の音楽面でのトータルプロデュースは1986年〜1988年迄は売野雅勇が、1989年〜1992年迄はミッキー吉野がそれぞれ務めた。1993年発表のアルバム『engagement』では吉元由美と河合奈保子の共同プロデュースとなっている。また、1985年から1988年まで宮島律子とM Rie(宮島理絵)のユニットMILKがバックコーラスを務めたことがあった。

シングルは1980年から1994年迄の間に36枚が発売された。非売品ではあるが1986年3月に「《農協共済の歌》幸せの輪を拡げよう」というシングルもリリースしている。アルバムは1980年から1993年までに、オリジナル盤はミニアルバム1枚を含む計19作品、ライブ盤は4作品発売された。またベスト盤は2007年までに16作品とCD-BOX3作品がそれぞれ発売された。この他に高橋伸明とのデュエット盤が1作品発売されている。

NHK紅白歌合戦』には1981年から1986年まで、6回連続で出場していた。

シングル

  1. 大きな森の小さなお家(1980年6月1日)
    作詞:三浦徳子 作曲・編曲:馬飼野康二
  2. ヤング・ボーイ(1980年8月25日)
    作詞:竜真知子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀
  3. 愛してます(1980年12月10日)
    作詞:伊藤アキラ 作曲:川口真 編曲:船山基紀
  4. 17才(1981年3月10日)
    作詞:竜真知子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀
  5. スマイル・フォー・ミー(1981年6月1日)
    作詞:竜真知子 作曲:馬飼野康二 編曲:大村雅朗
  6. ムーンライト・キッス(1981年9月1日)
    作詞:松本礼児 作曲:馬飼野康二 編曲:竜崎孝路
  7. ラブレター(1981年12月5日)
    作詞:竜真知子 作曲:馬飼野康二 編曲:若草恵
  8. 愛をください(1982年3月10日)
    作詞:松宮恭子・伊藤アキラ 作曲:松宮恭子 編曲:若草恵
  9. 夏のヒロイン(1982年6月10日)
    作詞:竜真知子 作曲:馬飼野康二 編曲:若草恵
  10. けんかをやめて(1982年9月1日)
    作詞・作曲:竹内まりや 編曲:清水信之
  11. Invitation(1982年12月1日)
    作詞・作曲:竹内まりや 編曲:大村雅朗
  12. ストロー・タッチの恋(1983年3月1日)
    作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:若草恵
  13. エスカレーション(1983年6月1日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗
  14. UNバランス(1983年9月14日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗
  15. 疑問符(1983年12月1日)
    作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:大村雅朗
  16. 微風のメロディー(1984年3月1日)
    作詞・作曲:尾崎亜美 編曲:大村雅朗
  17. コントロール(1984年6月1日)
    作詞:売野雅勇 作曲:八神純子 編曲:鷺巣詩郎
  18. 唇のプライバシー(1984年8月28日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:鷺巣詩郎
  19. 北駅のソリチュード(1984年12月5日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
  20. ジェラス・トレイン(1985年3月5日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄
  21. デビュー/MANHATTAN JOKE(1985年6月12日)
    デビュー〜Fly Me To Love 作詞:売野雅勇 作曲:林哲司 編曲:鷺巣詩郎
    MANHATTAN JOKE 作詞:秋元康 作曲・編曲:大野雄二 / 映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』主題歌
  22. ラヴェンダー・リップス(1985年10月3日)
    作詞:売野雅勇 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄
  23. THROUGH THE WINDOW〜月に降る雪〜(1985年12月12日)
    作詞:Peter Beckett/訳詞:売野雅勇 作曲:Peter Beckett 編曲:Tom Keane & Humberto Gatica
  24. 涙のハリウッド(1986年4月1日)
    作詞:売野雅勇 作曲:林哲司 編曲:萩田光雄
  25. 刹那の夏(1986年7月24日)
    作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀
  26. ハーフムーン・セレナーデ(1986年11月26日) - アルバム「スカーレット」からのシングルカット
    作詞:吉元由美 作曲:河合奈保子 編曲:瀬尾一三
  27. 想い出のコニーズ・アイランド(1987年3月1日) - アルバム「スカーレット」からのカット、カセットテープのみ
    作詞:吉元由美 作曲:河合奈保子 編曲:瀬尾一三
  28. 十六夜物語(1987年7月24日) - アルバム「JAPAN as waterscapes」からのシングルカット
    作詞:吉元由美 作曲:河合奈保子 編曲:瀬尾一三
  29. 悲しい人(1988年3月1日)
    作詞:吉元由美 作曲:河合奈保子 編曲:高橋干治&NATURAL
  30. Harbour Light Memories(1988年7月21日)
    作詞:公文健 作曲:河合奈保子 編曲:小林信吾
  31. 悲しみのアニバァサリー(1989年11月10日)
    作詞:さがらよしあき 作曲:河合奈保子 編曲:横倉裕 コーラス編曲:ミッキー吉野
  32. 美・来(1990年4月10日)
    作詞:さがらよしあき 作曲:河合奈保子 編曲:ミッキー吉野
  33. 眠る、眠る、眠る(1990年9月1日)
    作詞:麻生圭子 作曲:都志見隆 編曲:ミッキー吉野
  34. Golden sunshine day(1992年6月21日) - 「近藤正臣の味覚人情報」(毎日放送製作・TBS系)テーマソング
    作詞:ミッキー吉野 作曲:河合奈保子 編曲:ミッキー吉野
  35. エンゲージ(1993年10月21日)
    作詞:吉元由美 作曲:岸正之 編曲:清水信之
  36. 夢の跡から(1994年3月21日)
    作詞:八島義郎 作曲:河合奈保子 編曲:若草恵

オリジナルアルバム

  1. LOVE(1980年10月10日)
  2. TWILIGHT DREAM(1981年5月10日)
  3. DIARY(1981年8月10日)
  4. SUMMER HEROINE(1982年7月21日)
  5. あるばむ(1983年1月21日)- 竹内まりや、来生姉弟参加
  6. SKY PARK(1983年6月1日)- 筒美京平、石川優子参加
  7. HALF SHADOW(1983年10月21日)- 売野雅勇、谷山浩子参加
  8. Summer Delicacy(1984年6月1日)- 八神純子、来生姉弟参加
  9. Daydream Coast(1984年8月28日)- 海外録音第1弾
  10. さよなら物語-THE LAST SCENE and AFTER(1984年12月5日)- 全作詞:売野雅勇、全作曲:筒美京平
  11. STARDUST GARDEN-千・年・庭・園-(1985年3月5日)- 全作詞:売野雅勇、全作曲:筒美京平
  12. 9 1/2 NINE HALF(1985年12月12日) - 同名映像ソフトとは構成が異なる、海外録音第2弾
  13. Scarlet(1986年10月21日) - 全作曲:河合奈保子
  14. JAPAN as waterscapes (1987年6月24日) - 全作曲:河合奈保子
  15. MembersOnly(1988年4月1日) - 全作曲:河合奈保子
  16. Calling You(1989年11月21日) - 全作曲:河合奈保子
  17. ブックエンド(1990年6月1日) - 全作曲:河合奈保子
  18. engagement(1993年11月21日) - 10曲中5曲の作詞作曲:河合奈保子、プロデュースも本人
  19. nahoko 音 / blue(2006年4月26日) - 全作曲 ピアノ作品集
  20. nahoko 音 / orange(2006年4月26日) - 全作曲 ピアノ作品集
  21. nahoko 音(2006年11月28日)- nahoko 音 blue/orange のCD盤 roots maker records レーベル

ライブアルバム

  1. LIVE(1980年12月10日)
  2. NAOKO IN CONCERT(1982年2月25日)
  3. ブリリアント(1982年11月21日)
  4. NAOKO THANKSGIVING PARTY(1988年10月21日)

ベストアルバム、企画・編集アルバム、BOX

  1. Angel(1981年11月25日)
  2. 河合奈保子全曲集(1982年9月21日) - メタル(Type IV)カセットテープ版。大きな森の小さなお家から夏のヒロインまでの全シングルA面曲と、アルバムから3曲(ハリケーン・キッド、LOVE、別世界)の全12曲を収録。
  3. ビューティフル・デイ(1983年7月21日) - ミニアルバム
  4. プリズム(AngelII)(1983年12月21日) - ベスト+オリジナル3曲
  5. コレクション(1983年12月21日) - CDのみ、プリズムとは構成が異なる
  6. 愛・奈保子の若草色の旅(1984年3月21日) - カセットテープのみ
 愛・奈保子の若草色の旅は「企画・構成:来生えつこ」による春の旅のイメージを奈保子の歌とナレーションで綴ったもので来生たかお・えつこ兄妹による新録2曲が収録されている。新録2曲のほか、発表済みのシングル曲とアルバム収録曲を合わせ9曲で構成されている。カセット本体は通常のカセットケースの2倍サイズの化粧箱に収められ、16ページの写真集も付属した。なお、化粧箱内のカセット位置決め用スポンジは30年以上を経た現在では劣化が進み、粉状に崩れてしまうので開封時は注意が必要である。
  1. NAOKO22(1985年7月24日) - 2枚組ベスト+初のオリジナル自作曲「夢かさねて」収録
  2. コレクションII(1985年7月24日) - CDのみ1枚、NAOKO22とは構成が異なる
  3. 全曲集 涙のハリウッド(1986年5月21日) - CDのみ
  4. ばらあど(1987年9月21日) - ミニアルバム
  5. Timeless〜Naoko special mix〜(1987年12月10日) - リミックス4曲+ピアノVer、オリジナル各1曲、ミニアルバム
  6. Fabric Voices(1988年9月21日) - デュエットコレクション、ミニアルバム
  7. Pure Gold(1989年3月21日)- 2枚組
  8. 河合奈保子作品集 Masterpieces(1989年5月1日) - 自作曲ベスト
  9. NAOKO KAWAI スーパー・ツインDX(1990年12月1日) - 2枚組
  10. 河合奈保子 ベスト・セレクションI(1993年9月21日) - 1980〜83年迄のA面
  11. 河合奈保子 ベスト・セレクションII(1993年9月21日)- 1983〜89年迄のA面からセレクト
  12. JEWEL BOX(2001年9月29日) - 河合奈保子単独名義の全シングルAB面+特典映像DVD
  13. JEWEL BOX2(2003年2月1日) - アンケート、アルバム収録曲選抜、未収録音源、ライブ音源選抜
  14. 河合奈保子・しんぐるこれくしょん(2006年12月6日) - 河合奈保子単独名義の全シングルA面+エトワール幼稚園園歌、2枚組
  15. NAOKO PREMIUM (2007年12月19日) - オリジナルアルバム18枚+企画作品2作、'83EAST・DVD映像、シングルA面カラオケ集
  16. NAOKO LIVE PREMIUM (2009年2月18日) - ライブアルバム5枚+未発表音源、ミュージカルTHE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN映像+未ソフト化ライブ映像
  17. 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト(2010年3月3日) - 1980〜86年迄のA面からセレクト
  18. 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 〜A面コレクション〜(2013年1月23日)- 河合奈保子単独名義の全シングルA面、デュエットで発売したシングルA面も収録、2枚組
  19. 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 〜B面コレクション〜(2013年1月23日)- 河合奈保子単独名義の全シングルB面+町田学園女子高等学校校歌、デュエットで発売したシングルもB面も収録、2枚組
  20. ゴールデン☆アイドル 河合奈保子 (2014年7月30日)- EPレコードで発売されたシングルA/B面、レコードジャケットのレプリカ付属、3枚組
  21. 私が好きな河合奈保子 (2015年8月26日)- ファン投票による選曲のベストアルバム、Disc 1はシングルA面の上位曲、Disc 2はB面およびアルバムからの上位曲を収録、2枚組

楽曲提供

  • 中村あずさ「Motion Poet」 作詞:ミッキー吉野、作曲:河合奈保子、編曲:ミッキー吉野

参加作品

  • 君は綺麗なままで(1985年8月5日) - NAO&NOBU名義、高橋伸明とのデュエットシングル
  • SKY NATIVE(1986年3月21日) - NAO&NOBU名義+トランザムIIから成るアルバム
  • Tears of Nature(1989年10月1日) - the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加
  • Gentle Voice(1990年11月21日) - the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加
  • THE LOVER in ME 〜First Christmas(1990年12月8日)- 同名ミュージカル使用曲から成るアルバム
  • ちょっとだけ秘密(1992年12月12日) - 奈保子&小金沢くん名義、小金沢昇司とのデュエットシングル

その他

映像ソフト

  • BRILLIANT 〜Lady Naoko in Concert(1982年11月21日)★
  • Lady Naoko in Concert BEST ALBUM(1982年11月21日) - BRILLIANTの短縮廉価版
  • Beautiful Days in 合歓(1983年9月1日) - EAST'83 △
  • 河合奈保子 愛のコンサート(1983年12月1日)★
  • Daydream Coast(1984年8月28日) - イメージビデオ
  • SUMMER SPECIAL in EAST'84(1984年12月1日)★
  • STARDUST GARDEN 〜千・年・庭・園〜(1985年3月21日) - イメージビデオ
  • 感電するゾ熱い夏 NAOKO EAST'85(1985年9月21日)★
  • Fantastic Journey 91/2(1985年12月12日) - イメージビデオ
  • NAOKO '86 Stardust Paradise in EAST(1986年9月1日)★
  • Scarlet(1986年12月10日) - イメージビデオ
  • アース・アーク・芸映フェスティバル 武道館が燃えた!(1987年1月25日) - 当時の芸映プロ及び系列事務所所属タレント総出演のチャリティーイベントライブ
  • 月夜宮殿 MY SONG FOR YOU(1987年9月10日) - EAST'87 ★
  • NAOKO THANKSGIVING PARTY(1988年11月21日) - EAST'88FINAL、LDのみ
  • NAOKO THANKSGIVING PARTY Part1〜3(1988年11月21日) - テープのみ3分割発売 ☆
  • THE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN(1992年2月21日) - 同名ミュージカルのライブ
  • Pure Moments 〜 NAOKO KAWAI DVD COLLECTION(2002年3月30日) - 映像ソフト総集編
  • 河合奈保子プレミアムコレクション~NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤングetc.~ (2017年8月30日) - 初のレッツゴーヤング映像化作品

 ★印は2012年11月21日にDVDで復刻発売

 ☆印は2014年2月19日にDVDで復刻発売(ビデオ3巻分を1枚に収録)

 △印はPure Momentsにノーカット収録

出演

ラジオ

 全国ネットでは初の冠ラジオ番組。
  • ランナウェイ サウンドレポート(1981年4月6日 - 1982年4月30日、ニッポン放送) - 初期はくり万太郎、後に塚越孝アナと共演。
  • 二郎と奈保子のハイ!歌謡曲(1983年、TBSラジオ) - TBS・山田二郎アナと共演
  • ハウスウキウキサンデー奈保子でスタート(1983年10月9日 - 1985年3月31日、文化放送
  • 奈保子におまかせ・フレンドシップ(1984年、綜合放送(30分枠地方民放局向け番組))- 高知・山形・中部日本・山陽・中国放送
  • 奈保子のひとりごと(1984年、朝日放送
  • MBSヤングタウン(1984年7月3日 - 1989年、毎週火曜日、毎日放送) - 嘉門達夫 、長井展光アナと共演。
 番組構成上、リスナーからの投稿が重要な位置を占めており、投稿ハガキ採用者にはヤングタウングッズがプレゼントされた。
  • DENONミュージック倶楽部・奈保子の少しだけハイヒール(1985年10月7日 - 1988年9月26日、FM東京
  • 奈保子のしあわせにハミング(1984年10月 - 1986年10月3日、総合放送/東北放送・北日本放送ほか)
  • 奈保子のいい朝してますか(1986年4月13日 - 1987年4月5日、文化放送)
  • 河合奈保子のスーパーギャング(1986年8月1日、TBSラジオ)
  • 三菱ドライビングポップス・奈保子のときめきトワイライト(1986年10月6日 - 1990年4月8日、帯番組、TBSラジオ)
 平日は10分、日曜日放送分はSunday Partyと称され30分番組であった。
  • 大阪レジスタンス「公開らくごラマ」
 昭和63年度日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽部門最優秀賞受賞作品。
  • ミッド・ナイト・マガジン(1987年5月22日・7月20 - 24日、TBSラジオ)
 1987年5月18日から22日までは特大号として当時のトップアイドルたちが日替わりで出演した。

テレビ

レギュラー出演

単発・連続ドラマレギュラー

※メインタイトルが太字の作品は主演作品。

連続ドラマゲスト

  • 代表取締役刑事38話:裁きは終わりぬ」(1991年7月28日、テレビ朝日系)
  • 水戸黄門 第22部 第19話:悪が群がるカステイラ・長崎」(1993年9月20日、TBS系) - お糸 役
  • HOTEL(第3シリーズ)18話:奇妙な新婚旅行!?・19話:長崎空港の謎の女」(1994年8月11・18日、TBS系)
  • 「HOTEL(第4シリーズ)16話:謎の天才料理人!?・17話:超鉄人!料理対決」(1995年7月27日・8月3日、TBS系)

アニメ映画

ミュージカル

  • 「THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊」(1989年10 - 11月)
  • 「THE LOVER in ME 〜ファースト・クリスマス」(1990年12月 - 1991年1月)
  • 「THE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN」(1991年12月)
  • 「ヤマトタケル」(1994年・1996年、イマジンミュージカル)

CM

  • ハウス食品工業
    第一回ヒデキの妹オーディションの後援企業。CM出演は同オーディションの副賞でもあった。
    • バーモントカレー - 当初は西城秀樹と共演、後に単独出演
    • デザート(プリン、ゼリエース、フルーチェ合同)
    • プリン
    • レンジグルメ
    • 花さぬき - 単独出演、西川のりおと共演
    • 鶏そぼろご飯
    • むぎ茶 - 単独出演、子役時代の安達祐実と共演
    • とんがりコーンCMソング 君は綺麗なままで(NAO&NOBU名義)
  • 日立製作所日立家電販売
    当時日本コロムビアの親会社であったため出演
    • 家具調こたつ
    • 電気暖房器具総合カタログ「あたたかさは、美。」 カタログ’86-9版および’86-10版
    • からまん棒(洗濯機)
    • サンサン青空(衣類乾燥機)※奥様の声に応えて「糸くずポケット新採用」 カタログ’83-12版
    • ゴミパック(掃除機)
    • チリコン(掃除機) ※「-家具の下にも、間にも― すんなりサイズのゴミパック。」 カタログ’84-4版および’84-9版
    • ククレット(電子レンジ)※「けんかをやめて」がCM曲として使われていた時期もあった
  • ライオン
  • 花王
    • ハミング1/3
  • 旺文社
    • 中一時代(学年別雑誌)
  • JA共済
    • 建更まもり5型(共済積立保険)
  • コロナ
    • コロナホームIII(24時間給湯システム)
  • 日立信販
  • 池田泉州銀行(2010年)
    インストゥルメンタル曲が使用されており、画面右下に「河合奈保子」とクレジット表記されている。本人の出演は無し。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1981年(昭和56年)/第32回 スマイル・フォー・ミー 01/22 近藤真彦 紅組トップバッター
1982年(昭和57年)/第33回 2 夏のヒロイン 02/22 田原俊彦
1983年(昭和58年)/第34回 3 UNバランス 03/21 郷ひろみ
1984年(昭和59年)/第35回 4 唇のプライバシー 04/20 西城秀樹
1985年(昭和60年)/第36回 5 デビュー 02/20 シブがき隊
1986年(昭和61年)/第37回 6 ハーフムーン・セレナーデ 10/20 近藤真彦(2)
出演順は「出演順/出場者数」で表す。

書籍

写真集

  • 別冊近代映画 河合奈保子特集号(1981年1月15日発行、近代映画社)
  • そよ風のメッセージ(1981年6月26日発行、音楽専科社
  • KAWAI奈保子フォトメッセージ(1981年8月5日初版、近代映画社)
  • ときめきのメッセージ(1981年10月15日初版、ワニブックス)
  • ほほえみステップ(1982年3月27日発行、音楽専科社)
  • 別冊近代映画 河合奈保子スペシャルPART3(1982年7月1日発行、近代映画社)
  • さまーひろいん(1982年8月1日初版、ワニブックス)
  • チェリーピンクのプチハート(1983年2月23日発行、音楽専科社)
  • NAOKO IN BANGKOK 河合奈保子写真集PART4(1983年4月5日初版、近代映画社)
  • 素敵な時間(1983年10月20日初版、ワニブックス)
  • らすと・ぷれりゅうど(1984年1月20日発行、音楽専科社)
  • NAOKO IN AUSTRALIA 河合奈保子写真集PART5(1984年4月15日初版、近代映画社)
  • NAOKO 5TH ANNIVERSARY(1984年10月25日初版、ワニブックス)
  • LOVELY SUMMER(1985年7月6日発行、音楽専科社)
  • 奈保子 河合奈保子写真集PART6(1985年7月15日初版、近代映画社)
  • NAOKO TRANS AMERICA 河合奈保子写真集PART7(1986年1月15日初版、近代映画社)
  • Sunshine Venus(1986年3月25日発行、音楽専科社)
  • 河合奈保子写真集(近映文庫、1986年6月25日初版、近代映画社) - PART6・7の再録+ロングインタビュー
  • 別冊スコラ(36)河合奈保子写真集 スカーレット(1986年12月25日初版、スコラ)
  • Treffen(1987年12月25日初版、ワニブックス)
  • 月刊平凡 GOLDEN BEST!! Vol.1 河合奈保子写真集 再会の夏 (2016年8月31日初版 マガジンハウス)

エッセイ他

  • 夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より(1981年3月1日初版、ワニブックス)
  • アイドル百科3 河合奈保子(1982年12月20日初版、勁文社)
  • わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ(1983年5月20日初版、ワニブックス) - 1981年の転落事故の療養記
  • 大人の始発駅 過ぎ去る愛を言葉に(1984年6月10日初版、ワニブックス)

関連書籍

  • 理想の声に近づく本-大本式ヴォイス・トレーニング(大本恭敬著、1988年3月20日初版、シンコーミュージック)
    実績の一例として、ボイストレーナーから見た河合奈保子の初期の軌跡に言及。オーディション選考経緯、歌手デビュー前のトレーニング、ファーストコンサート、転落事故復帰に関する所感、等々。
  • あしたのナオコちゃん(全4巻、1985 - 1987年初版、中西裕著、白泉社ジェッツコミックス)
    1980年代アイドルパロディコミック。

受賞歴

  • 1980年
    • 第7回ABC歌謡新人グランプリ 審査員奨励賞(10月2日、(放送10月10日)) - ヤング・ボーイ
    • 第10回銀座音楽祭 熱演賞(10月9日) - ヤング・ボーイ
    • 第13回新宿音楽祭 銀賞(10月16日) - ヤング・ボーイ
    • 第7回横浜音楽祭 新人賞(10月22日)
    • 第6回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 優秀新人賞(11月11日) - ヤング・ボーイ
    • 第22回日本レコード大賞 新人賞(11月26日ノミネート) - ヤング・ボーイ
    • 第7回FNS歌謡祭 優秀新人賞(12月2日ノミネート) - ヤング・ボーイ
  • 1981年
  • 1982年
    • 第24回日本レコード大賞 金賞(11月24日ノミネート) - けんかをやめて
    • 第9回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月7日ノミネート) - けんかをやめて
  • 1983年
    • 第2回メガロポリス歌謡祭 ポップス部門入賞(7月1日)
    • 第25回日本レコード大賞 金賞(11月23日ノミネート) - エスカレーション
    • 第10回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月6日ノミネート) - UNバランス
    • 第9回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀アイドル賞(10月25日) - UNバランス
  • 1984年
    • 第10回日本テレビ音楽祭 日本テレビ特別賞(9月6日)
    • 第11回横浜音楽祭 音楽祭賞(10月17日)
    • 第15回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞(11月20日) - 唇のプライバシー
    • 第26回日本レコード大賞 金賞 - 唇のプライバシー、優秀アルバム賞(11月28日ノミネート)デイドリーム・コースト
    • 第10回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀歌唱賞(10月30日) - 唇のプライバシー
    • 第11回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月4日ノミネート) - 唇のプライバシー
  • 1985年
    • 第12回横浜音楽祭 音楽祭賞(11月8日)
    • 第11回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 審査員奨励賞(11月12日) - ラベンダーリップス
    • 第27回日本レコード大賞 金賞(11月20日ノミネート) - デビュー
  • 1986年
    • 第13回横浜音楽祭 音楽祭賞(11月7日)
  • 1987年
    • 第7回日本作曲大賞 優秀作曲者賞(10月) - 十六夜物語
    • 第9回プラハ国際音楽祭 最優秀歌唱賞・3位入賞・書記長賞(10月26日) - 十六夜物語
  • 1990年
    • 第27回ゴールデン・アロー賞 演劇新人賞・最優秀新人賞(2月26日、放送3月11日) - THE LOVER in ME 恋人が幽霊

脚注

  1. ^ 河合奈保子の娘kaho14歳歌手デビュー - 2013年9月26日、日刊スポーツ
  2. ^ 但し、2017年現在のkahoは「今は音楽活動よりも学業を最優先して欲しい」という実母・河合の強い希望も有り、主立った歌手活動は停止中の状況である。
  3. ^ 河合奈保子 歌手デビューの長女に「音楽より学業優先」と厳命 - 2015年10月24日 livedoor NEWS
  4. ^ a b c d e f g 『別冊近代映画 河合奈保子特集号』(近代映画社刊 1981年)
  5. ^ さんまのまんま』フジテレビ1996年3月1日(2月29日深夜)放送分。小林と共に出演。
  6. ^ 第一報は、事故当日に放送された『ザ・トップテン』の中で速報として伝えられた(その際、番組の司会者だった堺正章が『奈保子ちゃんにね、激励の拍手を送ってあげてください、皆さん!』と会場の観客に呼びかけたほか、エンディングでも『奈保子ちゃんには、一日も早く回復に向かってほしいと思いますね』とコメントした)。
  7. ^ 療養の経緯は、自筆エッセイ「わたぼうし翔んだ ―奈保子の闘病スケッチ―」に詳しい。
  8. ^ 『わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ(ワニブックス刊 1983年)』
  9. ^ ファンクラブ会報のスケジュール表より。
  10. ^ 1988年発売の『悲しい人』のB面に収録
  11. ^ 「nahoko 音 / blue」「nahoko 音 / orange」2作品同時リリース。
  12. ^ この際にオーストラリア在住である事もテレビでは初めて報じられた。
  13. ^ 西城秀樹さんの早すぎる死に“妹”河合奈保子「ショックすぎ」 野口五郎「言葉見つからない」ZAKZAK 2018年5月19日記事
  14. ^ 『理想の声に近づく本』(大本恭敬著 シンコーミュージック刊 1988年)
  15. ^ 「アサヒ芸能」(徳間書店)2013年8月8日号
  16. ^ 玉木正之 (1990年). プロ野球大事典. 新潮社. p. 231. ISBN 4101070121 
  17. ^ ザ・トップテン』(日本テレビ系列)1985年10月21日放送分。

関連項目

  • NAOKO SENSATION - 河合のコンサートのバックコーラスを務めた「マキシム」による河合奈保子シングルメドレーをオリジナルで発表したもの。1981年10月発売。

外部リンク